第50話 ヘパイストス・ポリスの朝
ヘパイストス・ポリスに到着し、魔法の鎧『魔力喰い』をケトルトの鍛冶職人・パルドーに預けた翌日の朝、俺は炎の女神の神殿のVIPルームで目を覚ました。
部屋の造り自体は、やはりケレス・ポリスの光の女神の神殿のそれに近い。この世界の基準では高級な寝室だ。
俺の使ったベッドは壁から二番目。一番壁際のベッドにはルリトラが俯せになって眠っていた。縞模様のある長い尻尾をベッドの端から垂らして眠っている。
相変わらず「ぐて~」っとした感じで、その姿は仕事に疲れた休日のお父さんの如しだ。
炎の女神の祝福を授かる儀式は午後からだ。彼には普段から頼りっぱなしなので、ゆっくり休んで貰おう。
隣のベッドを見ると、リウムちゃんとラクティの二人が一つのベッドで寄り添う様に眠っていた。二人とも見ていてほっこりする寝顔だ。
リウムちゃんは元々春乃さん達と連絡を取るための神具を俺に渡すために来た。
その流れでハデス・ポリスの探索も手伝ってもらっていたが、それが終わった後も帰ろうとする様子はない。
俺としても迷惑ではないし、『空白地帯』を西から東へ横断してしまい、春乃さん達のいるアテナ・ポリスから離れてしまったので、リウムちゃんを一人で帰すつもりにはなれない。
と言う訳で、この事は昨夜の内に春乃さんの方にも伝えており、あちらからもリウムちゃんをよろしくお願いしますと言う返事をもらっている。
その向こうのベッドでは、身体を起こしたクレナが眠そうに目をこすっていた。少し寝癖がついている。
あのベッドでロニも一緒に寝ていたはずだが彼女の姿は見えなかった。おそらくもう起きているのだろう。
料理は神殿に任せるとしても、服を繕うなどやる事は色々とあるらしい。相変わらず働き者である。後でお礼を言っておかなければなるまい。
「おはよう、クレナ。眠そうだな」
「おはよう。眠いって言うかさ……」
「どうした?」
何故かクレナはジト目で俺の方を見てくる。その目が恨みがましそうに見えるのは気のせいだろうか。
「私、気付いちゃったわ。『無限バスルーム』で寝る安心感には、神殿のVIPルームでも敵わないって……」
「あー……」
クレナの言葉を聞いて、俺も思わず声を漏らした。
神殿のVIPルームをけなす訳ではないのだが、女神が五柱姉妹ではなく六柱姉妹である事など神殿が隠している事を知っている身としては、何の心配もなく休める場所とは言い難い。
歴史の闇に隠された末妹である闇の女神、ラクティ・ロアを連れているのだから尚更だ。
それを考えると、外界から一切干渉される事のない『無限バスルーム』の中は、誰にも邪魔される事なく安心して休める空間だと言うのも理解出来る。
俺は隣のベッドで眠るラクティを見る。リウムちゃんと頬をくっつけて幸せそうな寝顔だ。
闇の女神がこんなに身近にいて感覚がマヒしつつあったが、忘れてはならない。オリュンポス連合において闇の女神に関する知識、資料は全て一般的には禁忌とされているのだ。
「今夜からそっちで寝ない?」
「別に構わんぞ。ベッドも捨てがたいけどな」
旅先の宿と言うのも異国情緒を味わえるものだと思うが、安全性を考えると『無限バスルーム』の方が良いと言うのも一理ある話である。
「そう言えば、寝具とか作ってもらうならどう言う職人に頼めば良いんだ?」
「寝具? フィークスブランドでしょ」
クレナ曰く、例の女性下着専門職人だったと言う変態偉人・フィークスのブランドが、寝具全般についてもオススメとの事だ。
冒険者用となるとまた話は別になってくるそうだが、屋内限定で使うのであればやはり肌触りの良さなどでは他の追随を許さないらしい。
寝室専用に使える和室が出来たので、今まで使っていた毛布だけでなくもう少し良い物を揃えたいところだ。可能であれば和風の布団を作ってもらおう。
クレナが着替えるそうなので、俺は『無限バスルーム』の扉を開いた。即席で部屋を分けるのにも使えるのだ。
彼女はパジャマ姿のまま中に入って行き、中から俺の分の着替えを持って来てくれた。それを受け取ると、中を覗かない様にして俺も着替え始める。
寝室にはリウムちゃんとラクティが寝たままだが、この二人ならば着替え中に起きてきたとしても特に気にする事はないだろう。
ちなみにロニは前日の内に着替えや顔を洗うための水も用意して寝ていた。彼女はいつも早起きなためだが、何と言うかしっかり者である。
