第46話 女神様のみそぎ風呂
魔王城を出た俺達は、ヘパイストス・ポリスがある東の地下道を目指した。
途中スケルトンの集団に何度か出くわしたが、俺とルリトラだけで蹴散らす事が出来た。
昨日より身体の調子が良いぐらいだ。闇の女神の祝福のせいか、或いはキンギョを倒してレベルが上がったからかも知れない。
ちなみに闇の女神ことラクティ・ロアは馬車の中で震えていたそうだ。
本当に女神なのだろうか。いや、信じてない訳ではないが。
ラクティの案内でその日の内に地下道の入り口まで辿り着いた。
正確にはその跡地だ。俺が大地の精霊召喚で穴を空けると、少し進んだ所で無事な地下道に出る事が出来た。
ハデス・ポリスが沈んだ事により上下の差はあったとしても方角は変わっていないだろうと勘任せに穴を空けてみたが、上手く繋がってくれた様だ。
そこでクレナに風の精霊で向こう側まで風が通っている事を確認してもらう。
入り口と同じ様に途中で崩れていてすきま風が通っているだけと言う可能性もあるが、それぐらいならば大地の精霊召喚で穴を空ける事が出来るだろう。
そのまま地下道に入って、中で夜を過ごす事も出来るが――
「ラクティ?」
――ラクティが物憂げな表情で廃墟の街を見ていた。
そう、ここもかつては彼女を信仰する人達が住む都だったのだ。今は滅んだとは言え、ここを放って去る事に思うところがあるのだろう。
クレナ達も気付き、心配そうに彼女を見ている。
すると俺達の視線に気付いたラクティが振り返り、力無く笑みを浮かべた。
「……大丈夫です。この上は砂漠……なんですよね?」
「あ、ああ……」
「そうなってしまっては……私の力でも、この地を蘇らせる事は出来ませんから……」
今にも消え入りそうな小さな声でそう言うラクティ。笑おうとしているが、その顔が今にも泣きそうに見えるのは気のせいではないだろう。ロニが近付き、彼女を慰めている。
「……行きましょう」
「良いのか?」
「ここにいても……私には何も出来ませんから……」
「……そうか」
強がっているのは見え見えだが、それを指摘するのは野暮と言うものだろう。
俺は光の精霊を召喚してから馬車に乗り込み、ルリトラを先頭にして地下道へと入った。
光の精霊に照らされた地下道は、ケレス方面の地下道とほぼ同じ造りだった。
ここはスケルトンも入り込んでいない様なので、少しスピードを上げて進む事が出来た。
俺は精霊を召喚し続けても問題は無いが、クレナにとっては換気のために風の精霊を制御し続けるのは負担が大きい。
換気を止めてもすぐに窒息する訳ではないので、休息を取りながら進む事になるだろう。
交代出来れば良いのだが、残念ながら俺が召喚出来るのは光と大地の精霊のみだ。闇の女神の祝福を授かったが、まだ闇の精霊を召喚する魔法は覚えていない。
クレナ自身も、俺のMPとMENが人間離れしたレベルまで成長した経緯を知っているので良い機会だと考えている様だ。
ここでは時間が分からないので、空腹を感じた頃に休息を取る事にする。
火を使うと換気が大変になるので、ここはちょっと裏技を使う。
『無限バスルーム』を使って、摂氏百度の熱湯を直接鍋に入れるのだ。じっくり煮込んだりは出来ないが、簡単なスープを作る分にはこれで十分である。
保存食を中心に簡単な夕食を済ませた俺達は、早めに休む事にした。
『無限バスルーム』内の玄関ならばルリトラも休む事が出来そうだが、馬は流石に入らないため、彼は外で休むそうだ。
他の女神の祝福も授かれば、建物の外の空間も今よりもっと広くなるのだろうか。
馬も中に入れる事が出来る様になれば、ルリトラばかりに負担を掛ける事がなくなる。
光と闇の祝福が反発し合う負荷を大地の女神の祝福で抑えているそうだが、それだけではなく、休息出来る空間を確保するためにも祝福を授かりたいところだ。
「ルリトラ、『無限バスルーム』の扉は開けっ放しにしておくから何かあったら呼んでくれ」
「ここでは何も無いと思いますが」
「念のためだ」
彼の言う通り、ここではスケルトンの類に襲われる事は無いと思うが、中の明かりが光源にもなるので扉は開けたままにしておく事にする。
中の建物の扉を閉めておけば湯気が外に出る事も無いので、そちらも問題は無いだろう。
