覗き見
ライラとアシュレイが同時に困った顔をしていた時、ダイアナもその場にいた。
実はあれからずっとライラの側にいたのだけれど、誰もダイアナが見えない様子だった。
ライラとアシュレイはどうやら雪の積もるような寒い所―――北の地にいるようだ。
まさかね、と思っていると、封魔師達が大勢で彼らの住む村の側までやって来ているという。
すぐに〈セイレーンの矢〉の隊だ、とダイアナは思った。
もしもそうなら、今のようにこうして存在を悟られずに、カインの姿を見る事が出来るかも知れない。
けれど、そこにはリリスの姿もあるだろうと思うと、気が向かなかった。
そもそもダイアナは、ライラの住んでいる村から離れる事が怖い。雪山が果てしなく広がっていて、戻ってこれなくなったらと思うとゾッとする。
姿も見えず、声も届かない今、一人ふらふらと雪山を彷徨うなんて、孤独過ぎる。
早くこの状況がなんとかならないかしら。
あの女の子と空から降ってきた声は、もう私を迎えにきてくれたりしないのかなぁ。
それにしても……親友の同棲生活を覗き見するなんて、良いことじゃないよね。
まぁ……興味無くはないけど……?
それにしても、ライラの耳と尻尾ときたら、一体なんなの?
アシュレイの趣味だろうか。ありえる。などと邪推していたけれど、どうやら着けているのではなく生えている様子で、ダイアナは自分の姿が見えない事をいいことに、まじまじと耳や尻尾の生え際を観察した。
どう見てもしっかりと生えているのを確認すると、ちょっと同情した。
次に、ハミエルが喋っている事に驚いた。驚いたけれど、喋っているから仕方が無い。前々からライラがハミエルを飼っている事を羨ましく思っていたけれど、余計に羨ましくなってしまった。けれど、弱っている様で心配だ。
腰を抜かしそうになったのは、銀色の小さな狼が美青年に変化した所を見た時。
自分の身体がフワフワ浮いている様な状態なので、腰を抜かしも尻餅を突きもしなかったけれど、とにかく驚いた。
こちらも喋る。ライラの事をツガイだと思い込んでいる様子で、アシュレイとのいがみ合いがちょっと面白い。ハティという名前らしい。
ダイアナは、今のところアシュレイ派である。
彼が、この狼成分たっぷりの生活に溶け込んでいる理由は、封魔師だからだろうか?
今のライラの状況を見ると、色々特殊なアシュレイがライラを見初めてくれて良かったと思う。
ダイアナは「ウンウン」と頷き、大勢でやってくる封魔師たちの話をする二人を見守った。
やってくるのは〈セイレーンの矢〉だという事を教えてあげたいけれど、声が聞こえないからもどかしい。
「狙いはフェンリルたち?」
「そうだねぇ、フェンリル相手なら大勢でやってくるだろうな」
フン、と、ハティが鼻を鳴らし、「しゃらくせえ」とソーセージを食い千切った。
『来ると分かってりゃ群れで殲滅してやる。こっちのが数があるだろうしな』
「やめなさいよ、物騒ね」
ハティの言葉に動揺したのは、ライラよりもダイアナだった。
――――壊滅?
カインの姿が脳裏に浮かぶ。
目の前でソーセージを頬張っているこの小さな狼は、そんなに恐ろしい化け物なのだろうか。人に化けるくらいなのだから、そうなのかも知れない。
『縄張りに入ってくンだからやるしかねぇだろ』
「カナロールの上空を群れで飛んだだろ。先に縄張りに入ったのは君らだ。無駄に争うのは止めなよ」
アシュレイの言葉に、ダイアナは誰に見えるわけでもないのに強く頷いた。
本当に、そうしてくれればどれだけ安心か……。
しかし、ハティは鋭い爪をペロリと舐めて冷たく言い放った。
『先も後もあるか。だったらそン時にオレらを仕留めれば良かっただろ?』
「ライラ聞いた? これだから獣は……やれやれだぜ」
『調子ぶっこいてる奴は身体で教えてやらねぇといけねぇ時があンだよ』
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。どうして君は群れを呼んだ? 封魔師に敵わなくて助けを求めたんだろ」
『……』
グルル、と、ハティが頭を低くして肩を盛り上がらせ、アシュレイに唸った。
その獰猛な様子に、ダイアナはゾッとする。
―――子犬ほどの大きさなのにこの迫力……こんなのが群れで襲って来たら、カインは大丈夫なの?
『対峙した奴が特別だっただけだ。ディアナの守護者をしていた』
「あー、レイヴィンだ。それは運が悪かったね。君は皇女との関係を彼に悟られた?」
『……いいや?』
「皇女に庇われたりしたんだろ?」
『……』
ハティが、不可解そうにアシュレイから目を逸らした。
アシュレイは小さく笑って、ハティへ首を横に振ってみせる。
「逃げ隠れていた方がいい。アイツは皇女が関心を持つものを消す趣味があるんだ」
『はー?』
ダイアナも「はー?」と、思った。
――――なにそれ、初耳。え、え? じゃあ、カインは……。私をスケベ上司のセクハラから守ろうとしたどころか、命を守ろうとしてくれていたということ?
それから、ハッとする。
「テへッ」といった風に笑うリリスの顔が脳裏に浮かび、「あの女!!」と怒りが込み上げてきた。
リリスはレイヴィンという奴の趣味(?)を知らなかった?
いいや、と、ダイアナの女の勘が言う。確信犯に決まっている、と。
しかし、彼女に殺意を抱かれるいわれなど無い。むしろこちらが殺意を抱きたいくらいだ。
――――ホント意味わかんない。あの女。何がしたいの?
