第146話 異世界家事調停委員
「このままにらみ合っていても埒が明かない。ここは交渉といこうじゃないか」
「……交渉、だと?」
「今回の件は、『暗黒の巨人』の暴走が発端になった事は分かっている。ならばあなたとは交渉する余地があると思うんだが……どうだ?」
「…………いいだろう」
しばしの間を置き、小さくため息をついた『闇の王子』。クレナの隣に腰を下ろして、こちらに鋭い視線を向けて来た。
何から話すべきかと考えたが、ここでお互いに兜を被りっぱなしだった事に気付く。
首から上が無防備になってしまうが、交渉しようと言い出したのはこちらだ。俺の方から相手を信用してみせるべきか。うん、いざという時は両腕でガードしよう。
兜を脱いでテーブルの上に置くと、『闇の王子』は一瞬目付きを鋭くし、ややあって自分も同じように兜を脱いだ。
「交渉の前に確認しておきたいんですが、勇者コスモスの誘拐には関わっていますか?」
「ああ、武闘会の方で騒ぎがあったらしいが、そういう事だったのか。私は知らんぞ」
「……やはり別件ですか」
コスモスを狙う理由は、『闇の王子』にも『暗黒の巨人』にも無い。念のため確かめてみたが、関わっている可能性は低いと思っていた。
ならばコスモスを狙ったのは一体何者なのかが気になってくるところだが、今は置いておくとしよう。クレナの方が先だ。
「もうひとつ確認を。今回の件、『暗黒の巨人』の独断だったそうですが……」
そう問いかけると、『闇の王子』は大きなため息をついた。
「そうらしいな。あやつの配下がクレナを連れて来た時、正直眩暈がしたぞ」
彼にとっても予想外だったのだろう。正直、その点については同情する。
「こちらからも確認だ。あの男はどうなった? そちらに捕らえられたそうだが」
「魔王が眠っていた地下に閉じ込められています」
「流石に許されんかったか。良い薬だ。配下の者達には累が及ばないよう手配していたというのに、巻き込みおって……!」
なるほど、アレスに残っていたのは配下のためか。
クレナも感情としては早く母に会いに行けと言いたいだろうが、この問題を放置していくのは無責任だろう。彼女も理性では分かっているはずだ。
「あやつはクレナを取り戻せば、私が自由になって再び新魔王を目指せると考えたようだな。生憎と、私はもう、そんな気にはなれんのだが……」
自嘲するような笑みを浮かべ、どこか燃え尽きた雰囲気を漂わせる『闇の王子』。
女神はクレナが剣を投げつけた事で新魔王は誕生しなくなったと言っていたが、それはこういう事だったのだろうか。
それでも配下の事を考えて行動しているあたり、責任感が強い人なのかもしれない。
「あの、他の拠点には今頃……」
「分かっている。『魔犬』達には逆らわずに降伏するよう命じてある。そうすれば、あやつらも無体な事はせんはずだ」
そこまで把握していたのか。こちらの事を調べていたようだ。
「当初の予定と違ってしまったが、これで私もようやくユノに行ける」
「では、クレナを解放していただけますか?」
「いや、それは……」
急に歯切れが悪くなったな。『闇の王子』がユノに行くのであれば、クレナを捕まえておく理由は無いはずだが。
「さっきからね、一緒にユノに行かないかって誘われてたのよ」
その理由をクレナが教えてくれた。
「これぞ好機ではないか!」
「父親面するのは、ママに謝ってからって言ったでしょ!!」
勢いよく立ち上がり、そのまま言い争いを始める親子。ロニとルリトラも突然の出来事に茫然としてその姿を見ている。
どうやら意図したものではないとはいえ娘が手元に転がり込んできたため、どうせならば娘も連れて妻に会いに行きたいという欲が生まれたらしい。
ロニの肩の上でデイジィが「バカじゃねーの?」と呟いたが、言い争う声のため『闇の王子』には届かなかったようだ。
「知っているのだぞ! お前達は闇の神殿を再興しようとしているのだろう!?」
別に隠していた訳ではないが、そこまで知られていたのか。
ならば隠していても仕方がない。素直に肯定しておこう。
「だ、だからどうしたっていうのよ!?」
「ユピテルに知られれば、神殿の柱を一本立てる前に軍勢を派遣してくるわ!!」
クレナを連れて行きたいというのは、彼女の安全のためでもあるようだ。
俺達もラクティがいるからこその闇の神殿再興であり、いなくてもこの道を選んでいたかと問われると微妙なところなので、その考えは理解できる。
「ひとつ訂正を。我々は闇の神殿だけでなく、女神姉妹全ての神殿を一箇所に集める計画を立てています」
そう言うと、『闇の王子』は再びソファに腰を下ろし、大きなため息をついた。
クレナは俺と彼を交互に見た後こちらに移動してきたので、俺が少し座る位置をズラすと隣に座ってきた。彼女なりの意思表示だろう。
『闇の王子』は何か言いたげだったが、結局何も言わずに話を続ける。
「それは余計に難しかろう?」
「闇の神殿だけ再興するよりはマシではないかと」
「それは否定せんが……そもそも、闇の神殿長を務められる者がいるのか?」
「現在の候補は……『不死鳥』です」
「…………それは余計に難しかろう?」
かもしれないが、本当に他の候補がいないのだ。
「やはり、そんな危うい計画にクレナを加わらせる訳には……!」
「だからユノに来いってのは無しよ?」
間髪を入れない返答に、『闇の王子』は苦虫を噛みつぶしたような顔で彼女を見た。
「何度も言ってるけど、まずはママに謝って……!」
「まぁまぁ、クレナを心配してるんだから。どこに神殿を建てるかもまだ決まっていないんだし、一度ユノに行くというのも……」
どうして俺がフォローしているのだろうか?
