負けん気
ダイアナは初め、無視をしようと試みた。
なんせ店は忙しいのだ。たった二人の客に構っている暇はない。
店員だって、自分以外にたくさんいる。だから、カインとリリスにちょっとだけ会釈をしただけで決して近寄らなかった。
けれど、向かい合って親しげに食事をする二人を目の端に意識してしまってしょうがない。
自分はお祭りみたいに騒がしい食堂を駆け回り空の食器を下げたり、料理を沢山盛った重たい大皿を両手に一つずつ持って厨房とホールを行ったり来たりしているのに、カインとリリスがゆったりと食事を選び、楽しんでいるのを盗み見てしまうのは、惨めな気分だった。
しかもあちらはダイアナに興味津々の様子で、バタバタと立ち働く姿を眺めているのだから、最悪だ。
目が合う度に、リリスが微笑んで手を振ってくる。
ダイアナは自分が惨めさを感じているのを悟られたくなくて、頬を引きつらせて笑い返した。
――――なんなの?
二人で見物しにきたのだろうか。もしもそうなら、追い出した女相手に悪趣味だ。
せっかく身の丈に合った生活に馴染もうとしていたのに。
せっかく忘れられそうと、自分を騙せ始めたところだったのに。
しかもカインはリリスまで連れて来た。
旧友のようだから一緒に食事くらいするのかも知れないけれど、リリスはダメだ。どうしても嫌だ。
だって、カインがリリスに恋しているのを、ダイアナは知っている。
―――もしかして、私を置いておけなくなったって……この人とうまくいったから?
今後私が何かの折に関わってこない様に、釘を刺しにきたのだろうか?
そう思いついてしまうと、喉がキツく塞がった様に苦しくて、手が震える。
それでもダイアナは、グツグツ煮えたスープをビュッフェ台に補充をする為に、重たい大鍋を運んだ。
力を使った分、悲しみがお腹の中で潰されて少し楽になる。
―――良かったね……。
そんな事ばかり考えていたせいで、大鍋をビュッフェ台へ乗せる時に目測を誤ってしまった。
大鍋の底が台へ乗り切らずにひっくり返り、まだグツグツいっていたスープが、どっと鍋から流れ出た。
熱い鍋の登場に、お客たちが台から離れていたのは幸いだった。
ダイアナは慌てて熱々スープを避けたが、エプロンにお椀一杯分はかぶってしまった。
「熱っつ! ギャッ、あっつい!」
スープが浸み込んだエプロンと制服のスカートが、熱々のままダイアナの太ももに張り付いて、ダイアナはたまらず短い悲鳴を何回か上げて飛び跳ねた。
「大丈夫か!?」
給仕頭のカタリーナが駆け寄って来て、ダイアナのエプロンをサッと剥いだ。
他の給仕係も掃除道具を持ってダイアナを囲む様に集まって、ひっくり返った鍋と無残なビュッフェ台を片付けにかかってくれた。
「ごめんなさい!」
慌てて片付けの仲間に入ろうとする前に、カタリーナに止められた。
「いいから。奥で制服を脱いで、冷やしてらっしゃい!」
「へ、平気……」
「ダメよ!」
とにかく失敗の尻ぬぐいをしようとするダイアナを止めたのは、給仕頭のカタリーナではなく、いつの間にか傍にやって来たリリスだった。その後ろには、カインも眉を寄せてついて来ていた。
ダイアナの頬がカッと熱くなった。
せっかく働き口を用意してくれたのに、目の前でこんな大失敗をしてしまうなんて。
ああ、冷たい目をして眉を寄せている……。
カインは精いっぱいの心配顔をしていたのだけれど、そんな難しい問題をパニック中に解くのは難しかった。
唇を噛んで俯くダイアナの肩に、するりと優しい手の平が置かれた。
「早くスカートを脱いで、冷やさないとダメ。ちょうど傷薬をあなたに持って来ていたのよ。手当してあげるわ」
リリスはダイアナにそう言うと、カタリーナの方を見上げた。
「休憩室や更衣室はありますか? そこで手当てをさせてください」
*
スカートを脱いで見てみると、スープのかかってしまった部分だけ、太ももが赤くなっていた。目で見て「赤くなってる!」と、意識してしまうと、じわじわと痛み出した。
