79話
ポートベストルでの二日目の夕食は、昨夜とは趣を変え、船で運ばれてきたらしい異国の香辛料をふんだんに使った料理が並んだ。
真っ赤なソースを使った煮込み、スパイスでマリネされた焼き魚、独特の香りがするスープなど、どれもこれも食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「ほう、これはまた珍しい品々ですな」
バルカスが並べられた料理を見て言った。
ユートも目を輝かせた。
異国のスパイスを使った料理は、アルテナでもあまりお目にかかれない。一口食べてみると、舌の上でピリリとした辛さが広がるが、同時に香辛料の複雑な香りが食欲を刺激する。
「美味しい! スパイスが効いてて、体が温まりますね」
ユートは美味しそうに食べる。
すると、隣に座っていたレナータが珍しく口を開いた。
「…辛いですが、美味しいですね。体がポカポカします」
彼女は淡々と食べ進めているが、その表情は少し満足そうだ。
ユージーンも一口食べると、最初は戸惑っていたが、その複雑な風味と刺激的な辛さに興味を示したようだ。
「これは…フリューゲルにはない味です。温まります…」
彼もピリ辛の料理を楽しんでいる様子だ。
一方、リリアとリナ、そしてセーラは、そのピリ辛加減に少々苦戦していた。
「ひぃ! からっ!」
リリアは一口食べただけで、思わず舌を出しそうになる。水で口を冷やしながら、辛くない料理を選んで食べることにした。
「リリア様、大丈夫ですか? 無理なさらないでくださいね」
セーラが優しく声をかけ、自分の皿から辛くないものを取り分けてやる。
リナも、少しだけ辛いものに挑戦してみたが、リリアと同様にすぐに水を求めることになった。
「辛いですねぇ…ユート様やレナータさんは、凄いですね…」
エルザも、それほど辛いものは得意ではないようで、ゆっくりと食べ進めている。
結果的に、ピリ辛料理の多くは、辛いものが平気なユート、レナータ、そして意外にもユージーンが中心となって平らげた。昨日と今日の食事は対照的で、皆それぞれに好き嫌いはあったものの、異世界の港町での食事を楽しんだ。
食後、部屋に戻って明日以降のスケジュールについて軽く打ち合わせをした後、皆は就寝した。ユートは明日、早朝に起き出して、遊覧船の手配などを試みるつもりだ。
まだ港が夜明け前の薄明かりに包まれている頃、ユートはそっとベッドから抜け出した。起こさないように身支度を整え、部屋を出る。廊下を静かに歩き、階下へ降りる。宿の入り口はまだ薄暗く、番人の老人が船を漕いでいた。
「すみません、少し出かけたいのですが」
ユートが声をかけると、番人は眠そうな目をこすりながら頷き、扉を開けてくれた。
ポートベストルの早朝は、まだ活動を始めたばかりで、静寂の中に波の音だけが響いている。潮の香りがより一層強く感じられる。ユートは目指す港の方角へ歩き出した。
彼の目的地は、昨日目星をつけておいた漁師組合や、観光客向けの船を扱っている事業所だ。早朝なら、漁師たちが仕事の準備を始めており、交渉しやすいかもしれない。
波止場に到着すると、いくつかの船がすでに動き出しており、漁師たちの掛け声や、積み荷の音が聞こえてくる。ユートは邪魔にならないようにしながら、人の流れを見極め、交渉に適した場所を探す。
しばらく探して、港の一角にある古びた建物に『遊覧船案内所』と書かれた小さな看板を見つけた。まだ電気はついていないようだが、扉は少し開いている。
ユートは中に入り、声をかけた。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」
しばらくして、建物の奥から寝ぼけ眼の初老の男性が出てきた。おそらくこの案内所の主人だろう。
「ん? なんだ、こんな朝早くに。もうすぐ開けるがな」
男性は怪訝そうにユートを見た。
「申し訳ありません。実は、観光客のグループなのですが、今日一日、船をチャーターしたいと思いまして。遊覧や釣りをさせて頂きたいのですが、可能でしょうか?」
ユートは単刀直入に尋ねた。
男性はユートを見て、ふむ、と考えた。
「チャーターかい? うちは小さな船がいくつかあるがな…今日一日貸し切るとなると、いくらか金がかかるぞ」
「はい、費用は問題ありません。できれば、港の周辺からあまり離れず、景色を楽しんだり、魚がたくさん釣れるような場所に案内して頂けるとありがたいのですが」
ユートは条件を伝えた。港から離れないのは、安全面と、海に慣れていないメンバーがいることを考慮してだ。
男性は、ユートの服装や立ち振る舞いを見て、普通の観光客とは違う気配を感じ取ったようだ。ただ者ではないと思ったのかもしれない。金銭的な余裕もあるようだと見て取ると、商売人としての顔になった。
「よし、分かった。今日の午前中に一隻、貸し切りの手配をしてやるよ。遊覧も釣りも可能だ。案内人もつけるから安心せい。安全な場所を選んで、港から近場の、景色が良いところを回ってやろう。」
「ありがとうございます! 費用はどれくらいになりますか?」
男性はチャーター料と案内人の費用を提示した。ユートはそれを聞き、提示された額の金貨を取り出して男性に手渡した。金銭面での交渉は一切しなかった。提示額を受け入れたことで、男性はユートが信用できる相手だと判断したようだ。
「お、おい! こんなに早く…」
男性は差し出された金貨の量に驚き、そして嬉しそうに金貨を受け取った。
「これで手配をお願いします。午前中の早めの時間でお願いします」
ユートは改めて依頼を念押しした。
「任せときな! 今日一日は、海の上で最高の一日を過ごさせてやるよ!」
男性は威勢の良い声で請け負った。
ユートは男性に礼を言い、遊覧船案内所を出た。朝日が水平線から昇り始め、街は徐々に色を取り戻しつつあった。手配が上手くいったことに安堵しながら、ユートは宿へと戻る足を進めた。
宿に戻ると、ちょうど皆が朝食を終え、出発の準備をしているところだった。
「ユート部長、どこに行かれてたんですか?」
バルカスが尋ねる。
「ええ、実は皆さんにサプライズがありまして」
ユートは笑顔で答えた。
「サプライズ?」
リリアが首を傾げる。
「早朝に起きて、波止場に行って、船を一隻、貸し切りの手配をしてきました。午前中は遊覧船に乗って、海に出られます。遊覧だけでなく、釣りも楽しめますよ」
ユートの言葉に、皆が目を見開いた。
「えぇ!? 船を貸し切りに!?」
リリアが目を丸くする。
「しかも釣りも!? 凄い…!」
リナも興奮する。
セーラも驚きを隠せない様子で、「ユート様…そのようなことを、お一人で…」と言った。
「港の周辺からあまり離れない、比較的安全な場所を回ってくれるそうです。これで、リリアさんやリナさん、セーラさんも安心して海を満喫できると思いますよ」
ユートは説明した。
バルカスは「貸し切りですか…さすがユート部長ですな」と感心したように頷く。エルザとレナータも、少し驚きながらも、顔には安堵の色が浮かんでいた。これで自分たちの任務も少し楽になるだろう。
ユージーンは、海の上に出るということに少し緊張した面持ちだったが、それ以上に、皆が喜んでいる様子を見て、自身も少しずつ期待感を膨らませているようだった。
突然のサプライズに皆が喜び、感心していた。




