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赤く濡れた月の影に(改稿版)  作者: 荒野ヒロ


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8/8

エピローグ ~少年の魂が見た夢~

 町中に入り込んだ怪物の話は二転三転した。


 最初それは、人間の少年のような姿をしていたとか、急に怪物へと変化したのだとか。その怪物と会話をした少女がいるとかいううわさも流れたが、今回の事件は町の衛兵と戦士ギルドが調査にあたり、その目撃情報などが集められた。

 目下のところ町を守る兵士たちの警備を抜けて、どうやって町に入り込んだかが問題となった。


 この話題は数日のあいだ市民の一番の話のネタになったが、時間が経つほど事実がねじ曲がり、しまいには怪物が犯人だったというのはうそで、頭のおかしな男の犯行だったという話も出てきていた。



 * * * * *



「あのじいさん、やりやがったな」

 戦士ギルドでそんなつぶやきをする男がいた。

 旅人風の出で立ちをした男。──だが、どこか様子がおかしい。

「まさか子供のガーフィド化を実験し、さらに町中で暴れさせるとは」

 退治された怪物の死体は戦士ギルドで調べられ、処分された。

 男はその死体を確認することはできなかったが、戦士ギルドが隠していた報告書に目をとおした男には、何が起きたかはだいたい理解できた。


 この男も魔術師であり、そしてアトマを怪物へと変えた老人もまた魔術師だったのだ。

 それも──呪われた魔術を行使するような、表舞台には決して登場することのない禁忌に該当する魔術を扱う魔術師たち。


「あのじいさんのことだから、きっとガーフィドの人間への擬態化にも取り組んでいるだろう。──ひさしぶりに会いに行ってみるか」

 男はそう口にすると、関係者以外は立ち入ることのできない資料室から出て行った。

 危険な魔術師はひそかに戦士ギルドをあとにすると、路地裏から人の波にまぎれてゆき、行方をくらましたのだった。



 * * * * *



 アトマの意識は闇に呑まれていった。

 くぐもった声が反響するような暗闇。まるで井戸の中に落ちているようだ。少年はそんなふうに思っていた。

 けれども少年はもう、自分が何者であったかも思い出せなくなっていた。

 それゆえに彼は、恐怖も不安も感じていなかった。


 彼がいま落ちている闇は、魂魄こんぱくが現世であった事柄を脱ぎ捨て、俗世の汚濁を捨て去り、煉獄へと向かう穴だった。

 そこで魂は根源へと還り、浄化され、再び命を与えられ、現世へと回帰するのだ。現世での記憶や経験といった個人的なもののすべてをはぎ取られ、魂は繰り返すのである。





 そこで少年だったものは夢を見ていた。


 少年が生まれたころの記憶。彼が現世に誕生した記憶の欠片。それがいま──まさに消失しようとしているのだ。


 その夢には女性と男性の姿が映っていた。

 だれの視点なのかもわからない──アトマだったものは、その夢の中を漂っていた。




『ねえ、この子の名前だけれど、アトマにしましょう』と女性が言った。

 彼女の顔を見上げている視点。どうやら赤子を抱き抱えているようだ。


『アトマ?』

『そう。──アトマとは純粋、無垢といった意味の言葉。この子にはそんな子供に育ってほしいの』

『ふん、まあ好きにするといいさ』

 男はぶっきらぼうに言い、それでもどこかうれしそうに笑っていた。




 夢がだんだんと遠ざかるようにして、消えていくのを感じていた。

 だが、それを感じている本人もまた、どの世界からも蒸発するように消えてゆくのだ。

 まるではじめから何も存在しなかったかのように、苦痛も喜びも、寂しさも孤独も。何もかもが白い闇に包まれてゆくように。


 その魂からあらゆるものが回収されていき、まっさらな状態に戻っていった。

 魂の根源たる虚空の海の一部に戻ったそれは、いつの日か──また現世へと旅立ってゆく。

 それまでは永遠の魂の座にあって、凪の海のごとく静穏な、深い深い眠りにつくことだろう……

暗く重い話の最後に、死を迎えた少年の魂が、死によって解放されるような描写を入れました。

いかがだったでしょうか。

この物語を再投稿するに至った話は活動報告にて書いておこうと思います。


それではまた別の物語で。


世界観や文章に何かを感じてくれた人は、(一人称書きですが)『魔導の探索者レギの冒険譚』も読んでもらいたいです。

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