/end Select Futures ("to-DAY").
「あ、サバが安い」
スーパーの食品売り場を歩いていた僕は、パックに入った切り身をつかんで、カゴの中に放り込んだ。
オーブンで焼いてすっきり冷やしたレモンか、酢橘を絞って振りかけて食べようか、それとも鍋で煮て、和え物の方に春雨サラダでも一品添えようか。ドレッシングは醤油とゴマのお好みで。
夕飯の献立を考えながら、トマトやキャベツなんかの野菜もざっと目利きしながら突っ込んだ。肉は今日は買わなくていいかな。
一気に妹が三人に増えて、っていうのもおかしな話なんだけど。
現実問題、冷蔵庫の中から食材が消えていくスピードが四倍以上(うち一人がとてもよく食べるので)になった。
事実だけを言えば、僕の家は裕福だ。母さんが特殊な職業についているものの、海外で稼いだ賞金総額は億を超えているはずだった。
詳細な額がわからないのは、税理士や弁護士関連の資格を揃えている堅物な父さんがすべて管理しているからだ。
僕たちの母さんは、素直に言ってしまうと無計画な人間だ。スケジュール管理から事務所の運営、企業との年間契約まで、あらゆる雑事は父さんに一任している。そして僕たちのプライベートに関しても基本的に同様だった。
主戦場が海外に移って、僕と妹がこの家で暮らすようになってからも、振り込まれる月々の額は父さんが決めている。
だけどさすがに妹が二人増えて、三人になったりすると、月々の生活費が厳しくなってきた。そこでこのまえ、生体ネットの通信で連絡を取った。
「あ、父さん、久しぶり。率直に言うんだけど、妹が二人増えたから、生活費も増やしてくれると助かるんだけどな」
父さんは一言「どういうことだ、簡潔に説明しろ」と相変わらず生真面目な声で言ってきた。正直、今の説明でこっちも限度額いっぱいだったし、普通の家庭なら「意味がわからない」と切り捨てる対応が普通だと思うんだけど。
「そうか。増えたなら仕方ないな。で、攻略ルートはいくつあるんだ?」
ウチは普通じゃないから大丈夫だった。
母さんが、人間の反射神経と精密動作を超越したプロゲーマーなら、父さんは、いわゆるノベル系列といわれるゲームを信仰している側の人間だ。
いまだに二十年前のゲームの台詞を完璧に暗記していたり、実家にゲーム博物館用の蔵を立てたり、ひそかに3LDKのアパートを借りてグッズをぎっしり保管していたりと、別の意味でコアな変態、じゃなかった、東大出の残念な大人、でもなかった、その辺りに割と普通にいるゲーマーの一人だった。
「まぁ、恋愛も結婚も自由にしろとは思うがな。まさか唐突に十二人だの、三百六十五人だの、二万とんで二人だのにならんだろうな。そこまで面倒見きれんぞ」
その数字に何か法則性があるのかは父さんにしか分からなかったけど、ひとまずは生活費の要請は許してもらえた。最後には「ちゃんと妹の面倒はみてやるんだぞ、お兄ちゃんなんだからな」といういつもの決まり文句がやってきた。
青果売り場を抜けて、お菓子の売り場を通る。
僕の妹たちは、同じループ因子とDNA配列を持っている。だけど好みに関しては完全な一致を辿らない。食べるものに関して言えば特にそうだ。
基本的には食べることが大好きな平行妹でさえ、極端に辛いものは苦手だったりする。
好き嫌いが違うから、家族共有のファミリーパックのお菓子を買うのも気を使うようになった。どれにしようかなっていうよりは、どれが無難かなって考えてしまう。
気がつけば、いつも同じ位置に見える北極点のひとつを目指すように。僕の手はなかば無意識にその袋に伸びていたりする。
「〝きのことたけのこ〟でいいよね」
世間では「たけのこ派」が優勢らしいけど。家では今、綺麗に派閥が二分されている。まだ戦争は起きてない。ただしあまりに無難な買い出しが続きすぎると「また〝きのことたけのこ〟ぉ?」と文句がくるので難しいところだ。
この前に買ったのは八日前なので、妹たちはきっと前に食べたことを忘れているに違いない。買うならば今だろうということで、一袋をカートの中に突っ込んだ。
