110話
ダリウス会長への謝罪と報告を終え、ユートは自身の『ホーム』へと戻った。
執務室に入ると、すでにセーラが帰還しており、頼んでおいた医療品などをテーブルの上に広げている最中だった。
「おかえりなさいませ、ユート様。大丈夫でしたか?」
セーラはユートに気づき、労いの言葉をかけくれた。
その顔には、少し安堵の色が浮かんでいる。
ダリウス会長に怒られずに済んだのだろうか、と心配していたのかもしれない。
「ああ、大丈夫だったよ。ありがとう、セーラ」
ユートは微笑んで答えた。
そして、テーブルの上に広げられた医療品に目を向ける。
薬草、ガーゼ、包帯、消毒用の酒瓶…どれもこれも、店で売っているようなものだが、かなりの量が揃えられている。
「お願いしていたものだね。予定していたよりも、随分とたくさん買ってきてくれたみたいだ」
ユートが言うと、セーラはにかっと笑った。
「はい。もしもの時に、少しでも備えておこうと思いまして」
「助かるよ」ユートは感謝を伝え、その場で皆に声をかけた。
『ホーム』にいた皆がリビングから集まってくる。
「皆、済まないが少し手伝ってくれないか?セーラが医療品をたくさん買ってきてくれたんだ。これをまとめてインベントリに収納したい」
特別調査部のメンバーは、特に疑問を持つことなく手伝ってくれた。
皆で手分けして、医療品を種類ごとに大まかに分類していく。
消毒用の酒瓶や薬草、ガーゼや包帯など、必要なものをまとめてユートのインベントリへと収納していった。
セーラや皆も、ユートが何のためにこれほどの医療品を必要としているのかは察しているのだろうが、何も言わず黙々と手伝っている。
皆の協力のおかげで、医療品の準備は手早く終わった。
これで、もしレーアンの誰かを連れてくる必要があっても、すぐに手当できる。
夜になり、アルテナの街に夜の帳が下りる頃。ユートはユージーン、バルカス、そしてドランに声をかけた。
「バルカス、ドラン、ユージーン。少し、街に出かけようか」
三人は特に尋ねることなく、ユートの言葉に従った。
私服に着替え、最低限の武器を携え、街に出ても違和感の無い服装に身を包んだ四人は、夜のアルテナの街へ繰り出した。
向かうのは、先日ユートが立ち寄った、裏通りにある寂れた酒場だ。
裏路地の入り口近くまで来ると、ユートはバルカスとドランに声をかけた。
「バルカス、ドラン。ここからは別れて、先にあの酒場へ入ってくれ」
二人はユートの指示に少し戸惑ったようだが、ユートの意図を汲んだのか、頷いた。
夜の裏通りは危険も伴う。
特に、目的の酒場には物騒な客もいる。
彼らが先に酒場に入り、店内の雰囲気を探り、ユートとユージーンのための安全を確保するという役目を担ってもらう。
「お任せください」
バルカスが力強く言い、ドランも「へへ、良い席取っときますね!」と冗談を言いながら、二人で先んじて酒場へ向かった。
ユートとユージーンは、彼らが酒場に入るのを見届け、少し間を置いてから同じ酒場へ向かった。
酒場の中は、先日の殺伐とした雰囲気は薄まっているように見えたが、それでも怪しげな客が何人か酒を飲んでいる。
カウンターには、見慣れた顔…サニッキが立っていた。
いつもの、場末の店員には似つかわしくない、整った顔立ちだ。
ユートとユージーンが入っていくと、サニッキは視線で彼らに気づいたようだ。
表情は変えずに、ユートたちをカウンターに案内した。
ユートとユージーンはカウンター席に座り、酒を注文する。
「店員さん。昨夜はありがとう」ユートはまず、感謝を伝えた。
ハガマや他のメンバーのことが、彼の回復魔法によってどれだけ救われたのか。
それは言葉では伝えきれないほど大きい。
サニッキは小さく微笑んだようだ。
「いえ、貴方のお力添えに、従業員一同、心より感謝しております。彼の傷も、すっかり…信じられない思いです」
信じられない、という言葉には実感がこもっていた。
ユートは本題にはすぐには入らず、遠回しにレーアンの現状について尋ねた。
ハガマの傷が癒えたことで、動ける人間は増えただろうか。
物資不足は、自身の支援で少しは解消されただろうか。
サニッキはユートの問いの意図を察したのだろう。
