36-6 ねこたんとおんなのこんよく
・(ΦωΦ)
昨日はバーニィたちが放牧地を広げて下さいました。
しかしわたしはそういった仕事に、まるで向かぬことを自覚しておりますので、その間、狩りに勤しんでおりました。
わたしも昨日はがんばりましたよ。
そこで今日はあえて寝坊をして、食堂で昼食の残り物をいただいた後は、城の地下へと向かいます。
クレイがもし仕事をサボって湯船に浸っていたら、入浴ついでに叱りつけてやろうと考えていました。
ところが脱衣カゴにはクレイの衣服はなく、代わりに別の布切れがだらしなく脱ぎ捨てられております。
わたしも服を脱いで、先客の待つ地下大浴場へと入り込みました。
そんな気はしていましたが、やはり先客はあの錬金術師のゾエでした。
わたしがかけ湯をして、目の前で湯船に身を沈めても、お喋りな彼女は何も言いません。ただ惚けていました。
「何か言うことはないのですか?」
「ん……。うむ……」
一応ゾエは女性です。しかしこういう人ですから、女性として扱おうという気にはなりませんでした。
気だるげにゾエは傾いた顔でわたしを見て、夜更かしと寝すぎで疲れた身体を癒しているように見えます。
「うむ。では会話になっていません」
「我が輩は……低血圧、でねぇ……。スイッチがまだ、入らないのだよ……。ふぁぁぁ……」
「ええ、それは見ればわかります。あなたとまともな会話がしたい時は、正午過ぎを選ぶべきでしょうかね」
「うむ……頭が、回らんよ……」
ゾエはただの珍しい置物だと思いましょう。
わたしはしばらく湯船に使って、彼女と同じように無心で湯のもたらす単純な快楽に浸りました。
●◎(ΦωΦ)◎●
「すまんね、少し、頭が回ってきたよ、ネコくん……」
「そのようですね。ずいぶんスロースターターな身体をされているようで」
「ネコくんには言われたくないぞ」
「あなたほど酷くありませんよ。ところであなた、故郷はどこでしたっけ?」
それは話題が見つからないときの王道ネタです。なんとなくわたしから振ってみました。
「それは、前に言ったではないかね。我が輩は、別世界からきたのだ。いわゆる異邦人、エトランゼだよ! そんな我が輩を、大切な秘密の里に招くなんて、キミはどんだ変わり者だよ、ネコくん我が輩は感動した!」
あまりに嘘くさいせいでしょうか。悪いですが覚えていません。
要点だけまとめると、里に連れてきてくれてありがとうと、感謝しているようです。
「やっと頭に血が通いだしたようで何よりですよ」
「うむ、キミたちのためなら我が輩は、犬にだろうと、雑巾にだろうと! なんにだってなろうではないかっ!」
「その割に、随分と優雅な夜型生活をされているようですが……?」
「ハハハ、これはお笑い草だ。人の生活習慣が、そうそう簡単に変わるわけがなかろう痴れ者め」
なんでこの人、こんなに態度が大きいのでしょう。
わたしもこの体質ゆえに、強くは反論できないのが痛いです。
「ふぅぅ……極楽極楽、このまま昇天してしまいそうだよ、我が輩。はぁぁぁ……」
「ところでゾエ。あなたの頭が動き出したようなので、単刀直入に申します。うちの娘を、どう思われましたか?」
わたしの質問にゾエはリラックスした態度を崩さない。
わたしの目など意に介せず、だらしない姿勢で湯に浸り込んでいる。
「並外れた魔力。そしてその魔力から感じられる、圧倒的迫力と、気品――あれは素晴らしい娘さんだ。エドワード・パティントン、彼にあんな者を生み出す才能があったとはねぇ……フヒヒッ、彼女は興味深いよ」
迫力と気品。どちらもパティアには縁のない言葉です。
ですがわたしも少しだけ、ゾエの表現に納得してしまっていました。パティアの持つ魔力はあまりに特種過ぎるのです。
「ですが本当のパティアは遙か昔に他界しています。流行病だったそうで。それを妻と共に生き返らせたい、そう願って、遙か昔にあなたのところに現れた。そうですよね?」
超奇抜な発想力と怪しい闇の術を知るこのゾエなら、もしかしたら何か答えられるのかもしれません。
「フハハハ、ならば答えは簡単ではないか! エドワード氏は、ついに望みを果たしたのだよ! 我が輩にはわかるっ、彼はついに新鮮な魂と、状態の良い肉体の両方を手に入れたのだ!」
「バカを言わないで下さい。パティアだった者は流行病で死んだのです。仮に生き返らせようと冷凍保存しておいていたとして、どうやって、病に打ち勝ったのです。……そもそもそのパティアだった者に、誰の魂を入れたのですか」
ゾエの言うことは全て仮説です。
エドワード氏が亡くなった今、破滅の焔メギドフレイムを放てる少女という、結果だけが残されました。
「死体を改造したか、あるいは、病に打ち勝てるほどに強大な魔力を持つ、特別な魂を使ったのであろう。まあそんな魂など数限られるがね。やはり我が輩は、記憶を持つ肉体に別の魂を入れる方法を推奨するよ。人を形作るのは思い出だ、思い出がなければ、元通りの関係を築くことなど不可能だ」
ゾエのご高説は途中からわたしの耳に入らなくなりました。
