第37話 魔王の都
「それでだな、魔王様は――」
地下道に入ってから三日。キンギョは食事と睡眠の時以外はほとんど喋り続けていた。
解放されるのは『無限バスルーム』内にいる時だけだ。
この三日間俺達以外の生物とは遭遇しないため、ルリトラだけで夜の見張りをしてもらっている。
彼には申し訳ないが、ここでは敵を警戒する必要が無いため、むしろ暇潰しになるとの事。
それでも一日中キンギョの話を聞く気にはなれないのか、日中は前方を偵察すると少し先行していたりするが。
内容の大半は魔王の自慢話だ。しかも情報としての価値はほぼ無いと言っても良い。
分かった事と言えば魔王は、勇猛果敢な武人だったと言う事ぐらいだろうか。
初代聖王と魔王の戦いはおよそ五百年前。実際には四百年から五百年の間だそうだ。
当時の日本は室町時代末期、戦国時代だ。そんな時代から召喚された人間ならば、当然戦い慣れていたであろう。
「そう言えば、魔王は何て名前だったんだ?」
「ナーガ、魔王アマン・ナーガ様だ」
ナーガと言えば上半身が人間で下半身が蛇と言うインドの神だ。
魔王はこの世界に召喚された際、闇の女神の祝福を得て人間以上の力を得ていたと聞いていたが、それだけでなく人間を辞めて下半身が蛇になっていたのだろうか。
五大魔将の中に『魔犬』と言うのがいるらしいが、これも文字通りの犬か犬頭の獣人だったのかも知れない。
その時、馬車の前方から少し先行していたルリトラが穂先に光の精霊をまとわり付かせたグレイブを持って戻って来た。
あの様に物に付ける事によって携帯出来る光源として扱えるのだ。
「トウヤ様、道が塞がっています」
「やっぱりか」
どうやらこの先の道が瓦礫で塞がっているらしい。
クレナが風の精霊を連れて来てくれているおかげで地下道内の換気が出来ているが、それがなければ淀んだ空気の中を歩く事になっていただろう。
「よし、俺が穴を空けてやる」
とにかく、道を塞ぐ瓦礫をどうにかしなければ前に進めない。
俺は御者台から降りて瓦礫に近付く。地下道の材質と、ただの土が混ざり合っている様だ。
これならば大地の精霊召喚で簡単に穴を空ける事が出来る。俺は瓦礫の壁に手を当てて精霊を召喚した。
「よし、俺の後を付いて来てくれ」
振り返ってそう言うと、ルリトラ、クレナ、ロニ、リウムちゃんの四人が揃って頷いた。
瓦礫に穴を空けて行くが、空けても空けても土くればかりだ。通路の一部が埋まっているのだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
そう言えば、『砂漠の王国』ことハデス・ポリスは地中に沈んでいると言う話だった。そのため本来繋がっていた通路が崩れて無くなってしまっているのかも知れない。
このまま進んでもハデス・ポリスに辿り着けないのではないか。そんな不安にかられながらも俺は通路を開きながら前進して行く。
そのまましばらく進んでいると不意に土の感触が無くなり、俺は空洞に腕を突っ込んでバランスを崩してしまった。
腕を引き抜いてみると、小さな穴の向こうからうっすらと光が差し込んでくる。地下を進んでいるつもりだったが、いつの間にか外に繋がってしまったのだろうか。
バランスを崩したせいで魔法が途切れてしまった。俺は再び大地の精霊を召喚し直して小さな穴を馬車が通るサイズまで広げていく。
「なんだこりゃ……」
穴を空けてみると、俺の目に信じられない様な光景が飛び込んで来た。
町……いや、城だろうか。
地面がすり鉢状になっていて、俺が穴を空けて出たのは外周部分の端だった。
外周部分の建物は斜めになって崩れているが、中心部分の建物は無事に残っているのが遠目からも窺える。
「おお……向こうに見える大きな建物が魔王城だ」
「じゃあ、ここがハデス・ポリスで間違いないの?」
「うむ、うむ、ハデス・ポリスの中心街だ。無事に残っていたのか……」
「中心って事は、外側にも町があったのか」
「残念ながら、そちらは残っておらん様だ」
クレナの問い掛けに答えるキンギョだが、感極まったのか心ここにあらずと言った感じだ。
上を見上げてみると岩の網の様な物があり、その隙間から砂の滝が静かに落ちている。
どうやら外周部にあった塔の様な物が中央の城に向かって倒れ掛かる事で、この空間を砂から守っている様だ。
