第93話 景色じゃ腹はふくれない
ネプトゥヌス・ポリスから出航した後は、しばらくは明るい海面近くを航行して、エメラルドブルーの世界を雪菜に見せてあげる事にする。スピードは変わらないしな。
舵輪を握るのはパルドー。シャコバとマークも操舵できるので、基本的にこの三人で交代しながら進んでいく事になる。
キャノピーに覆われた甲板から見上げてみると、波間から差し込む幾筋もの光が群れをなして泳ぐ魚のウロコをきらめかせ、まるで童話の世界に入り込んだかのような幻想的な風景を作り上げていた。
あんぐりと口を開けて海を見上げている雪菜の姿を見ていると、小さい頃に童話を読み聞かせていたのを思い出すな。
その好奇心に輝く目はあの頃と同じで、見ているこちらの顔もにやけてしまう。
「海見なさいよ、海」
そのままリウムちゃんと一緒にキャノピーに張り付く雪菜を見ていると、隣のクレナにツっこまれてしまった。
「……そういうクレナも、海見てないよな?」
「私、『水のヴェール』が使えるのよ? 水中の光景ってそれなりに見慣れてるのよね」
ヘパイストス・ポリスでレムノス火山のガス地帯を抜けるために使った魔法だな。本来は水中で活動するためのものだ。彼女は、その本来の用途で使った事があるらしい。
「でも、こっちの方がきれいなのは確かね。前にやった時は川で、ちょっと濁ってたし」
「潜る程の川って流されないのか?」
「斜めに進めばいいのよ」
そんな会話をしつつ、グラン・ノーチラス号は海中を進んでいく。
陸に近い内は海獣類と呼ばれる大型モンスターも出ないので、半日ほどその水深を維持していたが、皆ずっと甲板から離れなかった。
雪菜はラクティ、リウムちゃんと並んでキャノピーにへばり付いている。その姿は水族館に遊びに行った子供達だ。
「さて、そろそろ水深を下げていくか」
「分かったにゃ」
聞くところによると、深海に潜む大型海獣は海面近くの魚群を餌にしており、その影を目掛けて襲い掛かってくるそうだ。漁船の影が、ターゲットにされる事もあるとか。
逆に下はあまり見ていないそうなので、海底近くを進んだ方が安全だろうとギルマンの水神官は言っていた。
下の獲物に襲いかかると海底にぶつかってしまい、その強大なパワー故に大ダメージを食らってしまうという切実な理由もあるらしい。
「カバー下ろすにゃ」
パルドーが舵輪のボタンを押すと、白いカバーが下りてきてキャノピーを覆っていく。これは深海の水圧に耐えるためのものだ。
深くなると光が届かず真っ暗になるため、覆ってしまっても問題がないというか変わりがない。ここから先は、水晶術で作られたレーダーが頼りだ。
これは電波ではなく魔法の波動で探知しているようで、魔法が使えない生物には一切関知されない優れものである。
何にせよ、外が見えなくなったらこの集まりはお開きだ。操舵するパルドーとレーダーを見るマークの二人を残して俺達は『無限バスルーム』に戻るとしよう。
そうだ、後でクリッサに差し入れを持っていってもらおう。サービスである、誰に対してとは言わないが。
「お兄ちゃん、私達はどうするの?」
「荷物の整理です」
「……えっ?」
「荷物の整理」
大事な事なので二回言いました。
一日も早く出発するために、その辺を後回しにしていたのだ。そのため『無限バスルーム』内は、かなり乱雑な状態になっている。
水の都に到着するまでの時間は、主にこの荷物の整理に費やされる事になるだろう。
コパンさんがオークションで手に入れたものも全容を把握しきれてない。
「食料の整理は、ロニとクリッサに頼む」
「分かりましたっ!」
「お任せにゃ」
食料の整理は、普段から料理を担当しているロニ達が使いやすい事が大切だ。
「ルリトラは二人を手伝ってやってくれ」
「了解です」
量的にはここが一番多いだろうから、力仕事はお任せのルリトラも指名しておく。
「装飾品と骨董品に関してはシャコバに任せる。呪われた品は、まとめておいてくれ。後でまとめて呪いを解くから」
「目録作っとくにゃ」
それはありがたい。やっぱり専門家がいると頼もしいな。
「宝石は、リウムちゃんね」
「……任せて」
リウムちゃんは、口元を微かに動かして笑みを浮かべた。
宝石は水晶術でもよく使うものらしく、彼女は宝石の鑑定ができるのだ。
