079 大浴場改装
俺は今、ダーナ王城にいる。定期的に報告書を提出しなければならず、今日がその日だ。そして、提出先は大臣であり、しかも俺が直接手渡しすることになっているので、大臣をこうして待っていなければならない。
本音を言えば、報告書の提出は手渡しじゃなくていいだろうにと思っている。疑問点があれば後で書面にて質問状を出してくれと思うのだが、大臣は俺から報告書を受け取ってざっと目を通し、気になったことを俺に直接質問するようにしているのだ。
そのため、忙しい大臣の時間が空くのを待つこの時間がいつもしんどかったのだが、最近は話し相手ができた。
「今回はヴァンニクという妖精に力を貸してもらうことになったんだ」
「ヴァンニク?」
「風呂の妖精だよ。水をお湯に温めた上で、そのお湯を自在に操る能力を持っている。風呂の番人みたいな感じだったな」
「へえ、そんな妖精がいるのか」
話し相手は、レオナルドという名の若い騎士だ。確か二十一歳だったか。金髪碧眼で、ハリウッドの主演男優のようなイケメンだ、妬ましい。身長は百八十センチぐらいかな。
貴族の長男で、俺のことをどこからか聞いて興味を持ったとかなんとか。貴族相手ということで当然敬語を使うべきだが、二人でいるときはそういうかたっ苦しいのは抜きだと言われて、友人と会話するような感じになっている。こうした歳の近い同性と話すのは本当に久しぶりで、最近の密かな楽しみにもなっている。
「リューイチは毎日が面白そうでうらやましいよ」
「面白いかどうかはともかく、好きなことをやっているから楽しいのは確かかな。忙しくて目が回りそうだけどね」
「それにしても、リューイチは本当にすごいと思う。モンスターなんて、俺はほとんど見たことがなかったが、そんなモンスターを次々に仲間にしているんだろ? グローパラスに一度行ってみたいものだ」
「ん? 時間を作って来たらいいじゃないか。レオなら歓迎するよ」
俺はレオナルドのことをレオと略して呼んでいる。俺からではなく、レオの方から言ってきたことだ。
「なかなかそういうわけにいかなくてね……」
「騎士をやってれば公務で忙しいか」
「……ああ、そんなもんだ」
「時間を作ることができたら言ってくれよ。俺が案内するから。あ、娼館は見るだけだからな。貴族の娼館利用は禁止だ」
そのことにレオが残念がるかと思ったが、レオは肩を軽くすくめると、顔を少し逸らした。怒らせたか? と思ったが、どうやら照れているようだ。
「俺は心に決めた人がいるから、そもそもその必要はない」
……なんてイケメンな台詞だ。「心に決めた人がいる」って、人生で一度は言ってみたい台詞の一つだと思う。そして、その台詞がまったく嫌味にならないたたずまい。本当にイケメンって得だな、くそ。
「なんだ、そんな相手がいるのか。で、相手はどうなんだ? レオのことを知っているのか?」
「ああ。何度か会っている」
「……で、脈はありそうか?」
「……実は、婚約がほぼ決まっている」
「なんだよ! リア充かよ!」
「『リア充』?」
俺は思わず叫んでいた。言葉に疑問を持たれたということは、リア充の語感に該当する言葉がこの世界にないってことかな。
「最高に幸せなやつってことだよ! この幸せ者!」
まったくもって、うらやましい話だ。
それからレオをひとしきりからかった後、レオに貴族の風呂について聞くことを思い立った。
「なあ、貴族はどんな風呂に入るんだ? 当然公衆浴場ではないだろうけど」
「ああ、専用の風呂がある」
やはりか、それなら話が早い。
「風呂に何か入れる風習があったりしたら教えてほしい。できれば、女性について知りたいな」
その言葉にレオはしばらく黙考していたが、やがて思い出したようで手をポンと叩いた。
「……確か母上や姉上、妹は風呂に精油を入れているって聞いたことがある」
「精油か」
やはりこの時代にもあるか。ただ、俺は作り方を知らないんだよな。
「作り方を知ってたりは……」
「さすがに知らないぞ」
「まあ、そうだろうな。うーん、貴族が使っているから買うにしても高いだろうなあ……」
アルラウネが何か知らないかなあ。菖蒲湯みたいにアルラウネの葉を直接入れてもいいような気がするけど、あの大浴場に十分に行き渡るようにしたら、アルラウネの再生能力でも葉が追いつかないような気がする。
「バラの花を入れるって話も聞いたことがあるな」
「花は高いんだぞ」
「そうなのか?」
「風呂にバラを浮かべたら、一体どれだけの費用がかかるか考えたくない。精油なら何滴か入れるだけだから費用対効果がいいけどさ」
その後、レオは公務をやらなければならないと言って去っていたた。それからしばらくして大臣がやって来て、いつものように報告をする。とにかく、毎回色々なことを質問されるからやりづらくてかなわない。
大臣から解放されたのは一時間以上経ってからだ。
脱力した俺はほうほうの体で帰ろうとしたが、帰るときに扉の近くに袋に包まれたものが落ちているのに気づいた。その袋には一枚の紙が置かれている。
「なになに、『妹から一本もらったから好きに使ってくれ レオナルド』」