遠回しな言い方で、レーアンの現状が、ユートの助けによって、以前よりは確実に落ち着いていることを伝えてくれた。
重症だった者の容態も安定したこと、これで動ける人間の数は増えたことなど、彼らの抱える困難が、ユートの手助けによって少しずつ解消され始めていることが伺える。
しばらくの間、ユートとサニッキの間で、直接的ではないが、情報が交わされる。
ユージーンは静かに二人の話を聞き、バルカスとドランは店の雰囲気に注意を払っている。
レーアンの現状を確認できたユートは、安心して次の段階へ進める。
雑談を終え、酒代を多めに置いて、ユートとユージーンは酒場を後にした。
今回の訪問は、情報収集と、レーアンの現状確認という二重の意味があっが、サニッキが姿を見せ、応対してくれたことから、レーアンはユートとの接触を避けていないということも分かった。
彼らとの関係は、着実に進展している。
酒場を出て、『ホーム』へと戻る。
夜の静寂が辺りを包んでいる。
執務室に戻ると、ユートはまず部屋の入り口にある魔法石に魔力を流し、防音魔法を作動させた。
これで、この部屋での会話が外部に漏れる心配はない。
ユート、ユージーン、バルカス、ドランの四人でテーブルを囲む。
「さて…これから皆に頼みたいことがある」
ユートは、これから彼らに担ってもらう、新たな役割について話し始めた。
「明日から、街に出て、彼らが活動拠点として使えそうな場所を探して欲しいんだ」
ユートは、今回の計画を、昨日までの三日間の昏睡騒ぎを受けて、ユージーン、バルカス、ドランにも具体的な部分を共有することに決めたのだ。
「できれば二箇所。一つはハーネット商会名義で借りる場所。ここは、レーアンの活動拠点として、あるいは、彼らと商会が公に接触する際に使える、比較的表通りの、利便性の良い場所でお願いしたい」
「もう一つは、私個人の名義で借りる場所だ。こちらは、裏通りに近い場所で。秘密裏の活動や、怪我人の手当などに使える、隠密性の高い場所が良い。あるいは、レーアンの仲間が、何かあった時に一時的に身を隠せるような場所にもなりうる」
ユートは、二つの異なる目的を持った拠点を確保したい意図を説明する。
商会としてレーアンをサポートし、表の活動を支援する場所と、ユート個人としてレーアンの秘密裏の活動をサポートする場所。
それは、レーアンの表と裏の活動形態に合わせてのことだ。
バルカス、ドラン、そしてユージーンは、ユートの壮大な計画に目を見開きながらも、その意図を汲み取ったようだ。
彼らは情報屋と関わることに、特に反対する様子はない。むしろ、新たな任務への期待が、彼らの顔に浮かんでいる。
三人は無言で頷き、ユートの依頼を承諾した。
「探すにあたって、人手が必要であれば、レナータ、エマ、カインにも声をかけてくれて構わない。彼らにも事情を説明し、協力をお願いしてくれ。ただし、必ず二人一組で動くように。万が一のことがあってはならないからだ」
情報屋が関わる活動は、常に危険が伴う。単独行動は厳禁だ。
「拠点探しについては、君たち三人に任せたい。任せても良いだろうか?」
ユートが尋ねると、バルカスが代表して答えた。
「お任せください、ユート部長。必ず、ご期待に沿えるような場所を見つけ出して見せます」
ドランも「任しときな!」と胸を叩き、ユージーンも真剣な顔で頷いた。
「ありがとう、皆。頼りにしている」
ユートは彼らの心強い言葉に感謝した。
「私は明日から、少し試したいことがあるんだ。だから、しばらく実働は皆に任せたい」
ユートは、自身の明日からの予定について語った。
ダリウス会長やエレナに謝罪した際に約束した、魔法制御の練習を兼ねた実験をしようと考えていたのだ。
自身の魔力が底をつくことなど、今後あってはならない。
魔力コントロールの精度を上げる必要がある。
それに、警報装置としての魔法陣の話を聞いた時から考えていた事を実験する機会も欲しい。
明日からの、それぞれの役割と行動方針を共有し、四人はその夜の打ち合わせを終えた。
拠点探しの実働はバルカス、ドラン、ユージーンに任せる。ユート自身は自身の魔法制御能力を高めることと実験に集中する。
部屋の防音を解除し、皆で執務室を出る。
夜は更け、アルテナの街は静寂に包まれていた。




