第80話 どエルフさんと隙
「んがぁっ!! 人間がオークに腕力で勝てる訳がないんだなぁ!!」
「ほう、なら、試してみるか?」
勇者へと伸ばされていた野太いその腕。
暗黒騎士がつかんだままのそれに力をこめて、ハーフオークが暗黒騎士を振り払おうとする。
しかしながら、いくら彼が力をこめてもその腕はびくともしない。
「んがぁっ!? なっ、なんでだぁっ!?」
「この程度か。なら、今度はこちらから行くぞ!!」
そう言って暗黒騎士がハーフオークの丸太ほどある腕を握りしめる。
みちみちと生々しい音が聞こえてきそうなくらい、よどんだ緑色の肌にその指先がめり込む。
ぎぇっ、ハーフオークが悲鳴をあげるや、暗黒騎士はその化け物の巨体を片手で持ち上げると、えいやと更衣室の床へとたたきつけた。
みちりとみちりと床が割れて、木片があたりに飛ぶ。
「――すごい」
「――なんという膂力だ。シュラト、あの細い体の中に、どうしてそんな力を」
心情を吐露したのは勇者と男戦士。
暗黒騎士の間抜けな格好とは裏腹な実力を目の当たりにして、二人は同じ戦士としてそれを思わず吐き出していた。
今日行われた舞踏大会の中でも暗黒騎士の剣技はとりわけて彼らの目を引いた。
決して侮っていたわけでもなければ、その実力を過少評価していた訳でもない。
しかしいま、男戦士と勇者は、この謎多き騎士が見せたその実力に、彼に対する認識を改めていたのだった。
ぐぇ、と、息を吐いてその場に大の字に倒れるハーフオーク。
それを見据えたまま、暗黒騎士は口元の布巾を声に揺らした。
「アリエス!!」
「――ここに」
途端、清らかな風がどこからともなく更衣室へと吹き付ける。
茶黄色の濃いガスを吹き飛ばして視界が晴れる。
すると、暗黒騎士の隣にいつの間に現れたのか、漆黒のローブを被った彼の相棒が現れていた。
これに反応したのは、女エルフだ。
「――間違いない。これは風の精霊を使役した精霊魔法」
精霊魔法の使い手は極めて少ない。
精霊王に気に入られて契約関係にあるのなら別として、精霊と心通わせるには、自然と心を通わす高度な感応能力が必要になる。
そして、その感応能力はエルフ族が遺伝的に持っているもの。
もしや彼女もエルフではないか、そう、女エルフが勘ぐったのは言うまでもない。
そんな女エルフや男戦士の視線をよそに、暗黒騎士はローブの相棒の方を見る。
いつもの冷ややかな笑みを浮かべると、彼は静かに手にしていたハーフオークの手を解いた。
「よくやった」
「――いえ。それより、シュラト様。もう一人の賊の姿が見当たりません」
「なに?」
晴れた煙幕の中に、転がっているのは三つの人影。
一人はさきほど暗黒騎士が打ちのめしたハーフオーク。白目を剥いて、だらしなくその口を開いて気絶している。
もう二つは、少年勇者と少年従士の二人。従士の方は気を失っているが、勇者はいま、立ち上がってあたりを確認していた。
「――それと、もう一人。ハイエルフの少女の姿も」
「なんだと?」
あたりを確認していた少年勇者の顔が、さっと青ざめた。
真っ先に彼が向けたその視線の先――相棒のエルフの少女が倒れていたその場所に、人影がなかったからだ。
もう一人の賊、ふざけたダークエルフの姿と共に。
「ララッ!! くそおっ!! あの煙幕の中で、さらわれていたのか――」
悔しさを噛みしめながら、少年勇者が床を叩く。
その後ろで、男戦士が不思議な顔をしていた。
「なんだ。いったいどういうことだ」
「説明していなかったわね。あいつらはエルフさらいで、この公衆浴場にエルフをさらいにやって来たのよ」
「エルフを、さらいに――うん?」
女エルフに視線を向けて首をかしげる男戦士。
言わんとすることは女エルフもよく分かった。よく分かったが、先ほどのエルフさらいどもとのやり取りが故に、あえてそれを口にすることはしなかった。
「おかしいな、モーラさんはエルフなのに。どうしてさらわれなかったんだ。謎だ、これはいったいどういうことなんだ」
「ティト。今回ばかりは、あんたのそのおバカっぷりに、ちょっと心が救われる気分よ」
「まさかどエルフだということがバレてしまった。いや、しかし、さらうならむしろどエルフの方が需要がありそうなもの」
なんにせよ、流石だなどエルフさん、さすがだ。
いつものセリフで締めくくる男戦士の肩を抱いて、エルフ娘は初めて男戦士のその言葉にうれし涙を流したのだった。




