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30-4 温かい湯船を求めて ネコは炉を目覚めさせに行くそうです - 星の試練 -

 星の扉の向こう側に何があるかなど、もう予想が付いていました。

 これは最後の試練、ならばその先でわたしを待っている人物は彼女以外にあり得ない。


 わたしは覚悟を決めて扉を開きました。その奥で待つ後ろ姿を見つけました。

 彼女の前に静かに歩み、危険を承知でその足下にわたしはひざまずく。


「魔王、さま……」


 こうべをたれながら、わたしは目頭が熱くなってゆくのを感じました。

 ずっとずっとお会いしたかった。視界がぼやけ、とめどなく熱いものが流れ落ちて、それが床にあふれてゆく。


 何度まばたきしても涙は止まらない。

 これが偽りの幻影だとわかっていても、わたしはもう一度イェレミア様にお会いできたことに、感謝せずにはいられませんでした。


 魔王イェレミアの幻は、ネコヒトを襲いもしなければ、心を痛めつけるような言葉も吐かない。

 静かにわたしに振り返り、偽りと承知で忠義を尽くす愚か者を見下ろしていた。


「わらわは幻影……それを承知でもこれまで通り尽くしてくれるのかぇ、わらわのベレトートよ」

「当然です、わたしの主君はあなただけ、今日まで他の誰にも真実の忠誠を向けたことなどありません」


 魔王様の美しいお声を自分が忘れてしまってゆくこと、それがわたしの苦痛の1つだった。

 だがわたしはちゃんと覚えていた。当時そのままの魔王様の声が聞こえる、ただそれだけで嬉しい。


「こうべを上げよ、ちこうよれ、ベレトートよ」


 美しい黒髪に星の目を持つ絶対の美姫。けだるそうなその眼差し、しゃべり方から何から何まで当時のままです……。

 しかしわたしの身体には300年がけの経験が染み着いていました。


 もしこれが敵ならだまし討ちにされるかもしれない。ここで死ねばパティアが、里の者が悲しむ。

 そう考えるとわたしは、あの頃と比べれば大きくなってしまったわたしは、魔王様に甘えることができない。


「どうしたんだぇ……やっと会えたのではないか、何を我慢しておるぇ……膝に乗れ、わらわのベレトート」

「魔王様……それはできません」


「なぜだ、そちはわらわの命令を拒むというのかえ?」

「違います……。ですがわたしは……」


 魔王様の命令に一度も背いたことがないわたしが、魔王様を今拒んでいる。

 魔王様より、パティアたちのことを優先させている。


 ずっとずっと忠義を貫いてきたつもりなのに、わたしは嘘のような行動を取っていました。


「フ……それはなぜかぇ? わらわに教えてくれベレトート」

「はい。今のわたしには守らなければならない者たちがいます。わたしという暗躍者がいなければ、最悪この里は何かの事態が起きたときに崩壊することになるでしょう……。今より苦労したり、ひもじい思いをすることになります」


 だからわたしは死ねない。本物ではないイェレミア様のお膝に乗ることは許されない。

 例えそれが影であろうともそれは忠誠心への裏切りです。


「わらわより、彼らを取るか。そうか……」

「はい。あなたは幻影、あなたは……あなたは、もういません。あなたへの忠義よりも、今生きている彼らのために、わたしは尽くさなければならない」


 魔王イェレミア様はもういない。

 わたしはこの300年、それを認めることができなかった。でもこれが事実です。魔王様はもういないのです。


「クフフ……まるで、王のようなことを言う。面白いぇ」

「ですから、この命はまだ、あなた様に捧げられません……。わたしの娘は、あなたに少し似ていて、ふかふかとしたわたしが大好きなのです。彼女が老いて寿命で死ぬ、そのときまで、わたしはパティアを見守りたい」