手早く着替え終えた俺は『無限バスルーム』の中に入った。
建物の中に入っても最初の部屋にクレナの姿はない。いつもの事だが、彼女は和室を使って着替えているのだ。いくら俺でも、それが分かっていなければ入る前に声ぐらい掛ける。
顔を洗い終えてさっぱりした俺は、荷物が積み上げられた部屋を見回した。ハデス・ポリスで手に入れた財宝で一杯だ。
金や宝石に変えてかさばらない状態にしたい所だ。そうすればクレナ達は和室、俺はこの部屋と使いわけて着替える事も出来る。
とは言え、これだけの財宝をどう処分するべきか。
建物の外に積み上げた武具も合わせると相当な量になる。どうあがいても馬車一台には入りきらないぐらいに。
どうやって運んで来たかを説明するには、俺のギフトについてある程度教える必要が出て来そうだ。それだけに取引相手はよく考えなければならない。
一部だけ売る事も考えたが、チビチビ売っていればいつ部屋が空くか分からないだろう。早く部屋を空けたいので可能であれば一括で売ってしまいたい物である。
ヘパイストス・ポリスに到着するまで一緒だった商人、コパンはダメだ。
悪い人だとは思わないが、いくらなんでも彼は口が軽過ぎる。
「洗面台空いてる?」
そこに着替え終えたクレナがやってきた。清潔感のある白い袖無しのワンピース姿だ。胸元の刺繍の細やかさを見た感じ、高級品ではないかと思われる。
家を出る時にまとめて一緒に持ち出したものの、今まで着る事が無かった物らしい。
見た目で高級品と分かってしまうため、旅の途中ではトラブルを避けるために着られなかったと言う事情もあったのだろう。
高級品を身に着けた少女の二人旅。確かに狙い目だ。
しかし、神殿のVIPルームに泊まる様な立場になってしまうと今更だと言う事で、暑いヘパイストス・ポリスでは涼しげで丁度良いと着る事にしたそうだ。
俺は既に顔を洗い終えていたのでクレナに洗面台を譲る。
顔を洗い終えた彼女は、ワンピースの胸元の刺繍をつまみ、少しはにかんだ様な笑みを浮かべながら話し掛けてきた。
「昔はさ、あんまり好きじゃなかったのよね、これ」
「そうなのか? 可愛いと思うが」
「腕が見えちゃうじゃない」
そう言って唇を尖らせる。
そう言えば彼女は、周りの貴族令嬢に比べて体格が良いむっちり系なのを気にしていた。
そのため腕が目立つ服装はあまり好みではなかったのだろう。
「……まぁ、トウヤは可愛いって言ってくれるみたいだしね」
俺が彼女の体格を嫌っていないと言うのも、そのワンピースを着る事にした理由の一つなのだそうだ。
実際、彼女が気に病む程ではないだろうと言うのが正直なところだ。むしろ、他の貴族令嬢がどれだけ細かったのか知りたい。
今にして思えば、彼女は表向き父親が不明と言う事になっているのだ。貴族の世界では、これはかなりのハンデではないだろうか。
そのため彼女のむっちり体型を必要以上に大袈裟に囃し立て、皆でいじめていた可能性も考えられる。
それともう一つ。
「何よ、じろじろ見て」
「いや……やっぱり可愛いなと思って」
「はぁ? 寝ぼけてるんじゃないの?」
と言いつつも、クレナは頬を紅潮させている。
そう、彼女は可愛いのだ。
銀色のふんわり内巻きのボブヘア。自画自賛になるが、俺の魔力製シャンプーを使い続けている彼女の髪は艶やかで見事なエンジェルリングが輝いている。
気が強そうではあるが整った顔付きであり、幼さを残した可愛らしさがある。
邪推かも知れないが、彼女の体格を責めていた者達は、そんな彼女に対する妬みもあったのではないだろうか。
まぁ、異世界人の俺と彼女達の常識、感覚の違いと言うのも考えられるので、その事については口には出さないでおく。
俺は彼女を可愛いと思い、彼女もそれを受け容れて今まで着られなかった服も自ら着る様になった。それで問題はないだろう。
俺とクレナが一緒に『無限バスルーム』を出ると、丁度リウムちゃんとラクティが目を覚ましたところだった。
俺は『無限バスルーム』の扉を一旦閉じ、部屋の扉の近くで再び開くと、二人の事をクレナに任せてリビングの方に向かう。
『無限バスルーム』の扉を開くと、俺はそこから遠くへ移動する事が出来なくなってしまうが、部屋の端に開けば隣の部屋ぐらいは行く事が出来るのだ。