ダイアナは小さく唸って、休憩用の古い丸椅子に胡坐をかく。「れでぃ」はカインの館に置いてきた。
「軽く火傷してしまっているわね」
リリスが布を水桶に浸し緩く絞って、ダイアナの患部にそっと当てた。
お気の毒そうに形の良い眉を寄せて、ダイアナに上目遣いをしたって何も出ないのに、それでも自然に上目遣いをする。
ダイアナはツンとして答えた。
「大した事ない」
「もう少ししたら、今より痛くなるわ。水ぶくれが出ないといいのだけれど」
そう言いながら、新たな布を水桶に浸して絞って、ダイアナに渡した。
ダイアナは火傷のせいでふてくされているのだという態で、リリスから冷たい布を受け取り、赤くなった部分を冷やした。
二人は何回か、新しく冷やした布とぬるくなった布を無言で交換し合った。
沈黙はリリスが破った。
「カインが数日後に、北の地へ行く事は知っている?」
「……少しだけど」
「長い遠征になるの」
「……そう」
ダイアナは、カインの帰りが遅ければ遅いほど良いと思った。
指折り数えて待つのは、自分ではないのだし。
「それで、カナロール城の皇女様が少し不安定になっていらっしゃるのよ」
「へぇ……?」
全く自分には関係が無いので、ダイアナは上の空だ。
リリスは冷やした布をダイアナに差し出し、ぬるくなった布を受け取って水桶に浸す。普段ふわふわゆったり動く割に、こういう時は手際が良い。
「それで、お城の人が皇女様を心配していてね、遠征中に気を紛らわせてくれる『お友達』がいればいいのではって事になったのよ」
「ふぅん……で? あなたがお相手するの?」
皇女様のお相手を任されるなんて、さぞや名誉な事なのだろう、まっぴらゴメンだけど。
そう思いながら、ダイアナは聞いた。
リリスは何がそんなに晴れ晴れとした気分なのか、晴れやかに笑って首を振る。
「私はカインと一緒に遠征に加わるの」
グサリ、と、痛覚の鈍い所に矢が刺さる様な衝撃に、ダイアナは小さく息を吸う。
痛くないのはもう麻痺してしまっているからだろうか。それとも、穴が開いてしまっているのかも。
―――やっぱり、カインはリリスとうまくいったんだ。でも、どうして?
「そう」と、なんとか声を出し、ダイアナは布を絞るリリスの横顔を盗み見た。
リリスは床に膝をついていて、ダイアナは椅子に胡坐をかいているからちょっと見下す位置からで、柔らかそうな髪の間から細いうなじが透けて見えた。
そのうなじから、何かカインの痕跡が無いか探して見入っている事にハッとして、ダイアナは目を逸らす。
―――わからない……。私にカインを押し付けようとしていたのに。……実際そうなったら、惜しくなった?
でも、だとしたら面の皮の厚い女だ、と、ダイアナは唾を吐いてやりたくなる。
リリスはニッコリ微笑んで、冷やした布をダイアナに差し出して言った。
「ダイアナちゃん、カインの元へ戻りたくない?」
「……え」
ダイアナは驚いて、固まった。
リリスは固まってしまったダイアナの代わりに、彼女の腿にそっと冷やした布を当てる。そして、ダイアナを見上げた。見上げたけれど、上目遣いじゃなかった。その目は、何故だかゾッとする程、知らない女に見えた。
「そんなに驚かないで。カインの傍に居た事……どんな風に居たか、大体知っているの。思い切ったわよね。あの人、絆されてたわよ。うふ……」
「……でも……」
ダイアナは一瞬奥歯を噛みしめ、諦めて呟く。
「結局あなたを選んだ……」
「え?」
リリスはきょとんとして、それから吹き出した。
「な、なにがおかしいのよ! 人の心を振り回して楽しい?」
「待って頂戴。ふふ、待って。ダイアナちゃんは、何か勘違いをしているわ」
「はぁあん!?」
いよいよドスを聞かせて唸り、ダイアナは腰を浮かせた。
なにが、勘違いだ! と、腹が立った。有利な横やりを入れて来て、挙句涼しい顔でカインも居場所も奪っておきながら、と、拳を握る。