『なんだそれ』
「変わってるんだよ。とにかく、アイツの指揮に違いないしアイツが来るなら君たちも怪我で済まないよ。君が一番よく分かっているんじゃない?」
『……アイツが来るのか』
「多分ね。それに、今君のとこのボスは不在じゃないか。ホント下手な事しない方がいいよ」
『……考える』
ハティは唸りながら頭をクルクル振って、今夜はもう考えたくないとばかりに部屋の隅に丸まった。
ライラとアシュレイの、ホッとした吐息が同時に漏れる。もちろん、ダイアナもホッとした。
ハティがこのまま冷静に考え直してくれるように、と、ダイアナは心から願った。
「マーナガルはいつ帰ってくるかな?」
「君のお父さんが見つかればすぐなんだろうけど、どこにいるんだろうね?」
「さあねぇ……今頃会ってもどうしたらいいか分からないし、マーナガル早く帰ってこないかなぁ」
ライラはそう言いながら、欠伸をした。
ダイアナはライラのお父さんというフレーズを聞いて驚いていたけれど、ライラはちょっと人ごとみたいな様子だ。
「アンタがそのレイヴィンとかいう奴と話をしてあげれないの?」
「無理だよ。アイツの殺したいナンバー・ワンは僕なんだよ?」
「なんで」
「皇女と婚約してたからに決まってるでしょ。僕がナザール家の養子じゃなかったら、今頃ここでとびきり可愛い女の子とお喋りしてないよ」
「……ソイツ、皇女様が好きなの?」
アシュレイの言葉を華麗にスルーして、ライラは目を輝かせた。
ダイアナも、かなり興味をそそられたが、アシュレイは頭を抱えて呻いた。
「いやー、ないでしょ~。性格が合わなすぎるよ。なんかこう、拗くれた使命みたいなヤツじゃないかなぁ……あーもー、なんでこうも厄介がついて回ってくるんだ?」
当たり前だけど、恋バナどころではないらしい。
「ハティたちが封魔師たちと鉢合わせしなければ、アンタは知らん顔してていいじゃない?」
「そうだけど、そうならないんだろ、きっと!」
「どうせあの手この手で逃げ回ろうとするクセに……」
ふわぁ、と、ライラは再び欠伸。
尖った犬歯が見えて、ダイアナは思わず見入ってしまう。
「取りあえずハティは落ち着いてくれてるし、今夜はもう寝よう」
「……うん。明日ファムさんにもカナロールから何か伝達がきていないか聞いてみるよ」
「ん、おやすみ」
二人とも、もう寝るみたいだ。
ダイアナは、カインが自分の命を守る為に屋敷を出るように言ったのだと知って、心の中に少し綺麗な色を取り戻した気持ちになっていた。
何でか知らないけれどリリスが吐いた、嘘の理由よりも何百倍と嬉しい。
―――そう言ってくれれば良かったのに。
と、少し呆れた気持ちにもなる。たまらなくカインの顔を見たくなった。
こうして恋心を素直に持っていいのだと思うと、心が軽い。
そうなると、ダイアナはある事が気になりだした。
家に一つだけあるベッドルームへ向かうライラと、居間のソファにモゾモゾと横たわるアシュレイだ。「なんでだよ」と突っ込みたくて仕方が無い。
一緒に住む事にまでなっているのに、何故べつべつに眠るのか。
ライラはアシュレイの事を、好きじゃなかったんだっけ?
でも、だったらこんな雪山の村で一緒に暮らさないよね?
ベッドルームの扉が閉まった後、毛布を頭から被るアシュレイの様子は、憐憫の2文字に尽きる。
カインの屋敷を発つ時、心なしか意気揚々といった風だったのが嘘みたいだ。
ダイアナはベッドルームの扉をすり抜けて、ライラと一緒にベッドの上に座った。
『ちょっとぉ、冷めてるじゃない』
聞こえないと知りつつ、ダイアナはライラに声を掛ける。
ライラはそれに応える様に、はあ、と、ため息を一つ吐いた。
それから、自ら閉じたドアを見つめている。
その群青色の瞳は、少しだけ不満そうだ。
―――なにしてんのかな?
ダイアナが首を捻っていると、ライラはもう一度ため息を吐いて、のろのろとベッドへ潜り込んだ。
そして、再びドアの方を見てしばらくモジモジしてから、明かりを消した。
―――おやすみ、ライラ……。
ダイアナが、ライラの横に寝そべった時だ。
キシッと、家鳴りがした。
するとライラは頭にはやした狼の耳をピクンと立てて、暗闇の中で再びドアの方を見た。
それから、音が偶然のものだと分かると布団を頭から深く被ってしまった。
ダイアナは一部始終を見て、両手で口元を覆った。
―――えー、ライラ、もしかして……。
くふっ、と、笑いが漏れたけれど、聞こえないからいいや。
ダイアナはニヤニヤして、布団の塊をつつく。
―――待ってる……アシュレイを待ってるんでしょ、ライラ……!!
ダイアナはカインの事とライラの事の両方に悶え、ライラの横をコロコロ転がった。
なんとしても、なんとかしなければ。
実体がなければ何にも出来ない。
絶対に元に戻りたい、戻ろうと、彼女は心に決めたのだった。
*
ライラが眠るベッドに常駐しているハミエルは、ダイアナの存在を感じ取る事は出来ないものの、何か嫌な予感がして「ぐるる……」と唸った。
仮にライラがベッドでアシュレイを待っているのなら、この猛犬注意のベッドをなんとかしなくてはいけない。
しかし、ダイアナもライラも『アシュレイはヘタレ』くらいにしか思っていないのだった。