両手に買い物袋をつかんで自動扉を抜ける。夕暮れに染まった夏の熱気が全身を包み込んだ。こういう時に原付があれば楽で良かったんだけど、今朝は妹たちの間でどっちがバイトの往復に使うのかと揉めていた。
一応、僕のなんだけどな。
という当たり前の言動は〝妹権〟の前に意味をなさない。
それで今日は、学校との往復にも使っている、いつもの自転車で往復していた。生体認証(DNAⅡ)で後ろのチェーンを外して、荷物を前と後ろのカゴに載せようとした時に、
「あ、パパ発見っ」
「えっ?」
どこか中性的な感じもする、ショートカットの女の子が小走りにやってきた。着ているのは僕らの学園の夏服だ。微笑むと明るい黄昏が反射した。
「やっほー。カラスは鳴いてないけど、おウチに帰ろ~」
「どちら様ですか」
「あなたがパパで、わたしが愛娘!」
うん。危険察知メーターが上昇。一気に針が振りきれた。このメーターは、主に僕の妹に対してのみ効果を発動するんだけど。
「それじゃ、わたしは後ろに乗せてもらおっかな。運転よろしくねっ!」
「いや、っていうか、だから君はどこの……」
「はーやーく」
……なんだろう。この〝妹権〟に近い発令は。
ますます嫌な予感しか押し寄せない。なのにどうしようもなく、逆らい難い力をもって押し込められるように。僕の足は自転車のペダルを踏んだ。
「しっかり捕まって」
「了解~!」
成り行きに流されるまま。
僕は変な女の子を後ろに乗せて、前に進んだ。
カァ、カァ、とカラスの鳴く河原沿いを走る。
河原沿いには毎年、誰かが植えたひまわりの花が咲いている。
「わたし、たけのこ派なんだよね。パパは?」
「きのこ」
二対三。世間のとおり、たけのこ派は強いみたいだ。今日から家でも戦争が起きるかもしれない。
信号が青になった横断歩道を渡る。背負った荷物はいつにも増して重くて、だけどそのぶん温かかった。
「風が気持ちいいなー。でも、ヒトの体温と匂いが何より好きだよー」
「君は、並行妹と同じような一人?」
「そうだね。可能性のひとつを拾って〝今日〟まで巡ってきたよ」
小石にけつまづいて、前後の車輪がすこし跳ねた。ほんのすこし蛇行して、安定を取り戻す。平坦な道をまっすぐ走る。
「パパは忘れてしまったはずだけど。一緒に夜空を見上げたものが思ったみたい」
「なにを思ったんだい?」
「もう少しだけ、あなたの側にいたいな」
回ってきた両腕に力がこもる。女の子の香りと、くすぐるような笑い声が背中のすぐ向こう側からやってきて、ちょっと焦った。
「ところでさ」
「なにかな、パパ」
「その、さっきから言ってる〝パパ〟って愛称は、なんで?」
「さっきも言ったよ。あなたがパパで、わたしが愛娘」
「僕は兄で、君が妹の間違いじゃないかな」
「確かめてみる?」
「どうやって」
「ちょっとこっち向いて」
「?」
速度を落として、どうにか横向きにまで振り返ると、後ろから身を乗り出してきた自称「愛娘」の女の子が、
「ん」
口先に触れていた。ナノアプリケーションが活性化する。
基本ツールの【M.A.N.A.S】に繋がって、電気信号が互いの仮想データを読み取って交信しあう。導かれた解答はひとつの一致を果たしていた。
彼女には、あなたと、あなたの血縁者の因子と配列が存在します。
この人物は、正しくあなたの娘です。
【M.A.N.A.S】を司る人工知能が、ひとつの事実を指していた。
ハンドルを支えきれず、今度は大きく蛇行したあとで、夏の陽をたっぷり浴びて育ったひまわりと、下草の一部の上に転がり落ちた。黄色い花びらに遮られた僕たちは、ゆっくりと離れて互いの顔を見た。
「……君、本当に僕の……?」
「そうだよ。わたしもね、最初はあなたの〝妹枠〟に名乗りをあげようとしたんだけど。【自立派】の連中が、これ以上は邪魔ものは増やさないぞと思ったのか、パパの妹領域を完璧に支配下においてたんだよね。
