104話
ユートは自然と目を覚ました。
習慣というよりは、今日の夜に控える大切な客人への意識だろう。
時間を確かめる。まだ少し猶予がある。
ベッドから抜け出し、静かに自室を出て、執務室へと向かった。
部屋の椅子に腰掛け、待つ。
しばらくすると、タイミングを見計らっていたかのように、ノックの音が響いた。
「ユート様、ユージーンです」
「入ってくれ」
扉が開き、ユージーンが入ってきた。
顔色は落ち着いており、夜間にも関わらず、いつでも動けるよう身支度を整えている。
「待たせて済まなかったな」
「いいえ。今日の、いえ今夜の件ですが…」
ユートはユージーンに今夜の打ち合わせについて伝えた。
「今夜もハガマたちが来てくれるかもしれない。応接室で会う予定だ。ユージーンには、一つお願いがある。今夜は、応接室に他のメンバーが近づかないよう、見張りを頼みたい」
昨夜のように警戒される可能性は低いだろうが、念のためだ。
「承知いたしました。任せてください」
ユージーンは頼もしく頷いた。
「それと…彼らが来た場合、応接室には二人で対応する。昨夜、敵意はないことは確認できたからね」
ユージーンは、一人で対応することに少し不安があるようだったが、ユートの言葉に反論はしなかった。ユートの判断を信じているのだ。
二人は簡単な打ち合わせをしながら待った。
今夜の交渉が、今後の情報網確立の鍵となる。
ハガマたちの状況は厳しいようだったが、それだけ助ける価値があるということだ。
予定の時間が近づき、ユートとユージーンは応接室へと移動した。
廊下を進んでいると、リビングから話し声が聞こえてきた。
リビングの入り口に目をやると、まだ三つ子が起きていた。
「あれ? ユート部長、ユージーン。どうしたんですか?」
リックが声をかけた。ロイとレックスもこちらを見ている。
「仕事だよ。お前たちは早く寝なさい。せっかくの休暇なんだから」
ユートは優しく彼らをあしらった。
三つ子は少し不満そうだったが、ユートの言葉に逆らうことなく、やがてリビングを後にし、自室へと戻っていった。
応接室に入り、灯りをつけ、二人で静かにハガマたちを待つ。
時計の針が進み、約束の時刻を過ぎる。
しかし、待てども待てども、部屋の扉は開かない。昨夜のハガマの言葉は嘘だったのだろうか?期待と不安が入り混じった空気が流れる。
…だが、ユートが時計を見たその瞬間。
まるで昨夜のデジャヴュのように、静かに、音もなく、応接室の扉が開いた。
そこに立っていたのは、やはり暗褐色の革鎧に仮面を纏ったハガマだった。
そして、その後ろに、もう一人、同じく仮面姿の人物が続いている。
スイとハンとは別の部下だろうか。
ユートは安堵し、僅かに笑みを浮かべた。来てくれた。それだけで、大きな一歩だ。
お互いに軽く頭を下げ、無言の挨拶を交わす。ハガマと、もう一人の人物が部屋の中に入ってきた。
ユージーンは警戒態勢は解かないものの、静かに彼らを見据えている。
ハガマは部屋の中央付近で立ち止まり、そして傍らに立つもう一人の人物を促した。
促された人物は、ユートたちの前に立ち、おもむろに被っていた仮面を外した。
そこに現れたのは、昨夜酒場でユートたちに話しかけてきた、あの整った顔立ちの店員だった。彼だったのか。
「改めまして。私がレーアンの、サニッキと申します」
サニッキは顔色一つ変えずに、自己紹介した。
やはり、昨夜の彼は情報屋だったのだ。
サニッキは、仮面を外した理由を付け加えた。
「私はレーアンの中でも、比較的表立って活動することが多い者ですので。顔を見られても、特に問題はありません」
それは、ユートたちが自身の顔を見ても安全だと判断した、という意思表示でもあったのだろう。
ユートはサニッキにも挨拶をし、彼らにソファへ座るよう促した。
ユージーンは、やはり昨夜の彼が男性だったのだ、と確信しただろう。
三人がソファに座り、ユートもユージーンと共に椅子に腰掛けた。
改めて顔を合わせる。
ハガマが最初に口を開いた。
「…ユート殿。昨夜受け取った、あの薬…非常に助かった。おかげで、急を要する症状の者たちの手当てができた。心より感謝する」
仮面越しでも、感謝の気持ちが伝わってくる。
どうやら、渡した医療品は早速役に立ったらしい。
ユートは頷きながらも、昨夜伝えきれなかった言葉を付け加えた。
「それは良かった。まだ治療を始めたばかりかもしれませんが…もし、自分たちだけでは対処できないような人がいれば、躊躇せず連れてきてください。手遅れになる前に」
サニッキはユートの言葉を聞いて、にっこりと、しかし少し皮肉げに笑った。
「噂には聞いていましたが…本当に、お人好しなんですね」
彼ら世界で「お人好し」という言葉は、褒め言葉であると同時に、危険人物を指す言葉でもある。
彼はそれを理解した上で言っている。
サニッキは続けて、改めてユートに感謝の言葉を述べた。
「この度は、我々の窮状に手を差し伸べてくださり、本当に助かりました」
礼儀正しい言葉遣いと、どこか隙のない態度。この人物が、表で活動する情報屋、そして昨夜ユージーンを唸らせた性別の判断さえ難しい外見を持つ男なのだ。
ユートは、ハガマたちの現状、特に拠点が使えないであろう状況を踏まえて、自身の計画を話した。
「レーアンの皆さんが、今後街中で安全に活動できる場所も必要になるかと思います。そこで、近日中に、あなた達も活用出来る場所を、アルテナの街中に用意するつもりです。そこに、治療が必要な人がいれば連れてきてもらえると」
ハガマとサニッキは、ユートの言葉に、またしても目を丸くした。
単に医療品を渡すだけでなく、活動拠点まで提供しようというのか。
その申し出は、彼らの想像を遥かに超えていたようだ。
ユートは続けた。
彼らがこれを恩に着る必要はない、という意思表示も込めて。
「これは、別にあなた方が私に協力するからとか、見返りを求めているわけではありません。皆さんが困っていて、私が手助けすると決めたから、やるだけです。ですから、気にしなくて結構です」
そして、ユートは自身のインベントリに収納していた、セーラが作ってくれた大量の保存食を取り出した。
食料品は、山積みとなり応接室のテーブルの上に現れた。
ハガマとサニッキは、目の前に現れた大量の保存食に、再び目を丸くしている。
日持ちする保存食は、活動に制限がある彼らにとっては非常にありがたいものだろう。
「今日来ていただいたお礼です。これだけでも持っていってください。当面の食料にはなると思います」
あまりのことに、ハガマは深いため息をついた。
仮面の奥の表情は読めないが、そのため息からは、呆れと、そしてどうにもならない、という諦めのような感情が読み取れた。
「…貴方…ユート殿は…本当に、我々が、何を断っても…これほどまでしてくれるというのか?」
ハガマが尋ねた。
ユートはただ、ハガマの言葉に、僅かに微笑んだ。
その微笑みには、彼を助けたいという純粋な気持ちだけが込められている。
ハガマは観念したように、頷いた。
「…分かった。では、この支援…ありがたく、頂戴する」
彼らの間で、目に見える契約はまだ成立していない。
しかし、ハガマがユートの支援を受け入れたことは、彼らの間の関係性が、新たな段階に進んだことを意味していた。
サニッキはハガマを促した。本題に入るべきだと。




