第112話 魔王軍秘話
水球の中央に浮かんでいるのは夢で見たままの水の女神の姿。先程の激流も彼女の力だろう。
よく見ると水球から何かが飛び出ている。いや、水球自体が変形して紐のように伸びているのか。
その先にあるものを確認した時、俺は思わず「シュールだ……」と呟いてしまった。
皆も何と言えばいいか分からずに戸惑い、顔を見合わせている。
「クゥ~ン……」
そう、水の女神は大きな犬を連れていた。水の紐でぐるぐる巻きにされた大型犬を。
「……あ~、リウムちゃん。ラクティを連れて水の女神のところへ」
しばらく呆然としていたが、ハッと我に返って指示を出す。
水の女神には、ラクティから事情を説明してもらおう。
その間に俺は『無限バスルーム』から皆を出して、動けるようにしておく。
皆を降ろすのはパルドー達とグラウピスの戦士達に任せるとしよう。
俺は甲板から動けないので、レーダーを通して水路から敵が戻ってこないかを見張っておく事にする。
幸い水路の方には異常が無く、広間を見回してみるとセーラさん達は残った怪我人達の救助に当っていた。
春乃さん達四人は、そのまま雪菜を連れて水の女神のところに行っている。風の精霊によると、助けてもらったお礼を言っているようだ。後で俺も言わなければならないな。
それが終わると雪菜が飛んで戻ってくる。
「お兄ちゃん、外の襲撃も終わったみたいだよ。残ってたのは全部、女神さまが海上まで流しちゃったんだって」
「……海中だったら無敵なんじゃないか?」
考えてみれば、ラクティが力を失ったのは自分を信仰していたハデスという国が失われてしまったからだ。あの地は今、『空白地帯』という砂漠になっている。
対する水の女神は、この世界の海全体で信仰されているいわば全盛期の女神だ。
この世界の陸と海の比率は知らないが、陸が残り五柱の女神で分けているのに対して、水の女神は海を独占しているようなもの。もしかしなくても世界で一番信仰されている女神じゃないだろうか。強いのも当然である。
そんな事を考えていると、犬が水の女神に対して何やら訴えているのが見えた。
何事かと再び風の精霊に声を運んでもらったところによると、『暗黒の巨人』に情報を流していたのは連れていた魔族達で、自分は知らなかったと言っているようだ。
話の内容から察するに、やはりあの犬が『魔犬』のようだ。普通に喋れるんだな。
「どうかしたかにゃ?」
「……いや、なんでもない」
ケトルトも見た目は猫そのものなので、あちらも似たような種族なのかも知れない。
せっかく水の女神が捕まえてくれたのだ。後で話を聞いてみるとしよう。
それ以降敵が戻ってくる事も無く、無事にグラウピス達を降ろす事ができ、遅ればせながら俺も水の女神の前に立つ事ができた。
「ありがとうございました。助かりました」
『良いのです。信徒達を救ってくれたようですしね』
昨日の夢で『魔犬』の話を聞き、水の女神が危ないのではと思ってここまで来たが、正直必要なかったかも知れない。
そうか、あの時彼女がこのまま地上に戻った方がいいと言っていたのは、自分だけでもどうにかできるからだったのか。
『……そこの五人、ついて来なさい』
指定されたのは、俺、ラクティ、春乃さん、プラエちゃん、そしてクレナだ。おそらくクレナは魔王関係者である事を知られているのだろう。他の四人は女神関係者だ。
そのまま本殿の奥へと通される。他の面々は客人として歓待してくれるそうなので任せるとしよう。
水に囚われたままの『魔犬』は、おとなしく女神に従っている。
立ち上がった見た目は直立した大きな犬だが、当たり前のように直立歩行しているな。
背丈は俺の顎下ぐらいまでで、ケトルトよりも大きい。犬種は柴犬に近いだろうか。
この世界には柴犬がいるのかとクレナに尋ねてみたところ、南方の山間に棲むスイープドッグに似たようなタイプがいるらしい。なるほど、柴犬に似た種類がいるのか。
「多分『魔犬』はリュカオンよ」
「ロニと一緒……? もしかして、『闇リュカオン』ってヤツなのか?」
「どちらかというとロニが『光リュカオン』なのよ。エルフと闇エルフとは逆の関係ね」
なんと『魔犬』のように犬・狼の顔をしているのが本来のリュカオンらしい。
