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セイレーンは狼と終わりをうたう  作者: 梨鳥 
狼と歌声と遠吠えと愛と喉骨
129/143

噴水の縁で

 花咲き誇る庭の、可憐な噴水が散らす飛沫ギリギリの所にポツンと座って、レイリンはリュートの弦を弾いていた。音色は上の空で奏でているというのに、何所で披露しても恥ずかしくないものだった。

 けれど、やはりどこか虚ろだ。奏でられる曲が奏者に蔑ろにされて泣いていた。

 レイリンは審判が失敗した報せを屋敷の中や外からネズミの様に掠め取って、胸を撫で下ろしていたものの、ライラの心配をしていた。重ねて重傷を負った直ぐ後に兄が消えてしまっている。兄はきっとライラを助けに行ったのだと察する事は出来るものの、二人の安否の情報は何処にも落ちていない。

 国では、城に一頭のフェンリルが現れ、群れを呼んで北へ飛んで行った話で持ち切りで、審判の失敗もその理由もおざなりにされていた。

 城に現れたのは一頭。と、言う事は()()()()だ。と、レイリンは薄く笑う。

 無鉄砲な事をするのはハミエルだろうか。ハティはわざわざ自分から煩わしい場所へ向うのを面倒臭がりそうだ。

 けれどもハミエルは群れを呼んだり出来るかしら?

 もしも群れを呼ぶ事が出来たのなら、〈セイレーンの矢〉のカイン隊長にライラが連れて行かれた時に、群れを呼んだのじゃないかしら?

 だとしたら、城になんらかの理由があって赴いたのはハティという事になる。


 でも、それならハミエルは……?


 現れた群れの中にいたのだろうか?

 もしかしたら、ライラも連れて行ったのかも知れない。それに兄も混ざって―――? でも、兄は封魔師だ。フェンリルの群れにどうやって?

 レイリンは北の方へ目を向ける。手入れされた庭の先には、高い壁しか見えないのだけれど。

 

――――ハミエル、無事よね? 遠い北の方へ行ってしまったの? 

 

「レイリン」


 ふいに後ろから呼ばれて、レイリンは振り向きそうになるのを咄嗟に堪えた。

 レイリンの名を呼んだ声を、レイリンの耳はとても不愉快な声だと認知していた。

 先ほどまで全く聴こえなかった足音を立てて、声の主がレイリンに近付いて来た。

 レイリンは顔を歪め「不法侵入ではないこと?」と、背中を向けたままけん制する。

 しかし、返って来たのは柔らかな笑い声だった。喉に上等な鈴でも仕込んでいるのかも知れない、とレイリンは忌々しく思う。振り向かなくても背後の女がどんな風に微笑んでいるのか見える気がして、腹立たしい。


「何の御用? 警備のものを呼びますわよ」

「元気そうね。ずっと前に会った時より大きくなって……」

「お兄様はお留守にされているわよ。お帰りになって」

「あなたに会いに来たの」


 レイリンは聞こえないとでも言う様に、小さな噴水の縁に手を掛け覗き込む。

 背後の女を自分がどれだけ嫌いかは、水面に映った自分の顔が雄弁に語っていた。

 

――――どうしてこのひとをこんなに嫌いなのだろう? ライラさんは好きになれたのに。


 レイリンは水面に映る自分を指先で切り裂いて、女の存在を無視し続けようとした。

 しかし、穏やかになった水面に再び自分が映った時、自分と並んで女の顔も映り、目が合った。

 美しいひと、と、レイリンは思う。

 佇まいは優雅で、小雨の中咲くユリの花の様。そのユリには、艶やかに笑む赤い唇がついている。


 ああ、キモチワルイ!! 大嫌いだ。このひとの全部に鳥肌が立って気圧される。


「な、に……」

「あなたのお父様に、このお手紙をお渡しして欲しいの」


 女はそう言って、縦に丸めて飾り紐で縛られた手紙をレイリンに差し出す。

 もちろん受け取らないレイリンに、女は暫く手紙を差し出したままの姿勢でいたが、「ふふ」と甘い香りの様に笑い声を漏らすと噴水の縁にそっと置いた。細く丸めてあるので、風に転がって今にも水に落ちてしまいそうだ。

 レイリンはそれをチラリと見やってから、ソッポを向いた。


「ご自分でお渡しになったら?」


 父と女の父は犬猿の仲だったのを、レイリンは知っている。一方的に自分の父が毛嫌いしていた事実を、レイリンは知らないけれど、女が父を尋ね辛い事だけはちゃんと知っているのだ。

 そうだ、この女、いつもわたくしを体よく使おうとしてくる。と、レイリンは腹立たしく思った。


「あら、城にフェンリルが出た関係でお留守にされているでしょう?」

「お戻りになるのをお待ちなさいよ」

「私も用があって、急いでいるの」


 女はそう言ってから、


「アシュレイの事も書いてあるわ。あなたも心配しているでしょう?」


 と、言って噴水の水鏡からゆっくりと消えた。

 レイリンは初めて振り返って、女を呼び止める。


「何かご存じなの?」

「あなたよりかは」


 女は振り返り、ふわりと微笑むと宙に浮いている様な足取りで、庭を去って行ってしまった。レイリンは女を追えなかった。追いすがって問いただす事も出来たのに、そんな事をするのは絶対に厭だと思ってしまったのだ。


―――そうよ、だって、これを見れば。


 噴水の縁に危うげに留まっている丸められた手紙を、レイリンはそっと手に取る。

 紐は簡単に解けた。―――罠だ、と、レイリンは反射的に勘付いた。


 何か自分が動揺する事が書いてある。

 そしておそらく、自分の力では―――父でなければ―――解決出来ない内容に違いない。

 読み終えた後、自分は父に泣きつくんだろう。そして、女の思い通り手紙は無事運ばれる――――。


 自分の中の勇ましさを探しながら、クルンと巻き癖の付いた手紙を広げた。

 あの女の匂いが微かに香って、思わず顔をしかめる。

 文字までもがあの女だ。流れる様な筆跡の強弱には、鍛練かセンスでしか給われない美しさがある。

 丁寧なご挨拶に、セイレーンの矢の時事が綴られ、そしておそらく本題が綴られていた。


――――ご子息が、セイレーンの審判で審判を逃れた女と共に、ご身分を捨て出奔された事にお気づきでしょうか。


 レイリンのすぐ近くの若木の小枝から、小鳥が飛び立った。

 レイリンはその場にペタリと座り込み、噴水の縁に頭をもたせて暫く迷ったあと、ふいに小さな笑い声を上げながら、手紙をくしゃりと握りつぶした。

 そしてリュートを抱き上げると、鼻歌混じりに弦を弾き始めた。

 安堵と応援と、泣きたくなる程の寂しさが奏でられ、レイリンの小さな周囲が音楽でいっぱいになった。



 夢の中みたいなところで活躍できる人は一握りね。

 わたくしはお花に囲まれて、音楽を奏でていられる娘だけれど、ここは現実の中。

 誠実な弦の響きだけが、わたくしの味方。 

 噴水に映るのは、自分だけ。たまにパシャパシャ飛沫を上げて、揺らめいている。

 ああ、わたくしも。いいえ、わたくしにはきっと無理なのだろう……。

 けれどもこの手紙を破り捨てることはできる。

 それすらほんの時間稼ぎにしかならないだろうけれど。誰にも見向きされず、褒められもしないのだろうけれど。

 

 

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