第５９話　反撃

「食らえッ！」

　ドラゴンに接近した俺は、力を込めて魔法の斧『三日月(クレセントムーン)』を振り下ろした。

　かなり硬い手応えを感じたが、『三日月』の一撃はドラゴンの横っ腹を斬り裂く。藍色の血飛沫が飛び散ると同時に耳をつんざく様なドラゴンの咆吼が響き渡った。

　ドラゴンはすぐさま大きなアゴをこちらに向けて岩の散弾を放とうとするが、俺はその前にドラゴンの後ろへ、後ろへと回り込んで散弾の射線に入らない様にする。

　幸い、カバに近い体格のこのドラゴンは、尻尾もそれに近いらしい。振り回して人間を薙ぎ払える様な力強い尻尾は持ち合わせていない様だ。

　斬り付けては背後へと移動を繰り返していく。

　このまま行けば楽勝で勝てる――ほど甘い話ではない。

　右前足に斬り掛かっている時に、ドラゴンは俺を探すのとは別の動きを見せた。

「チィッ！」

　俺の姿が全く視界に入らないためか、ドラゴンは動かない目標、すなわち俺が飛び出す前に出現させた黒い土壁に向けて散弾を繰り出そうとしたのだ。

　手近な所に怒りをぶつけようとしているのかも知れないが、それで土壁が壊されてしまったら、向こう側のクレナ達がドラゴンの攻撃に晒される事になってしまう。

　『水のヴェール』があると言っても、岩の散弾相手には無力だ。ルリトラだってあれには耐えられない。

　そして俺の一撃は、残念ながら象サイズの巨体の体勢を崩せる程ではない。

「させるかッ！」

　そんな俺に出来る事は一つ。自ら散弾の前に飛び出て盾になる事だ。

　目元さえ庇う事が出来れば魔法の鎧『魔力喰い』がＭＰと引き替えにダメージも衝撃も無効化してくれる。

　ゴリゴリとＭＰが削られて行く脱力感。しかし、この場で盾になる事が出来るのは俺だけなため、ここで退く訳にはいかない。

　俺の兜は光の神官魔法『解毒』に包まれ、白い炎に包まれている。だからこそこの毒ガスの中でも動き続ける事が出来るが、こちらもＭＰと引き替えにしている。

　瞬く間にＭＰが消耗して行くのが分かる。これは俺のＭＰとドラゴンの生命、どちらが先に尽きるかの勝負だ。

　俺の攻撃魔法は、皆基本的な魔法に超人的なＭＰを注ぎ込む事であの威力を出している。流石にこの状況では使えないだろう。自分の命を縮める様なものだ。

　盾になった事でドラゴンの顔前に出たのを良い事に、俺は目の前にあるドラゴンの鼻先目掛けて『三日月』を振り下ろした。

　流石にこれは効いたのか、ドラゴンは咆吼を上げてのけぞる。

「隙有り！」

　身をのけぞらせた事で無防備となった、他の部分よりは柔そうな喉を斬り付けた。

　飛び散る血が兜を包む白い炎に触れると同時に消えて行く。『解毒』に反応していると言う事は、あの血も毒があると言う事か。

　しかし、喉への攻撃は有効だ。

　喉に穴が空けば息の力を利用しているであろう岩の散弾は使えなくなるはず。そう考えた俺が再度斬り付けると、ドラゴンは悲鳴を上げて身悶えた。

「どわっ！？」

　これは堪らぬと思ったのか、ドラゴンは大きな下アゴをハンマーの様に振り下ろして俺を潰そうとしてきた。俺は横っ飛びでそれを避け、辛うじてその攻撃を避ける。

　更に前足で踏み潰そうとして来るが、俺は地面を転がる事でそれも避けた。

　すぐに体勢を立て直し、俺はドラゴンの前足をよじ登る。

　首への攻撃はやはり効いている。大きなアゴのせいで喉はもう狙えないが、今度は背中から首を攻撃してやろう。

　もし脊椎が存在するなら、そこへの攻撃は有効なはず。

