SFT!(スイーツ・フル盛り・たべほうたい!)
うちの平行妹はよく食べる。幸せそうにもりもり食べる。夏休みということもあって、基本的に毎日、外を出歩いては食べ歩きをしている。
しかも訪れた店の内容を細かに星五つ単位で評価し、レポート形式にまとめ、生体ネットで繋いで共有化までしているこだわり具合だった。
そんな妹がある日、僕に言った。
「兄さん、超極上級のすいーつを見つけました。一緒に食べに行きましょう」
「へぇ。君がそこまで言うなんて、本当に美味しいんだろうね」
「はい。ですので、今日の朝ごはんは我慢します」
「なんだって。そこまでか」
驚愕した。平行妹はどうやら本気のようだ。真剣に頷く。
「兄さんも朝食は抜いてくださいね」
「え、僕も?」
「当然です」
真剣に頷かれた。
「でも、スイーツってことは、デザートだよね。そこまで気合いれなくても」
「超一流の味を美味しく楽しむ為です。出発はおやつの三時にします」
「三時って。もしかして昼飯も抜き?」
「当然です。勝負はすでに始まっているのですよ、兄さん」
そんな大げさな。と笑った。
世の中には知らない方がいいこともある。
その日、はじめてメイド喫茶に行った。扉を抜けるなり「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様。あ、旦那様と奥様でしょうか」と言われ、どれも違いますと否定しかけたところを「後者です」と言葉を挟まれた。
世間一般のメイド喫茶はどうなのか知らないけれど、妹が案内してくれた店の内装は存外シックな感じで、流れる音楽もヨーロピアンジャズだ。なんていうか普通の、とても雰囲気の良い喫茶店だった。
「メイド喫茶である必要性はどこに?」
「兄さん、あれはメイドさんではありません。ちょっと個性的な服装をした従業員さんなのです」
「それにしては対応が、ちょっと」
「あれが正しい対応です。何故なら兄さんとわたしの関係性を一目で正しく見抜かたからです。素晴らしい接客態度だったと判断できます」
うん、わかった。これ以上は突っ込まないよ。
「メニュー、机の真ん中に広げようか」
「その必要はありません。わたしたちが本日挑戦するのは、こちらです」
平行妹が、スタンドに立てられた一枚を手に、僕の方に向けてきた。
喫茶エターナルグラフィティ、夏季限定すぺしゃるメニュー。
1ST STAGE 最初の関門『ウェディング・シャーベットアイス』
2ND STAGE 熟年期ビッグバン『太陽銀河お汁粉団』
3RD STAGE 神との対話『プリンズ・ロック・クラウン』
※コーヒーのおかわりは自由です。ただし胃薬と頭痛薬は別途料金になります。
「…………これって、さ……」
「そうです。いわゆる大食いメニューというやつです」
「聞いてないよ! 普通にデザート食べに来たんじゃないのかい!?」
「兄さんが勝手に勘違いしたんじゃないですか」
真顔で言われた。とにかく怒っても仕方ないので、手元のメニュー欄にふたたび目を通していく。――制限時間はきっかり一時間です。男女二名での〝共同作業〟のみ挑戦可能となります。すべて食べきったら無料。未達成の場合は『八千円』いただきます。
「は、八千円!? デザート三品だけで八千円っ!?」
「言ったでしょう。これは真剣勝負だと」
「……別の店に」
「なりません」
妹が頑なに動く気配をみせないので、仕方なくメニューを二度見した。
未達成の条件は以下の通りです。生体時計での六十分が経過する。挑戦者のどちらかがギブアップを申告する。当店の女性店員の手を煩わせる〝お見苦しいリバース効果〟を演出する。以上です。
もうそれだけで気が遠くなった。冗談じゃないよ、と思っていると、お冷を持ってきたメイドさん(やっぱりそうとしか見えない)が一人、僕らの席にやってきた。
「旦那様、奥様。ご注文はお決まりでしょうか」
「すぺしゃるで」
妹が即答した。空中に注文タブを開こうと浮かせた人差し指が、ぴたりと止まる。
「奥様、今、なんとおっしゃいました?」
「すぺしゃるで」
「そちらの〝説明書〟には、きちんと目を通されましたか?」
「覚悟はできています」
