第124話 白面玲瓏
「…………『魔犬』殿?」
静かな、それでいて威圧感を感じる声だった。その一言で『魔犬』は、背筋をビシッと伸ばし気をつけの姿勢になる。しかし耳は伏せ、しっぽは丸まっている。
どうやら『白面鬼』には頭が上がらないようだ。こちらからは見えないが、多分目が泳いでいるんだろうな。
『魔犬』の態度で察したのだろう、『白面鬼』は小さくため息をつく。
「戻る気は無いと?」
「い、いや、そのような事は決して……」
「貴方の忠義はどこへ行かれたのです?」
白蘭商会の当主は『白面鬼』と聞いていたが、会話を聞いていると『魔犬』の方が上のように聞こえるな。
後で聞いたところによると、白蘭商会の当主は『白面鬼』だが、それはあくまで表向きの話で、魔王軍としては『魔犬』の方が立場は上との事だ。
他の五大魔将が魔王復活を目指して動くために、表の顔を一番下っ端の『白面鬼』に任せたというのが真相らしい。
実際のところは性格的にも能力的にも『魔犬』の方が商会当主に向いているそうだが、それこそ立場上許されなかったようだ。
特に『闇の王子』が新魔王になると言い出してからは、『魔犬』が魔王復活派のトップにならざるを得なかったらしい。
ただ、それはそれとして『白面鬼』に怒られるのは怖いそうだ。
リュカオンになってから女性に怒られるのに更に弱くなったとは『魔犬』の弁である。
段々と『白面鬼』の雰囲気が怖く、目付きが鋭くなってくる。女性に弱くなったのではなく、単に『白面鬼』が怒ると怖いだけじゃないだろうか。
しかし、犬なのに蛇に睨まれた蛙のようになっていた『魔犬』は、その一言でピンッと耳と尻尾を伸ばして声を張り上げる。
「控えい控えい、控えおろう! こちらにおわすお方をどなたと心得る! 『闇の王子』様の長女にして、魔王様の孫、クレナ様であらせられるぞ! 頭が高い、控えおろう!!」
「……は?」
呆気にとられた顔の『白面鬼』。クレナの事は手紙で伝わっていたはずだが、このタイミングで言われるとは思ってもいなかったのだろう。
ものすごく戸惑った顔でチラチラとこちらを見ているが、俺達に助けを求められても困る。俺達にも分からない。
「……ああ、『魔犬』さんにとってクレナさんは主筋にあたるから」
真っ先にそれに気付いたのは、春乃さんだった。
なるほど、俺もその言葉で『魔犬』が言いたい事がなんとなくだが分かった。
彼等魔王軍にとってクレナは主の孫、すなわち主筋。彼女と一緒にいる自分は、忠義を失った訳ではないと言いたいのだろう。たとえ米と味噌が主な目的であっても。
「はい、そこまで」
「きゃぃん」
分かったので『魔犬』の頭を押さえて、二人の間に入った。
「俺達は、本当にクレナが『闇の王子』の子、魔王の孫であるかを確かめにきました。まずはそれから済ませませんか?」
その結果によって対応も変わるだろうし、まずはそこをハッキリさせようと申し出た。
なお、対応が変わるのは両方だ。向こうは言わずもがなだし、こちらだって結果次第では『魔犬』をどう解放するかが変わってくる。
具体的には、クレナが本当に魔王の孫ならば身代金など取らずに解放してもいいし、違えば身代金を取るよりも安全を優先したい。
この意図を読んだのかどうかは分からないが『白面鬼』は承諾。
「ただし、全員を連れて行く訳にはいきません。クレナ様以外は、そちらの魔族とインプのみです」
魔族の雪菜と、インプのデイジィか。
「それは魔族だけという事ですか?」
「ええ」
「トウヤが行かねえなら行かねえよ、興味無いし」
「来ないのならば、こちらも無理に誘いはしません」
デイジィがそう言ってくれるのは嬉しいが、『白面鬼』の言い分にも一理ある。
おそらく封印された魔王は無防備な状態で、無闇に人を近付けさせたくないのだろう。
魔族の関係者だから安全だというのは、いささか議論の余地が残るところではあるが。
だが、それは向こうの理屈。こちらとしてもクレナと雪菜だけを行かせる訳にはいかない。『魔犬』だって魔王とクレナとでは、魔王を優先するだろう。
クレナも戦えない訳ではないのだから過保護と言われるかもしれないが、これは五大魔将の力を正当に評価した上での判断である。
さて、どうしたものか。
「ここに闇の女神がいるんですが、彼女もダメですか?」
「それは……」
手招きでラクティを呼び『白面鬼』の前に出すと、彼女の表情が変わった。
五百年前にラクティを見捨てて逃げた事について水の女神が大激怒していた事も含めて伝わっているはずなので、魔王に会わせたくない気持ちも理解できる。
実際『魔犬』も、ラクティに詫びつつも恐れていた。いうなれば対魔王軍の切り札だ。もっとも、ラクティ本人は怒ってはいないだろうが。
彼女に涙目になられるともう謝り倒すしかないので、俺にとっても切り札になり得るのはここだけの話である。
それはともかく、ここはもうひと押しだ。
「あと、俺も『仮面の神官』から闇の祝福を授かりまして」
「あの金魚……!」
あ、やっぱり五大魔将達も、あれは金魚に似ていると思っていたのか。
春乃さんによると当時金魚は珍しいものだったらしいが、魔王の事を考えると知っていてもおかしくはないか。
それはともかく、これで通じたはずだ。魔族である事が同行できる条件ならば、俺も半分は当てはまっているという事を。
そして、ここであえて助け舟を出す。