換金用の加工していない宝石だが、必要なものがあれば使っていいと言ってあるので、余計にやる気を出しているのだろう。
「クレナは本を頼む」
「結構増えたわねぇ」
「本棚の方は、まだ余裕があるけどな」
ハデス・ポリスから持ちだした魔法の本棚だが、中は結構寂しい状態だったのだ。
それを見ていたら収集欲が騒いで、いずれ貴重な本で埋めてしまいたくなってしまうのも無理は無い、と思いたい。
ちなみに増えた本というのは、コパンさんがオークションで手に入れたものだ。
以前換金性が高いのが九割と言ったが、残りの一割がこの古文書や巻物の類だった。
隠された財宝の手がかりが眠っているかも知れないと割と高値で取り引きされるものらしく、それを専門に狙う蒐集家もいるそうだ。
換金性が高いのも確かだが、うまく財宝を見つけられたら更に儲かるという事なのか。
もしかしたらコパンさんのサービス?かも知れない。もっとも彼の事だから、縁があればまた自分にオークションをさせて欲しいぐらいは考えているだろうが。
それはともかく、光の女神の祝福のおかげで古文書を読むのは苦にならないので、こういうのは大歓迎である。
できれば俺も整理に参加したいところだが、他にもやる事があるので彼女に任せよう。
歴史研究家でもあるクレナならば大丈夫なはずだ。
ここで声を掛けられなくて寂しかったのか、雪菜、ラクティが一斉に飛びついてきた。
「お兄ちゃん、私は? 私は?」
「私もお手伝いしますよ~っ!」
雪菜は首に、ラクティは腰にしがみつく。
今にも泣きそうな顔をしないでくれ、忘れていた訳じゃないぞ。
「二人は、俺と一緒にがんばってもらう」
「一緒に? やったぁ♪」
「何をすればいいんですか?」
「他全部」
「……えっ?」
「だから、他全部」
大事な事なので二回言いました、再び。
専門的なものはそれぞれに任せているが、荷物は他にも色々とあるのだ。
たとえば長旅に向けて買い足した日用品。『無限バスルーム』の備品もあるが、それで全てが賄える訳ではないのだ。
それにシャコバの負担が大きくなり過ぎると思って、装飾品になっていない換金用の宝石や貴金属のインゴットなどはこちらで整理する事にしている。
武器・防具も結構多い。ハデス・ポリスで得たものの内、まだ使えそうなのはパルドー達に打ち直してもらっているからだ。
使えないものは再利用するため鉄・鋼鉄のインゴットにしてもらっているが、そちらもまた多くなってきていた。後でパルドーに任せる事になるだろが、まとめて脇にどけるぐらいはしておかないとスペースが空かないので困る。
「という訳で、まずはお金からだな」
そして、意外と馬鹿にしてはいけないのがコインである。紙幣と違って大金になってくると重量がとんでもない事になる。
「お兄ちゃん、お金持ちなんだね……」
「魔王城の財宝、根こそぎにしてきたからなぁ」
おかげで今は、結構余裕をもって旅ができている。
「どこに置いておきますか?」
「押し入れ……かな?」
「へそくりみたいだよ、それ」
呆れ顔で雪菜は言うが、目立つところに置いておくものでもないだろうし、他に置く場所が思い当たらないのだ。
まぁ、今日だけで終わらせる必要はない。皆も担当の整理が終わったら、手伝ってくれるだろうから、じっくりやっていこう。
まずは和室にシーツを広げ、その上にコインを広げる。コインは金貨、銀貨、銅貨とあるので、種類ごとに分けてしまっておくのだ。
和室でやるのは、単に分けて宝箱にしまった後運ぶのは重そうだからである。
まず和室に運ぶのも大変なのだが、そこは俺の仕事だろう。
シーツの上にぺたんとお尻を付けて座りコインを選り分ける二人をよそに、俺はどんどん箱やら袋やらを運び込んでいく。箱は流石に重過ぎたので何回かに分けながら。
「ねぇ、お兄ちゃん……」
そして最後の一袋を抱えて和室に入ったところで、雪菜が声を掛けてきた。手にはくすんだ銅貨を持っている。
「どうした?」
「十円玉をさ、ミカンの汁に入れたらピカピカになったよね?」
「ああ、あったな。試してみた事はなかったけど」
やろうとしたけど、結局二人でミカンを食べてしまったのだ。
「あの蛇口から出てくるオレンジジュースでもピカピカになるのかな?」
「……どうだろ?」
あれは確か酸によって表面の酸化銅が溶けるが、本体の銅は溶けないから汚れが落ちるという理屈だったはずだ。