「……承知しました。旦那様の方もよろしいですね?」
「いや、僕は」
「わたしの旦那さんの了承は必要ありません。ヘタレキャラなので」
「かしこまりました」
「かしこまらないでください。すいません、普通のメニューを見せて、」
「オーダーぁ! 入りますっ! サマースペシャル一丁おぉっ!」
ダメだ。逃げ道が消えた。
やけに気合いの入ったメイドさんの裏声で、吹っ飛んだ。
「兄さん、起きてください、兄さん」
「…………は?」
「残り時間が五分を切りました。このままでは、わたしたちの敗北です」
目を覚ました先に見えたのは、なかば崩壊、沈殿しつつある大自然の驚異だった。その圧倒的なカラメル力はうちの妹の宇宙領域に八割が収まり、もはやかつての威容は見るも無残なことになっていた。
記憶を呼び覚ます。
ここに至るまで、僕たちは険しい戦いを繰り広げてきた。
最初に現れたのは、正しく「ウエディングケーキ」を思わせる「かき氷」だった。
冗談でもなんでもなく「シュオオオォォ……!」と、ドラゴンのブレスを予感させるきらめく気配を周囲に散らし、七色のシロップもまた色鮮やかに美しかった。肉厚のメロンが丸々二個、回りにへばりつく巨大さだった。
「……な、なんだこれは……大きすぎる、修正が必要だ……」
側にいたゴールドカード持ちのギャラリーが裏声で何か言っていた。
「ククク、力を求める愚かなる冒険者たちよ。まさかそのような装備で氷の古代遺物に挑もうとはな」
妙なアフレコを入れたがるギャラリーの声を無視して、僕らは巨大なスプーンを二刀流に構え、ざくざくと打ち滅ぼした。頭が「キィン!」と百回ほど鳴ったところで勝利した。
第二戦目は、一戦目とは打って変わって、アツアツの湯気をあげる「おしるこ」だった。常識外だったのは、その器が「特盛ラーメン」の器にあふれる直前まで入っていたことだ。一瞬、本当にラーメンが運ばれて来たのかと思ったら、中はたっぷりの餡子と餅だった。
「こうなるか? 新しい、惹かれるな……」
だったら代わるかい、と振り返ると、ゴールドカード持ちの常連らしき人は、さっと視線を逸らした。
これは一戦目のかき氷とは違って、僕と妹の二人分、それぞれ別の器が用意されていた。二人が同時に食べ終えなければインターバル用の時間が停止しないので、プレッシャーが凄まじかった。とにかく冷め切ってしまう前に、それこそラーメンを啜るように餅を食らった。側には〝万が一〟の場合に備えて、手術用のゴム手袋をしたメイドさんが二名立っていた。幸いにもお世話にはならなかった。
しかしなにより、かき氷も、おしるこも、確かに美味しかった。
気が狂ったような物量でさえなければ、僕も手放しに褒めていたと思う。
「ここの店主さん、元は帝都ホテルお抱えのパティシエだったらしいぜ」
「マジで。じゃ、今はなんで……って言ったら失礼だけど、素直に聞くわ。なんでこんな地方都市のメイドカフェもどきで働いてるわけ?」
「新しいことに挑戦したかったとのこと」
「……その一言で把握していいのか……?」
ゴールドカード持ちとプラチナカード持ちの常連客らしい二人が、のんびり話合ってるのが糖分にまみれた脳の端で聞こえていた。
「……残り時間は二十分弱。いけそうだね」
「兄さん、油断しないでください。ラスボスが来ます」
最後のインターバルに合わせて、ブラックコーヒーを一口だけ含んでいると、厨房に近い客席からどよめく声があがったのを聞いた。
「ば、バカな……なんだ、なんなのだコレは、俺は聞いちゃいねぇぞぉ!?」
「ありえない、なにかの間違いではないのか」
「いかん! そいつには手を出すな!」
その妙な裏声の入った会話はともかく、嫌な予感だけは伝わってきた。
平行妹ですら、視線をそっちに傾けた瞬間、ビクッと両肩を震わせていた。
運ばれてきた皿。そう、巨大で深い皿。
どれぐらい巨大かというと、メイドさんが三人がかりで運んできた。
「慎重に、慎重にね、いい、そっと置くのよ。いち、にの、」
『ヤー!』
――ごっ、とん。
机の上に衝撃が奔った。まぎれもなく、物理的な衝撃がテーブルを揺らす。
僕たちの目前に現れた最後の敵。
