138話
本店からの人員が慌ただしく去っていった翌日、宿の一室は再び特別調査部の作戦司令室となっていた。
ユートは地図と、カインがまとめたドループの小規模商店リストをテーブルに広げ、集まったメンバーに最終的な作戦を伝える。
「今日から、計画を実行に移します。サドネット商会に苦しめられている小規模商店を回り、彼らが抱える不良在庫を買い取る。まずは、協力してくれる仲間を一人でも多く作ることが重要です」
ユートはリストを指し示した。
「ただし、俺とユージーンさんは、すでにサドネット商会に顔を割られている。俺たちが動けば、すぐに妨害が入るでしょう。なので、皆さんにお願いしたい」
役割分担は、店の特徴や店主の人柄に合わせて、細かく決められた。
職人気質の店主が多い職人街には、実直なバルカスと、冷静に交渉を進められるカインが。
女性店主が営む店や、家族経営の小さな店には、柔らかな物腰で相手の心を開かせるのが得意なセーラとエマが向かう。
エルザ、レナータ、そしてドランと三つ子は、いくつかのチームに分かれ、それぞれの護衛と市場周辺の調査を担当することになった。
しかし、説得は困難を極めた。
「……ありがたいお話ですが、お断りします」
セーラとエマが訪ねた雑貨店の女性店主は、疲れ切った顔で、申し訳なさそうに首を横に振った。
「もし、サドネット商会に睨まれたら……うちはもう、この街で商売を続けていけなくなる。あなた方は、いつかこの街を去るでしょうが、私たちはここで生きていかなければならないんです」
サドネット商会への恐怖は、店主たちの心に深く根付いていた。
どの店を訪ねても、返ってくるのは同じような拒絶の言葉だった。
「あんたたちの気持ちは嬉しいがね。リスクが大きすぎる」
「どうせこのままじゃジリ貧だが、今すぐ潰されるよりはマシさ」
バルカスとカインが訪ねた武具店の店主も、頑なな態度を崩さない。
カインが、これが双方に利益のある対等な取引であることを論理的に説明しても、店主たちの心を動かすことはできなかった。
その日の夕方、宿に戻ったメンバーたちの顔には、疲労と徒労感が色濃く浮かんでいた。
「やはり、難しいようですわ……」
セーラが、俯きながら報告する。
皆、サドネット商会が築いた恐怖という名の壁の厚さを、改めて思い知らされていた。
その時、ユートが静かに立ち上がった。
「皆さん、お疲れ様でした。……明日、もう一度だけ、俺が直接行ってみます」
翌日、ユートはセーラとバルカス、そしてユージーンを伴い、先日サドネット商会の手口を教えてくれた、あの織物商会を再び訪ねた。
初老の店主は、ユートたちの姿を見ると、驚いた顔をした。
「ユートさん……? また、どうして……」
「お話を聞いてください」
ユートは店主の前に座り、単刀直入に切り出した。
「あなたの店が抱えている在庫、その全てを、俺が適正な価格で買い取ります。そして、あなたが今必要としている商品を、俺が他の街から仕入れてきましょう。これは、施しではありません。ハーネット商会とあなたの店との、新しい商取引です」
「……しかし、それではサドネット商会が……」
店主が躊躇する。その言葉を遮るように、ユートは真っ直ぐに店主の目を見つめた。
「俺たちは、サドネット商会のようなやり方を許すわけにはいかない。これは、このドループの街で、皆が自由に商いができる未来を取り戻すための、戦いです。どうか、俺たちに力を貸していただけませんか?」
ユートの瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
その熱意に、店主の心が揺れ動くのが分かった。
「……分かった」
長い沈黙の後、店主は絞り出すように言った。
「どうせこのままじゃ、店を畳むしかないと思っていた。……あんたたちに、賭けてみるよ」
「ありがとうございます!」
ユートは頭を下げ、その場で店主が抱える織物の在庫を全て確認し、クララから預かった資金と、自身の資金を合わせて、現金で支払った。
そして、店の奥に積まれた大量の織物の反物を前に、インベントリを発動させた。
「なっ……!?」
目の前で、山のようだった商品が跡形もなく消え去る光景に、店主は腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「これで、商品は確かに預かりました。すぐに、あなたが必要な品を仕入れて戻ってきます」
ユートは驚きで固まっている店主に一礼し、店を後にした。
その出来事は、噂となって、ドループの小規模商店の間に瞬く間に広がっていった。
「聞いたか? あのハーネット商会の若い部長が、織物屋の在庫を全部、現金で買い取ってくれたらしいぞ!」
「しかも、目の前で山ほどの商品を買い取ったって話だ!」
疑心暗鬼だった他の店主たちも、藁にもすがる思いで、次々とユートたちの宿を訪ねてくるようになった。
サドネット商会の恐怖に怯えながらも、彼らの心の中には、変化を求める小さな希望の光が灯り始めていた。