あ、もちろんクレナだけを行かせるという意味ではないぞ? その時は俺達も一緒だ。
「それは分かるんだけど、なんか納得いかないのよね。こうもやもやするというか、一人で会いに行くのが怖いのかなって……」
そう言ってクレナはジト目で見た。『闇の王子』は目が泳いでいるので、本当にそういう面もありそうだ。
これはユノ行きは無しだな。無理に行かせたらしこりが残りそうだ。
「……諦めて、まずは一人で奥さんに謝ってきた方がいいのでは?」
「ぐぬぬぬ……! し、しばし待て!」
「いえ、時間を掛けるとまずいです」
「何故だ!?」
彼の声に怒気が混じってくるが、怯まない。本当に時間を掛けるとまずいのだ。
「『白面鬼』が、いつまで魔王を抑えていられるかが分かりません」
「ぐぬぅぅっ!!」
そう、いつ怒髪天を衝いた魔王がこちらに向かってくるか分からないのである。
この一言がトドメとなって『闇の王子』はテーブルに突っ伏し、彼の兜が音を立てて床に転がり落ちた。
「クレナは……条件付きで……解放する……!」
その後、突っ伏したままでテーブルに拳を振り下ろした『闇の王子』は、絞り出すような声でそう言った。
条件は、上の階で捕らえた闇エルフ二人を助命し、配下として連れて行く事。
「助命と言われても、元より命を奪う気などありませんよ?」
「上に立つ者としての責任よ。その二人は、お主の手勢が捕らえたのだろう?」
なるほど、俺の捕虜という事になるのか。
そして、これは同時にクレナを守るための一手でもあると考えられる。
この家は拠点としては小さい。普通の家だ。おそらくだが、ここは『闇の王子』がプライベートで使っていたものではないだろうか。
その管理を任せられていたのがあの二人、それだけ信頼していたであろう事が窺える。
その二人を俺の下に送り込む。これこそが『闇の王子』が出した条件の真意だろう。
「この言葉では通じぬやもしれぬが、あの二人は『素破』だ」
「素破? えっと、どこかで……あ、忍者!?」
「ほう、貴様の故郷ではそう呼ばれているのか」
後で春乃さんに聞いた話によると、「忍者」というのは意外と新しい言葉らしく、当時は地方によって呼び方が異なっていたらしい。
というか、あの二人は忍者、しかも魔法を使える忍者だったのか。普通の町のご夫婦にしか見えなかったぞ。不意打ちで無力化できて良かった。
とにかく、そういう事ならば今後のために、その二人を受け入れるとしよう。
そう返事をすると、上の階に戻った『闇の王子』は、二人にユノに行くのでこの家は引き払う、二人は俺達と共に行けと最後の命令を伝えた。
戸惑った様子で顔を見合わせていた二人だったが、やがて納得したのか俺とクレナに向かって深々と頭を下げてきた。それに応える形で取り上げていた武器を二人に返す。
こちらも春乃さん、リウムちゃんと合流。二人を引き取る事を伝えると、特に問題は無いと思いますと笑った。
「ここを引き払うという事は、奥さんに謝った後は、私達が神殿を建てる場所に来る気なんじゃないですか?」
ああ、なるほど。そのために家を引き払うのか。『闇の王子』の方を見ると、思い切り目が泳いでいたので間違いなさそうだ。
「どうせならクレナのお母さんと一緒に来てください。歓迎します。な、クレナ」
「……ちゃんと仲直りしてたら、ね」
まだ態度は素っ気ないが、和解する気はあるようだ。
それでも十分だったようで、『闇の王子』は感極まった様子で泣き、闇エルフ二人も共に喜びを分かち合っている。
「この様子なら大丈夫そうだな。それじゃあ……急ごうか」
「どこにですか?」
「白蘭商会。正確には魔王のところ」
なお、俺達の方はまだめでたしめでたしとはいかない。
魔王がこちらに向かってくる前に、クレナの無事を伝えて怒りを収めてもらわねばならないのである。