「おまたせいたしました、旦那様、奥様。こちらが最後の一品、夏限定スペシャルコースのラスボスにして、無慈悲なる大自然の驚異、プリンズ・ロック・クラウン。通称〝神と対話せし者の玉座〟でございます。残り時間二十一分三十五秒、覚悟はよろしいですか?」
残る二人のメイドさんが、粛々と僕たちの前に巨大なスプーンと取り皿を置く。
さらに〝巨大なプリンを切り分ける為のナイフとフォーク〟がセットだ。
プリンを切り分けて食べる、という発想がそもそもなかった。
常識外れの大きさだった。
走馬灯の回想が終わったところで、僕は改めて残る二割のプリンを見た。
残り時間は五分を切った。底なしの宇宙胃袋を持っていると思っていた平行妹も今は俯いて、
「……2,3,5,7,11,13……じゅ、じゅう、じゅうご?」
素数を数え気分を落ち着けていた。しかも間違っていた。
「残り四分と四十四秒ございますが、ギブアップされますか?」
最後の親切心だとばかりに、メイド長っぽい女性が胃薬をチラ見して聞いてくる。周りにいた常連客も一様に「ここまでか……」という表情をしている。
そして僕が取った選択は、自分でも常軌を逸していると思えるものだった。
「なっ、再起動だと……、まだ動けるというのか……っ!」
「そうでなくてはな。面白い」
なにか雑音が入り混じっているのを無視して、僕は、巨大なプリンをざっくりと一救い切り分けた。続けてLLサイズのコーヒーマグの中に落とした。
「…………兄さん?」
自分でももう、何をしているのかわからない。とりあえずまともな理性が働いていないのはよく分かった。
そして、それを逆向けて、一気に〝流し込む〟。
「ちょ、ま、うわああああぁあ、プリン飲んでるうぅー!?」
「液体に溶かして飲み干しているというのか!?」
そう。一気に飲み干す。しかしこれだと追いつかない。
用意されていたアイスコーヒー用のポットの蓋を開ける。残ったプリンの皿を傾けて、その中にボチャ、バチャと直接落とした。
「に、兄さんっ、一体なにを!?」
唖然とする妹と、後ろのほうでざわつく声。「グロ画像だこれぇ!」「いかん、離脱するっ!」とかいう声が聞こえていたけれど、完全に無視。
僕がすべきことは、ただひとつ。
――ずずずずずずずずずるるるr。
もう、コーヒーなんだか、プリンなんだか、ダークマターなんだか、なんなんだかよくわからない、意味のわからないものを一心に喉へ押し込むだけだった。
そして、それが空になった時。すべてを喉の奥へ押し込んだと確信した時、ポットをうっかり机の上に叩きつけた。ぷっはぁ、とプリン臭い息がでた。
「ごちそうさま、です」
「…………ぁ」
完全に硬直していたメイド長が、我に返ったように残り時間を確認する。それからあわてて面をあげて、深々として一礼をもって僕たちに言った。
「お見事にございます。旦那様、奥様。ミッションコンプリートです。デザート三品の料金は無料にさせていただきます。それからこちら、全品三割引きのチケットとなります。次回お越しの際には、ぜひお使いください」
「あ、ありがとうございます……」
僕はどうにか笑顔を返して受け取った。「わりびきけん」と平仮名で印刷されたファンシーな紙切れを少しの間見つめ、それからぐったりとソファーの上に倒れこんだ。
*
うちの平行妹はよく食べる。幸せそうにもりもり食べる。
手にしたフォークは淀みなく動き、大盛りナポリタンはちゅるちゅると小さな口の中へと吸い込まれていく。
「んくっ。兄さんは何も注文されないのですか? せっかく割引券をもらったのですから使わないと損です」
「……いや、だからそれは、次回来た時にだね……」
「次回もまたデザートから参りましょう。こちらのお料理は、デザート以外も逸品ばかりですよ」
「君、なんであの三品の後でまだ食べられるんだい」
「甘いものは別腹です。はい、兄さんも。あーん、してください」
「ごめん。今、胃袋が悲鳴あげてるから勘弁して」
「遠慮なさらず。あーん」
「……いや、あの、本当に……」
「〝妹権〟を使用します。あーん」
「……」
口をあける。食べる。美味しい。絶妙な湯で加減の麺に、しっとりと絡んだミートソースの甘辛さが口のなかにふんわりと広がって、僕は泣きながら食った。




