第42話 切り札
「そらそら、上手く逃げんと串刺しだぞ」
キンギョの楽しそうな声と剣戟の響きだけが静かな廊下に木霊する。
クレナは剣で、俺は床材が砕けた砂利を手袋の様に手に張り付かせてそれを防ぐ。
一番驚いたのはロニ。革製の籠手をしているとは言え、素手で襲い掛かって来る武器を捌いていた。その凛々しい表情に、こんな状況だと言うのに思わず見惚れてしまいそうになる。
とは言うものの気を抜く暇などある訳がなく、俺は二人の少し後ろに立ち、二人が落とした武器をすかさず大地の精霊召喚で床や壁に埋めていく作業を繰り返していた。
一気に出来れば良いのだが、あくまで変形で無理をすると建物自体がどうにかなってしまう恐れがあるため、一つずつ最小限の変形で埋めていくしかない。
ロニがハンドアックスを白刃取りで受け止め、勢いを殺し切れないまま床に叩き付ける。
彼女の息が荒い。やはり重量がある武器は厳しい様だ。
その時、ロニの後頭部目掛けてナイフが襲い掛かってきた。彼女からは死角になっていて気付いた様子は無い。
「ロニ!」
俺は咄嗟に手を伸ばしてそのナイフを掴んだ。
刃の部分を掴んでしまい手に鋭い痛みが走る。
「トウヤさま!」
「前を向け!」
思わずこちらに駆け寄ろうとしたロニを、声を荒げて止める。
痛みを堪えて掴んだナイフを壁に叩き付け、床に落ちた斧も踏み付けてそれぞれ壁と床に埋め込んだ。
ナイフを掴んだ右手を見てみると、全ての指に赤い線が走っている。
今は回復魔法を唱えている暇は無いため、砂利を固める事で止血した。
傷はこれだけではない。俺もクレナもロニも皆傷だらけだ。
あいつの近くまで辿り着ければ勝つ方法も無くはない。俺はそう考えているのだが、現実は防戦一方だった。
俺の作った穴だらけの壁も、じきに壊されそうなところまで来ていた。
リウムちゃんが飛び立ってからかなり時間が経過している様な気がするが、ルリトラがまだここに辿り着いていない事を考えると、単に俺が長く感じているだけなのかも知れない。
クレナとロニの間を縫って飛んで来た剣を掴んで止める。今度は上手く柄を握る事が出来たが、力を込めると傷口が痛んだ。
しかし声は上げずにそれを床に突き立て、固定する。
突き立てた衝撃で痛みが手から頭へと突き抜けた。しかし、この状況では痛みも悪くない。今にも途切れそうな集中力を持続させてくれる。
何かが崩れ落ちて床に落ちる音が響く。音のした方に視線を向けると、キンギョと二体のフルプレートが穴だらけの壁に更なる大穴を開けて壁の役割を果たさなくしたところだった。
不味い。奴の操る武器を相手にするだけでも手一杯なのに、二体のフルプレートまで攻撃してくるとなると、本気で抑えきれない。
「何よ、こいつ!?」
一瞬呆然としてしまった俺の耳にクレナの声が届いた。
そちらに視線を向けると、なんと俺のガントレットがクレナの剣を掴んで彼女から奪い取ろうとしていた。
俺とロニが動くよりも早く、必死に柄を握って離さない彼女の腕を目掛けて斧を振り下ろそうとし、クレナはたまらず剣から手を離してしまう。
そして剣を奪ったガントレットは、そのまま身を翻してキンギョの下へと戻って行った。
「これで貴様は何も出来まい。貴様の魔法、祝福の力では無さそうだからな。人の身では発動体無しに使えぬと見た」
「クッ……!」
クレナが口惜しそうに呻く。どうやら図星らしい。言われてみれば、彼女が魔法を使う時はいつもあの剣を抜いていた。
これで彼女は丸腰だ。俺は前に出てクレナを背に庇う。
キンギョはガントレットから剣を受け取り、珍しいのか興味深げに見ていた。
「……!? 貴様、これをどこで手に入れた!?」
剣を掲げたところで途端に慌て出すキンギョ。どうやら柄部分を見て何かに気付いた様だ。
俺は訝しげな顔でキンギョを見る。
「これは……『闇の王子』の剣ではないか!?」
「はぁ!?」
思わず大声を上げてしまった。『闇の王子』と言えば、魔王アマン・ナーガ――すなわち信長の息子だと思われる五大魔将の一人だ。
キンギョは、クレナの持っていた剣が、その魔将の物だと言っているのだ。
「……クレナ、本当なのか?」
「魔族の物だって言うのは聞いていたわ……『闇の王子』の物って言うのは初耳だけど」
俺の問い掛けに、クレナは絞り出す様な声で答えた。
キンギョから視線を逸らす訳にはいかないので、後ろにいるクレナの表情を確認する事は出来ないが、ロニは心配そうに俺とクレナを交互に見ている。
「どうやって手に入れたか聞かせてもらうぞ! 痛めつければ喋りたくなるだろう!」
怒りに震えるキンギョの声に合わせて二体のフルプレートが前進を開始。その手には先程まで壁を壊していた大振りの斧の刃が鈍い光を放っている。
