第108話 『魔犬』の真意を探る
翌朝、俺は圧迫感を感じて目を覚ました。
何事かと確認してみると右には春乃さん、左にはクレナの顔があった。至近距離だ。どうやら二人とも寝返りを打ってこちらにもたれ掛かっていたようだ。
あ、春乃さんの口元によだれが。普段はしっかり者を地でいく人だから、こういう顔は希少だな。それだけ心安らかに過ごしてくれると思うと嬉しくなってくる。
なお、視線を下の方には向けないようにしている。
チラッと見てしまったが、これ以上はダメだ。二人ともパジャマの襟が緩くて胸元があらわなんだ。押し付けられて凄い事になっているんだ。
すぐにでも起きた方が良い気もするが、両腕が抱きまくらにされている状態なので身体を動かせない。動けば二人を起こしてしまう。
自分でも百面相しているのが分かる。ハッと我に返って周りの様子を確認してみたが、聞こえるのは静かな寝息ばかり。皆もまだ起きていないようだ。
よし、俺も二度寝のふりをして、この極上の感触を堪能させてもらうとしよう。
……問題は、俺だけでなく二人も寝たふりしていた事だろうか。
結局、皆が目を覚まし、朝食の準備が終わった後デイジィに蹴飛ばされるまで寝たふりを続ける事になった。
俺も途中から薄々気付いていたが、「起きてるよね?」とは言えなかったのだ。
「……大丈夫か? 治してやるから、こっち来い」
「うぅ~……あんた頭硬すぎ!」
なお蹴ったデイジィの方がダメージを受けたらしい。
それから魔法で治療したデイジィを頭に乗せて皆の下へ。
軽く朝食を済ませてから、昨夜の夢について皆に話す。
風の女神の伝言も伝えたところ、春乃さん達は少し胸が軽くなったと微笑んだ。
だがそれ以上に、五大魔将の一人である『魔犬』が水の都に来ているという情報の方が皆にとっては衝撃だったようだ。
「魔将がここに!?」
でもテーブルに手を突いて身を乗り出してくるのは止めてくれ。その服襟が緩いから、目のやり場に困る。
目を見て話そうとする春乃さんと、見たいけど見てはいけないと思う俺。二人で妙な攻防を続けていると、ルリトラが干し肉をくわえたまま尋ねてくる。
「それで、水の女神は何か要請してきたのですか?」
「ああ、引き返す事をオススメするってさ。こっちは危ないと思ったら助けに行くと言い返したけど」
「ふむ。危ない、ですか……」
ルリトラはくわえた干し肉をプラプラさせながら考え込む。おそらく「危ない」とはどういう状況かと考えているのだろう。
「というか、向こうの要求がここと交易する事らしくてな」
「それは信じられるの?」
「微妙」
これまでの経験から考えると問答無用で何か企んでるに違いないと言いたいところだ。
しかしこれまでに無い動きに、俺も正直なところ戸惑っている。
「もし本当に交易の交渉なら、そこに乗り込んでも……」
「本当にそうなら……ですね」
「そこなんだよなぁ、問題は」
はっきりと言ってしまうと、ある理由から水の女神に会いに行くのはほぼ確定だ。だからこそ『魔犬』の目的を考え、備えねばならない。
よし、ちょっと整理してみよう。
まずは、そもそも魔王軍が交易を申し込んでくるのは有り得るのかだ。
そう皆に問い掛けると、クレナが立ち上がり本棚から一冊の本を取って戻ってきた。
「ねえ、この日記……」
彼女が持ってきたのは、交易で財を築いたという商人の日記だ。
あれから読み進めていき、彼はネプトゥヌスを拠点にハデス・アレス間をキャラバンで行き来していたという事が確認できた。
財を築いた後も自ら先陣に立ってキャラバンを率いていたのは、各地の名物を食べ歩くためだったらしい。日記もその辺りはかなり力を入れて書いている。
また日記の途中で魔王が召喚された事についても触れられており、それを祝ってハデスでお祭りがあったとも書かれていた。
なお日記の主は、商売のチャンスだとはしゃいでいた様子が記述から見て取れた。
その後もキャラバンで行き来していた記述があるという事は、当時のハデスは魔王アマン・ナーガが召喚された後も、普通に周辺国と交易をしていたという事だ。
しかもヘパイストスの商人に競り合いで負けて悔しいみたいな事も書いてあったので、相手はアレス、ネプトゥヌスだけではなかったと思われる。
ちなみにラクティは普段から降臨していた訳ではないらしく、この辺りの事情はさっぱり知らなかった。
「意外と普通に交流していたんですね……」
日記をパラパラとめくりながら春乃さんが呟く。彼女も光の女神の祝福のおかげで古代の文字でも読める。
「そう考えると今回交易を申し込んできたのも、特に不自然ではない……のか?」
「海の底という事を除けば、ですな」
