第36話 地底への道
自称・賢者の金魚モドキを洗面器に入れて泉を発った俺達は、あれから一日半経過したが一度も雨に降られる事なく旅を続けていた。
賢者の泉の周辺もそこだけ雨が降っていない不可思議な状態だったが、どうやらあれは金魚モドキがやっていた事らしい。
雨が降って泉の水が濁るのを嫌がったのかも知れない。
或いは『無限バスルーム』の水に俺の魔力が込められている様に、あの泉の水にも金魚の魔力が込められていて、雨水が混じるのを嫌がったかだ。
飲ませて洗脳しようとしていた事を考えると、後者の可能性が高いと考えられる。
そんな金魚モドキは現在、麻縄で編んで作ったカゴに洗面器を入れて御者台の近くに吊された状態になっている。床に置いておくより、この方が揺れが少ないのだ。
「おかしい……そろそろ見えてくるはずなのだが」
洗面器の縁から顔を覗かせた金魚モドキが、行き先の光景を眺めながら首を傾げる。多分、首を傾げている。
御者台に座る俺は、馬の隣を歩くルリトラに声を掛けた。
「トラノオ族が門を壊したって話だったが、どの程度まで壊したんだ? 更地か?」
「何分先祖のやった事なので、そこまでは……」
俺の問い掛けに振り返ったルリトラは困惑の表情を浮かべた。
こちらの表情はハッキリと分かる。尻尾を見ると特に分かりやすい。立てた尻尾が緩やかに波打っている時は、何かを考え込んでいる時だ。
集落で見た事があるのだが、皆で顔を突き合わせて悩んでいると、全員が尻尾を立てて揺らしているのだ。あれはなかなかの見物である。
「う~ん、トラノオ族の長老に教えてもらった位置は、もう少し先だと思うけど」
「正解、平たく岩が積み上がっている所が見えた」
俺が御者台でぼやいていると、『飛翔盤』に乗って空から周辺を探っていたリウムちゃんが戻って来た。
やはり外は暑かったのだろう。リウムちゃんはそのまま馬車の中に入り、クレナから水を受け取って少しずつ飲んでいる。
しかし、地図を頼りに山奥の村に辿り着いたら、とうの昔に廃村になっていたと言う事も珍しくないらしいこの世界。
そんな世界の地図は現代日本の物ほど正確ではないため、最終的に頼りになるのはやはり己の目である。
その上リウムちゃんは空から遠くを見渡す事が出来るのだ。日差しがきついが、彼女の偵察は欠かせなかった。
「念入りに壊したみたいだな。よし、行ってみよう。リウムちゃんは休んでいてくれ。ロニは金魚が落ちない様に気を付けて」
「はいっ! キンギョさんを守ります!」
馬車の中も涼しいとは言い難いのだが、それにも負けずに元気良く返事をするロニ。
どうもこの世界に「金魚」と言う種はいないらしく、皆の間では「キンギョ」が金魚モドキの名前として浸透していた。
金魚と言うのは元々、突然変異のフナを観賞用に交配していったもので自然には存在しないと聞いた事がある。この世界に存在しないのは、その辺りが理由かも知れない。
それはともかく、リウムちゃんが見付けた場所に急ぐとしよう。
「では、自分が先行します」
そう言ってルリトラは前傾姿勢になって駆け出す。
俺達も離れ過ぎない様に、その後を追って馬車を走らせた。
そして俺達が辿り着いたのはかつて門であった事など想像も出来ない様な瓦礫の山だった。
念入りに壊したらしく、俺の背丈よりも低く、平たく均されている。
元は柱であったであろう人工的に形が整えられた形跡のある欠片が無ければ、これが元は建造物であった事は分からなかったのではないだろうか。
「こりゃ……流石に入れんな」
ロニの持つ洗面器の中から顔を覗かせたキンギョも呆然としている。
地下へと続く通路がこの下にあるとしても、この瓦礫を退けるのは少々骨だろう。
「まぁ、やるしかないでしょうな。私にお任せください」
