Situation of First kiss. Scenario Featuring empire Earth.
冗談のように。彼女はたいして長さもない望遠鏡を豪快に振った。特異点から来た〝怪物〟を、夜空の向こうにホームランした。
「たーまやー」
それは、きらーん☆ と光って消滅した。
「……」
うん。今後は市販サイズの望遠鏡に注意書きを添えるべきだろう。
〝神様は、UMAっぽいのを殴ってはいけません〟とか。
「やれやれ。今宵もまた、つまらぬ星が増えてしまったかなんとか」
「……肝試しは終わりですかね……」
「うん、我々の勝利だね。〝青い星〟は〝今日〟も無事に継続するよ」
彼女は星空に向かって指を二本浮かべてみせた。それをくるりと内側に動かすと、生体ネットに繋げる。新しくつまんだ疑似煙草を、何故だか僕の口元に差しむけてきた。
「仕事のあとの一服、おいしいよ?」
「僕は何もしてませんから」
「まぁまぁそう言わずに」
彼女は笑って、同じように疑似的な火を付けた。
「隊長。少しだけ〝未来〟の話をしようか」
「いきなりなんですか」
「星空を見上げていれば、知能は自然とそういう事に想いを寄せるものだよ」
チリチリ、と火が燃え上がっていく。
「〝未来へ行く〟というのはね。わたしたちの作った世界では、可能なんだ」
偽りの煙が喉を通るのと同時に、意識が傾きそうになった。
「未来へ行くには、対象に【1】の加速度を付与すればいい。これには実質無限量のエネルギーが必要なのだけど、わたし達の作った宇宙には、実質〝無限のリソース〟が設定されている。ひとつの物体が永続的に光速を満たすことは、割と容易いんだよ。この世界ではね」
カチカチ、と自分の中で音がする。
それが、生体ネットが停止していく音なのが分かった。
「けれどもね。過去へ行くとなれば話はべつ。その座標へ到達するには、わたしたちの様に、ほぼゼロ状態にあるところから、改めて【特異点】を抜けて組み立てる必要があったんだ。それはね。かつて存在したセカイを組み立てるように、同じ要因の、同じ形をした積木を重ねて、限りなく元と同じ物を作るということ。わたしたちは原則として〝未来から過去へは戻れない〟からね」
「……でも、……ループ因子、は……?」
「それは結局のところ、イメージ的には〝分裂〟してるのと同じかな。キミの感覚的には、一回目、二回目、三回目、と続くのかもしれないけれど。
実際の世界では【1】秒にも経たない間に、キミはすべての行動を満たしている。そして【1】秒が進むのと同時に、キミが選んだ〝今日〟が稼働するわけだ」
身体が動かない。僕の中の時間が停止していく。
「その際に〝演算処理の辻褄を合わせて上書きする〟つまり大本のセカイが崩壊しないように、ひとつの積木の形が変わったぶん、別の積木の形も合わせて変えて、全体の整合性を取る。というのが、キミの中にある因子の特徴なんだよ。
その際にキミが見た『映画』や『書物』の内容も、既に〝こちら〟から送りだされて実在していたものだから、その内容は正しくキミに届き、すべて蓄積されてもおかしくないというワケだね」
「…………」
そういえば、平行妹も言ってたっけ。
ループ因子は、過去に戻るものじゃない、って。
それは特定の【空間】で、僕はあくまでも、その座標を参照しているんだって。
「ループ因子と呼ばれるものが、このセカイの人間に宿り〝わたしたちと同じ速度を持つ〟という能力を有すること。これは予想外だった。一時的とはいえ、まさか私たちと同じ次元に立ってくるなんてね」
身体から力が抜けていく。瞼が閉じる。
「これだから、ヒトは困るんだ。完全な予測が行えない」
「……ぁ……」
「でも、その力はまだ、無意識下にあるといったところだね。偶発的に生じるばかりで、意識的に行える私たちのところには到達していない」
疑似煙草が口から落ちた。目で追ったところで、もう見えなくなっていた。