「まぁ、ラクティの方は、別の用事をお願いするという手もありますが」
「…………トウヤ殿の同行は認めましょう」
あっさりと認めてくれた。
これは現状の再確認だな。『魔犬』の態度のせいで勘違いしそうだが、俺達の間に安心してクレナを預けられるような信頼関係は無いのだ。
現に俺も一緒に行く事が決まると、クレナはほっとした様子だった。
少々強引だったが、おそらく向こうも理解した上であえて乗ってきたのだろう。
これ以上押すと向こうも態度を硬化させるかもしれない。この辺りが妥協点だな。
「ところで話は変わりますが、中央エリアにフィークス・ブランドはありますか?」
「え、ええ、ありますよ。隣の通りですので、裏口から行った方が近いですね」
「申し訳ありませんが、誰かに案内させてもらえませんか? 風の神殿から着の身着のままで逃げてきた者達がおりますので」
「それは大変ですね。商会から闇の女神様に幾ばくかの寄進をさせていただきますので」
急に話が変わって拍子抜けした様子の『白面鬼』だったが、すぐさまにこやかな笑顔で寄進を申し出てきた。ラクティを買い物に行かせるという俺の提案に、『白面鬼』がすかさず応じた格好だ。
ラクティがオロオロしてこちらを見ていたのでコクリと頷いてみせると、彼女は寄進を受ける事を承諾した。
「それじゃ、春乃さん達はラクティと一緒に皆を連れてフィークス・ブランドに」
「……分かりました。気を付けてくださいね」
春乃さんは心配そうな顔をしていたが、それでも納得はしてくれた。彼女も、ここは無理に押す場面ではないと分かっているのだろう。
それに服を買い足す必要があるのは彼女達もなのだ。せっかくの機会なので、ここで買い揃えてもらおう。
という訳で『白面鬼』が人を呼び寄進を用意させている間に、こちらも『無限バスルーム』を開いてお金を出す。寄進があれば必要無いかもしれないが念のためである。
「お兄ちゃん、私はどうしたらいいかな?」
雪菜が尋ねてくる。それに答えるには、一つ確認しておかなければならない。
「……『白面鬼』、ひとつ確認しておきたいのですが」
「なんでしょう?」
「俺の妹、そちらの『不死鳥』に召喚された闇の勇者なんですが、魔王軍的にはどういう扱いになりますか?」
「『不死鳥』め……また余計な事を……!」
凄い顔になっている『白面鬼』。般若の面って、こういう顔を表していたんだろうな。
それについてはツっこまずに見ていると、こちらの視線に気付いたのか彼女はコホンと咳払いをし、表情を取り繕ってから答えてくれる。
「特に問題はありませんね。『不死鳥』は今、どうしていますか?」
「妹を助けた際に戦いましたが、その時に逃げられてからは分かりませんね。『聖王の勇者』である自称コスモスが追っているはずですが」
「……勇者と敵対しているのですか?」
「いえ、コスモスは『不死鳥』配下のバルサミナという魔族を口説いています」
「……ふざけないでもらえませんか?」
「これが悪ふざけなら、どれだけ良かったか」
ムッとした様子の『白面鬼』だったが、すぐに戸惑いの表情に変わった。
視線で『魔犬』に問い質すが、彼はコスモスの事を知らない。
「そのコスモスですが、昨晩アレスに到着したみたいですよ。『不死鳥』について知りたいならば、会ってみたらいかがでしょう?」
「えっ? ええ、考えておきます……」
ものすごく嫌そうだが、それについては触れないでおく。
「とりあえず問題無さそうだから、雪菜も来るか?」
「もちろんっ!」
寄進が用意される頃にはこちらの準備も終わり、プラエちゃん達も到着した。
ちなみに寄進は縁を金属で補強された箱一杯に詰め込まれた金貨だった。昔の千両箱のようで、ずっしりと重い。アレスでは木は高級品らしく、木製ではなく陶製の箱だ。
これは箱も合わせて結構な額になるぞ。奮発したな。ハデスで見捨てて逃げる事になった件を詫びる意味も込められているのだろうか。
せっかくなのでこちらで用意したお金も合わせて、服だけでなく日用品も買い足してもらおう。特にキュクロプス用の食器などが必要だ。インプ用の食器は流石に売ってないだろうが、代用品に使えそうな物があるだろうか。
という訳でデイジィも買い物に参加してもらい、こちらはクレナと俺、雪菜の三人で封印されている魔王の下に向かう事にする。
案内してくれるのは『白面鬼』と『魔犬』。必要無いのだろうが護衛も無しか。
もし敵対しても二人で十分だと思っているのか、もしくは白蘭商会でも極々限られた人間しか魔王には近付けないのか。それは分からないが、油断はしないでおこう。
並んで春乃さん達を見送った後、俺達は『白面鬼』へと向き直る。
「場所は?」
「ここの地下ですよ」
まさかの店内だった。ここは地下都市なのだから、更なる地下があっても今更か。
隣のクレナが手を握ってきた。震えている、緊張しているようだ。
無理もない。生まれて初めて会う祖父かもしれない人。それが魔王だというのだから。
考えてみれば、俺も魔王をどうにかするために召喚されたんだったな。
色々とあって、今ではどうするべきか分からなくなっていたが、ここで魔王を知る事が答えを出すための一助となるだろう。
「それでは、ご案内いたします」
先頭に立って歩き出す『白面鬼』。俺達は互いに顔を見合わせて頷き合うと、覚悟を決めてその後を追った。