「うむ、ならばこの扉の先に進むがよいぞ」

「ありがとうございます……。魔王様……」


 わたしは言われるがままに従いました。

 立ち上がって魔王様の隣をすり抜け、隠されていた白い扉の前に立ちました。


「おっと、足が、もつれたぇ……♪」

「ッッ……?!!」


 わたしは失格でしょうか。幻影のイェレミア様はわたしを後ろから抱き留めて、やさしく包み込んでくれていました。

 頭ではいくらわかっていても、身体が動きませんでした。


「わらわがもし、本当のイェレミアなら……こうしていただろう。すまなかったな、何も言わずに、消えて……」

「魔王様……いえ、滅相も、ぁ……っ?!」


「だが、わらわは……ずっと、一緒に……」


 ところが魔王様の質量が消えて、感触も、姿も何もかもが消えてゆきました。

 最後に残った言葉は何を言おうとしたかすらわかりません。


 いいえそれは偽物、意味などないはずです……。魔王様は、再びわたしの前から消えてしまいました。


「ザガ……何から何まで聞いていませんよ、こんなもの……」


 最後の白の扉を開いて、ネコヒトはもう何も考えずに炉のある最深部へと入り込みました。



 ●◎(ΦωΦ)◎●



 そこは炉と呼ぶにはあまりに不釣り合いな部屋でした。

 炉ではなくそれは祭壇。ザガが根城とするあの地下祭壇と対であるかのようにそっくりで、全てが白い基調で統一された場所でした。


 その祭壇の真ん中、あの地下祭壇で言うところの女神像が安置される箇所と同じ場所に、女神像によく似た、裸の女性が横たわっていました。


 しばらく眺めていると、女の隣に黒い影がゆっくりと凝り固まり、それがネコヒト・ザガへと変わったようです。


「たどり着いたな……」

「ええ。ですがこれは……?」


 それは人間によく似ています。

 けれど明らかに何かが違っていました。気配、魔力、魂の形とでも呼べるものが人間とはかけ離れていたのです。


「女神だ。……情け深い彼女は、今より気の遠くなるほど昔に、この城の動力そのものになった」

「つまりこれが炉なのですか……」


「そうだ」


 その時、薄暗かった部屋に白い照明が灯り、祭壇全体が明るく輝き出しました。

 女神様は眠るばかりで全く動かない。


「女神はお前を認めた、さあ行け、温かな風呂がそなたらを待っている」

「ええ、風呂1つのために、ここまで心をえぐられるとは思いませんでしたよ……」


「そなたの心の闇がそれだけ深かったということだろう。さて、これで晴れてそなたは我の後継者だ。神殺しの刃を継げ。いや俺たちの怨敵を殺せとはいわん、ただ、再び生まれたグラングラムの民を、幸せにしてやってくれ。民の笑顔をもう一度、彼女に見せてやって欲しいのだ」


 なるほど、そういった観点から見れば適切な試練だったのかもしれません。

 ザガは最初からこのつもりで、この城をわたしに押し付けるつもりで、結局はわたしを騙したようでした。


 それともう一つ。もしかしたら彼もまた、女性に仕える立場だったのかもしれません。

 女神に向ける彼の眼差しには、やさしさと悲しみが入り交じっていたからです。


「その程度ならいくらでも。では、晴れて熱い風呂とやらを浴びてまいりますよ」


 わたしはザガに別れを告げて、でかふくさんに導かれて地上に帰るのでした。



 ●◎(ΦωΦ)◎●



「こら、うなぎみたいに動き回らないで下さい、ちょっと、もう少しですから……」


 一番風呂はわたしがもらいました。

 家族ですので、パティアを連れて工事途中の風呂を楽しませていただきましたよ。


「ねこたーん、からだ、ごしごしは、もういい! ねこたんねこたんっ、いっしょに、おふろはいろーっ!」

「仕方ありませんね、そうしましょう。……おや、なんですかそれは?」


 パティアの身体にくんでおいた湯を流すと、娘は何かを抱えて湯船に飛んでゆきました。

 それからそれを湯へと投げ込んだのです。


「これかー? めーきゅーに、おねがいしたやつ」

「また、ですか……」


「ちっちっちっ……おふろに、おもちゃ、これははずせない。こども、みんなよろこぶ」

「それにしてはあなたの趣味に偏ってる気がしてなりませんがね……」


 しろぴよによく似た、小鳥のオモチャが7匹、湯船を気持ちよさそうに泳いでいました。

 おかげで風情も何もありません。


「ねこたんっねこたんっ、しゅごい、おふろ、あったかくなってる! ねこたんもはやくはやくーっ!」

「おや……これはなかなか、いえ最高に、最高の湯ですね……はぁ、あたたかい……」


 陰湿な試練でしたが、その先で待っていた入浴は最高のひとときでした。

 お義父さん、義姉さん、クーガ、魔王様……わたしは今を生きることにします。


 世話が焼ける連中がいなくなるまで……こうなれば仕方ありませんから……。


「ちょっとパティア、お風呂で泳がないで下さい、波が立ってとても入りにくいです。ちょっとっ、聞いてますか、お尻丸見えですよっ」

「えへへ……せくしー?」


「ええ、ジョグのお尻の次にセクシーですよ」

「わかるー。ジョグのおしりも、なかなか、わるくない……」


 皮肉のつもりだったんですけどね、もう何も聞かなかったことにしておきました。

 バーニィの肩を持つわけではありませんがこれは確かにそうなのかもしれません。


 混浴を止めて完全に男女で湯を分けてしまうのは、パティアの姿を眺めていると、とても惜しいことのような気がしてくるのでした。


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