第181話 私脱ぐと凄いんです
俺は春乃さんの後を追って『無限バスルーム』の中に飛び込んだ。
今この場で『異界の門』を開く事もできるが、中花さんは門の向こうに見える日本の景色に釣られはしないだろう。
そもそも光の『勇者召喚』は、故郷日本への未練が少ない者が召喚される。今の立場に満足していそうな彼女が、素直に帰るはずがない。まずは彼女を捕らえなければ。
春乃さんは建物の中には入らず、右回りで外側を通って二の丸大浴場に向かう。水の釣り堀の脇を通り抜けて……って、中花さんが速い! ぐんぐん距離を縮めている。
「そんな重そうなモノ、二つもぶら下げてるからよぉ!! いくらか分けなさいッ!!」
いや、そういう理由じゃないだろ。両手で支えてみるとずっしりしているのは否定しないが、春乃さんだって足は速い方なんだぞ。
むしろ、この場で一番遅いのは『魔力喰い』を装備した俺かもしれない。ここは地面が土ではないため、大地の『精霊召喚』を使った精霊ダッシュが使えない。
このままではどんどん引き離されて、いや、その前に春乃さんが追いつかれてしまう。
「だからこっちか……! 『水神の行進』ッ!!」
俺の足元から水流が噴き出し、滑るような高速移動を可能とする。
かつて共に戦った聖なるイルカが、陸上移動のために使っていた水の神官魔法だ。女神の夢の中で習った魔法のひとつである。
これは『無限バスルーム』内でも水の釣り堀の近くならば使える。春乃さんもこの魔法の事を知っていたので、追跡する俺のためにこちらのルートを選んだのだろう。
一気に距離を詰めて、中花さんの背中に迫る。命を奪う事が目的ではないため、武器は使わず両手で捕まえようと襲い掛かる。
「ぅおっとぉっ!」
しかし、中花さんは機敏な動きでヒラリと避けた。
その動きで追跡が止まり、彼女はこちらに向き直る。いや、どうしてそんなキラキラした目でこっちを見てくるんだ。
「仮面の黒騎士……黒髪の貴公子かしら? 銀髪もいいかも……むふっ♪」
黒髪だし、どこかの若様と勘違いされた事もあるが、貴公子というのはどうだろう?
そんな事を考えつつじりじりと距離を詰める。二度、三度と飛び掛かるが、彼女はその全てを軽やかにかわしてしまった。三度目はフェイントも交えたというのに。
「貴方の気持ちはうれしいけど、レディを誘うならもっと紳士的によ!」
しかも、かわす前に受け止めるか否かを迷う余裕を見せた上でだ。こっちは『水神の行進』でスピードを上げているのに、まだ向こうの方が上だというか。
だが、中花さんの意識はこちらに向いている。その隙を突いて背後に近付いていた春乃さんが、鞘に納めたままの剣で殴り掛かった。
「甘いわッ!!」
しかし、それすらも避けられてしまった。今の絶対見ずにかわしていたぞ。
中花さんは、春乃さんの方に向き直り抜き身の剣で襲い掛かる。攻撃も早い!
彼女自身も『無限の愛』によって一流騎士並みの剣術を修めているというのは予想していたが、それを繰り出すスピードが桁違いだ。春乃さんも防戦一方だ。
彼女も召喚された勇者として、それだけ成長しているという事か。春乃さんを助けるため、俺も加わり中花さんを捕まえようとする。だが、捕まらない。
二人掛かりになる事で不意を突けていると思うのだが、それでも捉えられない。なんだこの動きは、速いだけじゃない。
じりじりと春乃さんが押され、大地の祭壇があるエリアに入った。ここからは大地の精霊の力が強まるため『水神の行進』は使えない。
俺がスピードダウンした隙を突いて、中花さんは春乃さんに攻撃を繰り出す。なんとか割って入って庇うが、その攻撃は凄まじく鋭く、MPが削られていく。
「ムッキー! 黒騎士様に庇われて生意気よ!!」
しかも、その度にボルテージが高まるようで、更に攻撃の激しさが増す。というか、ついに様付けになったぞ、俺。
「なんて激しい攻撃だ……!」
様付けしながら、これだけの攻撃を繰り出してくるのは、それだけ春乃さんへの敵意が強いという事か。
「もしかして、神南さんより強いのでは……?」
「流石に力では神南さんの方が上だと思うけど……」
速さというか、鋭さというか、その辺りは彼女の方が上かもしれない。
彼女が振り下ろす剣を掴み取り、じわじわと削られていくMPと引き換えにその動きを止める。やはり、力はそこまで強くない。
……ちょっと待て。そこまで考えたところで、俺はある事に気付いた。