　ドラゴンの背に登った俺は、『三日月』を両手で持ち、普通の脊椎動物であれば延髄であろう場所を目掛けて渾身の力を込めて振り下ろした。

　次の瞬間、傷口から勢い良く藍の血が噴き出しながらドラゴンが暴れ出す。

　手応えがあった。しかし、思っていたよりも柔い。『三日月』の刃はウロコを斬り裂き、肉に食い込んだが、どうやら骨までは届かなかった様だ。

　やばい、このままでは振り落とされてしまう。

　俺は必死にドラゴンにしがみ付き、その背に跪く体勢になってしまった。

　早くとどめを刺そうと『三日月』を振るうが、この体勢では上手く力が入らない。

　落下の衝撃は『魔力喰い』が防いでくれるが、この勢いで暴れ回っているドラゴンの間近に落ちてしまえば、ＭＰがいくらあっても足りないだろう。

　あえて自ら跳んで一度距離を取るべきか。

　そう考えてしがみ付く腕の力を緩めかけたが、その時俺の頭にある考えが過ぎった。

　上手く行けば、起死回生の一手に成り得る。これを試してからでも遅くはない。

　これが最後の一撃だ。俺は全身全霊の力を込め、ドラゴンの背に向かって勢い良く頭(・)突(・)き(・)を炸裂させた。

　そして響き渡る今までで最大の咆吼。俺にはそれが断末魔の悲鳴の様に聞こえた。

　頭突きを食らわせた場所は、血が噴き出し続ける首の傷口。

　俺の兜に生えた角から放たれ続けている『解毒』の魔法は毒を浄化し、消してしまう。

　そして、このドラゴンの血は毒。

　その血が噴き出す場所に『解毒』を掛けたらどうなるのか、これが答えだ。

「消えろおぉぉぉッ！！」

　傷口に顔を突っ込んだ事で視界が藍色に染まるが、それでも俺は怯まずドラゴンの背にしがみ付きＭＰ全開で『解毒』を掛け続ける。

　毒と言えどドラゴンにとっては無くてはならない血液。それを浄化し、消して行くのだ。しかも頭に近い位置で。

　これで生きてられたら、まともな生物ではない。

　案の定ドラゴンの声はやがて弱々しいものになり、糸が切れた様に力を失った巨体はゆっくりと横倒しとなって地響きを立てた。

　その衝撃で地面に投げ出された俺。その衝撃は『魔力喰い』で無効化するが、身体の方に力が入らない。

　戦っている最中は必死で気付かなかったが、どうやらＭＰではなく体力の方を使い果たしてしまったらしい。

　息が荒くなっており、身体を起こす事が出来ない。

　さっきとは別の意味でやばい。集中が途切れたら『解毒』が解けてしまう。そうなれば毒ガスから身を守る術がなくなってしまう。

　なんとかしてクレナ達の所に戻らなければ。

　力を振り絞って何とか起き上がるが――

「まずっ……！」

――足の力が入らず、再び倒れそうになってしまう。

「お疲れさまです、トウヤ様」

　しかし、目元の肌が水に触れる感触を感じ、直後に倒れかけた俺の身体を力強い腕が支えてくれた。ルリトラだ。

　辺りを見てみると、ガスが無い。いつの間にか『水のヴェール』の中に入っている。

「……そうか、クレナ達の方が移動を……」

　元々『水のヴェール』はクレナに合わせて動くもの。断末魔の咆吼を聞いたからか、巨体が倒れた音を聞いたからかは分からないが、彼女達の方から迎えに来てくれた様だ。

　パルドーさん達が樽の水を使って鎧に付いた毒を洗い流して脱がせてくれる。

　ロニに水を飲ませてもらいながら、今にも泣き出しそうなラクティと、無表情に見えながら実は涙目のリウムちゃんを見て、ようやく無事に生還出来た実感がふつふつと湧いてきた。