「私も手伝う」
ルリトラだけでなくリウムちゃんも前に出て来た。
胸を張って自信あり気だ。彼女の使う水晶術の中に、その手の作業に役立つ物があるのかも知れない。
横からロニも話し掛けてくる。
「トウヤさま、地下に道は続いてるんですよね? 道の上から穴を掘って入ると言うのはどうですか?」
「ああ、そっちも手だな。一応、穴を掘る道具も持って来てる」
「……トウヤ、大地の精霊召喚使ったら? 元々そのための魔法でしょ」
「…………あ」
すっかり忘れていた。
クレナは呆れた様な目で俺を見ている。
「フハハ、間抜けめ! 穴を空けるだと? この地下道はハデス・ポリスの魔法技術を結集して造り上げた物だぞ! 大地の女神の神官魔法ごとき効かん効かん!」
そんな俺達の会話を聞いてキンギョが大笑いで馬鹿にしてくる。我ながらお間抜けな話だったから文句は言えない。
しかし、それ以外なら言い返す事が出来る。
「だが、実際にこの門は壊されてるじゃないか」
「む……」
笑い声をピタリと止めて黙り込むキンギョ。
そうなのだ。このハデス・ポリスの魔法技術を結集して造り上げたと言う地下道。当然、門もその一部のはずだが、これは過去にトラノオ族によって破壊されているのだ。
「ただの岩っぽいし、やっちゃったら?」
「ぐぬぬ……長年風雨に晒され過ぎたか……」
悔しがるキンギョを他所に、俺は大地の精霊を召喚して瓦礫の山に穴を空けていく。
正確には精霊の力で形を変え、中央の瓦礫を脇に退けているのだ。
少し時間が掛かったが、やがて足下に土や瓦礫ではない不思議な材質で出来たスロープが姿を現した。
なるほど、これがハデス・ポリスの魔法技術を結集したと言う地下道か。
確かに大地の精霊を召喚して変形させようとしてもスロープに対しては上手く行かない。キンギョの言っている事もあながち間違いではなさそうだ。
「わ、若造にしては、やるではないか……」
おそらく数百年ぶりに開かれたであろう地下道への入り口を前に、キンギョも驚きを隠せない様子だ。
いや、これだけの大穴を空けた俺の魔力にも驚いているのかも知れない。
「階段じゃなくてスロープなのは有難いな。もう少し広げれば馬車で入れそうだ」
「フン、当然だ。元々は軍を動かすための通路だったのだからな」
「昔、魔族が飛び出して来たのもそれでか……」
ルリトラが穴の中を覗き込みながら呟いた。
それを聞いて、クレナも不安気な表情を見せる。
「今もいるって事はないでしょうね?」
「さぁな、わしも今の事は分からん」
「自分が偵察してきましょうか?」
「いや、明かりが無いだろう。俺も行くよ」
と言う訳でクレナ達に馬車を任せ、俺とルリトラの二人は先行して『砂漠の王国』ハデス・ポリスに続くと言う地下道に足を踏み入れた。
光の精霊を五つ召喚し、光源を確保して武器を手に周囲を警戒しながら進んでいく。
中は石を組み上げたアーチ状の回廊になっていた。馬車二台が楽にすれ違えそうな広さ。地面は石畳になっている。全てスロープと同じ材質だ。
ガス等が溜まっている可能性も考えたが、ルリトラの鼻は何の異常も感知していないためそのまま進んで行く。
そしてそのまま百メートル程進んでみたが、魔族はおろか生き物の姿すら見掛けなかった。
「何もいませんな」
「もしかして、この先もどこかで塞がってて密閉状態だったのかも」
「……有り得ますな」
ハデス・ポリスが崩壊しているなら有り得る話だ。
「このまま二人で先を偵察するより、皆で進んだ方が良さそうか?」
「賛成です。向こうにリウム達を残しておく方が危険でしょう」
特にキンギョがな。
「よし、戻ろう」
「ええ、警戒は必要でしょうが、皆で進んだ方が良いかと」
俺達はそれ以上偵察するのを止め、クレナ達の所に戻って皆で地下道に入る事にした。
