49話
陽だまり商会との協力関係を結んだ翌日。本格的な情報収集を始める前に、リーナから提案があった。
「ユートさん、皆さん。このフリューゲルには、街の外れに良い温泉があるんですって。北方の厳しい寒さで冷えた体を温めるには最高よ。せっかくだから、行ってみませんこと?」
リーナはウィンクしながら言った。長旅の疲れを癒すには、確かに良い提案だ。
「温泉ですか! いいですね!」ミアが真っ先に賛成する。他のメンバーも乗り気な様子だ。ただ、セーラは、少し躊躇うように俯いていた。まだ、人前で肌を晒すことに抵抗があるのかもしれない。
「セーラさん、無理にしなくても大丈夫ですよ」ユートが気遣うと、エマも「そうですよ、宿で過ごすなら私も一緒に…」と声をかけた。
「……いえ、大丈夫です。私も、行きます」セーラは小さく首を振り、少しだけ勇気を出すように言った。皆と一緒なら、少しは気が紛れるかもしれない、と思ったのかもしれない。
一行は、リーナとボルグに案内されながら、街の外れにあるという温泉施設へと向かった。
フリューゲルの街並みは、石造りの建物と、時折見かける獣人の姿が新鮮だ。
温泉へ向かう途中、道の真ん中でしくしくと泣いている、狐のような耳と尻尾がある小さな獣人の子供を見つけた。どうやら迷子になってしまったらしい。周りの大人たちは忙しそうに通り過ぎていく。
(……可哀想に。一人で心細いでしょうね……。まるで、あの時の私みたい……ううん、違う。この子は、ただ迷子なだけ。私が、しっかりしなくちゃ……)
セーラは、泣いている子供の姿に、無力だった自分自身の姿を重ね合わせ、胸が締め付けられるような思いがした。しかし、同時に、この小さな存在を守ってあげたい、助けてあげたいという強い衝動に駆られた。ゴブリンに襲われそうになったあの夜、何もできなかった自分とは違う。今の自分なら、この子を助けてあげられるかもしれない。そう思うと、自然と足が前に出た。
「あらあら、どうしたの?」
セーラが、思わずといった感じで子供に駆け寄り、膝をついて目線を合わせ、優しく声をかけた。最初は怯えていた子供も、セーラの穏やかな声と、心からの心配が伝わる優しい笑顔に、少しずつ心を開き始めた。
「おかあさんと……はぐれちゃった……」
「そう、大変だったわね。大丈夫よ、私がいるから。一緒にお母さんを探しましょう」
セーラは、子供の小さな手をそっと握った。その温かさが、セーラ自身の心にもじんわりと広がっていくのを感じた。
ユートたちも協力し、子供が話す母親の特徴や、はぐれた場所などを聞きながら、周辺を探し始めた。幸い、それほど時間はかからず、心配そうに子供を探していた母親を見つけることができた。
「まあ! この子ったら! 本当にありがとうございました!」
母親は何度も頭を下げ、子供も「おねえちゃん、ありがとう!」とセーラに懐いた様子で手を振っていた。
その子供の無邪気な笑顔と、母親からの心からの感謝の言葉に触れ、セーラの表情が、ここ数日見られなかったほど柔らかく、自然な笑顔になったのを、ユートは見逃さなかった。
誰かの役に立てたという実感、そして子供の純粋な笑顔が、彼女の心を、また少しほんの少しだけ溶かしてくれたのかもしれない。
目的の温泉施設は、山小屋風の素朴な建物だったが、中に入ると硫黄の香りが漂い、清潔に管理されているようだった。男女別の入り口をくぐり、一行はそれぞれ湯浴みの準備を始めた。
湯気が立ち込める扉を開けると、岩で組まれた風情ある露天風呂が広がっていた。乳白色の湯からは心地よい硫黄の香りが立ち上り、湯けむりの向こうには雪を頂いた雄大な北方の山々がそびえる。
「わぁ……!」
