109話
ユートはまず、自身の身体を診てくれたエレナのもとへ向かった。
制作部の工房に到着し、扉を開ける。相変わらず、何かの実験に没頭しているエレナの姿が見えた。
「エレナさん!失礼します!」
ユートが声をかけると、エレナはすぐに顔を上げた。
「お! ユートじゃないか! 目覚めたんだ! いやー、お前のところの護衛から連絡来て驚いたよ! いきなり意識不明になるなんてな!」
エレナはユートが無事に戻ってきたことに、心底嬉しそうな顔をして、笑いながら出迎えてくれた。
ユートはエレナの言葉に、改めて申し訳ない気持ちになり、開口一番に謝罪した。
「エレナさん…ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。そして、僕の状態を診ていただいて、本当にありがとうございました」
「いーよいーよ、気にするなって! 色々頼みたいこともあるんだから、簡単にはくたばってもらっちゃ困るからな!」
エレナはそう言って笑った。
「それで、何が原因でそんなことになったわけ? 無理やり魔法でも使った?」
エレナは単刀直入に原因を尋ねた。
ユートは原因をごまかすことにした。あまり具体的な状況…は、情報屋の件が落ち着くまでは内密にしておきたかったからだ。
「いえ…その、多分…無意識のうちに、魔力が、少し…」
ユートは曖昧に答えた。
「ん? 無意識に垂れ流してたぁ? ふぅん…」
エレナはユートの答えを聞き、少し考え込んだ。彼女はユートの魔力コントロールの練度をある程度把握している。
意図せず魔力を枯渇させるほど垂れ流すというのは、ユートの現在の技術から考えると珍しいミスだ。
だが、エレナは深く追及することはなかった。きっと何か理由があるのだろう、と察したのかもしれない。
彼女は詮索好きだが、同時に相手の事情を尊重する一面もちゃんと持っている。
「まあいいや。でも、魔力のコントロールは、もっと精度を上げる練習はした方が良いな。今回みたいになったら、シャレにならない時もあるだろうし」
エレナは助言をくれた。
「はい…! 今後、魔力制御の練習をしっかり行います。練習の相手をしていただけると、助かります」
ユートは今後の練習を約束し、協力を仰いだ。
「いつでも来な! 私も久しぶりに色々見てみたいし」
エレナは快諾してくれた。
ユートはエレナに改めて礼を言い、工房を後にした。
改築の進捗なども確認したいところだったが、今日は謝罪が優先だ。
次に、ダリウス会長のもとへ向かかわなくては。
ダリウス会長の執務室へ向かう廊下を歩きながら、ユートはいつもより少し緊張していた。
自身の身勝手な行動が原因とはいえ、会長やエレナに迷惑をかけてしまった。
許しを乞う気持ちと、今後の計画への理解を改めて求める気持ちが交錯する。
執務室の扉の前で深呼吸をし、ノックをする。ダリウス会長の許可を得て中へ入る。
「ユート。入ってくれたか。目が覚めたようだな」
ダリウス会長は、エレナから事の次第を聞いていたのだろう。
ユートが無事であることを知って安心した様子で、しかし少し真剣な顔で彼を見た。
ユートは椅子を勧められ、対面のソファに腰掛けた。ダリウス会長も、デスクから離れて向かいのソファに座る。まるで、話し合いの時間を与えてくれるかのように。
ユートは改めて、自身の口から謝罪の言葉を述べた。
「会長…ご心配、そしてご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんでした」
ユートは、自身が昏睡状態に陥った原因についても、正直に話した。
「先日…不慮の事故で、自身の魔力を制御しきれず…使いすぎてしまったようです。エレナさんからも、魔力の使いすぎによるものとのことでした」
「ほう……やはり魔力の使いすぎであったか」
ダリウス会長は腕組みをし、ユートを見た。
「まずは、目覚めてくれたことが何よりだ。三日間も意識が戻らなかったと聞いて、こちらも肝を冷やした」
ダリウス会長は、ユートの行動と、それが原因で起こった結果について言及した。
「君が今、個人的に進めている件…もあっただろう。あの交渉中に意識を失ってしまったら、どうなってたか…考えたくもないな」
ユートは何も言えず、ただ会長の言葉を聞いていた。ダリウス会長の懸念は、もっともだ。
「今回は大事にならなかったが…今後、決してこのようなことがないように、魔力の制御には十分に気をつけるように」
ダリウス会長は、厳しく、しかしユートの今後を案じるように言い含めた。
「はい…心に刻んでおきます。申し訳ありませんでした」
謝罪を終え、これで終わりかと思ったが、ダリウス会長はそこで話題を切り替えた。
「…それで、君が個人的に進めている、情報屋との件だが」
ダリウス会長は、先日から今日の出来事について、何か知っているのだろうか。
もしかすると、勘の鋭い会長だ、何かを察したのかもしれない。
「進展は、どうなっている?」
ダリウス会長が、ユートに尋ねた。
ユートは少し驚いたが、隠すことはできないし、隠すつもりもなかった。
「はい。まだ、具体的な契約に至ったわけではありませんが…『餌は撒いて』、彼らとの間に『楔は打った』という感じです」
ユートは、自分の行ったことを比喩的に表現した。信頼を築くための布石は打ったということだ。
「このまま、もう少し時間をかければ…彼らとの関係を、目標の地点まで持っていけるのではないかと思っています」
ユートの答えを聞き、ダリウス会長はわずかに口角を上げ、にやりと笑った。
それは、ユートの報告内容に対する満足、そして、彼自身の若い頃を思い出したかのような、複雑な笑みだった。
「『餌は撒いて』…『楔は打った』…面白い表現をするな。君は…」
ダリウス会長は、ソファに深く腰掛け直しながら言った。
「初めて会った時…ただの心優しい青年だと思っていたが…特殊な能力を持つ事がわかって、商会の部長となり……こうして情報網まで構築しようとするとはな…本当に、頼もしくなった」
ダリウス会長の言葉に、ユートは少し気恥ずかしくなった。自分が変化したこと、成長したことを、会長はしっかりと見抜いている。
「今回の件、今後も注視しているぞ。もし、また何か進展があれば、隠さずに、必ず私に報告するように」
ダリウス会長は改めて釘を刺した。これは、独断専行を完全に許容するわけではない、という会長からの牽制だろう。
しかし同時に、この件をユートに任せるという信頼の表れでもあった。
「承知いたしました、会長。進展があり次第、必ずご報告させていただきます」
ユートは深く頭を下げた。
謝罪もできたし、今後の活動についてもある程度の理解と許可を得ることができた。
この一週間の休暇は、思わぬ形で波乱に満ちたものになったが、特別調査部の、そして自身の未来に向けて、着実に前に進むことができた。
会長室を後にしたユートは、安堵と、そして新たな計画への期待感を胸に、『ホーム』へと戻る。
セーラはもう市場へ必要なものを揃えに行っただろうか。
これからは、彼女らと共にこれからの事を考えなくては。




