055 妖精界
俺としては予想外の試験もどきがあったが、思っていたより簡単に妖精界へ行くことができるようでよかった。妖精界へ入るためのクエスト的なものとして 、もっと面倒なことをやらなければならないことを覚悟していたが、それはゲームのやり過ぎだったかも。
「リューイチ、用事が終わったらまた立ち会ってちょうだい」
キラキラとした眼差しでエルザに言われ、俺は曖昧な返事をしてそっぽを向くしかなかった。また武器を持っての試合はちょっと勘弁願いたい。
……なんかさっきから強い視線を感じるが、無視しよう無視。
ん? クレアはエルザに妖精について何か聞いているようだ。仕事熱心、いや、仕事というか趣味に熱心と言えばいいのか。
「では、妖精界に案内するわよ。リューイチは私の右手、クレアは左手を握ってくれる?」
「あたしはー?」
「プロミィは肩に乗ってね。私に触れていれば大丈夫だから」
手をつないでみると、思ってたよりやわらかかった。戦士というからてっきり手の皮は厚くなっているものと思ったけど。なお、手をつないだだけでドキドキするようなピュアな心はとっくの昔に失っている。そんな歳でもないから当然だが。
「それじゃ、いくわよ」
エルザがそう言った次の瞬間、軽い浮遊感を感じた。エレベーターが目的の階に到着した時にフワッとなるあの感覚だ。
だが、その感覚を味わう余裕というか、そんな暇はなかった。
なぜなら、周囲の景色が一変していたからだ。
「これは……」
「うわあ、すごい!」
「すごいすごーい!」
さっきまで荒野だったのに、今はやわらかな草が適度な高さに育った草原に俺たちは立っていた。種類はよく分からないが、赤、白、黄色、紫、様々な色の花が咲き誇り、それだけで心が癒される。また、吹き抜ける穏やかな風が心地いい。気温が寒すぎず、暑すぎず、適度に感じるのがまた心地よさの要因だろう。
「ようこそ、妖精界へ!」
エルザの言葉は、まさにここが妖精界そのものであるという意味だ。そして、その言葉の通り、至る所に妖精たちが……!
いない……だと!?
俺は周囲をきょろきょろと見回す。クレアも同じことをしているところから察するに、俺と同じことを考えているのだろう。
「なあ、エルザ、妖精界って言うわりには妖精の姿がまったく見えないんだが」
「確かに。私の想像していた妖精界だと、この草原なんて妖精で溢れかえって妖精のつかみどりし放題なんだけど」
それはそれで怖い気がする。だが、こんないかにも妖精がいそうな場所に妖精が一人もいないのは不思議だ。
「今は色々あってね。さっきリューイチの腕を試したのも、自分の身を守れるかどうか知りたかったのがあって」
いや、さっきのは試合をやること自体好きだからってのがあるだろ。そして、何か聞き逃せないことを言ってるよな。「今は色々あって」ってどういう意味だ。
「エルザ、今の妖精界で何が……」
「私は任務に戻らないと。それじゃ、妖精界を楽しんでね」
一方的に消えるエルザ。どんな魔法を使っているのか知らないけど、追いかけることができやしない。
こういういかにも思わせぶりなことを言うキャラって、なんで肝心なことを言わないでさっさと消えるかなあ。
「なあ、クレア。さっきのエルザの言葉の意味ってどう思う?」
「考えても仕方ないんじゃない? 悪い予感しかしないけど」
確かにクレアの言うとおりだ。それにしても、本当に妖精がいないのか……?
その時、俺の目に妖精の姿がうつった。プロミィよりもほんの少し小さな体躯、背中に生えているのは蝶のような羽という妖精だ。
「あれ? 人間?」
その妖精は俺が見ているのに気づくと、向こうからこっちに近づいてきた。その妖精はプロミィに気づくと、まずプロミィに挨拶をする。
「こんにちは、私はフェアリーのエマだよ」
「こんにちは、あたしはウィルオーウィスプのプロミィ!」
それからエマは俺たちにも挨拶をしてきたので、こちらも名乗って挨拶する。
「この妖精界に人間が来るなんて珍しくてびっくり! 避難指示が出ているけど、外に出てきて正解だったかも!」
「ちょっと待った」
今、さらっと聞き逃せないことを言ったな。今度は消えられる前に絶対聞く。
「避難指示ってどういうことだ?」
「今日は狼が出そうだから、念のために自分の住処でじっとしてろーって。私たちに直接何かしてくるわけじゃないから、じっとしている妖精は少ないよ。ここまで遊びに来るのは少ないけどね」
狼? どういうことだ?