あの蛇口から出てくるオレンジジュース、栄養は本物と変わらないはずだが、成分もやはり同じで酸性なのだろうか。
雪菜と二人でラクティの方を見てみるが、彼女はぷるぷると首を横に振るばかり。どうやらできない、ではなく分からないと訴えているようだ。
「試してみよっか?」
「そうだな、ダメでも洗えばいいし……汚れた銅貨を集めといてくれ」
「銅貨だけなんですね、分かりました」
とりあえず銅貨を入れておくものとして檜の桶を二つ持ってきた。
すると二人は「これもキレイになるかな~?」とかおしゃべりしながら手を動かしている。それに合わせて雪菜の尻尾も楽しげに揺れていた。
除けられた金貨と銀貨は、俺がそれぞれ押し入れの中の宝箱に収めていく。
「お兄ちゃ~ん♪」
「集まりましたよ~♪」
しばらく作業をしていると、楽しそうな笑みを浮かべた二人が半分ほど銅貨が入った桶を見せてきた。
せっかくだし早速漬け込んでみるか。受け取った桶を両手に持ち、二人を連れて水の女神蛇口の部屋へと向かう。
「あら、どうしたの?」
すると中央の部屋、今やリビングルームとなった所で本の整理をしていたクレナが声を掛けてきた。
「ちょっとオレンジジュースで銅貨が綺麗になるか試してみようと思ってな」
「……どういう事?」
クレナも興味を持ったのか付いてきたので、汚れが落ちる原理を説明しながら蛇口の部屋に入った。
彼女達の常識では、サビは磨き粉を使って落とすものらしく、コインにやろうものなら表面の模様が薄くなって価値が無くなってしまうそうだ。
桶一杯にオレンジジュースを注ぐと、雪菜とラクティが目を輝かせて覗き込む。しばらく放っておいた方がいいぞ、そんな急に変化はしないだろうから。
「ねぇ、そっち時間が掛かるなら、ちょっとこれを見てもらえる?」
「ん?」
クレナの持っていた本を受け取りパラパラと軽く読んでみると、かなり古い日記らしい事が分かった。
「これもオークションでか? なんでこんなものが……」
「有名な人のものならね。この日記は貿易で財を築いた大商人のものよ」
「へぇ……」
自叙伝みたいなもの、いや、ちょっと違うか。でも、商人にとってはありがたい事が書いてあるかも知れない。
クレナが肩を寄せてきて本を覗き込み、ページをめくり始める。
「でね、これを見て欲しいのよ。ほら、ここと、ここ……」
そしてあるページで手を止めると、三箇所を指差してみせた。
「ハデス……アレス……ネプトゥヌス?」
そこには魔王軍の本拠地であったハデス、そして当時ハデスの味方をしていたというアレス、そして先程まで俺達もいたネプトゥヌスの名が書かれていた。
どういう事かと周辺の文章を読んでみると、どうもこの商人はハデスとアレスの間で商品を売買して財を築いたらしい。
「……ちょっと待て、これネプトゥヌスを経由して貿易してないか?」
「ハデスから一番近い港は、ネプトゥヌスだからね」
「いつ頃の人だ? 当時は普通にハデスから商品を持ち込む事ができていたのか?」
「五百年ほど前、ハデスが健在だから、多分魔王がいた頃か、それ以前でしょうね」
つまりこれは初代聖王と魔王の戦いが始まる前の時代の日記という事か。
これを調べれば、当時の真相を掴む事ができるかも知れない。
「荷物の整理が終わったら調べてみよう」
「ええ、早く整理を進めましょう」
またやる事が増えたな。
桶はまだまだあるので、漬け込みと並行してどんどん作業を進めていくとしよう。
「雪菜、ラクティ、そろそろ戻るぞ」
俺は二人に声を掛け、和室に戻り作業を続ける事にした。
なお、銅貨は結局半日程オレンジジュースに漬け込んでいたが、ものの見事に汚れが落ちて、クレナも見た事が無いぐらいにピカピカになった。
特に雪菜とラクティは大喜びで、リウムちゃんにどうして呼ばなかったのかとジト目で言われてしまった。
結局綺麗になっても価値は上がらないと言われてしまったが、金貨に負けないぐらい輝く銅貨の山を見て、妙な満足感に浸っていたのはここだけの話である。
ミカンやレモンの汁、タバスコなどで十円玉が綺麗になるというのは有名な話ですが、これは酸化を早めたり、質量を減少させたりと硬貨を劣化させてしまうそうです。
古銭価値も落ちる上、貨幣損傷等取締法で罰せられる可能性もあるそうですのでご注意ください。