「あ、やばっ……」

　安心したせいか、肉体的だけでなく精神的な疲れも一緒になって襲ってきた。

　このままでは戦闘後、俺が目を覚ますまで『無限バスルーム』で休めなかったキンギョ戦の二の舞になってしまう。

「開け……っ！」

　俺は最後の力を振り絞って『無限バスルーム』の扉を開き、目の前に扉が開いたのを確認すると、そのまま意識を手放した。

　夢の中では、満面の笑みを浮かべた光の女神に猫可愛がりされた。

　と言うか、ずっと抱き締めたまま離してくれなかった。

　光の神官魔法でドラゴンにとどめを刺したのがお気に召した様だ。

「ここは……」

　そして次に俺が目を覚ましたのは『無限バスルーム』内の畳の部屋だった。眠っている内に運んでくれた様だ。

　パジャマに着替えさせられている。おそらくロニがやってくれたのだろう。

「……ん？」

　上着のボタンが一つずつズレている。ロニだけでなくラクティも手伝ってくれた様だ。

　和室を出ると、倉庫になっている広間でまずロニに出会った。

　彼女も俺に気付いた様で、俺の顔を見てまず目を丸くし、次に涙を浮かべ、そして感極まった様子で俺の胸に飛び込んでくる。

「トウヤさまぁ！」

　俺は身構えてしっかりとその身体を受け止める。よし、足はふらつかない。眠っている間にしっかり回復出来た様だ。

　俺はシャンプーの良い匂いがするクリーム色のもっさり髪に顔を埋めながら、彼女を抱き締め、その頭を撫でる。

　最近の彼女は、ラクティと言う「後輩」が出来たせいか、あえて従者の様に振る舞っているところがあるので、こうも素直に感情を表すのは珍しくなった気がする。

　せっかくの機会なので、ここは存分に愛でるとしよう。

　先程の声に気付いたのか、クレナ達が次々にやってきた。ロニは自分がどう言う体勢になっているのか気付いて慌てて離れようとするが、離してやらない。

　そこにラクティも飛び付いて来たので、ロニはますます離れられなくなった。

　そしてリウムちゃんは俺の後ろに回り込み、一人背中に飛び付いて来る。

　三人に飛び付かれても平気で立っていられるあたり、俺も強くなったものだ。

　ドラゴンを斬った事より、こんな事で自覚してしまう辺りが俺らしいかも知れない。

　クレナは飛び付いて来なかったが、若干目が潤んでいる気がする。

　むしろルリトラの方が今にも泣きそうな顔をしていた。

「目を覚まして良かったわ、ホントに……」

「大袈裟……って訳でもなさそうだな。どれぐらい眠ってた？」

「二日です」

「二日か……」

　俺の問い掛けに答えてくれたのはルリトラ。

　自分で思っていた以上に消耗していた様だ。力尽きる前に『無限バスルーム』の扉を開けなかったら、俺が目覚める前にクレナが力尽きて全滅していたかも知れない。

「『無限バスルーム』の機能は使えてたし、ラクティが大丈夫だって言ってくれたから信じてはいたけど……」

「スマン、心配掛けたな」

「仕方ないで済ませたくないけど、仕方ないのよね。実際あれを放って探索は続けられなかっただろうし」

「あの方法以外で倒すのも難しかったでしょうな」

　正直なところ、無茶をしたと怒られるのは覚悟していたが、クレナもルリトラもあれ以外に手が無かった事を理解しているのか、お小言を言ってくる事はなかった。

　ただ、俺がこのまま目覚めなければ毒ガスの中で立ち往生する事になっていただろう。その件で心配を掛けた事については素直に謝っておく。

　パルドーさん達も、俺を休ませるために、ＭＰを大量に使用する炎の祭壇は使用を控えていたらしい。

　では、この二日間何もせずに待機していたかと言うとそうではなく、クレナが『水のヴェール』を拡げてドラゴンの死体もヴェール内に入れ、解体作業を行っていたそうだ。

「いやぁ、珍しい素材が手に入ったにゃ」

　そう言ってシャコバさんが見せてくれたのは俺の手の平程のサイズで逆五角形のウロコ。

　受け取って見てみると微かに透き通っている。指で弾くと鉱物の様な硬質な音が鳴った。光に透かしてみると、まるで翡翠の様にも見える。

「……これがあのドラゴンのウロコなのか？　マジで？」

「マジだよ。俺も洗ってみて驚いた」

　呆然とした表情で尋ねる俺に、マークは神妙な面持ちで頷いた。

　最初はくすんだ色をしていたそうだが、毒ガスやら巨大長エノキの胞子やらを落とすために手袋を付けて洗うと、この宝石の様なウロコが姿を現したらしい。

　信じられない。あんな象サイズのカバみたいなずんぐりむっくりしたフォルムをしたドラゴンのウロコが、こんな宝石の様な美しさを誇るなんて。

　象並のサイズがあっただけに、手に入ったウロコは相当な量があった様だ。まだ全て洗い終わってないらしい。

「たくさん手に入ったにゃ！」

　くるくると小躍りしながら喜ぶシャコバさん。何となくだが気持ちは分かる。派手好きな彼にとって、これ程心躍る素材も無いのだろう。

