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095 海の結界

 翌日、俺とプレゴーンは王宮の庭にいた。今回の最低限の目的は、さっき国王から渡された親書をマーメイドの代表者へ届けることだ。それだけだと簡単なようだが、そうもいかない事情がある。


「沖に出れば結界はすぐ分かるはずだ。膜のようなものがあって、船も人間も先に進むのを阻まれる」


 リカルド王子は何度かマーメイドへの接触を試みたが、結界に阻まれてマーメイドに会うことはできなかったそうだ。だから、マーメイドたちの真意がまるで分からず途方に暮れていたらしい。


「リューイチ殿、本当に一人でいいのか? 必要ならば護衛をつけるし、馬車や船も用意するのだが」

「国王陛下の御厚意は大変ありがたく思います。しかし、モンスターを相手とするのであれば私にお任せ下さい」

「馬車や船よりわたしの方がずっと速いですから」


 俺とプレゴーンの言葉に納得したのか、国王は頷いた。それから、表情をふと緩めると、俺の肩を軽く叩いた。


「リューイチ殿、どうか気負わないでいただきたい。我々はすでに何度も失敗している。すぐに結果が出るとは考えていない」


 そんなことを言われても「ですよねー」と答えるわけにはいかないよな。とはいえ、大船に乗ったつもりでお待ち下さいというような安請け合いもできない。だから、とりあえず笑顔を浮かべて「善処します」と答えるのが大人の知恵だ。

 ……まあ、こんな朝からバース王国の王族一同に見送られるということだけで無言の圧力をどうしても感じてしまうが。


「リューイチ、何かあったら無理をせずに引き返せ。何が起こっているか報告するだけで十分な成果だからな」


 なんだかんだでレオは俺のことを気遣ってくれているのが分かる。なればこそ、レオの婚約、そして結婚への祝福も兼ねて、この問題についてはある程度の結果を残したい。


「では、私は行きます」


 俺がプレゴーンにまたがると、エレナ王女が声をかけてきた。


「リューイチ殿、ご武運を」


 武運も何も、戦地に赴くわけではないんだけどなあ。まあ、王女のありがたい言葉を無下にするのは男がすたるというものなので、頭を下げておく。


「エレナ王女のお言葉、非常にありがたく感じます。この胸に深く刻みました」

「そんな……」


 なんか周囲の視線が痛いが、気にしないことにする。プレゴーンがジト目で俺を見ているが、まあいつものことだ。

 そして、俺たちは結界で覆われているという海域へと向かった。




「おっと、これは……」


 大した時間をかけず、俺たちは海へと出ていた。そして、ある程度沖へ向かって進んだところでそれと出くわす。


「……綺麗だね」


 プレゴーンの感想がそのまま俺の感想でもあった。

 結界というと、俺のイメージとしては光り輝くドーム状のもので仕切られているというものであったが、目の前に広がるのはたとえるならオーロラに近い。薄い膜のようなものが壁のように立ちふさがっているのだが、色をいくつも変えながらキラキラと輝いている。


「これが結界なのか……?」


 海がそのオーロラのようなもので仕切られているような感じだ。ドーム状というよりも、透明な壁で区切られているといった方がいいだろうか。色を変えながらもほとんど透明であるため、海の向こうの様子は見える。しかし、この結界は横にずっと広がっていて先が見えない。

 調査をしたというリカルド王子の話によると、直径数十キロメートルに及ぶだ円状の区域が結界で覆われているようだ。特に魚が集まっている場所であるらしく、漁獲量が相当異なるようだ。なんでもその昔マーメイドたちに教えられた場所で、バース王国の人間はマーメイドへの感謝の念を忘れたことはないらしい。


「自分たちで教えておいて結界で囲うなんて、随分と勝手な話だよね……」

「マーメイドたちが何を考えているか分からないのが難点だな。聞いた限りで怪しいと感じたのは、近づいてはいけないと言われている小島だが」


 マーメイドたちはその小島が何かは教えてくれなかったが、バースの人間たちはそれを守ってきたそうだ。まあ、よくある話なら、その小島に人間が無断で立ち入ってマーメイドの怒りを買ったとかそういう流れだ。もちろん、国王もそれを疑って独自に調査をしているが、今のところ小島に立ち入った人間の話は出ていない。そんなだいそれた事をするのは普通の漁師ではないだろうから、調べるのも時間がかかるのだろう。


「とにかく、マーメイドに話を聞かないことには何も始まらない」


 俺は結界に触れてみた。これもまた、リカルド王子が言っていた通り、やわらかい感触が返ってくる。船が誤って突っ込んだとしても船体が壊れることはないだろう。しかし、いくら先に進もうとしてもやわらかく押し返されるのだ。


「おお……ちょっと気持ちいいかも、これ」


 プレゴーンが嬉しそうに結界を何度も押している。

 この結界は海面から下にも続いていて、潜って向こうへ通り抜けようとしても無駄らしい。もちろん、結界そのものを何とかしようと試みたようだが、剣や弓矢などではまったく効果がなかったようだ。


「結界があるのに、海の流れは素通りしているようなんだよな。でも、人間のみならず魚や鳥などもどうやら出入りできないらしい」


 要は、生物だけを都合よく出入り禁止にできるようだ。プレゴーンが結界に阻まれたので、それはモンスターにも及んでいる。


「結界って便利だな」

「でも、妖精界ほどじゃないかも……」


 あー、確かにそうだ。

 妖精界は完全に別世界として成り立っていて、ヴィルデ・フラウに案内してもらえなければ入ることができなかっただろう。まあ、瞬間移動の魔法陣はそういう世界の壁、いや、次元の壁? そういったものを軽々と超えたが、それもまた妖精から教えられた魔法だからかもしれない。


