ライラのツガイ相手
向かう町は、フェンリル達にとって仇の様な町で、狼猟で成り立っているのだという。もちろん人間なんかが狩るのだから、普通の狼だ。
その町で作られた狼の毛皮の上着を、マーナガルがライラにくれた。母のものだったというので、ライラは複雑な気持ちでそれを着た。狼の頭ごとついていて、頭から膝あたりまで覆えるようになっている。これなら、耳と尻尾が隠せる。特産品を着た人間の女の子だ。もちろんアシュレイのは無い。彼は自分の薄手の上着で凍えたままだ。だが誰も心配しなかった。
ハミエルを運ぶのには、アシュレイの斜め掛け鞄が役に立った。
出会った時にも持っていた、どうやら彼のお気に入りであるらしい鞄だ。少し大きめなので中身を出してしまえば、小さくなったハミエルがすっぽりと入った。
ハミエルは最初とても嫌がった。
『あほのにおいがする』
「我慢だよ、ハミエル」
アシュレイだってとても嫌がった。だって、中身を半分以上フェンリルの巣に預けなくてはいけなくなるし、鞄の中が毛だらけになるのも厭だった。そして、鞄の奥には隠しておきたい物があった。しかし、鼻の利く者には到底隠し切れない類の隠し事だった。
『ンンン……? ライラのにおい……』
それは渋々鞄に潜り込んだハミエルに、すぐに見つけられてしまった。
ハミエルが鞄の中をごそごぞほじくり返して、ハイヒールを咥えて頭を出した。
『ライラの!』
「ひ!? まだ持ってたの!?」
「し、知ってる?! 一目ぼれした女の子を、その子が落としていった靴で探す王子様の話!!」
「話を逸らすな!」
「ドタバタしてて、そのままだっただけだよ! 本当だよ!!」
『へんたい』
「変態」
ライラはハミエルからハイヒールを受け取ると、狼たちの方へポイッと投げた。若い狼たちが何頭か反応してハイヒールを咥え、玩具にして取り合いながら駆けて行った。
「ああああ……僕の……」
「あたしのです」
ハミエルはふんと鳴いて、鞄の中で丸まった。彼の要請により、ライラが鞄を斜めがけして預かる事になって事が落ち着くと、マーナガルが見送ってくれた。小さな狼も、小袋を咥えてやって来た。
町への移動は、再び欠け耳狼のウェブが背に乗せてくれる事になった。
ウェブは呼び出されて渋々といった感じで、しゅんとしていた。
どうも、他の狼たちのウェブへの態度を見ると、周りより下に見られている様子であった。
そして、ウェブに向けられるのと同じ類の視線を、ライラは周囲の狼たちから仄かに感じていた。
封魔師のアシュレイへのむき出しの敵意とはまた違っていて、こっそり隠れて嘲笑されている感じがして落ち着かない。
やっぱり、耳と尻尾はあれど、人間の姿をしているからだろうか、と、ライラは思った。侮蔑的な視線は踊り子をしていて慣れっこだ。気付かないフリが一番だろう。それとも、微笑みかけてやろうか?
