第63話 劇的じゃないビフォーアフター
「やっぱり、ここにもあるのか……」
五柱の女神姉妹のレリーフを前に、俺は小さくため息をつく。
各地の神殿にあるお約束の品だが、本当ならば一番下に六柱目の闇の女神があるはずなのを俺は知っていた。と言うか、旅の仲間だ。闇の女神ラクティは。
夢で他の女神にも会っている俺としては、似てないとしか思えないレリーフである。
それはともかく、現在俺はネプトゥヌス・ポリスの光の神殿に来ていた。
案の定と言うか、街の入り口に光の神官達が待ち構えていたのだ。
本来神殿側なはずの『女神の勇者』である俺や春乃さんとは、ハデスの隠匿やアテナの事件など色々あったので、あちらとしてもこれ以上の関係悪化は避けたいのだろう。
俺としても光の神殿に傾倒する気はないが、かと言って敵対する気もないので、素直に案内されて神殿に来たのだ。
向こうは遠慮していたが、特別扱いにならないようにきっちり寄進はしておいた。これでこちらも気兼ねせずに済むと言うものである。
ここに来るまでのネプトゥヌス・ポリスの街並みは、なんと言うか「海」だった。
建材の色らしいが、辺り一面がパステルカラーの淡いブルー。
ユピテルに比べて狭い道が多く、ケレスに比べて高い建物が多い。左右を青い壁に囲まれて歩いていると海に潜ってるような気分になった。
今は神殿二階の客室にいるのだが、窓から外の景色を見てみると、まるで水中都市にいるような錯覚を覚える。今にも窓の向こうで魚が泳ぎ出しそうだ。
現在、クレナにロニ、ルリトラ、それにパルドー、マーク、クリッサは、ここに到着するまでにモンスターから得た肉や素材を売りに行ってもらっている。
「で、こっちはどうするにゃ?」
「そうだな……書庫を調べさせてもらおうか」
こちらに残っているのは声を掛けてきたシャコバに、リウムちゃんとラクティだ。
『無限バスルーム』で本格的に調理した保存食に、本職ではないが職人の手で処理された毛皮など。普通に持ち込まれる物より質が良いはずなので売値も期待できるだろう。
財宝に比べると大した額ではないかも知れないが、お金はいつまでもある物でもないので、こう言う地道な努力を欠かしてはならないのである。そこ、貧乏性とか言わない。
シャコバに残ってもらったのは、神殿の人達が亜人にどう反応するのか確かめておきたかったからだ。性格的には不器用なパルドーさんだと多分上手くいかなかったと思う。
残るのはルリトラでも良かったのだが、彼はクレナ達の護衛である。クレナとロニは旅慣れているとは言え、ルリトラ無しでは安心して送り出せなかっただろう。
神殿の人に許可をもらい、書庫へと続く廊下を歩きながらシャコバに声を掛ける。
「神殿の人達の目はどうだ?」
「ん~、普通じゃにゃいかにゃ? 物珍しさで見てる人もいるみたいだけど」
「ケトルトがヘパイストスから出るのは珍しい」
「……そうか、それがあったか」
シャコバの返事に、リウムちゃんの補足説明が続く。なるほど、物珍しさもあるのか。
「で、でも、悪意のある視線はありませんよ?」
しかしラクティの言う通り、嫌がられていると言う訳ではなさそうだ。
この国は貿易が盛んで、多くの商人達が訪れている。そして彼等は安いと言う理由で亜人レイバーを雇う事も少なくないとか。それだけに亜人にも慣れているのかも知れない。
「ひとまず大丈夫ってとこかな」
「だと思う」
リウムちゃんが俺の言葉に同意しつつ、腰に手を回して抱き着いてきた。ココア色の髪を軽くなでると、彼女は嬉しそうに目を細めながら俺の顔を見上げてくる。
「それにしても焼けたなぁ」
両手で彼女のほっぺをむにむにしながら、日に焼けた小麦色の肌を見る。
リウムちゃんは元々『飛翔盤』に乗ってユピテルまで一人で来るような旅慣れている子で、日に焼けた健康的な肌色をしていた。その肌がここまでの旅で更に焼けている。
その一方で同じように天日の下を旅してきたラクティは雪のように真っ白だ。
この子は本当に日に焼けないな。女神だからだろうか。
「むぅ~~~……」