　その隣でため息を吐いているのはマーク。残りのウロコも洗わなければならない事を考えると憂鬱にもなるのだろう。

　大変そうなので手伝ってあげたいところなのだが、この輝きを出すには微妙な力加減が必要らしく、残念ながら俺達では手伝う事が出来ない。

「ところで、魔法はもう使えるかにゃ？」

「ん？　ああ、大丈夫だと思うぞ」

「一回だけよ。あと一日か二日は解体作業が続くだろうから、その間は休んでもらうから」

　パルドーさんの頼みを安請け合いしようとしたところで、クレナの突っ込みが入った。

　自分では大丈夫だと思うのだが、彼女が言うのであれば、パルドーさんの頼みを済ませた後は休ませてもらうとしよう。

「それで、何をすれば良いんだ？」

「ドラゴンの死体を浄化して欲しいにゃ」

「浄化？」

「神官魔法に、そう言うのがあると聞いてるにゃ」

　確かにある。光と炎の両方に。しかし、俺は光の方しか使えない。

「ウロコは全部取ったけど、残りが腐ってドラゴンゾンビににゃっても困るにゃ」

「……なるのか、ゾンビ」

「あれだけ生命力が溢れてたら、死んでもほっといたら動くにゃ」

　スケルトンみたいなアンデッドがいるのだから、ドラゴンゾンビもいるかも知れないと思っていたが、本当にいるらしい。

　なるほど、休めと言っているクレナが一回だけ許すと言ったのはそのためか。

　そう言う事ならば、ゾンビになる前にドラゴンの死体を浄化する事にしよう。

　パジャマ姿のままだが、魔法を一回使うだけならばこのままで良い。

　『水のヴェール』が無ければ外に出られないため、俺はクレナを伴って『無限バスルーム』の外へと向かった。

「…………うげっ」

　詳しく語るのは避けよう。

　『無限バスルーム』の扉の向こうに広がっていた光景は、精神衛生上良いとは言えない光景だった。ウロコを全部剥がしているのだから仕方がないだろう。

　あまり長く見ていたい光景ではないので、早速浄化する事にする。

　俺はドラゴンの死体に向けて手を突き出し、祈りを込めて『浄化の光』を唱える。

　ドラゴンを囲む様に光が円を描き、円から放たれた光が柱となってそれを飲み込んだ。

「浄化、完了っ！」

　浄化が終わり光が収まると、そこに残っていたのはドラゴンの骨だけだった。

　骨は浄化の対象外らしいが、これでスケルトンの様に動き出す事は無い。

「おぉ！　キレーにゃ骨が手に入ったにゃ！

　神官が浄化したのは焼けちゃうものだと思ってたにゃ！」

　パルドーさんは、ドラゴンの変わり果てた姿を見て大喜びだ。

　炎の浄化魔法は、一言で言えば「火葬」だ。本当に焼いてしまうので、そちらを使っていればこんなにきれいな状態のドラゴンの骨は手に入らなかっただろう。

　同じ浄化魔法ならば覚えるのは一つで良いと思っていたが、光の浄化魔法を覚えたのは正解だった様だ。

　実は炎の女神もどこか困った様な表情で承諾してくれている事だったのだが、彼女もその辺の事が分かっていたのかも知れない。

　とにかく、骨は全て中に運び込もう。

　そして『無限バスルーム』の扉を閉めれば安全だ。『水のヴェール』も必要なくなるのでクレナも休ませる事が出来る。

「それじゃ、全部中に運ぼうか」

「トウヤ様、それは自分が」

「そうよ、トウヤは休みなさい」

　手伝おうとしたが、ルリトラとクレナに止められてしまった。

「いや、クレナも休まないとダメだろ。

　ずっとウロコ剥がしてたって事は、『水のヴェール』使いっぱなしじゃないのか？」

「これが終わったら休むわよ」

「運ぶだけだからすぐですよ」

　そう言ってルリトラは、大きなドラゴンの頭蓋骨をヒョイと持ち上げた。なるほど、これなら確かにすぐに終わりそうだ。

　パルドーさん達三人も、それぞれ骨を担いで運んで行く姿も微笑ましい。

　これなら大丈夫だろう。俺は一足先に戻って和室で休ませてもらう事にした。

「……臭ってないよな？」

　何となくだが臭いが付いてしまった気がするので、念のためにパジャマは予備の物に着替える事にする。

　後は敷いたままの布団で横になるだけなのだが、ここである事を思い付いた俺は、ひとつ仕込みをしてみる事にした。

　大した事ではない。俺の布団に枕を二つ並べ、俺が端に寄って眠るだけだ。

　表の作業が終われば、クレナも休むために戻って来るだろう。

　その時、空いてる場所を見て彼女がどうするのか、ちょっとした悪戯心である。

「…………」

「……一緒に寝る？」

　コクンと小さく頷いたのは――リウムちゃんだった。

　ちょっとした悪戯心の結果は、クレナより先にリウムちゃんがやって来て隣に潜り込んで来ると言う結果に終わった。

　クレナの反応が見られなかったのは残念だが、せっかくなのでこのまま彼女に甘えられながら休む事にしよう。

　これはこれで非常に癒される。

　次に目を覚ました時、俺達の布団の隣にもう一枚の布団がぴったりと寄せられていて、クレナも一緒に三人並んで眠る様になっていたのはここだけの話である。