思わず感嘆の声が漏れる。先に体を清めた女性陣が、湯船へと足を踏み入れた。
セーラは、まだ少し緊張した面持ちだったが、温かい湯に肩まで浸かると、ふぅ、と長い息を吐き出した。強張っていた体がゆっくりと解けていくのを感じる。湯の温かさが、心の奥にこびりついた冷たい恐怖を、少しだけ溶かしてくれるようだった。水面に映る自分の姿に、まだあの日の残像が重なる気がして、そっと目を伏せる。
エマは、そんなセーラの隣にそっと寄り添い、優しく背中を撫でてあげている。彼女自身の柔らかな肌も湯気の中でほんのりと色づき、慈愛に満ちた表情はまるで女神のようだ。
レナータは、岩に背を預け、静かに目を閉じている。普段の張り詰めた空気が和らぎ、濡れた黒髪から滴る雫が、滑らかな肩のラインを伝っていく。その無防備な姿は、普段見せることのない女性的な一面を覗かせていた。
エルザは、湯船の縁に腰掛け、遠くの山々を眺めている。鍛えられた背筋は伸び、戦士としての厳しさが滲むが、その横顔にはどこか安らぎの色が見える。弟たちの騒がしさから解放され、一人の時間を楽しんでいるのかもしれない。
ミアは、子供のようにはしゃぎながら、湯の中で手足を伸ばしていた。「気持ちいー!」と声を上げ、その屈託のない笑顔は、場の空気を和ませる。
そしてリーナ。彼女は優雅な仕草で湯を楽しみながらも、その目は鋭く周囲の景色や他の女性たちを観察している。リラックスしているように見えて、常に何かを探し、考えている。行商人としての性なのだろうか。
「セーラさん、少し顔色が良くなりましたね」エマが優しく声をかける。
「……はい、おかげさまで。とても、温かいです」セーラは小さく微笑んだ。
北方の澄んだ空気と、温かい温泉、そして仲間たちの存在。それは、セーラの心を、ゆっくりと、しかし確実に溶かしていた。
一方、男性用の露天風呂では……。
「なあなあ、 向こうの岩の陰、なんか見えそうじゃね?」
レックスに、こそこそと兄たちが耳打ちしている。岩風呂の仕切りは、場所によっては少し隙間があるようだ。
「お! マジか! よーし、ちょっと行ってみるか!」リックが乗り気になる。
「あ、でもエルザ姉にバレたら……それにカインさんもいるし……」ロイは、前回のカインの説教を思い出して少し躊躇している。
「大丈夫だって! バレなきゃいいんだよ!」
三つ子が、そーっと岩陰に近づこうとした、その時だった。
「君たち、またかね?」
背後から、カインの冷ややかな声がした。彼はすでに湯に浸かりながら、しっかりと三つ子の動きを監視していたようだ。
「い、いや、これはその……景色が綺麗だなーって……」リックが慌てて言い訳をする。
「ほう。その方向には、女性用の浴場しかないはずだが。学習能力というものがないのかね? それとも、私の説教が足りなかったと見える」
カインは立ち上がり、仁王立ちで三つ子を睨みつけた。
「ひぃぃぃ!」
「すみませんでした!」
「……………!」
三つ子は蜘蛛の子を散らすように湯船に逃げ込んだ。
「……全く、君たちも懲りないな」
今度は、湯船に浸かっていたユートが、呆れたように言った。
「しかし、カインさん、ありがとうございます。助かりました」
「いえ、当然のことをしたまでです。風紀を乱す行為は許されませんからな」
カインはきっぱりと言い、再び湯船に浸かった。ユート、バルカス、ドラン、そして黙ってその様子を見ていたボルグは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
温泉で心身ともにリフレッシュした一行は、軽く昼食を済ませ、午後は各々自由時間としたが、結局、情報収集も兼ねて皆で街を見て回ることにした。