「もしかして、カインがあなたを屋敷から逃がした理由を知らないの?」
「逃がした?」
「ええ。さっきの皇女様の話が絡んでいるのよ。そんなに怖い顔をしていないで、ほら、お話をしてあげるから座りなおしてね」
いちいちイラっとくる調子で宥めてくるリリスに、「うるさい!」と喚いて暴れてやろうかどうしようか戸惑いながら、結局行儀よく座らされる。
リリスは相変わらずニコニコして、「あのね」と話し出した。
「皇女様の『お友達』役に、あなたが指名されていたのよ」
「えっ。な、どうして?」
「あの朴念仁のカイン隊長が可愛がっている女の子に、カインの上司が興味を持ったの」
「……」
「カインの上司は……ん~、……女好きなの。皇女様のお守りを理由に城へ呼び寄せ、あなたに手を出そうとしていたに違いないのよ。そういう魂胆が誰にだって―――カインにだって―――分かる程の女好きな方なのよ」
ダイアナはその話を聞いて、その上司とやらへの嫌悪に顔を歪めた。
部下の女に手を出そうとするなんて。カインはそんな上司を持っていて大変だなと同情してしまう。
「それでね、あなたが皇女様と仲良くなれなかったらという心配もあるし、上司の毒牙にもかけたくないしで、カインなりに考えた結果が、ここなのよ。あらまぁ、そう……知らなかったの……それは、ダイアナちゃん、悲しかったわよね。可哀そう。カインったら、ちゃんと教えてあげればいいのに、酷いわね?」
「……」
熱を込めて「ねぇ?」と呼びかけて来るので、ダイアナは思わず頷いた。頭の中がふわふわして、あまり色々と考える事が出来なかった。
「じゃあ……カインは私を庇って?」
リリスが深く頷いた。『とってもいい話』をした後みたいに、少し得意げだ。
そして、スルスルッと距離を詰めてダイアナの手を両手で包んだ。
「あんまりだと思うわ。一方的だものね? 私、カインが絆されているところだし、あなたを応援したいの。話を戻すわね? ダイアナちゃん、カインのところに、戻りたくない? 北の地から遠征を終えて帰って来た時に、彼を温めてあげて頂戴よ」
ダイアナは何となくだけれど、リリスの熱心な様子に警戒しつつ、聞いた。
「……どうすればいいの?」
リリスは口元に片手を当てて、ダイアナの耳元でそっと言った。
「皇女様のお守役に、カインに内緒でコッソリ受けるの」
「え、でも……カインの上司が」
せっかくカインが庇ってくれたのに、みすみす身投げする様な真似なんて出来ない。
「大丈夫よ。その上司も遠征に行くの」
「でも、いずれは帰って来るでしょう?」
見ず知らずの好色男が恐ろしい訳ではないけれど、せっかくカインが―――以下同文だ。
「帰って来る前に、皇女様に気に入られれば大丈夫。皇女様のお友達には、その方も手を出せはしないわ」
どうかしら?
と、リリスが言った。
「カインは心配し過ぎているみたいだけれど、皇女様はお優しくて滅多に人を嫌ったりなさるような方ではないし、ダイアナちゃんが頑張ってみるというなら、カインに内緒で橋渡ししてあげる。無事にやり遂げたら、もう何も障害はないのだから、カインもあなたを再び迎えるハズだわ」
* * * * *
あなたの元から出て行く時に、あなたの顔が少し青くて、早朝だったからかな、とも思ったのだけど、ちょっと嬉しかった。
私は励ます様に笑って「平気だよ」っていう風にあなたに背を向けた。
この人大丈夫かな? って、図々しく心配しながら。
北はとても寒いのだろう。凍えて帰って来たら、温かいキスをしてあげよう。
なんてね。
あなたの好きな人は、肌ざわりの良い事ばっかり囀る女だね。
乗ってあげてもいい。
なんとなくなんだけど、ただただ、あなたの驚く顔が見たい。
どこからどこまでが本当の事かなんて、分かるの神様くらいでしょ?
私は今、嬉しいのか悔しいのか悲しいのか、さっぱりわからないのだし。




