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赤く濡れた月の影に(改稿版)  作者: 荒野ヒロ


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少女たちとの会話 ~変異の兆し~

 積み荷の飼い葉の中から外の様子をうかがっていた少年は、頃合いを見計らって、町中を進む荷車からするりと抜け出した。

 路地裏にすべり込むと、外套に付いたわらを払い落とし頭巾を深くかぶる。

 顔のあざは少年にも、自慢できるものでないことはわかっていた。鏡もない集落の生活では、自分の顔のことなど気にしたこともなかったが、顔の痣が自分にしかない物だというのはわかっていた。

 集落にある唯一の金属である刃物を磨き、その刃に映った自分の顔を見て知っていた。


 少年は頭巾の縁をつまんだまま、路地裏を歩きはじめた。

 夕日色に染まった町は、少年が見たことのない世界だ。

 狭い路地に飛び込んだが、石の壁に挟まれるのも、煉瓦の敷き詰められた道を踏みしめたのも初めて経験することで、少年は話には聞いていた町様子を体感し、愕然とした気持ちで路地裏から周囲を見回す。


 石造りの建物や道など、少年は見たこともなかったのだ。きっと町を囲む壁を近くで見ていたら、驚いた拍子にその場に尻餅をついてしまっただろう。

 彼は胸の奥がざわつくような興奮を覚え、いまにも駆け出したくなるような胸騒ぎを感じていた。


(まるで自分が自分じゃなくなったみたいだ)


 人通りの少ない細い路地裏から、大きな建物が建ち並ぶ通りを覗き込む。

 大通りには灰色の石畳が敷かれ、その上を通る車輪がごろごろと大きな音を立てて通り、馬のひづめがぱっかぱっかと軽快な音を打ち鳴らしていた。

 町中の雑踏は騒がしく、少年は思わず耳をふさいだ。

 彼の敏感な聴力は夜の静寂に適応し、遠くから聴こえる吐息を聴き取れるほど過敏に、物音に反応した。

 町行く人々の足の音さえ聴き分けられるほど、少年の耳は鋭敏に物音を捉えていた。


(こどもの声が聴こえる……)


 町の雑踏から離れた場所で、子供のものらしい話し声がかすかに聴こえた。少年は頭巾を押さえながら、声のする方向に向かって歩いて行った。

 もしかしたらともだちになれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてアトマという少年は、()()()()()には気づかずに、声のするほうへ誘われるように近づいて行った。



 少年は路地裏を使って広場に出た。

 人通りの少ない道を使って、通行人とすれ違うときはしっかりと頭巾を目深にかぶり、顔を見られないように注意した。

 視線の先に建物と道路に囲まれた、小さな公園が見える。そこには数本の木々と花壇がしつらえてあり、芝生や丘が人工的に作られていた。


 その小さな公園には二人の女の子がいた。

 離れた場所に母親がいて、何やら楽しそうに談笑しながら、子供たちを見守っているようだ。

 夕暮れ迫る公園にはほかに人影はなく、アトマは二人の少女と会話をしたいと思い、そちらに近づいて行った。

 少年の胸の奥が苦しいほど激しく脈動し、ばくばくと音が耳にひびくほど激しく聴こえてくる。


(なん……だろう。この胸の音は)


 どっどっどっどっ、

 その鼓動を無視して彼は少女たちに近づいた。


「や、やあ。何してるの?」

 少年は芝生に座っている少女たちに声をかけた。

「お話をしているのよ」

「あなただあれ? そんなに頭巾をかぶって、まるで童話に出てくるイプートみたい」

 そう一人の女の子が言うと、もう一人がくすくすと笑う。

 健康そうな二人の少女を見ていると、少年はなぜか急におなかが空いてきたことに気づいた。


「イプートってなんだい?」

「あなた、イプートを知らないの? イプートっていうのは頭巾をかぶった小鬼ゴブリンのことよ。人間のこどもをさらっていく、悪いやつよ」

「イプートを知らないだなんて、あなたは『アトマ』だわ!」

 少女たちはそう言うと、声を出して笑いだす。

 少年はその耳障りな声に小さないら立ちを覚えた。


「なんでぼくがアトマだって知っているんだい?」

 少年は少女たちが自分の名前を言い当てたと思った。

 快活に笑う少女を見ていると、空腹が激しい衝動となって少年の心をむしばみはじめる。



 ──ああ、なんでこんなにおなかが空くんだろう──



 あまりに急激な空腹を覚え、少年は自分の中で膨れ上がる、肉が食べたいという欲求に怯えはじめた。


(この二人を見ていると、すごく食べたいという気持ちになる。なんでだろう)



 ──ぁあアァ……、腹が減った──



 体の奥底にある何かが、少年に呼びかけているように感じはじめた。


「アトマ? あなたはアトマだと認めているの?」

 そう言った少女は完全に少年をばかにした口調だった。

「アトマはぼくの名前なんだ」

「あはははは──! うそでしょう? そんなはずない。『アトマ』なんて名前をこどもにつける親なんているはずないもの」

「そうよ。アトマって『まぬけ』とか『役立たず』っていう意味なんだから!」

 そう聞かされた少年は愕然とした。

 なんだって両親は自分にそんな名前を付けたんだろう。少年は空腹に怒りが混じってわけがわからなくなりはじめていた。


「『()()()()()()()』のお話を知らないの? あの二人の話! すごくおもしろいんだから。──まぬけのアトマとずる賢いボウラの二人。いつもボウラがアトマを手玉にとって、アトマに気づかれずに意地悪するの。アトマはボウラを親友だと思っていて、いつもひどい目にあうのに、アトマはボウラをずっと友人だと思っているの!」

「アトマはボウラにひどい目にあわされても、それでもボウラについていくの。それがすごい滑稽なんだから!」


 アトマは頭の中で何かがぐらぐらと揺れたような気がした。

 森で自分を助けてくれた老人。

 彼は少年が名乗ったときに首をかしげていた。

 そして自分を「ボウラ」だと名乗った。──それは偽名だったのだ。

 あの老人は自分を助けたふりをして、少女たちの言うとおり、自分をひどい目にあわせようとしているのだろうか。

 少年はそんなふうに考え、そして空腹と怒りの感情で気が高ぶってきた。


「あはははは! まぬけなアトマ! それがあなたの名前なのね! ……おっかしい!」

 二人の少女は大笑いし、母親たちもその声で子供たちのことを思い出したように少女たちに近づいてきた。

 離れた場所から「帰るわよ」と声をかける母親に答え、返事をしながら二人の少女が立ち上がる。


 前かがみになったとき、ちらりと見えた少女の首すじ。

 それを見た少年は、少女たちにばかにされた怒りと、おそろしいほどの空腹にき動かされそうになっていた。

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