袋の中を見ると、ガラス瓶にローズマリーと書かれたラベルが貼られている。よく分からないが、結構な値段がしそうな気がする。ほいほいもらっていいのだろうかと思ったが、せっかく用意してくれたものだからありがたく使わせてもらおう。この礼は何かの機会で返せばいい。
俺はグローパラスに戻ると早速大浴場へと顔を出した。妖精界からは、マイヤさんを含めて三人のヴァンニクが派遣されて、ここ数日でグローパラスの浴場に慣れてもらっていた。
グローパラスの大浴場は、街の公衆浴場とは構造が異なる。簡単に言えば、風呂たらしめている部分の多くにモンスター娘が関わっているのだ。
まず、水がないと話にならない。その水は、川からウンディーネの力を借りて運んでいる。本来なら上水道のようなものをしっかりと設けなければいけないが、水の流れをウンディーネが魔力で固定化してくれたおかげで、水の通り道さえ一度作れば後は自動で水が循環する。
風呂に使う水は綺麗なものが好ましい。そのため、川から大浴場の通り道、大浴場から川への通り道の途中にそれぞれ水を一時的に貯める場所を作り、ウンディーネに水の浄化を頼んでいる。この近辺に住んでいるウンディーネの全てに、水を浄化する能力を進化魔法で与えているので、風呂が稼働する時間の間、交代でやってもらっているのだ。一度風呂として使った水は、再利用することなくウンディーネが浄化して川へと戻される。浴場内で浄化再利用をしないので、いわゆる循環式の温泉よりも清潔かもしれない。
なお、川から大浴場のところで分岐を設け、そこからさらにグローパラス各所へ水を供給している。そして、大浴場へと向かう水は大浴場内の水貯蔵部屋へと運ばれる。本来ならボイラーがあるべき場所だが、ここでかつてはムニラが火の魔法で水をお湯にしていた。これからは、ヴァンニクが水をお湯へとする。
そうしてできたお湯はそれぞれの湯船へと供給され、その一方で排水もきちんとする。水が豊富で、ウンディーネの協力によりしっかりと循環させることができるからこそ可能となった大浴場だ。
「それにしても、リューイチさんは風呂に対して熱心ですね」
マイヤさんが俺に話しかけてきた。相変わらず全裸なので目のやり場に困る。まあ、浴場内なので俺も全裸であり、さらに何人かついてきたモンスター娘たちも全裸だ。ムニラ、サンディ、ローナ、カフィ、ニュン、ネル、ニル、ソニアさんなど結構な人数がいる。
「風呂が嫌いな人はいないですし、気持ちよさを追求するなら誰でも熱心になると思いますよ」
そして、まずはヴァンニクに頼んで炭酸風呂を作ってもらう。最初は炭酸の量をうまく調節できなかったようだが、何度もやって能力をコントロールできるようになったらしく、ほどよい量の炭酸を出すことができるようだ。これなら、硫黄泉も再現できるような気がしたが、個人的にあの臭いはやはり苦手なのでなかったことにする。
「わあ、すごい! あわあわ!」
ニュンが快哉をあげている。サンディは、泡が弾ける感触が気になるようで、おっかなびっくりといった感じでお湯につかり、いつものように泳いではいない。
「マイヤさん、風呂の中で水流を作ることってできますか? その水流を体に当てながら風呂に入る楽しみ方もあります。あ! 渦じゃないですよ! そこそこの勢いで結構ですから!」
張り切って渦を作ろうとしていたマイヤさんを慌てて止める。浮かぶようにして風呂に入るサンディあたりが悲惨なことになりかねない。
「あはははははははははは!」
何箇所かに水流ができると、サンディはその水流に乗って縦横無尽に移動し始めた。それが楽しいらしい。
「いや、そうやって楽しむものじゃないんだけどなあ」
「ああ、これはいいですねえ……」
うっとりとした声をあげているのはソニアさんだ。水流がスライムの体に当たってスライムの体全体がぷるぷると震えている。いや、その楽しみ方はたぶん俺が想定しているものとは違う。だが、ソニアさんがあまりに幸せそうな顔をしているのでツッコミを入れるのはやめておいた。
そして、俺は新たに作った小さめの湯船の前にいく。三人ぐらいなら一緒に入れるぐらいの大きさだ。何かを入れるための風呂だ。さすがにプールクラスの大きさの風呂に何かを入れる風呂は無理だと思ったのだ。そして、その小さな湯船に、レオからもらったローズマリーの精油を五、六滴たらす。
「お、これだけでいいのか不安だったけど、ハーブの匂いが確かにするな」
どこか涼しげな香りが微かにする。俺としては甘い香りの方が好きなんだが贅沢は言うまい。
「へえ、面白いことをするね」
「なるほど、人間は風呂にそのようなものを入れて楽しむのですね」
ムニラとマイヤさんが興味を持ったようだ。二人は一緒に湯船へとつかる。
「香りを楽しむってわけだね」
「詳しくは知らないが、あの炭酸の風呂もそうだけど、血行がよくなったり新陳代謝がよくなったり、体にいいって話を聞いたことがある」
「へえ」
「美容にもいいって聞くな」
その俺の言葉にサンディとニュンを除く全員の目がキラッと光ったのを感じた。ああ……余計なことを言っちゃったな、俺。
そして、のぼせる一同をサンディとニュンと一緒に介護するはめになったのも当然の帰結であった。