ルリトラに馬車の見張りを任せた俺は、クレナ、ロニ、リウムちゃん、それにラクティの四人を連れて建物の中に入る。
入ってすぐの脱衣場は荷物で手狭なため、休むのは新しく出来た和室になりそうだ。
「あら……」
その時、俺の前を歩いていたクレナが突然しゃがみ込んだ。
「どうした?」
「見て、これ」
そう言いながら彼女が手に取ったのは、ラクティの髪。艶やかできれいな髪なのだが、長過ぎて地面に着いてしまっている。
「ラクティ、自分で髪の長さを変えたりとかは?」
「そう言う事はちょっと……」
出来ない様だ。
「切り揃えたりするのは大丈夫なの?」
「それは……大丈夫、です。……すいません、封印されている間に伸びてしまったんだと思います」
ぺこぺこと頭を下げるラクティ。
別に謝る様な事ではないと思うが、これはもうクセなのかも知れない。
「ロニ、お願い出来る?」
「分かりました。それじゃお風呂場でやりましょうか」
「あっ……」
クレナとロニのやり取りに続き、小さな声で何かを言い掛けるラクティ。
聞こえずスルーしてしまいそうになったが、リウムちゃんが気付いて俺達に知らせて来た。
「どうした、ラクティ」
「その……一つお願いが……」
「お願い?」
髪型のリクエストだろうか。
「私の切った髪を……集めてもらえませんか?」
しかし彼女が口にしたお願いは、予想外の代物だった。
「――つまり、ラクティの身体は闇の精霊力の塊みたいなものなのか」
「……はい。髪もそうなので……」
詳しい説明を聞いてみると、彼女のお願いは納得出来るものだった。
今の彼女の身体は闇の精霊力によって形作られているものらしい。彼女の髪も、精霊力の結晶なのだそうだ。
おそらく彼女は封印されている間もほんの僅かにだが精霊力を生み出し続けており、その結果が封印されている間にも伸びていた黒髪なのだろう。
改めて彼女の指を見てみると爪も長めだ。こちらもどうにかした方が良いだろう。
ちなみにこの世界には俺達の世界で言うところの一般的な爪切りは存在せず、ニッパー型の爪切りハサミと爪やすりが使われている。
髪を切る美容師の様に、爪のケアを専門で行う人もいるそうだ。
こう言う物の扱いはロニが得意で、自分自身の爪のケアもそうだが、クレナの爪のケアも任されていたらしい。
俺も最近は彼女に爪のケアをしてもらっていたりする。ちょっと恥ずかしいが、ロニはすごく嬉しそうだった。
「それじゃ、爪からやっていきましょうか」
にっこり笑顔で道具を持って来るロニ。
俺自身手入れされている所を見られるのは恥ずかしいと感じているので、ラクティが手入れされている所も見ない様にしておく事にする。
荷物の整理をしている内に爪のケアと散髪が終わった様だ。
途中でラクティの髪を短くしてしまうかどうか問われたが、そこはせっかくのきれいな髪なので、短くしてしまうのはもったいないと答えておいた。
「あの……変じゃないですか?」
はにかみながら問い掛けてくるラクティ。その長い黒髪は腰の辺りで整えられている。
下手をすれば亡霊に見間違えてしまいそうな黒髪を切り、すっきりして良い感じだ。前髪も整えられていて、心なしか表情が明るく見える様な気がする。
こうして見ると春乃さんに似た印象を受けるが、彼女がきれい系な顔立ちなのに対し、こちらはどこか幼さが感じられるかわいい系の顔をしていた。
女神を相手にこう言う事を考えるのも何だが、二人を並べてみると姉妹の様に見えるかも知れない。と言うか並べてみたい。
「いや、髪を切ってすっきりしたんじゃないか? 可愛くなってるよ」
「……本当ですか?」
頬を染めながら嬉しそうな笑顔を見せるラクティ。それを見て俺の顔も思わずほころぶ。なんと言うか和む雰囲気の子だ。
そこにロニが大量の髪が入った布を抱えてやってきた。床に布を敷いた状態で髪を切り、落ちた髪が散けない様にしていたらしい。
「ところで、切った髪を集めましたけどどうしましょうか? あ、爪もです」
「あ……貸してください」
ラクティは布を受け取り床に置くと、その前にしゃがんで髪の中へと両手を突っ込んだ。
そしてまるで粘土かパン生地を扱う様に髪をひとまとめにして行くと、いつしか髪はその形を失い、真っ黒な塊へと変わって行く。