「ああ、水の都の存在は当時から知られていたはずよ」
「でも交易とかはして無かったよな?」
「そういう交流があったら、バシノムの記録が残ってたと思うわ」
「ああ、なるほど」
なるほど、魔将が交易を申し込みにくる事自体は不自然ではないか。魔王軍だって活動資金が必要だろうしな。
しかしどうして水の都を選んだのかは分からない。そして罠の可能性も否定できないといったところか。
では次に罠の可能性について考えよう。
たとえば、攻め込む前準備としての交易というのは考えられるだろうか。
これは有り得ると思う。商人に混じって兵を潜入させておくとか色々とやりようがありそうだ。水の都という立地条件に、それがどれだけ有効なのかはともかく。
「攻め込む前準備以外の可能性を考えるなら……やっぱりスパイか何かを潜入させるのが有り得るか?」
「確かに、攻めなくても色々と工作はできますよね」
「スパイって情報ゲットして、他所のスパイと戦うんでしょ?」
「……それ映画か何かですか?」
「ゲームだよ」
雪菜は微妙にスパイを勘違いしていそうだが、他の面々はもっと分からないだろう。
案の定、皆不思議そうな顔をしていた。こちらの世界の人達には分からないであろう、同郷三人の会話である。
ここでおずおずと、ラクティが手を挙げる。
「あの~……もうひとつ可能性があると思うんです。ほら、前に聞いたじゃないですか、『闇の王子』が魔王を復活させる方法を探しているって」
「…………あ」
しまった、その可能性もあったか。
そういうのはラクティの封印を解いた時のように光か闇の力が必要だと思っていたから考えていなかった。先入観に囚われていたようだ。
皆も呆気にとられた顔をしている。考えてみれば今の魔王がどういう状況なのか正確には分からないのだ。復活させられるものが水の女神の下にあってもおかしくはない。
「『魔犬』が『闇の王子』の命令で動いている可能性もありますな」
「魔王の息子らしいからな、十分有り得る」
「どうする? これ、罠の可能性が一気に上がったんじゃない?」
「正確には罠じゃなくても行く必要が出てきた、だな」
魔王復活についてもあくまで可能性に過ぎないが、看過はできない。
それ以外を考えても、真っ当に交易だけする可能性は低い。
「決めた。皆、水の女神に会いに行くぞ」
「でもこの都、結構大きいわよ? 場所は分かるの?」
「お昼を持ってきてくれる人に聞いてみましょう」
朝食の人に聞けば手っ取り早かったが、仕方がない。ここはひとまず準備を進めながら待つとする。
「よし皆、準備開始だ。最悪、魔将と戦いになる事も考えられる。ルリトラ、武器も用意しておくぞ」
「分かりました」
「リウムちゃん、グラン・ノーチラス号の武装もチェックしておいてくれ」
「分かった……パルドー達と一緒にやる」
魔王軍に何か企みがあると疑っている以上、戦闘を想定する事も忘れてはいけない。
後は動き出すだけだと立ち上がったところで、デイジィが近付いてきて俺の肩にちょこんと腰掛けた。
「なぁ、逆にさ、ホントに罠とか無くて交易の話をしに来てるだけだったら、そこに乗り込んでどうすんだ?」
そしてこんな事を尋ねてきた。
確かにそれは問題だ。だが、それについても考えはある。
「デイジィ、そういう相手なら話が通じるって事だ。こっちも普通に話せばいい。会いに行く理由もあるし」
「理由? ああ、ラクティが水の女神に会いにきたとか?」
確かにそれも理由になるな。場合によってはそれを理由にするのもいいだろう。
相手の出方によっては、こちらももう少し踏み込んでみるのだ。
クレナを見ると、釣られたのか皆の視線も集まった。
皆はどうして彼女なのかと疑問に思っているようだが、当のクレナは心当たりがあるのだろう。少し呆れ気味の顔で小さなため息をついた。
「それ……やってもいいの?」
「可能な相手ならな。またとないチャンスだろう?」
「……まぁね。『闇の王子』と同じ五大魔将『魔犬』、情報源としてこれ以上は無いわ」
そう、それこそが水の女神に会いに行く理由だ。女神に危険があれば守るのはもちろんなのだが、並行して考えねばならないのがそれである。
クレナの父だと思われる『闇の王子』の情報を知りたければ、これを逃す手は無い。
「『闇の王子』が子供作って逃げた訳だからな、色々言ってやってもいいだろ」
「そうですね、まずは認知を求め、父親として責任を取ってもらいましょう」
「こういう時は養育費を請求するんだっけ?」
「ヨ、ヨー……? え? 何それ?」
こちらの世界の人達には分からないであろう、同郷三人の会話パート2であった。