ロニ達の種族は、光の女神を信仰し始めた事で人間に近い姿に変わっていったそうだ。そういえば以前そのような事を聞いた気がする。
そのまま水の女神に先導され、いくつも枝分かれする通路を進んでたどり着いたのは行き止まりだった。
そこには水の壁があるが、遮るものは何も無いのに中の水は通路に溢れ出していない。
水の女神を包む水球は壁に触れると一体となり、そのまま女神は奥へと進んでいく。
すると彼女の後ろに水のない空間が生まれてゆき、水のトンネルができあがった。
プラエちゃんは四つん這いにならなければ入れないサイズだが、これで俺達も中に入る事ができる。
中に入ってみると深い青が視界を埋め尽くす。目を凝らして水の奥を見てみると、半球形のドームである事が分かった。
水の女神はドームの中央まで進むと振り返り、薄い水のヴェールと『魔犬』を挟んで向かい合う形になる。
『さて……貴方達は『魔犬』に聞きたい事があるのでしょう? 聞いてみなさい、捕まえておいてあげるから』
開口一番、水の女神はそう切り出してきた。心が読まれているので話が早い。
それならば遠慮なく聞かせてもらおう。知りたい事は山ほどある。
『魔犬』の方も覚悟を決めたようで、耳を伏せながら「え~……答えられる事なら?」と言ってきた。
なんというか、『暗黒の巨人』に比べておとなしそうなイメージだな。
怯えているという訳では無さそうだ。むしろ落ち着いている。
「それなら、まずは冬夜君から」
「そうね、私は後でいいわ」
二人に促されて、まずは俺から質問する事となった。
「情報を流したのはお供の魔族で、自分は何も知らなかったと言っていたみたいだが……なんで魔王軍同士でスパイを送り込むような真似をされていたんだ?」
一応『魔犬』が被害者のように言ってはいるが、嘘をついている可能性も考えている。
「えっとですね、魔王軍には二つの派閥があるんですよ。信じるかどうかはそちらにお任せしますけど」
「『暗黒の巨人』とは別派閥だったと?」
「そうなりますねぇ……あ、ボクは魔王軍同士でケンカは止めようと仲裁する立場だったんで、どちらにも属さない中立派? まぁ、そんな感じだったんですけど」
俺達の視線がラクティに集まった。それに気付いたラクティは「知りません! 知りません!」と首をブンブンと振る。
オリュンポス連合も一枚岩ではないと聞いていたので、魔王軍がそうだったとしても不思議ではないのだが……。
どう話を続ければいいか分からず戸惑っていると、春乃さんが助け舟を出してくれた。
「あの、それぞれの派閥はどういう主張をしているのですか?」
「そうですねぇ……貴方達にも分かる名前で言いますと、『白面鬼』は魔王様を復活させようとしているんですよ」
『白面鬼』か、ほとんど情報の無い『五大魔将』だな。
「それに対して『闇の王子』様を新たな魔王にして、聖王家を倒そうとしている人達がいまして……」
「後継者って事か。やっぱり『闇の王子』は、魔王の息子なのか?」
「生前の話ですけど……ね」
「生前の関係でも家族の絆は変わらんだろう」
そこはしっかりと主張しておくぞ。雪菜の兄として。
「……ええ、ボクもそう思います」
そう呟く『魔犬』。視線が少し和らいだ気がする。
チラリと視線を向けると、クレナは神妙な面持ちで話を聞いていた。
「ボクは中立といっても『白面鬼』寄りで、『暗黒の巨人』は『闇の王子』様寄りだったので……」
それでスパイを送り込まれたという事か。その話が本当だとすれば。
よし、他の魔将についても聞いてみよう。
「もう一人の『五大魔将』は?」
「ああ、『炎の魔神』ですか? ここ百年ほど姿を見ませんねぇ……あ、一応『白面鬼』寄りのはずです。いつの間にか裏切ってたとしても驚きませんけど」
信用されてないな、『炎の魔神』。
「ヘパイストスの近くに茶室造ってたよ。百年以上前に放棄してたみたいだけど」
「何それ知らない……」
せっかくなので教えてやると、『魔犬』は驚いて目を丸くした。
というか、仲間にも知らせずに茶室を造っていたのか。
まぁ、それはおいておこう。問題はもう一人だ。
「それじゃ『不死鳥』は?」
