52話
翌日の夕暮れ時、ユート、セーラ、レナータの3人は、約束通り、街外れにある古い石橋へと向かった。川のせせらぎと、遠くで鳴く鳥の声だけが聞こえる静かな場所だ。橋のたもとには、先日会った狐耳の子供とその母親、そしてもう一人、フードを目深にかぶった人影が立っていた。
近づくと、フードの人物はゆっくりと顔を上げた。現れたのは、年の頃は四十代ほどだろうか、狼の獣人の男性だった。
鋭い金色の瞳には深い疲労と警戒の色が浮かび、顔には古い傷跡がいくつか見える。
手入れされていない毛は伸び放題で、着ている服も所々擦り切れ、若干汚れており、苦労の多い生活を窺わせた。
「……あんたたちが、ハーネット商会の者か」
男性は、低い、掠れた声で言った。
「はい、私がリーダーのユートと申します。こちらはセーラ、レナータです」
ユートは丁寧に名乗り、頭を下げた。
「……ユージーン・メニ・イェルフ。それが俺の名だ。まあ、ユージーンでいい」
彼はぶっきらぼうに名乗った。やはり、彼が『緋色の爪』の末裔なのだろう。
「母親から話は聞いた。陽炎石を探しているそうだな。だが、悪いが手助けはできん。俺は今、追われる身なんでな」
ユージーンは、きっぱりと協力を拒否した。
「追われる身……? 一体、何があったのですか?」
ユートが尋ねると、ユージーンは忌々しげに舌打ちした。
「……色々だよ。直近では、くだらん借金だ。それだけじゃない。俺たちが『緋色の爪』の末裔だと知って、襲ってくる連中もいる。……そもそも、もう陽炎石なんぞに関わりたくないんだよ。あんな石、ロクなもんじゃない」
彼の言葉からは、一族が辿ってきたであろう苦難と、陽炎石に対する複雑な感情が滲み出ていた。
ユートは食い下がろうとしたが、ユージーンは「話はそれだけだ」と一方的に打ち切り、紹介してくれた母親と子供に短く礼を言うと、背を向け、街外れの寂れた方へと向かって歩き去ってしまった。
「……行ってしまいましたね」セーラが残念そうに呟く。
「仕方ありません。追われる身の上では、警戒するのも当然でしょう」レナータは冷静に分析した。
ユートは、ユージーンの去っていった方角を見つめていた。
(会ってくれただけでも、そして理由を話してくれただけでも、義理堅い人なのかもしれない……)
一行はその場を後にした。
翌日、ユートは諦めきれず、再びセーラとレナータを伴って街外れへと向かい、昨日ユージーンが去っていった方向を探した。
幸い、それほど時間はかからず、粗末な小屋を見つけ、そこにユージーンがいるのを確認した。
ユートたちが訪ねていくと、ユージーンは訝しげな顔をしたが、追い返すことはせず、小屋の中へと迎え入れてくれた。小屋の中は狭く、質素だが、最低限の生活は送れるようだった。
ユートは、宿から持ってきた保存食や温かい飲み物などを差し出し、改めて陽炎石について話を聞きたいと切り出した。
ユージーンは、最初は渋っていたが、ユートたちの真剣な態度と、差し出された食事に少しだけ心を開いたのか、ぽつりぽつりと、一族の過去や陽炎石にまつわる古い言い伝えなどを語ってくれた。しかし、街で聞くような話ばかり新たな情報は得られなかった。
その間、他のメンバーは、商業組合で『緋色の爪』一族について、さらに詳しく調べていた。組合の記録や、古参の職員への聞き込みなどを行ったが、やはり没落後の詳しい消息は掴めなかった。
翌日、ユートたちの元に、商業組合から使いが来た。グスタフ組合長が会いたいと、面会の申し出があったのだ。ユートは訝しみながらも、断る理由もなく、カインとエルザを伴って組合へと向かった。
組合長室に通されると、グスタフ組合長は不機嫌そうな顔でユートたちを迎えた。
「ハーネット商会の…ユート殿だったかな。君たちが、『緋色の爪』について嗅ぎ回っているという話が、私の耳にも入ってきたぞ」
その言葉には、明確な非難の色が込められていた。
