40話中編1
アルテナを出発してから二週間ほどが過ぎた。
街道は徐々に険しさを増し、森も深くなってきた。北へ進むにつれて、魔物や危険との遭遇も増えてくる。
最初の襲撃は、出発して一週間ほど経った日中に開けた草原地帯を抜ける際に起こった。
地響きと共に、巨大な牙と硬い外皮を持つ猪の魔物『ロックボア』が、猛烈な勢いで馬車に向かって突進してきたのだ。
「ロックボアだ! 全員警戒!」エルザの鋭い声が響く。
「ロイ、正面! リック、レックス、左右から足を狙え!」エルザが即座に指示を出す。
ロイは雄叫びを上げながら大盾を構え、突進を受け止める。ドゴォン!という凄まじい衝撃音と共に、ロイの体がわずかに後ろへ押しやられるが、彼は歯を食いしばって耐え抜いた。その隙にレックスが動きを止めたロックボアの目を狙って正確な矢を放った。
「グルォォォ!」
痛みと怒りで暴れるロックボア。動きが鈍ったところを、リックが素早く回り込み、ロックボアの太い首に槍を突き立てる。ついにその巨体を沈黙させた。三つ子の的確な判断で見事に撃退した。ユートや他の護衛が出るまでもなかった。仕留めたロックボアは、ミアが手際よく解体し、その日の夕食の貴重なタンパク源となった。
二度目の襲撃は、その数日後の夜に森の側での野営中に起こった。
月明かりもない新月の夜、闇に紛れて狼の魔物『ナイトハウル』の群れが、音もなく忍び寄ってきたのだ。数は十数匹。鋭い爪と牙を持ち、統率の取れた動きで獲物を狩る厄介な相手だ。
「……来たか」
夜警にあたっていたレナータとバルカスが、いち早くその気配を察知した。静かに他のメンバーを起こし、迎撃態勢を整える。焚き火の明かりだけでは視界が悪い。
「ユート様、灯りを!」エルザが指示を出す。
「はい!」
ユートは集中し、灯りの魔法、灯りの魔法灯りの魔法を上空に放った。闇夜が昼間のように照らし出され、忍び寄っていたナイトハウルの姿が露わになる。
「散開して各個撃破! 包囲されるな!」エルザが冷静に指示を飛ばす。
護衛部のメンバーは、明るくなった視界の中、日頃の訓練通り、背中合わせになったり、連携して死角をカバーしたりしながら、次々と襲い来るナイトハウルを迎え撃つ。剣戟の音、獣の咆哮、そして時折上がる短い指示の声だけが響く。ユートは灯りを維持することに専念し、戦闘は護衛たちに任せた。彼らは手慣れたもので、数で勝る相手にも冷静に対処し、徐々に数を減らしていく。最終的には、リーダー格の大きなナイトハウルをエルザとバルカスが連携して仕留め、残りは森の奥へと逃げ去っていった。ユートの役割は灯りの確保だったが、それによって護衛たちは有利に戦いを進めることができた。
三度目の遭遇は、さらに数日後の日中、岩場が多い丘陵地帯でのことだった。道の脇の岩陰から、数名の薄汚れた男たちが飛び出してきたのだ。
明らかに野盗だった。
「へへへ、止まりな! 金目のものを置いていってもらおうか!」
リーダー格の男が、錆びた斧を振り回しながら威嚇してくる。数は5名。装備は貧弱だが、追い詰められた獣のような凶暴な目をしている。後方には弓を構えている者もいる。
「野盗か……!」エルザが剣を抜く。「リック、ロイ、レックス、前に!」
三つ子が前に出ようとした、その瞬間だった。
「危ない!」
後方の弓兵が、エルザを狙って矢を放とうとしている!
「させません!」
ユートは咄嗟に反応し、リーダー格の男と、その後ろにいる弓兵を同時に視界に捉えた。迷っている暇はない。仲間が危険に晒されている。
(貫け!)