「……えっ? まだ生きてたんですか?」
むしろどうやったら死ぬんだよ、あれ。
だがしらばっくれている可能性もあるので、追求の手は緩めない。
「あいつの連れていたバルサミナって魔族が、『闇の王子』が魔王を復活させる方法を探してるって捨て台詞を残して逃げていったんだが……」
そう言うと、『魔犬』の目が泳ぎ始めた。気付いたのだろう、今自分の言った事とバルサミナの捨て台詞が矛盾している事に。
水の女神が締め付けを強くしたらしく「キャイン!」と悲鳴をあげた『魔犬』は、しどろもどろになりながら弁明を始めた。
「え、えっとですね、嘘ついた訳じゃないんですよ。あの人昔から訳が分からないというか、そもそも魔王様に忠誠を誓っていたかどうかも微妙な人でして」
「でも、魔王を復活させようとしているんだろう?」
「それが分からないんですよ。どうしてそうしようとしているのか……」
埒が明かないな。どうしたものか……。
あ、そうだ。
『私が心を読めるのは、貴方だけよ』
先手を打たれた。水の女神に嘘かどうかを判断してもらうのは無しか。
というか、心を読まれていたのは俺だけだったのか。やはり女神の夢の影響だろうか。
それも気になるが、今は『魔犬』から情報を得よう。
「多分ですけど、『不死鳥』はどちらの派閥とも接触していないんじゃないかと……。昔は『闇の王子』様も、魔王様を復活させようとしてましたし」
「『不死鳥』は、その頃の事しか知らないって事か?」
「『闇の王子』様が新魔王になると言い出したの、ここ十年ちょっとの話ですし」
意外と短いな。いや、長いと既に新魔王になっていそうだから短くていいのか。
流石の春乃さんも、犬の顔では嘘をついているかどうかは分かりにくいようだ。
「この件については、これ以上は追求しても仕方がないと思います」
「まぁ、確信するに足る情報は出てこないでしょうね」
クレナも本当か嘘かは判断がつかない。半々だと考えているとの事。
ちなみにラクティとプラエちゃんの二人は、嘘をついていないんじゃないかなぁと思っているらしい。
「……次は私でいいですか?」
ここで春乃さんが小さく手を上げた。よし、ここは任せるとしよう。
「貴方の言う通り魔王軍は二つの派閥に分かれていて、貴方が仲間からスパイを送り込まれていたとします。あ、スパイの意味は分かりますよね?」
『魔犬』はコクコクと頷いた。それを見て春乃さんもゆっくりと頷く。
「つまり貴方は『暗黒の巨人』の襲撃とは別の目的でここまで来たという事になります。その目的はなんですか?」
なるほど。本当に『暗黒の巨人』とグルでないとすれば、彼の目的があるはずだ。
「あの……それは最初から言っている通り、交易の申し込みなんですけど……」
しかし『魔犬』は呆けた顔をして、おずおずとこう答えた。
「いや、どうして魔王軍が交易を……」
「どうしてって、昔からですよ?」
「何が?」
「だから魔王軍の方針ですよ。大陸中央の立地を利用して交易を推し進めていこうって」
そう答える『魔犬』は何の気負いも無さそうな態度で堂々としている。これは俺にも嘘をついていないように見える。
昔の魔王軍の方針が交易推進? どういう事だ?
「ちょっと待て、当時のハデスは周りの国に戦争を仕掛けたんだろう?」
いや、それも聖王家側に伝わっている話なので、実は聖王家側から攻撃していた可能性もあるけど。
「あ~……こちらにそのつもりは無かったんですけど、周りがそう受け取っちゃったのかも知れませんねぇ……」
ところが『魔犬』はがっくりと肩を落としてそう言った。
「……どういう事だ?」
「ですから交易ですよ。魔王様の商売、ホントに上手く行き過ぎちゃって……」
商売が上手く行くのが戦争?
「え~っと、ほら、こっちが儲けて喜んでいても、相手もそうだとは限らないじゃないですか。まぁ、今だから言える事なんですけど」
ちょっと待て、まさか……そういう事なのか?
クレナはいまいちピンとこないようだ。プラエちゃんもちんぷんかんぷんのようだ。ラクティも首を傾げている。
春乃さんだけは俺と同じ考えに至ったようだ。震える唇でか細い声を紡ぐ。
「もしかして……魔王軍が仕掛けた戦争って……経済戦争、ですか?」