「ずっと地下に埋まってたってどんなのかと思ったけど……」
「思ったよりきれいですね」
光の精霊に照らされた地下道を見たクレナとロニの第一声がそれだった。
確かに想像していたよりもずっときれいだ。正直俺も苔むしているぐらいはイメージしていた。
「そうだ、クレナ。精霊魔法で換気する事って出来るか?」
「風を通すって事? 精霊をずっと連れ歩く事になるけど、出来なくはないわよ」
「頼めるか? この辺はまだ大丈夫だが、もしこの先が塞がってた場合、奥は空気が淀んで息が出来なくなる可能性がある」
「ガスが溜まってる可能性も考えられる」
俺の懸念にリウムちゃんも同意する。
ガスがなくとも換気が出来ていないと、奥に行くほど酸素が少なくなる可能性が考えられるのだ。
酸素ボンベを持って行く様な事が出来ない以上、何かしらの方法で風を通すしかない。
俺に考え付く方法は、クレナの精霊魔法に頼る事だった。
もしかしたらキンギョも何とか出来るかも知れないが、あいつに魔法を使わせるのは怖いので止めておく。
「魔力の消費が激しいけど、何とかやってみるわ」
「すまんな」
「良いのよ。上手くいけば、あなたみたいな超魔力が身に付くかも知れないしね」
あまり自覚はないが、MPを使い続けるのがキツい事は知っている。
気遣う俺に対し、クレナは笑顔は返してくれた。
ルリトラを先頭に、ロニとリウムちゃんが馬車後部から後方を、そして俺が御者台に座って地下道を進んで行く。
クレナは馬車の中で風の精霊の制御に集中しているため、おのずと御者台脇に吊してあるキンギョの話し相手は俺と言う事になってしまう。
まぁ、前方と後方を見張る面々はもちろんの事、クレナにも苦労を掛けているので、こいつの話し相手ぐらいはいくらでも受け持とう。
「そう言えば貴様等は、魔王様についてどれぐらい知っておる?」
「俺が知ってるのは初代聖王の伝記に書いてある事ぐらいだな」
「まぁ、異世界から召喚された者にしては勉強しておると言ったところか」
「自分で調べてるからな」
「何の疑いもなく、召喚者の意のままに戦うのは御免と言う事か」
「……まぁ、そんなところだ」
実際、『砂漠の王国』の事が隠されていたしな。
それに魔王の正体と言うのもよく分からない。
砂漠の王国が聖王がいるユピテル・ポリスと同じ様なポリスだとすれば、結局のところポリス同士の戦いと言う事になるのではないだろうか。
「そう言えば、光の女神の召喚は生きている者を召喚するのだったな」
「……は?」
「ん? お前も死んでたのか?」
「いや、そう言うのは無いが……」
召喚直前にトラックに轢かれたとか、そう言うのは無かったはずだ。
「闇の女神様の召喚は、そんな異なる世界で生きる者を無理矢理召喚したりはしない。
既に死した魂に、新たな生を与えて召喚するのだ」
「え? ちょっと待て、と言う事は……闇の女神の勇者ってのもいるのか?」
俺が戸惑いながら問い掛けると、キンギョは小馬鹿にした様子で答えた。
「何を言うとるんじゃ貴様は、魔王様の事に決まっておろうが」
「…………は? と言う事は何か? 初代聖王と魔王の戦いと言うのは、召喚された勇者同士の戦いだったと言うのか?」
「その通り。まったく、ちっとは勉強してるかと思えば、その程度か」
いや、その手の話は神殿では隠されていた。
俺が思わずクレナの方を振り返ると、彼女はこちらに視線を向けながら無言で頭を横に振っていた。どうやら彼女も知らなかったらしい。
「と言う事は貴様等、偉大なる『十六魔将』の事も知らんのか?」
「生き残りが封印された魔王を連れて逃げたとか言うアレか?」
「逃げたとか言うな。偉大さが伝わらんだろうが」
キンギョは憤慨した様子で話を続ける。
