052 湖の乙女
手間取ったが、プロミィを納得させる進化ができたことで、ヴィヴィアンの居場所を教えてもらえることになった。
「約束したわけじゃないけど、こうやって、えっと、進化だっけ? あたしの長年の悩みが解決したわけだから、ヴィヴィアンの所に案内するよー。たぶん、リューイチみたいなのには興味を持つだろうし」
「なんだそりゃ」
「でも、今日は遅いから明日ね」
そして、森の入口近くにある今は使われていない猟師の小屋に昼ごろ集合することになった。全てのモンスターに当てはまるかは分からないが、プロミィに関しては時間の概念があまりなかったので大雑把な時間指定とせざるをえなかった。その結果、真昼ごろに着いた俺たちは一時間ほど待たされることになった。
「いつも昼すぎまで寝ているからさー」
夜明け前まで鬼火を纏いながらうろつくのが習性らしい。だが、そういうことはもっと早く言ってほしかったものだ。
「ここからどのぐらい歩く?」
「一番近い湖だよ」
あれ? そこは最初に探したんだけどなあ。何か見落としがあったのだろうか。モンスター娘の気配を探る俺の能力も、よほど近くにいなければ正確に距離や場所が分かるわけではないし。
「ところで、ヴィヴィアンってどういう妖精なんだ?」
俺の知っている限りでは、アーサー王の伝説に出てくる湖の乙女だ。妖精だったり魔法使いだったり円卓の騎士の育ての親だったりするんだっけ。アーサー王の物語を原典や邦訳で読んだわけじゃないから、それらが同一の存在なのか、湖の乙女という妖精の種族であっては別々の妖精なのか、そのどちらかは知らないが。
「んっとね、あたしたちウィルオーウィスプが火を操る妖精だとしたら、ヴィヴィアンは水を操る妖精だよ。でも、ヴィヴィアンは妖精の中でも魔力が強い種族だから、魔法で色々できるんだけどね」
ああ、やっぱ魔法は得意なのか。そして、今の話しぶりからして、ヴィヴィアンは種族名ってことみたいだ。そうなると、複数存在するのかな。
「今から行く湖には三人住んでたかな」
「え!? 本当に!?」
「でも、あたしが直接知っているのはそのうちの一人だけだよ。ヴィヴィアンの中でも古株らしくて、二百年ぐらい生きているみたい」
そもそも妖精って寿命がどのぐらいなんだろうか。水つながりで似たようなウンディーネの寿命は数百年らしいけど。いや、数百年ってかなりアバウトだけどさ。本人たちもいまいち把握していないっぽかったからなあ。
「名前はノエル。人間が書いた本が好きで、いつも本を読んでいるよ」
「え? 本って結構値が張るぞ」
「気軽に手を出すことはできないですよね……」
本が一般に出回り始めるぐらいに活版印刷技術が発達してから、まだ十年も経っていないらしい。そのため、ごく最近出版された本以外はどれも部数が少なく、値段も高くなっている。
今では、印刷そのものが商売として確立し、それに伴って新しい本はそれなりの部数が刷られるようになり、さらには新聞のような情報媒体すらできつつあるようだ。ここらへんは、もしかしたら地球よりも発展速度が早いかもしれない。
「人間のふりして、魔法を使ってたまに稼いでいるらしいよ」
「へえ……」
「他にも自分で本を書いたりしているんだって。だから、ほとんど自室に引きこもっているみたい」
本好きが講じて本まで書いているのか、そりゃすごいな。
そんな感じの雑談をしながら歩き、ようやく湖に到着する。
「ここの湖は最初に調べたけど、ヴィヴィアンらしきモンスターはいなかったけどなあ。わざわざ潜って調べたのに」
「それじゃダメだよ。入口は魔法で隠されているから、合言葉を言わなくちゃいけないんだ」
なるほど、魔法で隠されていたせいで、見つけることができなかったのか。プロミィに出会えてよかった。このことを知らなかったら何日経っても見つけられなかったかもしれない。
「ノエルはとっても素敵な女の子!」
「ん?」
プロミィがいきなり大声を出すと、周囲の気配が変わり、湖の上に浮かぶ館と、館へと続く橋が現れた。
え? 今のがもしかして合言葉?
