HSF(ハートフルスーパーフルボッコ)
家では定期的に購読してる雑誌はない。ただ、わりと雑食に漫画を読みあさる妹がいるので、棚の上には適当に放った状態でよく転がされている。
「まったく。読んだ本はちゃんと片付けなよ」と思いながら叩きをかけていたら「ただーいまー」っていう声が聞こえてきた。
妹たちの声はそっくりだけど、醸す雰囲気なんかで、それが誰かわかるぐらいにはなった。
「おかえり〝お姉ちゃん〟」
「はぁ、暑いよー、あーつーいー、お兄ちゃん麦茶いれて~」
「はいはい」
生徒会の活動から帰ってきた未来妹だ。長い黒髪をまとめていたゴム紐をさっさと外して、洗面所のほうにまっすぐ向かっていく。
「もうさぁ、ほんとやんなっちゃう」
ざーっと水が流れる音に混じって、さっそく愚痴がとんできた。
「部の予算のやりくりだなんだの、生徒が四苦八苦するならまだしも、先生たちも実情把握してないってどーいうこと。ほんとよくあれで社会人やってこれたなって感じだわ」
はいはい、今日もご苦労さまでした。
「だいたいデータベースの業務処理も前時代すぎるのよ。この期に及んで【M.A.N.A.S】のオフィスを基礎すら使えないとかありえない。あと物理的ハードデバイスが未だに現役メインで稼働してるとか、今は二十一世紀の前半かっつーの! ねぇ、ちょっと聞いてる~?」
「聞いてる聞いてる」
ぷんすか湯気をたてながら、だいたい十年後の未来からやってきた妹は怒る。ついでに兄である僕の存在はまったく気にも留めないで、制服の上着とスカートを脱ぎはじめた。
金髪妹と比べると、恥じらい、というのが薄いなーと思ったりもしたけど。
あえては言わない。空気をよむ。
「君は何も悪くないし、大変なのもよくわかるよ。でもさ、ほら。ウチの高校って県立だし、先生も公務員だからさ。業務運営や資金管理の方にも専属の部署があるみたいだし、ちょっとその辺りの事務作業がぬるいのはしょうがないんだよ」
「わかってるけどぉー、使用機器が古すぎるのは、流石にちょっと問題だと思うわけでー」
それはね。間にね、十年の時間を挟んでいれば当然じゃないかなと。
引き続き空気に徹するけどね。
「ま、生徒会の活動なんてどうせ、ごっこ遊びなんだけどねー。それより麦茶まだ~、あとアイスもね~」
「はいはい、ただいま」
妹が靴下も脱いで、洗濯篭にぽいぽい放る。僕は冷蔵庫から麦茶とアイスを取りだして、居間のテーブルの上に並べておいた。
ラフなシャツとショートパンツに着替えた妹がやってきて、机の上の雑誌を見つけた。
「あ、ピャンプ。お兄ちゃんが買ってきたの?」
「いや、金髪妹の方が買ってきてみたい」
「ふーん。二人は?」
「バイトだってさ。欲しい物があるんだって」
「ふっ、端した金を稼ぐのに、十代の貴重な青春を浪費するなんてバカね。わ、わたしだって、十六歳なんだからねっ!?」
「わかってるわかってる。君は頑張ってる。何も悪くないよ。見てる見てる」
「なにそれ。〝すっかり愚痴っぽくなったアラサー女の会話ってほんと日常からしてパターン少ないよな。正直適当に褒めてから聞き流すのが当たり障りなくて一番賢いやり方だわホント〟みたいな悟りきった表情はぁっ!」
「いや、君、ちょっと卑屈になりすぎじゃない?」
「そそそ、そんなことないしっ! だって十六歳だもんっ!」
こだわるね。とことん。とは思ったけど黙っておいて。未来からやってきた妹は、昔ながらのカップに入ったバニラアイスを一口すくった。
