92話
二人は心地よい疲労感に包まれ、寄り添うようにして眠っていた。
隣には愛しいセーラが眠っている。ユートの腕の中にそっと顔を埋めていて静かで温かい時間が流れていた。
眠りの淵をさまよっていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「やっほー、ユート」
聞き慣れた、フランクな口調の女性の声。間違いない、精霊神の声だ。
ユートの意識は夢と現実の間を漂っていた。
「やっぱ寝てると繋ぎやすいな〜。ていうか、めっちゃ調子よさそうじゃん! いい夢見れてそう?」
精霊神はユートの現状を正確に把握しているらしい。くすくすと笑っているのが聞こえる。ユートはまどろみながら、その声に意識を集中させた。
「いきなりごめんね。久しぶりだけど、ちょっと言いたいことがあってさ〜」
精霊神は少し声色を変え、真面目なトーンで語り始めた。
「ユートね、気づいてないかもしれないけど、最近ね、あなたの周りから少しずつ、すごく温かい雰囲気…っていうのかな、優しさみたいなものが広がってるんだよ」
優しさ…雰囲気…精霊神にしか分からない特別な感知能力で、ユートの周りの空気の変化を感じ取っているらしい。
「あなたの隣で気持ち良さそうに寝てる子も、初めて助けたバルカスとドランも、それにリリアも、北で助けた獣人君もさ」
精霊神は特別調査部のメンバーや、旅で関わった人々の名前を具体的に挙げた。
「みんなね、ユートと一緒にいることで、良い方に変わっていってるんだよ。ユートが優しく接したり、助けたりするのを見て、影響されてるんだと思う。優しさって、伝染するんだよね〜」
精霊神の言葉に、ユートはこれまで経験してきた出来事を思い返した。怪我人を手当てしたこと、困っている人を助けたこと、皆を思いやり、寄り添ってきたこと。自分が当然のこととして行ってきた行動が、知らず知らずのうちに、周りの人々に影響を与えているという精霊神の言葉に、胸が熱くなった。
「ユートから周りの皆へ、そして周りの皆から、また他の人たちへ…そうやって、あなたの優しさがどんどん広がっていくんだよ。私のグランディアの世界にね」
癒やしの力が失われつつあるというこの世界に、ユートの温かい心が広がることを願って、精霊神は彼を召喚した。その願いが、確かに現実のものとなりつつあるのだ。
「だから、ね、ユート。今のその温かい気持ち、困っている人を放っておけないっていう最初の気持ち、絶対に忘れないでね! それが、この世界にとって一番大事なことだから!」
精霊神はそう言い残し、声は次第に遠ざかっていった。まるで、ユートにメッセージを伝え終わり、用事が終わったかのように。
声が完全に消え失せると、ユートはゆっくりと現実へと意識を引き戻した。まだ瞼は重いが、精霊神の言葉が頭の中で反響している。
目を覚ますと、隣でスヤスヤと眠るセーラの顔があった。規則正しい寝息を立てており、穏やかな寝顔だ。彼女もまた、精霊神の言う「ユートに影響されて変わっていっている子」なのだろうか。確かに、出会った頃の彼女と、今の彼女は、違う。心に負った傷も癒えつつあるし、特別調査部の一員として、そしてユートのパートナーとして、強さとしなやかさを増しているように見える。
腕の中のセーラの温かさを感じながら、ユートは精霊神の言葉を改めて心の中で反芻した。優しさが、雰囲気が、自分の行動を通じて周りに伝わっていく。そして、それがさらに多くの人々に影響を与えていく。
(…最初の気持ち、か…)
介護士として、誰かの役に立ちたい、困っている人を助けたいという気持ち。それが、自分が異世界に来て、様々な困難に立ち向かう原動力となっている。そして、その原動力が、意図せずとも周囲の人々を良い方向に導いている。
ユートは、精霊神の言葉を忘れないように、心に深く刻んだ。それは、回復魔法とはまた別の、彼自身の内なる力が、この異世界にもたらす影響だ。自分の温かい心が、このグランディアの世界を少しでも明るく、優しい場所にしていくのだとしたら、嬉しいことはない。
これからも、自分の信じる道を、困っている人を助ける優しさを忘れずに歩んでいこう。それが、精霊神が自分に求めたことであり、この世界に貢献できる方法なのだから。隣で眠るセーラの肩を優しく抱き寄せ、ユートは静かな夜の中で、新たな決意を固めた。




