63話
ダリウス会長から新しい部署『特別調査部』への配属が宣言されてから、ユートたちは目まぐるしい日々を送っていた。
元の部署での引き継ぎ作業は山積みで、商業部のカインは大量の書類と格闘し、輸送部のミアは後任への馬車の管理方法の指導、総務部のエマは経理データの整理と引き継ぎに追われた。
護衛部のエルザたちも、担当していた警備区域の引き継ぎや、部下への指示で息つく暇もない。
それと並行して、新しい部署で使う物の準備も進めなければならなかった。地図、各地域の資料、文房具、食器等の日用品、野営道具、武器防具の手入れ……。リストアップされた必要な物は多岐にわたり、各部署に手配を依頼したり、自分たちで市場へ買い出しに行ったりと、全員が猫の手も借りたいほどの忙しさだった。ユートも、部長として全体の進捗を確認しつつ、自身の準備に奔走していた。
ユージーンも、まだ商会の仕事には慣れないながら、積極的に手伝い、新しい環境に馴染もうと努力していた。
そんな忙しい日々が続いたある日。ついに、新しく改装された特別調査部専用の建物が完成した。
商会敷地内の一角に建てられた、石造りの3階建ての立派な建物だ。現在の調査部の人数にしては、かなり大きい印象を受ける。
その日は、ダリウス会長をはじめ、バルド、ゴードン、ライオス、アルバン、エレナら各部長達も集まり、ささやかながら落成式のような催しが開かれた。新しい部署の門出を祝う、和やかな雰囲気だ。
各部長から、ユートへ言葉が贈られた。
「ユート部長、期待しているぞ。いざという時は、君たちの力を頼むことになるだろう」
「調査に必要な物資があれば、いつでも輸送部が用意する。遠慮なく言ってくれ」
「君たちの集める情報が、今後の商会の戦略を左右するかもしれん。正確な報告を期待する」
「経理や事務的なことで困ったことがあれば、いつでも総務部を頼ってくれたまえ」
「ま、せいぜい面白い発見をして、あたしの研究材料を持ってきな!」
それぞれの労いと期待の言葉に、ユートは身が引き締まる思いだった。
最後に、ダリウス会長が、改めてユートに告げた。
「ユート部長。君たちの部署は、今後、重要な機密なども取り扱う可能性がある。それを考慮し、この調査部の建物には、君たちメンバーの他に、日替わりで護衛部の者を常駐させることにした。一階の玄関に、それ用の部屋も既に用意してある。部外者の侵入を防ぎ、情報漏洩のリスクを最小限にするためだ。理解してほしい」
「はい、承知いたしました」ユートは頷いた。この部署の重要性を改めて認識させられる。
催し物が終わり、いよいよ新しい建物への家具や必要な物の搬入が始まった。メンバー総出で、机や椅子、棚、書類、個人の荷物などを運び込み、それぞれの部屋を整えていく。
部屋割りについては、事前にユートとエルザ、エマで相談して決めていた。
2階は、部長であるユートの執務室と私室、そして補佐役のセーラ、新加入のユージーン、ベテラン護衛のバルカスとドランの私室、そして来客用の客室を配置した。機密性の高い情報や、ユートの秘密に関わるメンバーを近くに置くという意図もあった。
3階には、カイン、エマ、ミア、エルザ、そして三つ子の私室が割り当てられた。
しかし、この部屋割りが発表されると、少し揉めることになった。
「えー! なんで俺たちだけ3階なんだよー!」リックが不満の声を上げる。
「そうだそうだ! ユート部長やセーラ姉ちゃんと同じ階がいい!」ロイも続く。
「……(むすっとしている)」レックスも不満そうだ。
「あんたたち、わがまま言わないの! 部屋があるだけありがたいと思いなさい!」エルザが弟たちを叱りつける。
「だってよー、バルカスさんたちばっかりズルいじゃんか!」
「そうだそうだ!」
三つ子の不満は収まらない。バルカスとドランは苦笑いを浮かべている。
「まあまあ、皆さん落ち着いてください」エマが宥める。
「3階も日当たりは良いですし、眺めも良いですよ?」
「そういう問題じゃなくて……」
結局、エルザの「いい加減にしないと、訓練メニュー3倍にするよ!」という一喝で、三つ子は渋々ながらも納得した(諦めた?)。
ユートは、そんな騒動を横目に、まだ荷解きの済んでいない執務室に入り、真新しい椅子に深く腰掛けた。
窓から差し込む午後の光が、部屋の中を暖かく照らしている。これからここで、様々な任務に取り組み、仲間たちと共に未来を切り拓いていくのだ。
期待と責任の重さを感じながら、部屋を見渡していると、コンコン、と扉がノックされた。
「ユート様、失礼します」
入ってきたのはセーラだった。彼女の手には、湯気の立つカップが二つ乗ったトレイがある。
「少し休憩なさいませんか? 遠方の商人から仕入れた、珍しい飲み物だそうです。とても良い香りがしましたので」
セーラは微笑みながら、カップの一つをユートの前に置いた。
カップからは、香ばしい、どこか懐かしい香りが立ち上る。ユートは懐かしさを覚えながら、カップを手に取り、一口、口に含んだ。
(……この香りは……そして、この味は……!)
爽やかでありながら深い苦味が口の中に広がり、鼻腔を抜けていく。ゴクリと飲み込むと、心地よい余韻が残る。
それは、紛れもなく『珈琲』だった。元の世界で、夜勤明けによく飲んでいた、あの味だ。
「……美味しいですね。ありがとうございます、セーラさん」
ユートは、込み上げる感慨を抑えながら礼を言った。
「お口に合ってよかったですわ」
ユートと共に珈琲を飲みながら、セーラは隣の椅子に座り、優しく微笑んだ。
(ユート様、少しお疲れのようだったから……。この飲み物、気に入ってくださったみたいで良かった。新しい部署、部長というお立場……きっと、これからもっと大変なことが待っているはず。私にできることは少ないかもしれないけれど、せめて、こうしてユート様のそばで、少しでも安らげる時間を作って差し上げたい。……ううん、私が、ユート様のそばにいたいだけなのかもしれないけれど……)
彼女の瞳には、ユートへの深い信頼と、そして確かな愛情が映し出されていた。
自室への荷物を運び終えた他の面々も、コーヒーの香りに誘われたのか、あるいは単に休憩したかったのか、ぞろぞろと執務室に集まり始めた。
「お、ユート部長、もうサボりっすかー?」
「いい匂い! 何飲んでるんですか?」
「少し休憩にしませんか?」
新しい執務室は、早くも仲間たちの賑やかな声で満たされ始めていた。
ユートは、珈琲の温かさと、仲間たちの存在に、心からの安らぎを感じるのだった。
進展ですね。
ユートが昇進して部長になりました。
これからまだまだお話は続くのでよろしくお願いします。