強大な魔力を持つ特別な魂。そんな魂など数限られる。それが考えてはいけない仮説を、わたしに想起させるからです。
「む、どうしたのかね?」
「いえ、何も。そんな神にも等しい力を持つ存在など、この地上に、確かに数限られるでしょうね……」
「うむ。例えば、魔神。あるいは、魔――」
その言葉にわたしは頭が真っ白になりました。
それからふと気づけば、老いたネコヒトはゾエの眼球ギリギリに、爪を突きつけていたようです。
「な、ななな、なにをするのだねネコくぅぅんっ!?」
「このことは内密でお願いします。でなければ、わたしがあなたを殺しに行きます」
「な、なぜぇぇぇーっっ!? 相談にのってやっただけというのに、殺すとはっ、どういう了見かねキミィィィーっ!?」
「どうもこうもありませんよ……。その仮説が、魔軍上層部の耳に入ったら、どうするおつもりですか……」
パティアの存在だけは、絶対に隠し通さなければなりません。
ゾエがこのことをうかつに誰かまき散らせば、わたしたちどころか、この里がどうなるかすらわかりません。
「ハハハ、我が輩は研究者であるぞ? そんな俗世のことなど、我が輩が気にするわけがなかろう! うむっ、しかし少し考えてみると、これは――ヒィッ!? 考えてみたらっ、これって世界に戦争をまき散らす最悪の爆弾ではないかねキミィィッ?!!」
「なんでそっちの方向には、思考回路が幼稚なのですか、あなたは……。とにかく、あの子のことは内密に。わかりましたね?」
「フフフフフ……ぞえりんゾクゾクしてきちゃったよ、パティアくん……。あいわかったっ、パティアくんのためなら我が輩なんとなく、良い子になれそうな気がしてきたよ!」
「気がしてきた、では困るのですがね……。ではお先に失礼」
わたしは湯船を上がって、洗い場で毛皮から水気を飛び散らせると、布切れで簡単に拭ってから地上に上がりました。
まったく色気のない混浴もあったものです。
●◎(ΦωΦ)◎●
さてそれから城を出て城門前広場に出ると、そこにパティアの姿がありました。
「あ、ねこたんだー! ねーこーたぁぁーんっ♪ がばーーっっ」
「おやおや、もう気づかれましたか。湯上がりですから、あまりくっつかない方がいいですよ」
そう言いながらも、わたしは胸に張り付くパティアをつい強く抱き締めていました。
「あいててて……ねこたん? ぎゅ~~って、してくれるのは、うれしい。けどな、ちょっとなー、くるしいぞー……?」
強い包容は、わたしが普段あまりすることのない行為です。
パティアは目を丸くして、わたしに抱き締められたまま不思議がっていました。
「狩りに行きませんか。この前のように、リュックに入れて差し上げますよ」
胸の中のパティアを解放して、わたしは娘を森に誘いました。
もう一度じっくり彼女の顔を見つめて、ゾエが迫力と気品があると言った魔力を、肌で再確認しつつ。
「いく!! ねこたんにのるの、たのしい! いく、ぜったいいくー!!」
「わたしもあなたを乗せて走り回るのは、嫌いじゃありませんよ。ではパティア、部屋からリュックを取ってきて下さいますか?」
「まかせろー! ねこたんのせなかなー、はやくてなー、びゅーってなっ、とりさんみたいに、はやくてなー、パティア、ねこたんだいすきだ! とってくるねー!」
「今からそんなにはしゃぐと、後でスタミナ切れしますよ……?」
わたしはパティアからナコトの書を受け取って、いつもの術で娘を抱き上げて、城2階のバルコニーへと運びました。
続いてパティアがわたしから飛び降りて、リュックを取りにかけてゆく姿を見送りました。
全てを惹き付ける絶対の魅力。
魔神に肉体を奪われた魔王様が使っていた、メギドフレイム。
パティアの夢に現れた、目に星のある女性、最期の魔王イェレミア様。
ゾエの仮説。そして、わたしが彼女を拾ったという奇妙な因果。
「おーいっねこたーんっ、とってきたぞー! はやくいこっ、いっぱいさいしゅーして、みんなに、あまいのと、おいしいのと、めずらしいの、いっぱい、とってきてあげよー!」
「ええ、ですが森の中では、もう少しだけ静かにお願いしますね」
「んーー……それはー、ちょっとなー。ほ……ほしょ? ほしょできない。ねこたんとおでかけ、それは、パティアの、じんせい? だからなのだ!」
「ほしょではなく、保証でしょう。静かにできないのなら、乗せてあげませんからね」
「えぇぇぇ……むつかしいこと、いうな、ねこたん……」
まさか魔王様、そこにずっとおられたなんて、言わないで下さいよ……?
いえ、これはゾエの妄言です。真偽など今さらわかりません。
わたしはわたしとして、わたしの娘の成長をただ見届けるのみです。
魔王様にしてあげられなかったことを、わたしはこの子にしてあげたい。
もう二度と誰にも魔王様を奪わせません。
わたしのパティアはこの里で、寿命尽きるまで幸せに暮らすのです。
外の世界の戦乱になど、パティアだけではなく里の民一人足らずとして、わたしは絶対に渡しません。