「……随分と変わった合言葉だな。もっとこう、いかにも合言葉的な、詠唱めいた言葉を期待していたんだが」
「覚えやすくていいと思うよ」
ヘタに複雑にして合言葉を忘れるよりかはいいかもしれないけどさ。地球にいた頃は、フリーメールとか複数使っていて、セキュリティーのためにパスワードを全部別にしていたら、いざ使うときにどのパスワードを使っていたか分からなくなって大変だったことがあったな。
「リューイチさん、行きましょう」
おっとつい考え事をしてしまった。
ここまで来たら、早くヴィヴィアンのノエルってのに会って、妖精界の場所を聞かないとな。
どこからか立ち込めてきた霧で視界が急速に悪くなってきた。霧に包まれた館とか雰囲気があっていいものだな。赤い血文字でなんちゃら殺人事件とか、なんちゃらが住む恐怖の館とかテロップが流れるとなおそれっぽい。そんな益体もないことを考えて肩をすくめると、俺は館へ向けて歩き始めた。
「こんにちはー」
ヴィヴィアンの館は、グローパラスにある俺の館と同じぐらいの大きさだった。館の壁や床の材料はよく分からないが、水のように透明なクリスタルみたいなものだ。特徴的なのは、至る所に水が流れていて、川のせせらぎのような音が色々なところから聞こえることだ。
「天井から水が壁を這うように流れていますね。不思議です……」
あ、本当だ。天井にも水が流れている。それなのに、天井から水に直接水が滴り落ちるのではなくて、天井から左右の壁に向かって流れ、そして壁から薄いヴェールのように水が流れ落ちている。そして、その水は床と壁の間にある側溝のような場所を川のように流れていく。
「涼しげな感じでいいな、これ」
「それにとても綺麗です……」
「面白いよね」
俺たちが立っているのは正面の門から入った場所で、かなりの広さがあるロビーのようなものだ。目の前には二階へと続く横に広い階段があり、その階段は一階と二階の間に踊り場があり、その踊場から左右へ分かれて二階へと続いている。
その二階の右奥の方から、足音が聞こえてきた。
「おお、久しぶりの人間の客人じゃの」
なんか可愛らしい声が聞こえてきた。プロミィほどではないが、声が高くて若干幼さすら感じるぞ。
「わーい! ノエル!」
「プロミィもおったか。久しぶりなのじゃ」
そこにいたのは、十代前半、いや、もしかしたら二桁ぎりぎりぐらいの外見の少女だった。白く美しい肌に、床に届きそうな長い髪は蒼玉のような青さだ。一見すると人間の少女だが、背中には水そのもののような流動する青く透明な蝶の羽のようなものが生えている。
身に纏っている衣装は薄い白のワンピースのようなものだ。かなりのミニスカ具合なのがちょっと気になる。
まあ、一番気になるのはその外見だ。
あれだ、湖の乙女って確か湖の貴婦人って別名もあったはず。妖艶っていう表現がふさわしいボン・キュッ・ボンを俺はものすごく期待していたんだ。
しかし……。
「そんなに見つめられると照れるのじゃ……」
ノエルは両手を頬に当てて顔を赤らめている。確か御年二百歳以上なのに。
「し、失礼しました! 俺はリューイチ・ミヤモトと申します!」
「私はティナ・レーゼルと申します!」
俺とティナは直立不動して挨拶をした。
「よいよい、楽にせい。それに、リューイチとやら、可愛い儂に見とれるのはごく当たり前のことであって、何も失礼なことではないのじゃ」
いや、見とれたわけではないが、わざわざそれを口に出して指摘するほど俺は馬鹿じゃない。
正直出鼻をくじかれた感はあるが、ノエルから感じる気配は、ウンディーネの長アクリア以上のものがある。
緊張を解かない俺たちを見て、ノエルはかんらかんらと笑うと、音もなくその場から浮かび上がり、俺たちの前に静かに着地した。
「知っていると思うが、儂はヴィヴィアンのノエル。二人を歓迎するのじゃ!」
ビブリオマニアで根暗な妖精の予定でしたが、敬老の日だったのでこうなってしまいました。
なお、このテの話し方をするモンスター娘は多くはありませんが、少なくもないです。