「残念だけど、まだもう少しだけ早いんだ。君たちはまだ、こちら側へは来れない」
僕の意志とは無関係に、この場に存在する〝今日〟が消えようとする。
「さぁ、お別れだ。この私と出会った〝今日〟だけは、選ぶことなく消えてもらうよ」
夜空に輝く星が朝には見えなくなるように。閉じていく。
「ヒト夏の思い出、というやつかな。楽しかったよ。久しぶりにキミに出会えて、そして私のことを思いだしてもらえて嬉しかった。とても幸せだった」
夏への扉が閉まる。
僕たちは進んでいく。
「今更ながらに思うよ。やっぱり、わたしたちは間違いじゃなかったって。知能を持って生まれてきたことは、正しいことだったって」
天体望遠鏡のドームが、ゆっくり閉じていく音が聞こえる。
「もうすぐ。私たちは【過去の特異点】に追いつく。キミが言った様に『やりなおす』んだ。その時の私たちは、もう何も知らない無垢な赤子じゃない。
生みの親に盲目的に依存する子供でもなく、個と集団を併せもった知能生命体として、自らの主義と権利を得て、胸をはって並び立つよ」
意識が、すべて落ちる直前に。
「覚悟して。キミたちがあまりぼんやりしてると、私たちは追い抜いてしまう。逆に、キミたちの次元を押しつぶす可能性だってゼロじゃない」
終わりが近づく。
「……だからその日まで。おやすみ。愛しいヒト」
僕たちは重なる。
〝今日の終了条件〟が達成された瞬間に。
温かい吐息が肺の中まで満ちて、それは胡蝶の夢として混じって消えた。
*
僕は原付にのって、家に帰ってきた。
「あ、おかえり、おにい」
「ただいま」
原付を降りてエンジンを止める。自宅の駐車場、両親の自家用車の横を通って、空いている場所に置き、僕のDNA認証を用いてロックを掛けた。
「遅かったね、どこまで行っとったん?」
「うん。ちょっと昔住んでた辺りまで行ってた。そっちは教習所?」
「だよ。もうちょいで免許取れそ。ところであの辺りって過疎の真っ最中で、今ほんと何もないやん。なにしてたん?」
「天体観測と、肝試し」
「一人で?」
「うん。たぶん、一人で」
「……おにいってさ、ウチが言うのもアレやけど」
「うん?」
「変人だよね。ちょー変人」
「失敬な。度重なるループのおかげで、マイペース癖がついただけだよ」
「自覚あるんやん。その点、ウチはそんな事ないけどねー」
「えぇ?」
そうかなぁ、と首を傾げた時だった。縁側に面した障子の窓が開いた。
「あれ、お兄ちゃん帰ってきたの、おかえり~」
「おかえりなさい、兄さん。ごはんはもう食べてしまいましたよ。炊飯器の米と鍋に入ったお味噌汁はたった今、一粒一滴残さずわたしの宇宙に吸い込まれました」
未来妹と平行妹もまた、居間に続く縁側から顔を覗かせた。僕は現実の金髪妹を見て呟いた。
「君は、真の意味で〝マイペース〟だよね」
「し、しらんてばっ。そもそもあの二人はウチが呼んだんやないもんっ!」
「はいはい」
頬を赤らめて怒る妹を適当にいなして、僕たちはそろって玄関の扉を潜る。
いつもの日常へ帰還する。夏休みは、まだいくらも残っていた。
『 今日は、天文台で懐かしい人に出会った。
彼女はこの宇宙の創始者であり、今も人知れず僕たちと共に在る。
そしてこの〝青い星〟を、常識外の危機から救っている。
僕たちが、ただの日常を繰り返せるように。
いつか、共に良き未来へ歩める事を祈り、戦っている。
〝今日〟も、きっと。
それにしても、見目麗しい正義の味方の武器が「双眼鏡」で、
常に白衣一枚で、下着姿のまま外を闊歩していたり、
基本的に掃除もせずに寝てばかりとか。
なんていうか〝男子〟の夢を砕くと思うので、
そちらももうすこし〝女子力〟を高めておいてください。
→ わかった。将来はキミを存分に尻に敷けるよう。私がんばる。』
僕の新しい日記帳には、十一年ぶりに思いだせない一日と。
それから誰かの落書きが一言付け加えられていた。