「結界として目に見えているだけ、妖精の魔法よりかは相手にしやすいかもしれないな。プレゴーン、こうした魔法的なものってどうやったら打ち破ることができるか知らないか?」

「……知らない。……でも、魔力を打ち消すためには、より強い魔力をぶつければいいという話は聞いたことがある……かも」

「要は力業か。分かりやすくていいね」


 俺は神珠の剣を抜いた。俺の魔力で形状を変えることのできるこの武器は、言ってみれば俺の魔力を伝える媒介となる。

 静かに刀身に魔力を伝えると、刀身が俺の魔力によって輝き始める。


「いよっ」


 軽く声をあげて目の前の結界に斬りかかると、結界の膜は何の抵抗もなくスーッと斬れていった。よし、思ったより楽にいけたな。


「よし、これでいいかな」


 斬った場所は海面から結構離れているし、俺とプレゴーンが通れるぐらいの大きさでやめておいたから大きな影響はないだろう、たぶん。

 そして、そのまま結界の中へと侵入したわけだが……。


「何も変わらない……」


 結界の中が異空間になっていた!? ということはなく、普通の海原だった。透明だったし、さっき見ていた光景とまるで変わらない。まあ、当然といえば当然のことか。


「……!?」


 いや、違う。

 なんか、魔力が充満している? いや、そこまでじゃないか。ただ、なんかべったりとしたものが俺の身体に絡みついてきているような、そんな気がする。


「リューイチ?」

「……大丈夫だ。このまま先に進んでみよう。例の小島が、結界で覆われている場所の中央近くらしいから、そこを目指すのがいいだろう」

「了解」


 プレゴーンはいつものように、滑るように空を駆けていく。


「なあ、なんか感じないか?」

「……?」

「魔力に包まれているような、そんな感覚があるんだけどさ」

「言われてみれば……。でも、わたしはリューイチほど敏感に感じ取れるわけじゃないから」


 なんか似たような経験がある気がするんだよなあ、これ。この魔力の感じ……害意を感じないけど、俺についてくるような、俺を覆うような、俺を……。


「……!」


 あ、思い出した。

 ハイ・スライムのソニアが似たような魔法を俺に使ったことがあった。この世界に来たばかりの時のことだからなかなか思い出せなかった。


「見られている」

「……え?」

「魔法による遠隔視だ。結界の中に立ち入ったときから監視されている」


 俺が気づくレベルであったのは助かった。妖精界の時は、妖精界自体を女王が管理していたから、女王がこちらを見ていても気づくのが困難だが、今回の場合は魔力にはすぐ気づくことができた。

 そして、監視しているということは次のアクションは限られる。


「まあ、こうなるわな」

「……むう、一人で納得しないでよ」

「モンスターの気配が複数近づいてきているのを感じる。海の中からだから、もしかしたらマーメイドかもしれない。結構な数いるな」


 十人、いや、十一人だな。


「どうする?」


 プレゴーンが視線を陸地がある方へ向ける。


「マーメイドだったらこちらから探す手間が省けるってもんだ。向こうから来てくれているんだから、ここでおとなしく待つことにしよう」

「ん、分かった」


 俺たちは海面に近づいてしばらく待つことにした。

 すると、ほどなくして十一人のマーメイドに囲まれることになった。上半身は人間の美女で下半身は魚という姿は、セイレーンの一形態と見分けがつかないな。ベタに貝殻ブラジャーでもしているのかと思ったが、セパレーツの水着のようなものを着用していたり、薄いシャツのようなものだったり、ヌーブラのようなものだったり、トップレスという眼福ものだったり様々だ。


「こんにちは」


 俺は満面の笑みを浮かべて挨拶したが、マーメイドたちはこちらを胡散臭そうに見ている。


「そこのモンスターに乗っている人間。何のために結界を破って来た」


 リーダー格らしいマーメイドが俺に問いかける。髪が長いマーメイドが多い中、肩のあたりですぱっと切っている髪型が目立つ。青く大きな瞳はこの中で一番深い輝きを湛えていて、なかなか惹きつけられる。

 俺は名乗って敵意がないことをアピールする。そして、バース王国の使者として来たことを簡単に説明した。


「三ヶ月ぐらいでそんなことを言われても困る。今はとにかく我々は忙しい」

「いや、三ヶ月ぐらいって、人間にとっては結構長い期間なんだ」

「長い? 短いとは言わないが、長くもないだろう」


 ……いくつか問答を繰り返したが埒が明かない。少なくともこの三百年でこういうことになったのは今の僅かな期間にすぎない、などと言われても困る。年月の基準が人間とは異なるのが厄介だ。

 これはどうしたものかと俺が頭を抱えていると、マーメイドたちの様子が一変した。


「よろしいのですか? ……はい、分かりました」


 目に見えない何かと話している。たぶん、俺を監視していた何かと魔法で話しているのかな。

 マーメイドは俺の方を見ると、さっきまでとは態度を変えて一礼してきた。


「リューイチといったか? ウルスラ様がお前を客人として迎えるそうだ」

「ウルスラ様?」


 マーメイドの長かな? 国王から聞いていた名前と違うようだが、代替わりでもしたのだろうか。


「ウルスラ様は、この一帯の海を広く管理するクラーケンだ」

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