「……はい。我々が必要としている陽炎石について、何かご存知ではないかと思いまして」
「余計なことをしないでもらいたい」
組合長はきっぱりと言った。「あの一族に関わるのは、この街の平穏を乱すことになる」
「それは、どういう意味でしょうか? 理由をお聞かせ願えませんか?」ユートは食い下がった。
組合長は、しばらく黙っていたが、やがて忌々しげに口を開いた。
「……フン。まあ、いいだろう。あの『緋色の爪』の一族はな、かつて陽炎石の利権を独占し、この街で大きな力を持っていた。だが、その力を鼻にかけ、他の者たちを虐げ、街の秩序を乱したのだ。その結果、他の獣人一族や商人たちの反感を買い、没落した。自業自得だ。今後、あの一族が再び力を持つようなことがあってはならん。関わって欲しくないのだよ」
組合長の言葉には、強い憎悪が感じられた。それが真実なのか、あるいは一方的な見方なのかは今は分からない。
「……組合としては、あの一族がいなくなることが一番平和だと、そうお考えなのですね?」ユートは確認するように尋ねた。
「そうだ。どこかで野垂れ死にでもしてくれれば、せいせいする」組合長は吐き捨てるように言った。
「何と言ったか…少なくともあの男さえいなくなればな…」
ユートは、組合長の言葉に嫌悪感を覚えながらも、一つの可能性を探るために尋ねた。
「では、もし……彼がこの街から、完全にいなくなれば、問題はない、と?」
「……まあ、そうだな。目の前から消えてくれれば、それでいい」
組合長は、肯定の意を示した。
ユートは、組合長に一礼し、部屋を後にした。彼の言葉は、ユートにある決意を促していた。
また翌日、ユートは今度は調査隊のメンバー全員で、ユージーンの小屋を訪ねた。
突然の大勢での訪問に、ユージーンは驚き、警戒心を露わにした。
「ユージーンさん、驚かせてすみません」ユートは丁寧に挨拶した。「今日は、あなたに一つ、提案があって参りました」
ユートは、まずメンバーを一人一人紹介した。そして、単刀直入に切り出した。
「ユージーンさん。もしよろしければ、この街を出て、我々と一緒にここより南にあるアルテナの街へ行きませんか? そして、ハーネット商会で働きませんか?」
「……なんだと?」ユージーンは目を丸くした。
「あなたは、謂れのない迫害や借金取りに追われ、ここで苦しい生活を送っている。ですが、あなたの持つ知識や経験は、きっと我々の商会に役立つはずです。アルテナへ行けば、安全な住まいと安定した仕事を提供できます。もちろん、借金の肩代わりも相談に乗ります」
ユートは、真剣な眼差しでユージーンを見つめた。
ユージーンは、ユートの突然の提案に、しばらく言葉を失っていた。彼の金色の瞳が、戸惑い、疑念、そしてほんの少しの希望の間で揺れ動いているのが分かった。
「……魅力的な申し出では……あるな」彼は、ようやく口を開いた。「だが……」
ユージーンは、何かを言いかけて口をつぐんだ。そして、苦々しい表情で首を横に振った。
「……ありがたい話だが、断る。俺には、まだここで、やらねばならぬ事があるんでな」
彼の言葉には、何か固い決意のようなものが感じられた。
「そうですか……分かりました」
ユートは、それ以上無理強いすることはできなかった。彼には彼の事情があるのだろう。
「ですが、もし気が変わったり、何か困ったことがあれば、いつでも我々を頼ってください。しばらくは、この街の宿に滞在していますから」
ユートはそう言い残し、一旦引き下がることにした。
宿に帰り、メンバーたちは顔を見合わせた。
ユージーンの協力は得られなかったが、彼の抱える事情や決意の一端に触れることができた。陽炎石への道は、まだ閉ざされたわけではない。ユートは、ユージーンの「やらねばならぬ事」とは何なのか、そして、どうすれば彼の心を開くことができるのか、思案を巡らせるのだった。