武器等は宿に置き、各自、手持ちの私服に着替える。北方の寒さを考慮し、皆、厚手の上着やマントを羽織り、手袋や帽子なども身につけている。ユートも、アルテナで用意してもらった丈夫な革のジャケットと、暖かい毛皮の裏地がついたマントを着用した。お揃いの制服ではないため、より街の風景に溶け込んでいるように見えた。
フリューゲルの露店が立ち並ぶ通りは、活気に満ちていた。獣人たちが営む店も多く、毛皮製品、山で採れた薬草や鉱石、獣の骨を使った工芸品など、アルテナでは見かけない珍しい品々が並んでいる。
ユートは、静寂苔を扱っている露店を見つけ、店主に声をかけた。
「すみません、この苔はどのような効能があるのですか?」
「おお、兄ちゃん、静寂苔かい? こいつはな、煎じてお香にすると、心が落ち着くんだ。寝る前に焚くと、ぐっすり眠れるって評判だよ」
店主はそう説明した。
(お香……? 精霊神は繁殖するって言ってたけど……まあ、そういう使い方もあるのか。でも、あの神様のことだから、何か裏があるか何もないんだろうな……)
ユートは心の中で突っ込みつつ、実験用にいくつか静寂苔を購入した。これで、宿に戻ったら氷解石との組み合わせを試せるだろう。(結果が出るには時間がかかるかもしれないが)
一行は、食べ歩きも楽しんだ。トナカイか何かの肉だろうか、少し癖があるが美味串焼きにした香ばしい肉。木の実を練り込んだ硬いパン。根菜と豆がたっぷり入っていて体が温まる熱々で具だくさんのスープなど、北国らしい名産品を味わう。ミアは特に食欲旺盛で、次々と露店の食べ物に手を伸ばし、エマやセーラに「ミアさん、食べすぎですよ」と窘められていた。
露店巡りと食べ歩きを同時に行いながら、ユートたちは手分けして街の人々に話を聞き、目録の品に関する情報を集めた。
カインは、真面目な顔で商人や職人に聞き込みを行い、市場の相場や流通ルートを探っている。
リーナは、持ち前の社交性と情報網を活かし、酒場などで噂話を集めているようだ。ボルグは黙ってその護衛をしていた。
バルカスとドランは、冒険者風の男たちや、屈強な獣人たちに話しかけ、魔物の情報や危険な地域の情報を収集担当し。
エルザとレナータ、三つ子は、主に武具や防具の店を回りながら、素材に関する情報を集める事になった。
ユートとセーラ、エマ、ミアは、薬草店や雑貨店などを回り、『氷霧草』や『陽炎石』、『山鳴り石』について尋ねて回った。
夕方、宿にて全員が集合し、集めた情報を持ち寄り、作戦会議を開いた。
「やはり、組合長が言っていたことの裏は取れましたね」カインが報告する。「『山鳴り石』は天候不順で品薄、『氷霧草』は高値、『陽炎石』はそもそも目撃情報すらほとんどありません」
「酒場の噂じゃ、やっぱり王都の貴族向けの新しい香の材料として、『清心草』だけじゃなく、他の希少な薬草も集められてるって話があったわよ。もしかしたら、『氷霧草』もその影響を受けてるのかもね」リーナが付け加える。
「『陽炎石』については、年老いた獣人から、古い伝承を聞くことができました。『山の頂で、陽炎が立つ日にのみ現れる幻の石』だとか……。真偽は不明ですが」バルカスが報告する。
「『山鳴り石』は、やはり風の強い山の尾根で採れるらしい。ただ、最近は魔物の目撃情報も増えていて、採取に行く者は少ないそうだ」ドランが静かに情報を共有する。
集まった情報を整理し、一行は今後の具体的な行動計画を練り始めた。
まずは比較的情報が多い『氷霧草』と『山鳴り石』からアプローチするか、それとも幻とされる『陽炎石』の情報をさらに深く追うか……。
陽だまり商会の力も活かしながら、フリューゲルでの本格的な任務が、いよいよ始まろうとしていた。