ついでに同義関連名から〝姉枠〟の方も抑えてあったから、じゃあどうしよっかな~って考えてたら、閃いちゃったわけですよ。あなたの娘になればいいんだ、ってね」
「……」
未来妹が言っていた、ものすごく胡散臭い未来の権利。
少子化の進行による重婚の許可と、特定の状況下での『近親婚の許可制度』。
「つまり、ループ因子さえ保持していれば、〝父親と娘〟が結ばれてもなにも問題ないわけだよね!」
「そんなわけがないだろう」
起き上がる。服についたひまわりの葉を払って、倒れた自転車も起こして、買い物袋もカゴに戻す。ふたたび自転車に跨ると、女の子も当然のように後ろに跳び乗ってきた。
「……仮にさ。生まれてくる子に身体面や精神面での影響がなかったとしても、倫理的にいろいろ問題あるよね」
「だからそれもね、前提ありきの問題なんだよ。パパの言った生体データ的な意味で問題が起きるから禁止されてる。それだけだよ」
「そんなはずはないよ。多様性の問題だとか、環境変化のストレス負荷だとか、社会的な意味で見てもいろいろ」
「年間自殺者が十万を超えてる世界、そうでなくても息苦しい想いを抱えている人たちが数百万、あるいは数千万人もいる世界。それを『普通だよ、仕方のないことだよ』ってみんなが了解しあってる現状が、本当に正しいと思う?」
僕の娘は(一応認めるとして)なにか黒いことを言い出した。
「その否定は、屁理屈だから」
「屁理屈の一部が壊れてできたのが、多様性だもんね。でも、革新しよう、同調しようを繰り返していった先には、必ずしも幸福はおとずれるとは限らなかった。時には自己統一と停滞を繰り返して、しっかり自分の存在を見極めなきゃね」
「だったら、尚更」
「わたし、あなたが好きだよ。ちゃんと、何度も確かめたもんね」
僕の方に回ってきた腕に、また力がこもった。
「妹がお兄ちゃんのこと大好きで、結婚したい。生まれてくる子供にも問題ない。だったら結婚したって何も問題ないって考える方が論理的だよ。一般の結婚だって『許された範囲内での同意』なワケでしょ」
「待って。なんかそれっぽく理詰めで攻めるのやめようか」
ちょっと納得してしまいそうだから。
「じゃ、結果論でいこー。今わたしがここに居るのは、将来的にはパパがそうしたっていう可能性ありきなんですー」
「結果論もなにも。僕は何もしてないから」
「だから、未来のパパがしたんだよ~」
「未来の僕に責任を押し付けないで頂きたい」
対処のしようがない。
「じゃあさ、じゃあさぁ。もうひとつ責任を押し付けられて、雁字搦めにされちゃえばいいなって愛娘は思うわけですよー」
「僕は思いません」
「思え」
「無茶な」
もはやそれは選択肢じゃない。
「〝娘権(娘がお父さんを従わせる絶対権利の略)〟の前に、パパは何もできないんだから、さっさとあきらめてね♪ ヘタレキャラは原則回りに流されてたらいいんだから」
「君、さっき多様性がどうのこうの言ってなかった?」
「王道は守ろう」
「交通安全は守りましょう。ぐらい軽いノリだね」
「そうそう。あ、ほら、はやく帰らなきゃ、チョコ溶けちゃう。ほら、はやく、はやく、スピードあげてこーよ!」
妹が〝きのこたけのこ〟の入った買い物袋を右腕に通す音がした。こっちに回していた腕は、肩を強くつかんだ形におき変える。
「ごーごー! 未来へごー!」
ステップの上に両足を乗せて、左手はまっすぐ夏の夕陽の向こうを指した。
「君たちって、ほんと無茶苦茶だ」
「無茶が通れば、道理が引っ込むんだよ」
「それを論理的とか言うなら、世の数学者全員に謝ろうね」
「はーい。ごめんなさーい」
ペダルを踏む。
なにかを色々あきらめたり、決めたり、時には繰り返したりしながら。
それでも、たったひとつ限りの〝明日〟を選びとっていく。
*
「あのさ、もうひとつだけ聞いていいかな?」
「なーにー?」
「未来の僕は、幸せかな?」
「もちろんだよ。だって、わたしがここにいるんだもんっ!」
さいですか。
ぼんやり、今日も流されて空を見る。
いつも変わらない円盤雲が、静かに輝いていた。