「あれは十六魔将の塔だな。あの塔で中心街を守護する結界を張っていた。そうか、滅びてもなお魔王城を護り続けたか……」
しみじみと言うキンギョ。やけに高い塔だと思ったが、そう言う意味があったのか。
初代聖王と魔王の戦いでハデス・ポリスの中心――魔王城が沈下し、その上に『空白地帯』の砂漠が覆い被さったのではないかと考えられる。
崩れた塔がドームを造り、その砂からこの空間を護り続けたのだ。元の役割通りに。
道理で地上からは見付からないはずだ。あの砂の滝は、上から見ると流砂になっているのではないだろうか。
砂の滝から木漏れ日の様にうっすらと漏れる光。
その光に照らされてぼんやりと浮かび上がる魔王城の姿は、夢か幻かと言いたくなる様な、どこか現実感の無い光景だ。
思わず頬をつねるが、痛い。これは現実だ。
ふつふつと実感が湧いてきた。
俺達はようやく辿り着いたのだ。魔王の国、ハデス・ポリスに。
「おい、小僧! 早く行くぞ!」
このキンギョめ、もう少し浸らせろ。
すり鉢状と言ってもそれほどきつい傾斜ではないため、馬車でも問題なく進む事が出来た。
御者台はロニに任せ、俺、ルリトラは完全武装で馬車の外を歩き、リウムちゃんは『飛翔盤』に乗って、馬車の上に浮かんでいる。
「クレナ、MPの方は大丈夫か?」
「何とかね……でも、魔法の方は期待しないで」
ハデス・ポリス内は砂と一緒に外の空気も入ってきているらしく、風の精霊に換気してもらう必要はなかった。
ただ、ここに来るまでずっと精霊を制御していたため、クレナはMPを消耗してへとへとの状態らしい。
と言う訳で、クレナは馬車に乗せて休ませる事にする。
まずはゆっくり休息出来る場所を探した方が良さそうだ。俺は御者台の脇に吊された洗面器の中のキンギョに声を掛ける。
「おい、キンギョ。どこか馬車も一緒に入れそうな大きな建物は無いか?」
「魔王城だな」
「それ以外で」
そこがメインだから、そこに行く前に休息を取りたいんだ。
「それなら神殿だな。門は大きいし、広い中庭があった」
「神殿って事は、闇の女神のか」
「他に何があると言うのだ」
「ケレス・ポリスには光と大地の二つの女神の神殿があったぞ」
「この国は、そんなに節操なしではない」
「……節操の問題なのか?」
「さぁ……?」
ルリトラも首を傾げている。
少なくともケレスと言う国が節操なしと言う訳ではないと思う。
「とにかく、その神殿に案内してくれ」
「……まぁ、よかろう」
キンギョが行き先を指示しながら俺達は瓦礫の町に入って行った。
「思ったより崩れてないな」
町に入った俺は、まず意外としっかりした形で残っている建物に驚いた。ドーム状空間の中にあったため、風雨に晒されてなかったおかげだろうか。
その分、人骨なども残っているのが善し悪しだ。
女の子達は大丈夫かとチラリと後ろを見てみる。
馬車の中からそれを見ているクレナは、強がっているのか動揺した様子は無い。その一方で御者台のロニは怯えた様子だ。
リウムちゃんも馬車の上でふよふよと浮かんで平然とした様子だったが、よく見ると下を見ない様にしている。やはり怖いのだろう。
驚いたのは道の脇にある水路――だった物だ。
覗き込んで見ると、水の代わりに砂が流れている。
キンギョによると、当時は魔法によって水路の循環が行われていたらしい。
今もその魔法は生きていて、水の代わりに上から落ちてくる流砂を循環させる事により、この空間が埋まってしまうのを防いでいたのではないかとキンギョは考えている様だ。
御者台のロニがおずおずと問い掛けた。
「神殿も砂に埋まってたりしませんか?」
「神殿は中庭も含めて屋根に覆われているから大丈夫だろ」
「室内庭園なのか?」
「『闇の女神』の神殿が、光差し込む庭園でどうする」
「……なるほど」
そう言う信仰らしい。言われてみれば納得だ。
次に先頭を歩くルリトラが、前を向いたままキンギョに声を掛ける。
「どの建物もボロボロで何が何やら分からんが、その神殿への道はこれで合っているのか?」
「分からん」
「なにぃ?」
ルリトラが振り返り、素っ頓狂な声を上げる。
俺も思わずキンギョの方を見ると、『飛翔盤』に乗ったリウムちゃんが降りてきていた。
「分からないって、どう言う事?」