「お兄ちゃんも一口食べる?」
「……や、甘いのは当分いいかなって、ありがとう」
先日、向こう一年ぶんの甘味ぶんは摂取してしまったので。
「そっか。じゃあ全部食べちゃおっと」
「どうぞ」
僕も家の掃除をあらかた終えた事もあって、一息つくことにした。ついでに金髪妹の買ってきた『週刊少年ビャンプ』をもらい、はらはらとページをめくる。
「お兄ちゃん、ガンナー†ガンナー載ってる?」
「載ってるよ。連載再開したんだね」
「面白いよね。今どこらへん?」
「話の内容?」
「そう」
「えーと……、主人公がガンナーになった理由の師匠が、久々に出てきたとこ」
「あー、その師匠ね。死ぬよ。死ぬ死ぬ」
「えぇっ!?」
麦茶をごくごく飲みながら、至極あっさり言われた。
「師匠はね。主人公を守ろうとして、敵の幹部に殺されるの」
「ウソ」
「ホント。しかもね、その幹部の操り人形になって、主人公の敵に回るよ」
「ちょ、ちょっと待った! それってネタバレだよねっ!?」
明らかに今週号だけで終わる内容じゃない。下手をすれば、単行本一巻ぶん以上の内容が詰まってる。そもそも妹の言う「敵の幹部」というのが、まだ顔見せ程度にしか出てないのだ。
「……ふ、ふふ、うふふふふふふ……っ!」
そこには邪悪に笑う妹がいた。口元が愉快そうに吊りあがり、もう語りたくて仕方がないの、といった表情になっている。
「いいよねぇ、お兄ちゃんは。これから発売される漫画や小説の作品が、ぜぇ~んぶ初見で読めるんだもんねぇ~?」
「初見っていうか、まだ世に出てないわけだから」
「しょーがないなぁ。じゃあ〝鋼〟の最終回、どうなるか教えてあげよ~」
「っ、それだけはご勘弁を!」
毎巻の発売を心待ちにしている数少ない漫画のネタ晴らしをするなんて。
鬼の所行か。
「お兄ちゃん、私ね、寂しいの……」
カタリ、と椅子を引いて、鬼が近づく。
「……だって。この世界で私だけが、これから何が起きるか知ってるんだよ。だからせめてもう一人、ネタ晴らしを知ってる人が欲しいな……」
「僕は遠慮するよ」
「お兄ちゃんって、記憶力だけは、人一倍に良かったよねぇ」
「やめて」
「ネタバレ聞いてくれないと、明日からでも、生体ネットにわたしの憂さ晴らしという名目をもって、世界を不幸のどん底に落としてやるんだからねっ!」
「迷惑な。ものすごくはた迷惑な」
「お兄ちゃん一人が不幸になることで、みんなが幸せになるよ」
「僕を追いこむ代わりに自己を正当化するのはよくない」
「そう思うなら、一蓮托生しましょ。鋼の最終回はね、主人公があのラスボスとの戦いでついに電磁抜刀の秘奥義を!」
「あーあー、聞こえない。僕は何も聞いてない」
逃走する。後ろから、鬼が笑顔で追いかけてくる。
「最後の最後でねー、必殺技が新しくなってねー、主人公が覚醒してねー、ラスボスの超究極奥義が土壇場で伏線を回収してついにねー」
「やめろやめて、ねぇ、頼むからほんとやめてください」
「ふふふ、よいではないか。よいではないか。お兄ちゃんだけに、特別に未来のできごとを教えてあげようと言ってるの。よいではないかーっ!」
「よくない、ぜんぜんよくないっ」
「遠慮しないで。二人だけの秘密を分かちあおうよ」
ぐい、と襟首を掴まれて引っ張られる。
黒い髪がさらりと揺れてから、覆いかぶさるように重なって。
それからしばらく、大好きな漫画や小説や映画のネタバレ百連発を聞かされた。