これは誰も知らない魔王に関する情報だ。俺は真剣にその話に耳を傾ける。
「ハデス・ポリス軍――ユピテル野郎の言うところの魔王軍。その中でも特に華々しい功績を挙げた十六人の将軍がおった」
「それで十六魔将か。と言うか、自分達で『魔』って名乗ってたんだな」
「貴様の感覚ではどうかは知らんが、闇の女神様を信仰する者にとっては栄えある称号だぞ。闇の女神様の祝福を受けた証だ」
文化の違いと言うやつだろうか。
「とにかくだ。魔王様の下に集いし十六人の魔将。
『竜将軍』
『暴風将軍』
『白銀の剣』
『黄金の鎧』
『守護騎士』
『狂気の道化師』
『暴虐の聖女』
『夜の女王』
『笑う獅子』
……まぁ、この辺は皆五百年前に死んどるがな」
「故人かよ」
「遠征中にユピテル野郎共に討たれた者、魔王様と初代聖王の戦いの余波に巻き込まれた者。まぁ、色々だな」
おそらく二つ名なのだろう。気になる名前もあったが、それならば聞いても仕方が無い。
「死んだ連中はともかくとして
『百獣将軍』
『仮面の神官』
それに『五大魔将』を合わせた七人が、今も生き残っている魔将だな」
「五大魔将?」
「魔王様と同じく、異世界から召喚された者達だ。それに元々ハデス・ポリス軍の将軍であった十一人を合わせたのが誉れ高き『ハデス十六魔将』なのだよ」
どこか誇らしげなキンギョ。
ユピテルなど他のポリスでは魔王と言えば忌み嫌われた存在だが、ハデス・ポリスの住人にとっては誇らしい偉大なる王だったのかも知れない。
「実を言うと、『百獣将軍』が戦後あの泉を訪れた事がある。そこでわしは、魔王様が初代聖王に倒され、多くの魔将達が命を落としたと聞かされたのだ」
「…………」
遠い目をするキンギョ。彼にも色々とあったのだろう。
「あ~、五大魔将にも同じ様な二つ名があるのか?」
「ん? もちろんあるぞ。
『闇の王子』
『白面鬼』
『暗黒の巨人』
『魔犬』
『炎の魔神』
皆、魔王様と同じく異世界から召喚され、新たな生を得た者達だ」
流石に強そうな名前が揃っている。
「そう言えば、『新たな生』って言うのは生き返ったって事か?」
「いや、魔族に転生したのだ。闇の女神の祝福によってな」
「魔族……」
五百年前とは言え同じ世界の人間かと思ったが、どうやら人間を辞めてしまっている様だ。
もっとも、そうでなければ五百年後の現在も生きてはいないのだろうが。
キンギョが言うには五大魔将以外の魔将達も生き返ってはいないが、闇の女神の祝福を授かり人間を超越した力を得ていたらしい。
俺達が光の女神の祝福で『ギフト』を得たのと同じ様なものだそうだ。
風呂を出せる魔将とかいたのだろうか。
「ところで『王子』って事は、もしかして?」
「ウム、魔王様の御子息だ」
「親子で召喚されたって事か」
「おそらく死んだ魔将の中には、魔王様を落ち延びさせるために殿となって死んだ者もいただろうな……」
その話が本当だとすれば忠臣揃いだったんだな、魔王軍。
もちろんそれだけで全面的に魔王軍が良い連中だと言うつもりはないが、少し見方が変わった気がする。
それにしてもキンギョの話す事は知らない事ばかりだ。五百年前から生きていると言うのは伊達ではない。
と言うか、実はこのキンギョも闇の女神の祝福を受けているのではないだろうか。それならば五百年生きているのも納得が行くと言うものだ。
どうもこの地下道は他に生き物の姿もなく静か過ぎるきらいがある。
せっかくだからキンギョの昔話を聞きながら進むのも悪くないだろう。
金魚の元となった突然変異のフナと言うのは「ヒブナ」と言う種類です。
日本では鎌倉時代からその存在が知られており、室町時代に伝来しましたが定着せず、大々的に養殖が始まったのは江戸時代だと言われています。