「わしが知っているのは、無事だった頃の中心街だ。この状態では今どこにいるのかも分からんぞ」
「…………」
何も言えないリウムちゃん。言われてみれば当たり前の話だ。
俺も馬車に近付き、キンギョに問い掛けた。
「それじゃ今はどこに向かっているんだ?」
「大通りを魔王城に向かって進めば、広場に出るはず。そこからなら記憶を辿って神殿への道も分かるだろう」
「そこは何か目印があるのか?」
「魔王様の像があるぞ」
「なるほど」
つまり、ここがどこだか分からないなら、分かる場所まで行けば良いと言う事か。
像が完全に無事かどうかは微妙なところだが、台座だけでも残っていればそこが広場だと分かるだろう。
納得した俺達がそのまま進んでいると、前方にいくつかの人影が現れた。
「……住民?」
「そんな訳ないでしょ」
俺の間の抜けた声に、クレナが馬車の中から声を上げてツっこむ。
何とその人影は人でなく、立って歩く人骨だったのだ。
錆の浮いた手斧や、苔生した棍棒で武装している。
「初めて見るわ。もしかして、あれがスケルトンってヤツかしら?」
「幽霊なのか?」
「魔法で生み出される場合もあるけど、ここでそう言う事する人はいないだろうし、幽霊で間違いないでしょうね」
やはり幽霊か。ゾンビでないだけマシ……と思いたい。
「死んだら仏様」の考えを持つ日本人としてはやりにくい相手だが、だからと言って向こうも手加減してくれる訳はない。
カタカタと顎の骨を揺らしながら近付いて来る十数体のスケルトン。
何もない虚ろな眼窩でこちらを見ている。いや、あれでは「見て」いないかも知れないが。
あの様子だとこちらを狙っているのだろう。
クレナの事も心配だ。ここは俺がやるしかない。
「クレナは馬車の中にいろ。あいつらは俺とルリトラで!」
「……分かったわ。スケルトンってしつこいらしいから気を付けて」
自分の不調は分かっているのだろう。クレナは不承不承頷いた。
「行くぞ、ルリトラ!」
「承知!」
俺の言葉と同時にグレイブを構えたルリトラが駆け出した。
その勢いのままにグレイブを一閃させると、数体のスケルトンが軽い乾いた音と共に粉々になって吹き飛ぶ。
大した強さではない。後の問題は数だ。
俺の方はと言うと、流石に人骨に斧を叩き込む気にはなれなくて魔法で応戦する。ここは光の精霊召喚だ。
せめて光に導かれて女神の下に召されてくれと願いながら、俺は召喚した光の精霊を放って行く。
ルリトラに誤射しない様に大きく弧を描いて飛ぶ光の精霊は、スケルトン達の背後に回り込み、後頭部に当たると同時に弾けて衝撃を与える。
無論、その一発だけでは終わらない。俺は他にも五つの光の精霊を召喚している。
多数で攻め掛かったはずのスケルトンだったが、ルリトラと光の精霊に前後から挟撃される形になった。
「うぉりゃぁッ!」
ルリトラがグレイブをもう一振りすると、更に数体のスケルトンが上半身と下半身に分断されて吹き飛んだ。
しかしまだ倒れず、上半身だけで這う様にしてルリトラに近付こうとするスケルトン。
その一方で俺が背後から頭蓋骨を破壊したスケルトンは倒れたまま微動だにしなかった。
それを見た俺は咄嗟に叫んだ。
「頭を狙え!」
ルリトラは返事の代わりに、グレイブではなく拳を手近なスケルトンの顔面に叩き込む。
拳はろくに抵抗を受けた様子もなく、スケルトンの頭を容易く撃ち抜き、砕く。
ガシャンと音を立てて倒れる骨の身体。そのままピクリとも動かなくなる。
やはり頭で正解の様だ。どう言う理屈かは分からないが、あの骨を動かしている何か――意識の様なものが頭蓋骨の中にあるのだろう。
もしかしたら、骨の元の持ち主かも知れないが、有無を言わせず襲い掛かってきたのは向こうなので、今は考えないでおく。
「一気に片付けるぞ!」
「ハッ!」
グレイブの持ち方を変え、刀身ではなく石突きで突き砕いていくルリトラ。
俺も負けじと残りの光の精霊をスケルトンの頭目掛けて飛ばしていく。
しかしその時、戦いの音に誘われたのか、馬車の後方からもスケルトンが現れた。
「こっちは私が……!」
「クレナは馬車から出るな! 俺が行く!」
疲れているクレナを戦わせる訳にはいかない。俺は前方の敵をルリトラに任せ、ブロードアックスを手に後方のスケルトンに向かって駆け出す。