いつしか手の中に収まる程度の大きさになったそれを、ラクティは両手で力を込めてぎゅっと握り込むと、指の隙間から黒い光が溢れ出した。
彼女が手を開くと、その手の上には拳大の水晶球があった。色は黒でガラスの様な光沢はあるが、透明感は無い。
「こんな物で恐縮ですが……どうかお納め下さい」
「これは……?」
ラクティが差し出したそれを覗き込んでみると、俺の顔が映り込んでいた。
モリオン――黒水晶と言う物があるらしいが、こんな感じの物なのだろうか。
「私の身体の一部を結晶化した闇の精霊石です」
「それを俺に? 良いのか?」
「闇の祝福を受けたあなたは、邪気の影響を受けやすくなります。しかし、これがあなたを邪気から守ってくれるでしょう」
「なるほど……ありがとう、ラクティ」
闇の祝福を授かった俺を守るためか。そう言う事ならば遠慮せずに受け取るとしよう。
受け取ったそれは軽く、ほとんど重さを感じなかった。精霊石と言う話だったが、その言葉通りの石と言う訳ではないのかも知れない。
持ち歩くには少々大きい。どこに置くべきかと考えた俺は、和室の板の間にクッションを置いてそこに置く事にした。
ある意味、お供え物である。ヘパイストス・ポリスについたら、台座と赤い座布団を用意したいところだ。
それから俺達は風呂場へと移動する。
例の卒塔婆を抜くために砂の滝を潜り抜けたため、髪にも砂が付いていた。『無限バスルーム』に入る前にはたき落としはしたが、それでも全て落とせてはいない。
「あー……恥ずかしかったら時間をズラすが……」
「いえ……皆一緒が良いです」
いつも混浴している俺やクレナ達と違い、ラクティにとっては初めての経験となるが、特に戸惑った様子は無かった。
ワンピースタイプの黒いドレスをスルっと脱ぎ落とすラクティ。下着も黒一色だ。白磁を彷彿とさせる透き通る様な白い肌に思わず目を奪われてしまう。
そのスタイルは本人の性格と同じく控えめだが、思わず守ってあげたくなる様な庇護欲を掻き立てる可憐な花がそこにあった。
その姿に俺は言葉を失ってしまう。
「ほら、湯着。少しは隠そうとしなさい」
「あ、はい」
と言うか、もう少し恥ずかしがってくれた方が有り難みが増すんじゃないかと思う。
今の身体は闇の精霊力で形作った仮初めの物で本来は実体は無いと言う話なので、羞恥の感情等が薄いのかも知れない。
それはともかく皆湯着に着替えて準備完了だ。
こうして湯着姿の四人を並べてみると、クレナの豊かなスタイルの良さが目立つ。
浴場に入ると檜風呂の良い匂いが出迎えてくれた。その香りにとろんと安らいだ表情になるラクティ。
「この香り……大地のお姉様を思い出します」
「大地の女神の祝福を受けて、この檜風呂に変化したから、それと関係があるのかもな」
夢で見た時は光の女神に叱られて泣きべそをかいていた彼女だが、大地の女神との仲は悪くなさそうだ。
そう言えば、俺が光と闇の祝福の反発でダメージを受けるのを防いでくれているのも大地の女神の祝福だ。
あの柔和そうな表情から感じられるイメージ通り、大地の女神は癒し系なのかも知れない。
「あの……壁から出ているのは何ですか?」
ラクティが指差す先にあるのは、蛇口とシャワーヘッドだ。確かに初めて見る彼女には分からない物だろう。
壁に鏡もあるが、そちらはこの世界にもある物なので分かる様だ。
「あれは『ジャグチー』と『シャワー』です」
「そっか、使い方から教えないといけないわね」
「髪を洗った後は、タオルでまとめるんですよ」
ロニとクレナがはり切っているので、二人に任せておけば良さそうだ。
「トウヤ」
俺の隣に残っていたリウムちゃんが、腰に巻いた湯着の裾を引っ張ってくる。ズレ落ちるからあまり引っ張らないでくれ。
と言う訳で、俺はリウムちゃんを洗ってあげる事にしよう。
この子は俺に髪を洗ってもらうのが特に好きだったりする。無口な分、心を許した人にはスキンシップを求めてくるのだ。
髪を洗っていると気持ち良さそうに小さな背中を俺に預けてもたれ掛かってくる。泡が付いたりするが、可愛い子に甘えられるのは結構嬉しいものである。
優しく髪を洗い、泡を流していると、クレナが俺に声を掛けて来た。