そんな彼女は、なすがままむにむにされ続けるリウムちゃんを羨ましそうに見ていた。きっと自分も構って欲しいのだろう。この子も結構甘えん坊だ。
「えっと、書庫に入ってからな」
ここ廊下だし。
「マークも昔は甘えん坊だったにゃぁ~……」
天井を見上げながらポツリと呟いたシャコバの言葉に、俺とラクティは思わず涙。リウムちゃんも複雑そうな表情をしていた。
確かにマークって反抗期真っ盛りって感じだ。片想い相手のクリッサが弟扱いするからそれに対抗して大人ぶろうとするから余計に。
正直、微笑ましいと思う反面、覚えがあると言うか、まだ記憶も新しい自分としては、見ていていたたまれなくなる事もある。
生憎と俺には「幼馴染みの隣のお姉さん」なんてものはいなかったので、青春しているマークが羨ましいと言う思いもあるのかも知れない。
その時、ラクティが遠慮がちに俺の袖をつまみ、くいくいっと引っ張って来た。
「ん? どうした?」
「あの……トウヤさん、寂しそうな顔してましたよ?」
「そ、そうか?」
そんな顔をしてただろうか。自覚はないんだが。
しかし、ラクティは心配そうな眼差しで俺を見ていた。大丈夫だとアピールするために俺は彼女を小脇に抱えて立ち上がり、そのまま書庫へと入る。
すると、今度はリウムちゃんが羨ましそうにラクティを見ていた。なんと言うか、妹が二人できた気分だった。
神殿の書庫はユピテルのと比べるとそれほど大きな物ではなく、数時間掛けて一通り調べてみたが、目ぼしい物は見付からなかった。
役に立ちそうな物と言えば、近隣に生息するモンスターについて書かれた本ぐらいだ。
と言う訳で、クレナ達が戻って来ると調査は切り上げた。客室に戻る前に皆のステータスカードを更新してもらっておく。
クレナのレベルが23、ロニは23、そしてリウムちゃんは19に上がっていた。
「並びましたね、クレナさま」
「ヘパイストスじゃ魔法ばっかりで、あんまり戦ってなかったからねぇ」
その分、クレナのMPとMENは大きく伸びていたようだ。流石にまだカードからはみ出る程ではないが。
リウムちゃんは惜しかったな。一流ラインの20まであと一歩だった。
ルリトラは残念ながらレベルアップ無しで30のまま。結構戦っているはずなのだが、彼ぐらいになると、その程度では成長にはつながらないのだろう。
ヘパイストスのカバドラゴンと戦っていれば話は別だったかも知れないが、こればかりは仕方がない。あの状況では俺とドラゴンの一騎討ちにならざるを得なかった。
ケトルト四人は16のパルドーを筆頭に、シャコバが15、マークが10、クリッサが5だった。思っていたよりも低い。
しかし、考えてみれば彼等はモンスターと戦うと言ってもあくまで自衛のため。修行としてモンスターと戦い、戦いながら旅をしている俺達と比べる方がおかしいのだ。
実際『炎の魔神』の隠れ家に向かう道程で、パルドー達はレベルが2~3上がったらしい。それぐらい俺達と彼等とでは、戦い方と言うか戦いのペースが違っていたようだ。
そして俺はと言うと、なんとレベル28。一気に4も上がった。
光の女神の祝福を授かってると、普通の人より成長しやすくなると言うのもあるのだろうが、それよりもドラゴンを一騎討ちで倒したのが効いたのだろう。
問題があるとすれば、ルリトラに迫るレベルに達したと言うのに、いまだに彼に勝てる気がしないと言う事だろうか。
実際に戦えば装備や魔法の力で勝てるかも知れないが、なんと言うか彼には勝てないと思わせる威圧感があるのだ。そしてそれは今の俺には無いものだと思う。
流石はベテラン戦士。元トラノオ族の戦士長と言ったところか。戦いの世界には、レベルやステータスだけでは計れない何かがあるのかも知れない。
ステータスは全体的に伸びているようだが、やはりカードを突き抜けたMPとMENのせいで目立たない。STRとVITが比較的高くなっただろうか。
最後にラクティなのだが、なんとレベル1のままだった。
彼女は「私、祝福授けてる方ですし」と言って笑っている。