幸い斧は叩き壊すのに適した武器だ。俺は想像以上に軽い手応えを感じながら、スケルトンの頭を叩き割って行く。
そのまま前後で戦い、最終的には三十体程のスケルトンを二人で倒す事になった。
戦いが終わると、クレナが馬車から飛び出して来て心配そうに声を掛けて来た。
「……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
正直なところ気分が悪かった。
人間の骨をこの手で叩き壊した事にショックを受けていたのだ。
だが、道を歩いているだけで敵と出くわす所で落ち込んでなどいられない。
あれはモンスターだった。そう考えて納得するしかないだろう。
「リウムちゃん、降りて馬車に乗ってくれ。クレナも一緒に」
少し態勢を変える必要がある。俺はリウムちゃんを『飛翔盤』から下ろし、クレナと一緒に馬車に乗せた。
「クレナとロニで前方を、リウムちゃんが後方を見ててくれ。上から見ていても、建物の陰に敵がいたら分からないからな」
「分かった」
「俺とルリトラは馬車の左右だ」
「了解です」
これで前後左右に目が配置される事になる。
ロニは御者をしなければならず、クレナは疲労している状態だが、そちらは俺とルリトラも気を付けていれば良いだろう。
新しい態勢で進んでいくと、再びスケルトンの襲撃があった。
幸い五体しか居なかったので、ルリトラが一人吶喊し、グレイブの一振りでまとめて頭蓋骨を吹き飛ばすことで片が付いた。
そして通りを抜けると、開けた場所に出た。キンギョの言っていた広場だ。
この辺りには倒壊する物もなく、幸いにも流砂も落ちて来ていないため、中央に建っている大きな像も無事な姿のままで残っている。
「あれがお前の言っていた魔王の像か?」
「そうだ……ここからなら道が分かるぞ。ほれ、そこの右斜め前に商品棚を前に出した店があるだろう。正確には店の跡が」
「それらしい物がありますな」
「そこは参拝者用の供え物を売っている店でな。その左隣の道を真っ直ぐ進めば神殿に着く」
「ケレス・ポリスの大地の神殿の近くにも似た様な店があったが、どこの神殿にもある物なのか、ああ言う店は」
「良いじゃないか、遠くから持って来たら腐りかけの供え物になるぞ」
「そりゃまぁ、そうかも知れないが」
そんな会話をしながら、俺達はキンギョの指示に従って進んで行く。
その際に魔王の像の前を通り掛かった。クレナ達も馬車から身を乗り出して、その大きな像を見上げる。
その像は鎧姿の威厳のある壮年の男性を模した物だった。
「……二本の足なんだな」
俺がまず気になったのは、魔王の像が下半身が蛇になっている像ではなく、れっきとした人間の物だったと言う事だ。
ゲームなどでよくある、最初は何の変哲もない姿をしているけど、戦いの途中で変身して真の力を発揮するタイプだったのだろうか。
例えば、変身すると「アマン・ナーガ」が「何とか・ナーガ」に名前が変わるとか。
或いは「ナーガ」と言う事は蛇神とは別の意味を持っていると言う事も考えられる。
疑問に思った俺は、答えてくれるか分からないがキンギョに尋ねてみる事にした。
「なぁ、『アマン・ナーガ』って言葉にはどんな意味があるんだ?」
「ん? わしも詳しくは知らんが、魔王様の一族が代々使っている名前の文字があるらしくてな。その文字の意味をハデスの言葉に置き換えたそうだ」
「『ナーガ』の方は?」
「元の名前そのままらしいぞ」
本当にナーガって名前だったのかよ。
「ハデスの言葉で『アマン』と言えば……確か『信じる』って意味だったかしら?」
「よく勉強しているな、小娘」
『砂漠の王国』について調べていたクレナは、ハデスの古い言葉にも通じていた。
「闇の女神の祭祀に使われてる言葉よね」
「ウム、魔王様の世界では一つの文字にいくつもの読み方があるらしくてな。実際には『信じる』とは読まないらしいが、意味は同じらしい」
「へぇ、ややこしい言語なのね」
「…………」
そんな二人の会話を聞きながら、俺は言葉を失っていた。
およそ四百年から五百年前に死後召喚された「信じるナーガ」と言う男。
かつて『第六天魔王』と恐れられた男は、異世界で本当に魔王になっていたらしい。
と言う訳で、魔王の正体が判明しました。
ちなみに「アマン」はヘブル語です。