「ねぇ、トウヤ。使い方は一通り教えたから、ラクティの髪を洗ってあげてくれる?」
「ん? 二人がやるんじゃないのか?」
「いや、こんなきれいな髪だと躊躇するって言うか……」
「一番上手いのトウヤさまですもんね~」
そう言ってクレナとロニが顔を見合わせた。
確かに、本当に艶やかな黒髪なので躊躇してしまうのは理解出来る。
一番手慣れているのも俺で間違いないだろう。皆多かれ少なかれ髪を洗ってもらうのが好きなのだ。俺自身も大抵三人の内の誰かに洗ってもらっている。
ふとラクティの方を見てみると、彼女も期待に満ちた目で俺の方を見ていた。
ここは快く引き受けて、俺のシャンプーで髪を洗う気持ち良さを教えてあげる事にしよう。
「よろしくお願いします……」
「大丈夫……シャンプーが目に入ったりしない限り痛くないから」
その言葉を聞き、ラクティがビクッと肩を震わせた。
いじめているつもりはない。本当の事だから注意しているのだが、こう言う反応をされると俺が悪い事をしている様な気分になってくる。
俺は努めて優しい声でラクティを慰める。
「ちゃんと目を瞑ってれば大丈夫だから、な?」
そう言うと、ラクティはぎゅっと目を瞑った。小さな子が一生懸命目を瞑っている感じだ。見ていて微笑ましい。
「それじゃ、お湯掛けるからな~」
熱さにビックリしない程度の温度にしたお湯をゆっくりと掛け、それから丁寧に優しく髪を洗っていく。
それにしても本当に小さな背中だ。
女神相手に年齢の事を言っても仕方がないが、彼女の見た目は小柄な中学生ぐらいだ。
正直なところ、女神を迎え入れたと言うよりも妹が出来た様な気分だったりする。
ふと鏡越しにラクティの顔を見ると、目を瞑った彼女の顔がどこか怯えている様に見えた。
シャンプーの注意が効いていたのかと思ったが、その時俺の脳裏にある考えが浮かんだ。
おそらく、ラクティはある事を気にしている。だからこんなに怯えているのだ。
ここはハッキリ言ってやった方が良いだろう。俺は意を決して彼女の肩にそっと手を置き話し掛けた。
「なぁ、ラクティ」
「は……はい、なんでしょう?」
いきなり声を掛けたせいか、ひっくり返った声で返事をするラクティ。
俺は怖がらせない様に言葉を続ける。
「この祝福は、仕方ないで済むものじゃないのは確かだ」
「…………はい」
言うまでもなく闇の祝福の事だ。
大地の女神の祝福がなければ、そのまま魔族になって人間を辞めていた事を考えると、笑って済ませられるものではない。
「でもな、俺はラクティに対しては別に怒ってはいないんだ」
「本当……ですか?」
これは本当の事だ。悪いのは全てキンギョこと魔将『仮面の神官』である。
取り返しの付かない事ではあるが、ラクティを責めても仕方がない事は俺も理解している。
多少無理をしている事も否定しないが、こんな弱々しい彼女を見て責め立てられる程、俺は根性が据わっていない。
「ラクティは俺のために精霊石を作ってくれたし、俺の身体を守る方法もあるみたいだしな」
「大地のお姉様の祝福、ですね」
そう、今俺の身体が無事なのは、大地の女神の祝福のおかげだ。
大地の女神信仰の総本山で改めて祝福を授かった方が良いだろう。
「あの……他のお姉様の祝福を授かるのも良いと思います。お姉様達の力ならば、私と光のお姉様の祝福の力も……」
なるほど。ラクティの言う通り他の三柱の女神の祝福も考えた方が良さそうだ。
俺は泡だらけのラクティの頭を撫でる。
「ありがとうな、ラクティ。俺だけなら大地の女神の総本山はともかく他の女神の祝福に助けてもらえると言うのは分からなかった」
「そ、そんな……! 私なんて……」
「あ、目は開けるなよ。シャンプーしてるんだから」
「……はい」
驚きに目を見開いたラクティを窘める。
再び目を瞑った彼女は、先程よりも力んでない感じだ。
やはり祝福の件で俺が怒っているかも知れないと思っていたのだろう。そんな不機嫌そうな顔をしていた覚えはないのだが、考えてみれば彼女はずっと伏し目がちだった。
「まぁ、何だ。安心しろ。ラクティはもう俺達の仲間だ」
「はい……!」
そう言った彼女の口元には小さな笑みが浮かび、頬には涙が伝う。
その涙を泡のついた指で拭った俺は、きれいな黒髪を優しく洗うのだった。