隣のリビングでは、暖炉の近くのソファに座ったロニの後ろ頭が見えた。
「あ、トウヤさまっ! おはようございます!」
ドアの音に気付いたのか、狼の耳をピクンと動かしたロニは、振り返って俺の顔を見ると元気良く笑顔で挨拶してきた。
「服を繕ってたのか?」
「ええ、でもこっちの三着はダメですね」
そう言う彼女の視線の先には、小さなテーブルに乗った三人分の衣服があった。
全て穴だらけのボロ切れ状態。キンギョと戦った時に三人が着ていた服だ。
「これは仕方がない。祝福の儀式が終わったらまた買い足そう」
「あ、その時はリウムとラクティのもお願いします」
「ああ、そうだな」
ケレス・ポリスを出てから合流したリウムちゃんと、ハデス・ポリスで仲間になったラクティは、手持ちの着替えが少ない。
ラクティは当然の事として、しっかり旅の準備を整えてきたリウムちゃんでも、『無限バスルーム』を前提に荷物を揃えている俺達と比べると少なくなってしまうのだ。
寝具を注文するために『フィークスブランド』に行く予定があったので、その時に買えば良いだろう。
「朝食は?」
「もう来てますよ。そちらのテーブルに」
ロニが視線を向けた先、リビングの中央には大きなテーブルがあり、そこにはいくつもの半球状のフタが被さった料理が並べられていた。先程運ばれて来たそうだ。
テーブルの周りには俺達用の椅子と一緒にルリトラ用の背もたれの無い大きな椅子も並べられている。
「それじゃ、もうすぐクレナ達も来るだろうから一緒に朝食にしようか」
「はいっ!」
彼女達の着替えはもう少し時間が掛かるだろう。ルリトラを起こす時間も必要だ。
もっとも後者は俺も手伝う必要があるかも知れないが、クレナ達が寝室から出てくるまでは待つとしよう。
俺はロニの向かいに座って彼女が繕い終えた服を畳むのを手伝った。
鮮やかな手付きで針を動かすロニを見て思う。
裁縫と言えば学校の授業で少しやったぐらいだ。ミシンの使い方も習った気がするが、それももう忘れてしまっている。
それを当然の様にこなしている自分よりも年若い少女。
ごくごく当たり前、大して珍しいものでもない光景だと言うのに、何故か不思議な心持ちになってくる。
この世界に召喚されて数ヶ月。旅よりもモンスターとの戦いよりも、こう言う日常にこそ「異世界情緒」と言うものを感じる気がする。
でも、今はそれだけでなくある種の懐かしさ、郷愁の気持ちも一緒に感じられる。
こう言うのも悪くない。俺は心地良い雰囲気に浸りながら寝室の扉が開くのを待った。
朝食を終えると、ルリトラは再び寝室に戻って行った。昼まで寝るそうだ。
昼までの時間、俺達は『無限バスルーム』の中の荷物を整理しながら過ごす事にした。
魔法の掛かっていない武具などは、一部骨董品としての価値がありそうな物を除けばただ古いだけの物なので売却する第一候補である。
少し手入れをして、見栄えを良くしてから売ると言う手もあるが、それを実行するかどうかはそれに掛かる手間暇を考慮してと言う事になるだろう。
力仕事は俺とロニ、骨董品としての価値があるかの見極めはクレナ、リウムちゃん、ラクティの三人に任せて武器を整理する。
そうしている内に昼になり、ルリトラも起きてきて皆で昼食を取った。
その後俺は祝福を授かる儀式を行うのだが、場所は神殿ではなく、レムノス火山にある坑道の一つだ。
武装したルリトラを護衛に伴い馬車に揺られて辿り着いたのは『火の石』が採掘出来る最も大きい坑道。ヘパイストス・ポリスにおいて最も炎の精霊力が強い場所らしい。
案内の神官が手に持った松明に魔法で火を付けて坑道の中に入る。おそらく炎の精霊召喚を使ったのだろう。
暗い坑道を進んで行くと周りが段々と明るくなってきて、やがて松明の明かりが必要なくなる程に明るくなった。
「これは……」
「ここで儀式を行います」
言葉を失う俺に、案内の神官は振り返り自慢気な表情でそう言った。
俺達が案内された儀式場、それは無数の紅い水晶柱が岩壁から顔を覗かせ、それらが放つ光で紅く染まった空間だった。
その幻想的な光景を見た俺は思わず呟く。
「……暑っ!」
単に火山だからか、炎の精霊力が強いからかは分からないが、ここは空気が熱せられ非常に暑かった。
ここで祝福を授かる儀式をするとは気が滅入る話である。
得意満面な神官には言えない本音ではあるが。




