135話
宿の一室に、特別調査部の全員が集まっている。
夕食を終えたテーブルの上にはドループの街の地図が広げられ、ランプの光がメンバーたちの真剣な顔を照らし出している。
「改めて、現状を整理する」
ユートの静かな声が、部屋の緊張感を一層引き締めた。
昼間の出来事、サドネット商会の台頭と、彼らとの遭遇。
そして、拠点探しの難航。集まった情報を全員で共有し、認識を一つにする必要があった。
「サドネット商会は、我々が思っていた以上に深く、この街に根を張っているようだ。明日から、再び本格的に調査を開始する」
翌日から、特別調査部は再び動き始める。
しかし、現実は厳しいものだった。
「申し訳ありませんが、その物件は、つい先日、別の商会が契約されまして……」
バルカスとセーラ達の拠点探し組は、街の不動産を扱う店や家主を何軒も回ったが、返ってくる答えはどこも同じだった。
立地が良く、ある程度の広さを持つ物件は、ことごとく「契約済み」となっていた。
その契約相手が誰であるかは、言うまでもない。
「完全に手詰まりですな。めぼしい場所は、すべてサドネット商会に抑えられています」
宿に戻ったバルカスの報告に、皆の間に重いため息が漏れる。
一方、ユートとカインは、サドネット商会の支配手口を探るため、小規模な商店への聞き込みを行った。
そして、ある古びた薬草店の老店主から、その巧妙なやり口の一端を聞き出すことができた。
「最初は、救世主に見えたんですよ、サドネット商会は……」
老店主は、遠い目をして語った。
「数ヶ月前、彼らは王都で流行しているという珍しい香辛料を、この街に持ち込んできたんです。最初は既存の商業組合とも協力して、大々的に売り出しましてね。物珍しさもあって、あっという間に街中で大流行しました」
だが、それは巧妙に仕組まれた罠だった。
「流行が最高潮に達したところで、サドネット商会は突然、その香辛料の供給を独占し始めたんです。そうなると、我々のような小さな店は、彼らから直接仕入れるしかなくなる。しかも、足元を見て、法外な条件を突きつけてくる。断れば商品は手に入らず、客は離れていく。仕方なく、高金利の融資や、他の商品の仕入れまで縛るような不利な契約を結ばざるを得なかった店も多い……」
宿に戻り、ユートはカインがまとめた報告書に目を通した。
「なるほど、計画的な市場の乗っ取りですね。まず需要を人為的に作り出し、供給を独占することで相手を交渉の席に着かせる……古典的ですが、効果的な手口です」
カインの分析通り、サドネット商会は自作自演で街の経済を掌握していたのだ。
さらに調査を進めると、今やドループの商業は、サドネット商会が設立した『商業振興組合』という名の傀儡組織が完全に牛耳っており、古くからの商業組合は、圧力によって完全に機能不全に陥っていることも確認できた。
「この情報は、一刻も早く本店に伝える必要がある……!」
その夜、ユートは事態の深刻さを改めて認識し、エレナから預かった連絡用の魔道具を取り出した。
これが、この敵地における唯一の命綱だ。
ユートは手甲を外し、魔道具にそっと魔力を流し込む。
しかし……。
「……」
魔道具は、何の反応も示さなかった。表面は冷たいままで、起動する気配がない。
ユートは焦り、もう一度、今度はより多くの魔力を注ぎ込む。だが、結果は同じだった。
「ユート様……?」
隣で見ていたセーラが、不安げに声をかける。
部屋にいた他のメンバーも、ユートのただならぬ様子に気づき、息をのんで見守っている。
「……駄目だ。反応しない」
ユートの呟きに、部屋は重い沈黙に包まれた。
(まさか……この街の、あの砂漠からの風……。細かい砂塵が、精密な魔道具の回路に入り込んだのか……?)
考えられる原因はそれしかなかった。
最悪の事態だ。敵の支配する街で、外部との連絡手段を完全に失ってしまった。
伝令が来るのを待つしかない。完全に孤立したのだ。
メンバーたちの間に、動揺と焦りの空気が広がる。
ユートは、皆の不安を振り払うように、顔を上げ、力強く言った。
「だが、諦めるわけにはいかない。伝令が来るまで、俺たちだけでこの状況を打開する道を探すんだ」
その目は、リーダーとして、この絶望的な状況に立ち向かう覚悟を決めていた。