あれは砂利を固めただけの手で受け止めても、手ごと真っ二つにされてしまうだろう。
多少強引にでも床材から武器を作って相手するしかない。そう判断した俺はしゃがんで床に手を突き、キンギョを見据えてこう叫んだ。
「今だ、ルリトラ!」
俺の声に不意を突かれてキンギョの動きが一瞬止まった次の瞬間、キンギョの背後から突き出されたグレイブがキンギョの首を刎ねた。いや、兜が取れただけだが。
そう、キンギョの方に視線を向けた俺の目に映ったのは、いつの間にか背後からキンギョに近付いていたルリトラの姿。
おそらく何かしらの方法で外側から倉庫に入り込んだのだろう。
キンギョの魔法が途切れ、キンギョの黒を含める三体のフルプレートや浮いていた武器が一斉にガラガラと崩れ落ちる。
「クソッ、いつの間に……」
キンギョはすぐに黒いフルプレートを立ち上がらせて落ちた兜を拾わせようとするが、俺もこのチャンスを逃す訳にはいかない。
「兜をこっちへ!」
「承知!」
黒のフルプレートよりも早くルリトラが廊下に駆け込み、落ちていた兜を拾って俺に向けて蹴飛ばして来た。
受け止めた兜の中には金魚鉢の様な球体。いや器ではない。水そのものが球体を保って兜の中に収まっている。その中にキンギョの姿がある事が確認出来た。
中が金魚鉢であれば先程の衝撃で割れていたものを、これではそれも適いそうにない。
俺はそれを脇に抱えると、『無限バスルーム』の扉を開いて中に駆け込んだ。
「貴様、何をする!?」
「俺の『ギフト』に招待してやろうって言うんだ、感謝しな!」
「馬鹿か貴様は! 視界を遮ろうとも無駄だぞ! 私は適当に武器を暴れさせるだけで奴等を斬り刻む事が出来るのだからな! そおれ!」
すぐさま扉を閉めた俺に対し、キンギョが罵声を浴びせてくる。
最後の掛け声は、おそらく魔法を使ったのだろう。外の武器やフルプレートを再び操り外の皆を攻撃するために。
しかし俺は扉を開ける事なく逆に風呂場の扉に近付いて行く。
「フハハハ! 馬鹿め! またあの水で私の魔法を封じる気か! 残念だったな、この水がある限り、貴様の水の中だろうと私は魔法を使えるぞ! それそれ!」
キンギョが目敏く見付けたナイフとフォークが俺目掛けて飛んで来た。俺はすかさずキンギョの兜を盾にするが、二本のナイフが俺の腕と太股に刺さってしまう。
今は木の床であるため、落としたナイフとフォークを埋め込む事が出来ない。
「ククク……いつまでもつかな? 貴様と外の連中、どっちが先に死ぬか競争と行こうか」
俺に刺さった物以外は再び浮き上がり、俺目掛けて襲い掛かって来る。
「安心しろ、一着はお前だ」
俺は扉を盾にするために、浴場に飛び込み扉を閉めた。
浴場に入ると、全身に湯気の熱気が襲い掛かる。
ナイフとフォークは勢い良く扉に突き刺さった様だが、それまでだ。流石に貫通する程の威力は無いらしい。
俺はキンギョに操られる前に刺さったナイフを引き抜き、湯船に放り込む。こうする事であのナイフも操る事は出来なくなるだろう。
そして俺は浴槽の隣にある操作パネルを操作した。
「こ、これは!?」
驚きの声を上げるキンギョ。ナイフを目で追ってようやく異常事態に気付いたのだろう。
ぼこぼこ泡を立てて、勢い良く湯気を噴き出し始める檜風呂。彼にも見えるだろう。浴槽の横にある操作パネルに表示された「100」の文字が。
もっとも俺達の世界の数字で書かれているため、キンギョには読む事が出来ないだろうが。
普通の風呂ならば安全の問題からこんな設定は出来ないだろうが、『無限バスルーム』ならば出来るのだ。湯の温度を百度にして沸騰させる事が。
「き、貴様……まさか……!?」
「キンギョ、一つ勘違いしてる様だから教えといてやる。ここはな、外から干渉されない代わりに中から干渉する事も出来ない」
「なんだと!?」
「お前の魔法は外に届いてないと言う事だ」
「ま、まさか……」
キンギョは信じられない様子だが、口から出任せを言っている訳ではない。
扉を閉めると外の世界からの影響を受けない代わりに、中からも何も出来ない。それが『無限バスルーム』の特性の一つだ。
おそらく立ち上がろうとしていた黒プレートも、今頃はキンギョの魔法が途切れて崩れ落ちているだろう。
俺は檜風呂に近付き、兜の飾りを掴んで湯船の上に持っていく。
湯気が熱い。あまり長くここにいるのは危険だろう。
「と言う訳で、外の皆は一抜けだ。あとは俺とお前、どっちが先に死ぬかの勝負だな。ナイフは外にまだあるぞ。好きにやってみろ」
キンギョは兜を操りもがくが、俺はその手を離さない。
「や、やめ……!」