「もっと詳しく教えてくれ」
「えっとね、太陽を見てみて」
太陽? どういうことだ?
俺たちは空を見上げて、そして、それを見た。
「あ!?」
それは、俺だけではなく、クレアとプロミィの驚きの声でもあった。
太陽は俺たちが知っている太陽ではなかった。
馬車のようなものが天空を走っていて、その馬車には幌がなく、乗せられている荷物が丸見えだ。
そして、その荷物こそが、太陽そのものであった。
「よく分からないけど、太陽を馬車が運んでいる?」
クレアは右手で目を覆い目を細めながら言った。
「クレア、目は大丈夫か? 太陽を直視すると目を痛めるぞ?」
俺の目は太陽の光を見ても痛くない。この世界に来て太陽を直視するのはたぶん初めてだが、痛くないのは俺の肉体が人間とは違うからだろう。しかし、人間のクレアは太陽を見ようとするだけでまぶしくて目が痛いはずだ。
「ううん、確かに眩しいというか明るいけど、見ていて目が痛くなるってことはないのよね」
普通の太陽とは違うってことか? まあ、あれは普通の太陽とは違うか。
白い馬車を四頭の馬が引いている。その馬はケンタウロスのように下半身は馬、上半身は女性のようだ。どんな容姿をしているかまではここからだとよく分からない。さらに、その馬車を運転している御者がいることも分かるが、やはりここからだとよく分からない。
……それにしても、視認できるということは地上から遠くないのか? いや、太陽が近くで燃えていたら地上がやばいよな。ということは、あの御者や馬は実は相当巨大なサイズだったりするのだろうか。
「太陽を運ぶ馬車……ギリシャ神話の世界だな、こりゃ」
エリダヌス座という星座の神話を漫画で読んだことがある。太陽神ヘリオスの馬車がヘリオスの息子の運転で大暴走して、ゼウスは暴走を食い止めるためにヘリオスごと馬車を雷で撃ち落としたってやつだ。
その時、狼の鳴き声が響いた。
あおーーーーーーーーーーーーーーーん!
狼? 俺は鳴き声がした方向を見る。それは太陽と同じ天空だ。
……いや、狼のようで狼じゃない。姿形は人間の女性に近そうだ。やはり遠目でいまいち分からないが、空中を二足歩行で走っている。尻尾が生えているのが見えるが、たぶん狼の尻尾なのだろう。
「なんだありゃ……」
「だから、狼だよ」
いつの間にかエマが俺の肩に腰掛けていた。プロミィも反対側の肩に腰掛けているな。俺の肩はお前たちの椅子ではないんだが。
狼娘が現れると同時に、雲から妖精と思われる一団が現れ、狼娘に対して矢を射かけ、魔法を放ち始める。
「あれは空を飛ぶのが得意なスプライトとフェイだよ」
なんか事態が急展開すぎてついていけない。なんでいつの間に狩りみたいなのが始まっているかな。
しかし、狼娘に当たる矢は狼娘に突き刺さらず、皮膚か何かは分からないが弾かれている。さらに、魔法の光や雷が当たっても狼娘は気にならないようだ。頑丈すぎやしないか? こうも戦力差を感じると、狩りとは思えないな。
馬車はそれから狼娘を振り切ろうとあっちこっちに走るが、狼娘を振り切ることはできないようだ。その間も妖精たちは攻撃を仕掛けるが、狼娘にはまるで効果がない。
やがて、狼娘は馬車に跳びかかり、太陽を掴み取った。それから何をするかと思いきや、太陽を口に運んで何口か食べている? そして、そのまま太陽を持ったまま、いずこかへと走り去る。馬車と妖精たちの方は、もう狼娘を追いかける気力はないらしく、狼娘が走り去るのをただ見ているだけしかないようだった。
「一体何だったの?」
クレアの言葉にまったくの同意だ。一体何だったんだ、あれは?
妖精界にやっと来ることができたと思った途端にこれだ。幸先が悪いというか、これからどうすればいいんだ。




