96話
一週間の休暇に入り、特別調査部の面々はそれぞれのやり方で羽を休めていた。
カインたち輸送班はもちろん、ユート班もこの機会にしっかりと休養をとる予定だ。
バルカス、エルザ、レナータ、三つ子たち護衛部出身のメンバーは、休暇中でも日々の鍛錬を怠らない。
屋敷の敷地内にある訓練場では、朝早くから彼らの気合の声や、得物がぶつかり合う音が響いている。
武具の手入れも怠りなく、磨き上げ、修理が必要な箇所があれば制作部に持って行き、エレナやその部下にメンテナンスをお願いしている。鍛錬の合間には、故郷の家族に手紙を書いたり、酒場で顔見知りの護衛たちと談笑したりと、それぞれの余暇を過ごしているようだった。
セーラは、休暇とはいえ元々仕事熱心な性分なのか、『ホーム』である特別調査部の部屋や、ユートの私室の片付けや掃除を丁寧に行っている。埃一つない部屋は、セーラのおかげで常に心地よい空間になっている。片付けの合間には、時折ミアや、エルザ、レナータなどを誘い、お茶会をしながら情報交換や世間話に花を咲かせている。
ミアは、連日の馬車の運転と荷役作業の疲れからか、休暇の序盤はほとんど自室で寝て過ごしているようだったが、少し回復してからは、屋敷の厩舎で馬の世話をしたり、輸送部の手伝いをしたりしている。
彼女にとって、馬と向き合っている時間が一番落ち着くのかもしれない。
カインは、今回の長距離輸送任務で得た情報…通った町の様子、人々の反応、物価の変動、街道の状況、魔物の出没情報などを、休暇中にしっかりと整理している。報告書として提出するだけでなく、自身の分析資料としてまとめておきたいのだろう。また、気分転換も兼ねてか、手の空いている護衛部のメンバーを誰か一人誘い、近くの森まで情報収集を兼ねた軽い散策に出かけている姿も見かけた。
そんな中、ユージーンは変わらずユートと行動を共にしていた。
特別調査部の中でも、彼はユートの直属の部下であり、個人的な依頼などもこなすことが多い。ユートが執務室にいる間、ユージーンは扉近くの椅子に座り、静かに本を読んでいることが多い。彼は決して出しゃばらないが、ユートの些細な表情の変化や、部屋の雰囲気の揺らぎを敏感に察知し、何か必要なことがあればすぐに動けるように、常にユートに注意を払っている。彼にとって、ユートの傍らにいること自体が彼の生活なのだろう。
そしてユート。彼は特別調査部の部長としての職務や、個人的な商いを通じてかなりの資金を貯め込んではいた。商会から特別調査部への活動資金は潤沢にあるし、彼自身の『無限の収納』を活用した物販も、商会を通して正式な取引として行っているため、収入は安定している。金銭面での心配はほとんどない。
執務室の椅子に深く腰掛け、ユートは静かに天井を見上げていた。
広々とした執務室は、セーラが綺麗に掃除してくれたおかげで心地よい空間だ。
「…ふう…」
大きなため息が一つ、静かな部屋に響いた。
調査部の活動は順調だ。メンバーも優秀で、皆ユートに良くついてきてくれる。
回復魔法のことは公に出来ないにしても、秘密を知るエレナやダリウス会長からの信頼も厚い。商会内部での地位も確立しつつある。
だが、どうしても足りないものがある。それは、情報だ。
商会として、ある程度の情報は各部署や支店から集まってくる。市場情報、物流情報、地域の噂など。しかし、それはあくまでビジネスや、表面的な安全に関わる情報がほとんどだ。
もっと、裏社会の情報や、各地の特殊な情報を、自らの意思で、能動的に、そして誰にも知られずに手に入れる手段。
今の特別調査部には、そのための『情報屋』となる人材がいない。特にユート個人として、誰にも漏らさずに情報を得るパイプは皆無と言っていい。
精霊神に頼めば何かしら情報は手に入るだろうが、いつ連絡が来るかもわからず具体的な情報収集スキルではないだろう。
必要なのは、人間の持つネットワークや、裏で蠢く情報を引き出す能力を持った人間だ。
(やはり、情報収集担当の人材が欲しい…)
ユートはいくつか、頭の中で思いつくままに案を巡らせた。
外部の人間を雇うか?内部で育成するか?だが、情報を扱うということは、裏切りや情報の漏洩のリスクが常に伴う。信頼できる人間でなければならない。
考えを巡らせているうちに、ふと、机の引き出しに視線を落とした。
今回の輸送任務の帰りに立ち寄った町で購入した、珍しい果実から作られた酒だ。
ユートは静かに椅子の横にある机の鍵を開け、引き出しを開けた。中の書類を眺めながら、その引き出しの奥から、瓶に入った透明な液体を取り出した。隣には、清潔なグラスが二つ置かれている。
瓶の栓を開け、二つのグラスに酒を注ぐ。独特の、しかしフルーティーな香りが部屋に微かに広がる。
ユートは、一つのグラスを手に取り、それを傍らで静かに本を読んでいたユージーンに無言のまま差し出した。
ユージーンはユートの行動に気づき、読むのをやめて顔を上げた。差し出されたグラスを見て、ユートの少し沈んだような雰囲気を察知したのだろう。彼は何も言わずに、グラスを受け取った。
ユートはもう一つのグラスを持ち上げ、ユージーンに目を向けた。言葉は交わさない。ただ、お互いの間に流れる、言葉にならない何か。
そして、二人同時に、そのグラスを空けた。独特の香りが口の中に広がり、体の中を温める。酒の力が、張り詰めていた頭の中を、ほんの少しだけ緩めてくれたような気がした。
グラスを置いた後、ユートは再び天井を見上げた。情報収集の手段という課題はまだ残っている。しかし、焦る必要はない。自分には、信頼できる仲間がいる。彼らとこの『ホーム』で、一つ一つ解決していけばいいのだ。
傍らでは、ユージーンが何も言わずに、ただ静かにユートの傍らに控えている。
その存在は、ユートにとって安心の一つだった。