どうも仮初めの身体である事と、中身が祝福を授ける側である事から、通常の方法ではレベルもステータスも全く変動しないそうだ。
このままだとモンスターに襲われたりしたら、ただじゃ済まないんじゃないだろうか。
「じゃあ、どうやったら強くなれるんだ? 流石に心配だぞ、このままだと」
「女神としての力を取り戻す事ができれば、もう少し強くできると思いますけど……」
その先が続かないラクティ。まぁ、言いたい事は分かる。
女神の力と言うのは、知名度や信仰心と言ったものが関わってくるらしい。三百年前に聖王家と光の神殿が他の女神信仰を駆逐しようとしたのも、それが理由だと思われる。
そしてラクティはと言うと、彼女を信仰していた国ハデスは滅ぼされ、彼女自身は五百年間封印され、その間に闇の女神に関する記録を抹消されてしまった。
そうして闇の女神としての力をほとんど失ってしまったのが、今のラクティだ。
俺自身も彼女を信仰していると言うよりも、保護欲全開と言った方が正しいと思う。
聖王家や光の神殿がハデスの記録を抹消したのも、闇の女神が復活し、彼女を信仰する魔族が盛り返す事を恐れた可能性もあるな、これは。
何せ初代聖王は間違ってラクティを封印してしまい、結局魔王を倒し切れなかったのだから。闇の女神、ひいては魔王の復活を恐れたから彼女の力を奪った。うん、有り得る。
この辺りの事情、今の聖王家にはどれぐらい伝わっているのだろうか。
当時はお姫様を仲間なんて羨ましいかもと思ったりしたが、こうなってくると自称コスモスが心配になってくる。いいように利用されてなければ良いのだが。
まぁ、彼に関しては今どこにいるのかも分からないので、気にしても仕方がない。
今はラクティを含む、俺について来てくれている仲間達の事を考えるべきだろう。
「ねぇ、トウヤ。『無限バスルーム』の方で寝ない?」
「祭壇を使いたいにゃ」
客室に戻ったところで、クレナとパルドーがそんな事を言ってきた。
ここはVIPルームなので決して悪い部屋ではないのだが、光の神殿の様式はどの国でも変わらないので変わり映えしないのだ。
それなら『無限バスルーム』で休みたいと言う気持ちも分からなくもない。
と言うか、財宝の整理とかもしないといけないからな。いつも通り『無限バスルーム』に入る事にしよう。一応客室の方にも見張りは残しておく。
馬車も潜れるサイズだが、扉は意外と軽い。
中に入ると石畳の通路の向こうに「ゆ」の暖簾が掛かった引き戸の扉が見える。暖簾のせいか、建物全体が和の雰囲気を醸し出しているように見えた。
レベルやステータスは上がったが、建物の大きさに変化は無い。その代わりなのかどうかは分からないが、周囲のスペース「庭」が広がってた。
緩やかな変化なので分かりにくいが、炎の祭壇は庭が広がっても「左奥の隅」から動かないようで、近くに置いていた鍛冶道具との距離の変化でパルドー達が気付いたのだ。
広がった分は、整頓用のスペースとして利用している。
パルドー達が倉庫を建てようかと言っていたが、それは流石に止めておいた。
確かに必要な気もするのだが、俺が望めば成長と共に倉庫ができたりしないだろうか。或いは心に棚を作れば、中に棚が生えたりしないだろうか。
それはまぁ冗談として、まずはゆっくりと旅の疲れを癒すとしよう。
「ロニ、お茶を淹れてもらえるかな」
「あ、はい!」
「ロニさん、お手伝いします」
ロニとクリッサが、しっぽをふりふりしながら炎の女神の祝福で誕生した厨房へと入って行った。その後ろ姿を見詰めながら、クレナがポツリと呟く。
「水の女神の祝福を授かると、何が生まれてくるのかしら?」
それは俺も気になるところだ。
この国に来た最大の目的は、水の女神の神殿を探し出して祝福を授かる事。
アテナの風の神殿のように、光の神殿に追い出されてしまった可能性もあるが、その場合も行方を探らねばならない。
クレナ達から情報収集の結果も聞かねばならないし、春乃さんへの連絡も忘れてはならない。それにオークションに出す財宝の整理もしなければならないだろう。
本当にやる事が多いが、ひとまず休んでからにするとしよう。