俺は『無限バスルーム』で大量の石鹸を出し、水を出し続ける事で神懸った莫大なMPを手に入れた。居住空間として使い続ける事で、今もその成長は続いている。
あれだけの軍勢を夢の中で鍛え上げた彼女のギフトの使用時間は、間違いなく俺に次いで長いはずだ。それによって彼女の何が鍛え上げられたのか……。
「あっ、脳……!」
春乃さんがハッとして声を上げた。彼女も俺と同じ答えにたどり着いたか。
夢を見るのは、睡眠中に脳が記憶を整理をしているからだといわれている。ならば夢の中で教導を行う『無限の愛』によって鍛えられるのは、頭脳ではないだろうか。
そして、この世界における俺達の力は、肉体の力に祝福の力が上乗せされている。
つまり今の中花さんには、鍛え上げられた本来の頭脳に加えて、祝福の力によるサブ頭脳のようなものが上乗せされていると考えられる。
見てから避ける「神懸った超反応」に、見ていないのに避ける「神懸った超感覚」。特に後者は、祝福のサブ頭脳によるものである可能性が高い。
更に言えば、それらに対応できる身体能力も凄まじい。『無限の愛』の教導は夢の中で行われるはずだが、今の彼女を見るに現実の肉体にも影響があると見るべきだろう。
「しつこい男は嫌われるわよ! 貴方なら許しちゃうけど!」
彼女は一瞬、素早く踏み込んで俺との距離を詰める。
当然彼女の剣は地面から直角に近くなり、剣の握りも変わる。それによって小指のフックが外れた次の瞬間、剣は俺の手を離れていた。正に達人技だ。
一歩身を引いて身構えるがしかしこちらに追撃は来ず、彼女は身を翻して春乃さんに襲い掛かった。
「見える! 私にも敵が見える!」
春乃さんもすかさず迎撃しようとしたが、中花さんは物凄い形相で彼女の弾む胸を睨みつけたまま全てを避けてしまった。
一瞬呆気に取られそうになったが、そんな暇は無い。動きが少ない腰にしがみつこうとするが、やはり彼女はヒラリと避けてしまった。攻撃の手は止まったので良しとする。
「あ・と・で♪」
そう言ってウインクしてきた。いや、春乃さんを斬った後じゃ困るんだよ、俺が。
しかし、なんて強さだ。『魔力喰い』と俺のMPがなかったら、とうに負けていたぞ。
とにかく、春乃さんを攻撃させてはいけない。強引に突き進み、二人の間に立つ。
するとこちらの意図を読んだのか、中花さんの視線が鋭くなった。だが、その視線は俺を見ておらず、後ろの春乃さんに向けられている事がハッキリ分かった。
せめてタックルが当たるなら、『異界の門』を使って強引に押し込むという手も使えたのだが、こんな調子では成功しそうにない。
いっそここで彼女を口説いて油断させるべきか。イケメンボイス、略してイケボが出せるかどうかが鍵だな。などと半ば真剣に検討していると、それはやってきた。
「ハァッ!!」
豪快な風切り音と共に振り抜かれる刃、中花さんは、しゃがんでそれを避ける。
その刃の主は言うまでもない。琥珀色のウロコを持つ巨漢、ルリトラである。
「敵が増えたの!? って、また!?」
中花さんはすぐさま飛び退き、距離を取ろうとする。しかし、その着地点を狙って極太の『銀の槍』が降り注ぐ。
「ちょっ! 私じゃなかったら死んでたわよ!?」
驚くべき反射速度でそれを避けると空に向かって声を張り上げる中花さん。釣られて空を見上げると、そこには本丸二階から槍を放ったリウムちゃんの姿があった。
「外はどうなった!?」
「指揮を執れる者がいなくなった事でこちらが優勢です! しかし、こちらでの決着に時間が掛かっているとセーラ殿が心配し、我々が援軍に!」
そうか、時間の経過でこちらが上手くいっていないと判断したのか。ルリトラは負傷者を担いで戻ってきたところで話を聞き、こちらに来てくれたらしい。
「ルリトラ、入り口は!?」
「既に指揮官と司祭は倒され、セーラ殿が入り口の守りの指揮を執っております!」
なるほど、司祭が倒された事でホースの水が必要なくなり、余裕ができたのか。
ルリトラの二撃目が地面に突き刺さった槍ごと中花さんを一薙ぎにする。しかし彼女は跳躍して再びそれを避けた。
次の攻撃に備え、春乃さんを庇うように身構えるが……来ない。
「トカゲ……! でも、イケオジの気配……! クッ、私はどうすれば……!?」
見ると彼女は、ルリトラを見て何やら身悶えていた。
気が抜けそうになるのを必死でこらえる俺。まさかそういう意図でやってる訳でもあるまいが。
今回のタイトルは『私(のギフトが秘密のベールを)脱ぐと凄いんです』でした。