ユートは手甲に魔力を集中させ、最短の詠唱で魔法を放つ。狙いは、リーダー格の男の動きを止め、同時に後方の脅威を排除すること。
「《フレイムスピア》!!」
一直線に飛翔した炎の槍は、まずリーダー格の男の肩を貫き、その勢いのまま、後方にいた弓兵の胸を正確に捉えた。
「ぐ……ぁ……!?」
「がはっ……!」
二つの短い悲鳴が上がる。リーダーは肩を押さえてうずくまり、弓兵は胸から炎を噴き出しながら即死した。
その凄まじい威力と、一瞬で二人を無力化した魔法の精度に、残りの野盗3人は完全に度肝を抜かれ、戦意を喪失した。
「ひぃぃぃ!」
「ば、化け物だ……!」
彼らは武器を捨て、震えながらその場にへたり込んだ。
「……」
ユートは、自分が放った魔法の結果を目の当たりにし、息をのんだ。意図せずとはいえ、人を殺めてしまった。その事実に、一瞬、吐き気にも似た感覚を覚える。しかし、それ以上に、咄嗟に体が動き、仲間を守れたことへの安堵感の方が強かった。
もし、あの時ためらっていたら、エルザが矢を受けていたかもしれない。リーダーに突撃されていたかもしれない。
(……これが、戦いなんだ)
ユートは、震える手を握りしめ、厳しい現実を受け止めた。
「ユート様……」
エルザが、少し複雑な表情でユートを見た。他の護衛たちも、ユートの魔法の威力と、彼が下した決断に、驚きと、ある種の畏敬の念を抱いているようだった。
「……残りを捕縛します」
レナータが冷静に告げ、ドランと共に残りの3人を捕縛した。リーダー格の男は肩の傷の手当てが必要だったが、命に別状はなさそうだ。
一行は、捕らえた野盗たちと、亡くなった弓兵の亡骸を馬車に乗せ、次の町で衛兵に引き渡した。衛兵からは感謝され、報奨金も受け取ったが、ユートの心は晴れなかった。人を殺めたという事実は重いが、仲間を守れたという安堵もある。複雑な感情を抱えながら、一行は次の街へと向かった。
野盗を引き渡した町から一日後、一行はこれまでの町よりも大きい街、『ロンドベル』に到着した。
ここにもハーネット商会の支店がある。しかし、街の規模に反して、支店の商館はアルテナやシルヴァンに比べるとそれほど大きくなく、少し寂れた印象さえ受けた。
出迎えてくれた支店長は、人の良さそうな初老の男性、バーナードと名乗った。彼はユートたちを温かく迎え入れ、長旅の労をねぎらってくれた。そして、一通りの挨拶と情報交換を終えた後、バーナード支店長は少し申し訳なさそうに、ユートにある頼み事をしてきた。
「実はユート殿、折り入ってお願いがあるのだが……。近々、隣の鉱山町の支店へ、こちらで仕入れた日用品の類と、加工用の木材を輸送する予定なのだが、現在、ベテランの輸送担当が出払っていて、新人たちしか残っておらんのだ。彼らだけでは少々不安でな……。これ以上、向こうの支店を待たせるのも申し訳ない。もしよろしければ、君たちの隊に、その輸送を手伝っていただけないだろうか? もちろん、多少の報酬はお支払いする。荷は運んでもらうだけで構わんのだが……」
突然の依頼に、ユートは少し戸惑った。今回の任務は市場調査と希少品の調達であり、輸送業務は予定に含まれていない。
「支店長、お待ちください」
商業部のカインが、即座に反対の意を示した。
「我々の任務はあくまで北方地域の市場調査です。予定外の輸送業務を請け負うことは、本来の目的達成の妨げとなりかねません。規定に基づき、お断りすべきかと存じます」
彼の堅物ぶりが、ここでも発揮された。
「まあまあ、カイン殿。そう頭ごなしに言わんでも」バーナード支店長は苦笑した。
「困っている時はお互い様だろう? それに……」
彼はユートに向き直った。
「実はな、わしはダリウス会長の若い頃からの知り合いで、少し先輩にあたるんだ。君が今回の任務で、リーダーとしての経験を積んでいると聞いている。ただ目的地を目指すだけでなく、こうして道中で様々な状況に対応することも、良い経験になると思うぞ」
ダリウスの名前を出され、ユートはさらに判断に迷う。
「……分かりました、バーナード支店長。輸送のお手伝い、お受けします」ユートは決断した。
「おお、本当か! 助かる!」バーナード支店長は顔を輝かせた。そして、彼はさらに話を続けた。
「そこで、もう一つ提案なのだが……」
彼は悪戯っぽく笑った。
「鉱山町ではな、酒類の需要が高いんだ。仕事終わりの一杯を楽しみにしている鉱夫が多くてな。もしよければ、君たちの隊で、酒類を仕入れて、鉱山町で販売してみるのはどうだろうか? ただ荷を運ぶだけでなく、道中で交易を行うというのも、商人として良い勉強になると思うぞ」
「しかし、支店長」カインが再び口を挟む。「交易となると、さらに時間を要しますし、リスクも伴います。それに、仕入れの資金は……」
「ああ、酒類の仕入れ資金については、さすがに商会の経費というわけにはいかんな」バーナード支店長は頷いた。「もし君たちがやるというなら、ユート殿個人の資金でやってもらうことになるが……どうだろうか?」
ユートは少し考えた。ダリウスから預かった活動資金とは別に、シルヴァンでの報奨金や、これまでの給金で、多少の余裕はある。リスクはあるが、交易の経験は確かに貴重だ。それに、酒類なら荷馬車に積めるだろう。
「……分かりました。その提案もお受けします。酒類の仕入れと販売、私の資金でやらせていただきます」
「はっはっは! そうこなくてはな!」バーナード支店長は笑顔で了承した。「良い酒はこちらでいくつか見繕っておこう。利益が出るといいな!」
カインはまだ不満そうな顔をしていたが、リーダーであるユートの決定には従うしかない。護衛部は「リーダーの判断に従います」と丸投げ。総務部のエマと輸送部のミアは、少し面白そうだと思っているのか、特に反対はしない中立の立場だった。
「よし、では話は決まりだな! 君たちも長旅で疲れているだろう。街で宿を手配しておいた。今日はゆっくり休んでくれ。明後日の朝に出発できるよう、荷の準備はこちらで進めておく」
バーナード支店長はそう言って、部下に宿の手配を指示した。
宿は滞在期間分を取ってくれたらしい。久しぶりの宿での休息に、皆の顔にも安堵の色が浮かんだ。




