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赤く濡れた月の影に(改稿版)  作者: 荒野ヒロ


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6/8

少年の変貌

 少女の首すじにかみつきたいという欲求がアトマを苦しめていた。


(だめだ、そんなことをしちゃいけない)


 心の中でわき上がるものにあらがおうと、少年はぎゅっと拳を強くにぎる。



 ──腹が減った──



 少年の中からそんな想いが強く膨れ上がってくる。

 まるで少年の体の中で二つの魂がせめぎ合っているかのように、それぞれがまったく別の行動を求めているのだった。



 ──ハラがへったぁあぁぁァァ!──



 衝動は少年に呼びかけている。


(だめだ、そんなこと。けど、なんでぼくはこんなにも、()()()()()()()()()()()()()()()!)


 アトマの中で時間がひどくゆっくりと流れ、少女の動きがのろく(スローモーションに)見えた。


(おなかが空いた──、この子。おいしそうだ……)


 その考えが少年の頭の中に混じりはじめていた。

 少年の理性はそれを否定し、拒絶しようとするのだが。肉体が、空腹が、少年の理性をどんどんすみっこに追いやっているかのように、彼の心の中を残酷な欲望で満たしていく。

 頭巾の下で苦しんでいる少年の苦悩に気づかず少女は振り返り、「じゃあね。まぬけのアトマ」と彼を侮蔑して帰ろうとした。


 その言葉に怒りを感じた少年は──一瞬、理性(人間性)の声を手放してしまった。

 怒りが少年の体をき動かし、空腹がそれに応えた。


 走り去ろうとする少女の肩をつかむと、少年は少女の体をすごい力で引き寄せ、飢え渇いた口を大きく開き、細い首すじに思い切りかみついたのだ。


「きゃああぁぁァアッ‼」

 突然の絶叫。

 もう一人の少女はすでに数歩先を歩き、アトマからは離れていた。

 叫び声が背後から聴こえた少女は驚き振り返った。


 そこには首をかまれた友だちの姿があったのだ。



「ジアナ!」



 友だちの名前を叫ぶ少女。

 目の前では首から鮮血を噴き出した友だちが、ゆっくりと地べたに倒れ込んでいくのが見えた。

 その女友だちの背後に立っている少年。

 倒れていくジアナは少年の外套を強くにぎりしめ、そのまま地面に倒れた。

 その拍子に外套と結びつけられた頭巾がずれて、外套と一緒に地面に落ちる。


「────ぁあっ」

 少女が少年の顔を見て、恐怖のあえぎをもらす。


「ばけもの!」

 少女の背後から近づいてきた母親たち。

 倒れた少女のすぐそばに立つ少年は口を真っ赤に染め、くちゃくちゃと何かをかんでいた。


 ──それは少女の首の肉。

 少年はそれを食べようとしていた。

 赤い血をあびた少年の肌は青白く、まるで死んでいる人間のようだった。

 彼の目は黄色に輝き、猛獣のように凶暴性をはらんだ眼球がぎょろりと動いて、母親たちをにらみつけた。

 目のまわりは落ちくぼみ、骨の形が浮き出すほど痩せこけている。

 顔のあざは黒ずんでいて、まるでそこだけ影が落ちているようだった。その黒い影の中から不気味に光る黄色いまなこ


 その顔を見た女たちは、がたがたと体を震わせている。


(ああ、なんておいしいんだ)


 少年はそう思いながら、少女の肉片を食いちぎる。

 いけないことだと頭の片すみで誰かがささやくような気がしていたが、彼はもうその声を聞くことはできなくなっていた。


 温かい血と肉を味わっていると、自分の中にあるものが急激に成長をはじめたのを、少年はおぼろげに感じていた。


「「こわがらないで」」


 しゃがれた声が少年の口からもれた。

 それを見ていた少女と母親は恐怖から叫び声を上げた。

 少年の気配は人間のそれとは明らかに違っていたのだ。


「「こわがらないで……ぼくはばけものじゃない」」


 少年の体からミシミシ、ギシギシと──嫌な音が鳴りはじめた。

 肉片を飲み込むと、少年の口から白い何かがぽろぽろとこぼれ落ちた。それは地面に赤い血とともに落ちていく。

 地面に少女の首からあふれ出した赤い血が広がり、その中に少年の口から落ちた物が転がっていた。──それは少年の「歯」だった。

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