その言葉に耳を貸さずシャワーを使って中に水を入れてやると、中の水球は魔法の繋がりを切り離されてぽろりと兜から落ちた。
その水球が沸騰する湯の中に落ちたのを確認すると、俺は熱湯で熱せられた兜を手放し、湯船に背を向けて急いで浴場から出る。
扉の外に出ると、そこには宙にナイフとフォークの姿がそれぞれ一本ずつ。やはり最期の力を振り絞って来た様だ。
「どっちが先に死ぬか、か……」
俺が呟くとほぼ同時に勢い良く飛来したナイフとフォークが深々と突き刺さる。
「……悪いな。ここなら防ぐ手段はいくらでもあるんだ」
そう言って俺は手にした物を床に放り投げる。
それはナイフとフォークが突き刺さる折り畳んだバスタオルだった。
しばらくしてナイフとフォークがピクリとも動かないのを確認してから、俺は操作パネルで湯の温度を下げる。
中は熱気で一杯だろうから、こう言う時は外にも操作パネルがあるのは有難い。
扉を開くと勢いよく湯気が噴き出して来た。沸騰させてた時ほどではないが、まだ厳しい熱さの様だ。そこで俺は先に『無限バスルーム』の扉を開く事にする。
「トウヤ!」
扉を開けると、それに気付いたクレナが駆け寄って来た。その手にはいつもの細身の剣。既に鞘に収められている。無事に取り戻す事が出来た様だ。
「キンギョは?」
「向こうで茹で上がっているよ」
「そう……」
開けた扉から湯気が出ていたので、クレナはそれだけで理解してくれた様だ。
「ロニもケガは大丈夫か?」
「これくらいへっちゃらです!」
一番矢面に立っていたため軽い怪我では無いのだろうが、それでもロニは気丈に笑ってみせた。その健気さが愛らしい。
「リウムちゃんもルリトラもありがとうな」
「いい、呼んで来ただけだから」
「御無事で何よりです」
リウムちゃんはルリトラの背中にしがみ付いていた。
ちなみにルリトラがどうやって倉庫の中に入ったかと言うと、単純にグレイブで壁を斬って入ったらしい。
下手に砕くと音でバレかねないので、地面を底辺に三角形に斬り、倒れて来た壁を支えて音を立てない様に倒したそうだ。
クレナにロニ、それに俺の怪我も治療しなければならない。
しかし、その前にキンギョの死を確認しておこう。念のために外に出して踏み潰すなりしておいた方が良いかも知れない。
そんな事を考えながら俺が浴場の方に戻ると、いつもの温度に戻った湯船の水面の少し下に、小さなキンギョが腹を上にして漂っていた。
俺は身体の割には大きめの尾びれを摘んでそれを持ち上げる。
「なッ!?」
何と、キンギョだけを持ち上げたはずが一緒に水球が付いて来た。兜の中にあった水球だ。
「こいつ、まだ生きて……!」
「ただでは死なん! 貴様に呪いあれッ!!」
キンギョから放たれる何か、それが俺に襲い掛かる。思わずキンギョから手を離し、床に落としてしまった。
足に力が入らず立っていられなくなった俺は、そのまま音を立てて浴場の床に倒れ込む。
「これで、貴様は……苦しむが……良い……」
今度こそ床の上で息絶えるキンギョを眺めながら、段々と俺の意識は遠のいていった。
夢を見ていた。
自分が立っているのか、寝ているのか。自分の身体が浮かんでいるのか、沈んでいるのかも分からない世界。
ただ息苦しさと全身を走る痛みだけが感じられる。
遠いのか近いのかも分からない場所に三つの影が見えた。
一番目立っているのは金色の髪を高く結い上げた女性。背が高く、真っ白な裾の長いドレスを身に纏っている。
輝かんばかりの美人だと思うのだが、その表情はキツい印象がある。その女性は腰に手を当て、もう一つの影を責めているようだ。
責められているのは黒髪の女性の様だ。膝を抱えて座り込んでいるため正確なところは分からないが、小柄ではないかと思われる。
こちらは対照的に真っ黒なドレスに身を包み、ストレートの長い髪が床に広がるスカートに溶け込んでいた。
金色の女性に責められて肩を小刻みに震わせながら涙目になっているその姿は、どこか儚さが感じられた。
そして最後の一つの影は、金色の女性を宥めている様子だった。
波打つ碧の髪に、褐色の肌。金色の女性よりも大柄で、その柔和な表情はそびえ立つ大樹を彷彿とさせる。
黒髪の女性が俺に気付いたのかこちらに視線を向け、涙目を通り越して今にも泣き出しそうな表情になった。
金色の女性もこちらを一瞥したが、逆に怒った様子で黒髪の女性を責め始めた。何を言っているかは分からなかったが、そう言う雰囲気が感じられる。
そして大樹の様な女性は微笑みながらこちらに近付いて来て俺の頭に手をかざす。
すると先程までの息苦しさや痛みが嘘のように収まり、俺は安らいだ表情で目を閉じる。
そんな夢を見ていた。