けれどライラはちょっとだけ悲しい。だって、人間にはきっと受け入れられないだろうけれど、狼たちなら、なんて期待をしていたからだ。マーナガルは優しくて、なにか懐かしんでくれている風だったけれど……。 狼たちも人間同様、綺麗な一束とはいかない様だ。
マーナガルがその侮辱的な気配の方をひと睨みすると、気配はすごすごと更に奥の方へと消えてしまった。
「ウェブちゃーん、おー、あったかい……」
ウェブで暖を取ろうとして頭から齧られているアシュレイは放って置いて、マーナガルは小さな狼に目配せした。小さな狼は咥えていた小袋を、ライラに『ん』と言って差し出した。中には、硬貨が詰まっていた。
「あ、ありがとう。いいの?」
『山で出る死者の物だ。お前が町で使えば、人に返す事になるのだから、いいだろう』
マーナガルが頷いて言った。
そんなに綺麗じゃないけれど、そう大して汚くもない金らしい。
ライラは頷いて、しっかり小袋を胸に抱き、ハミエルの落ち着いている鞄にしまった。
あたしもこういう鞄欲しいな、町に売ってたら買っちゃおう。なんて、ちょっと思った。
「マーナガルは何か要るものある?」
そう聞くと、マーナガルは耳を微かに寝かせて、目を細めた。
『なにも要らぬ。人間の町では、油断しないように』
「うん」
『そこの封魔師にもだ』
マーナガルがアシュレイを横目で睨みながら、ライラに耳打ちした。
「あいつは大丈夫。あたしの事好きなんだって」
『うぅむ……ライラ、お前にはフェンリルとツガイになって欲しい。相手も決めてあるのだ』
「狼は好きだケド……あたし人間の中で生きてきたでしょ? 人間の男が好きなの」
「そうだよ!! 人間の男は最高だよ!!」
やんわりマーナガルの希望をお断りするライラに、アシュレイがウェブに踏み付けられ、満身創痍の状態で加勢した。凄く嫌われている。
マーナガルの紅い目が、頑固そうにギラギラした。
『人間、ましてや封魔師なぞ認められん。ハティ!』
『なんだ老いぼれ』
傍で白けた顔をしていた小さな狼が、片耳だけぴくんと動かしてマーナガルを見た。
マーナガルは彼の首根っこを子猫の様に咥え上げ、ライラの前へぶら下げると、ふーん、と得意げに鼻息を吐いた。
ライラもハティと呼ばれた小さな狼も、きょとんとしてお互いを見た。
「え……っと?」
『なにしやがる!』
暴れてマーナガルから逃れたハティを巨大な前足でむんずと押さえ付け、マーナガルが言った。
『見よ、ライラ。今は負傷して焼け焦げもあるが……見事な銀の毛皮だろう。月光から生まれたのだ。一番若く、そして、強い。ハティという名だ』
「は、はぁ……」
『お前のツガイ相手に、良いと考えていたのだ』
マーナガルは自分の選択に自信があるらしく、ふんすー、と鼻息を吐いて鼻先を二回舐めた。
ハティはマーナガルの爪の下で、ジタバタもがいて牙を剥いている。
『ふざけんな! 聞いてねぇぞ!! 久々に帰って来たらこれかよ! ホントふざけんな!!』
「嫌がってるみたい」
『照れ屋なのだ』
ハティは猛り狂った様に唸りまっくて身を捩っている。
元々気性が荒そうだなと思っていたけれど、怒ったところは予想以上だった。
「そういうレベル……?」
『ハティ、野の狼たちはツガイになるだろう。ああいう風に、雌を自分だけのものに出来るのだぞ』
それを聞くと、暴れていたハティの耳が、ピンと立った。
『オレだけのにしていいのか?』
『そうだ。ツガイとはそういうものだ』
マーナガルが頷いて言った。
ハティはかなり心が動いた様子だ。考える風に少し上の虚空を見詰め、目をキラキラさせた。
『オレだけのかぁ……』
『そうだ。誰にも孕ませられぬよう、守らねばならぬがな』
マーナガルは、成り行きに口をパクパクさせているアシュレイを『お前からな』とでも言いたげに見やりながら言った。
「ちょっと……!? 何言ってるのよ、やめてよ……」
『ん、しょうがねぇなぁ、ヨロシクな!』
「え、え!?」
ハティは『雌がすくないからな』と言って、ライラを上から下まで見ると、ニヤッと笑った。
フェンリルはツガイの概念があまりない。生まれる為に必要が無いからだ。
それ故、ツガイ? なにそれ美味しいの? 程度の表情の狼たちだったが、しかし、自分だけの雌を持てるとなれば、周りで聞いていた狼たちが羨ましがった。業の深い事に、『楽しむ為』のモノが、彼らにはしっかりくっついているのだ。彼らは、出来るだけそれをいっぱい使いたい所存である。しかし、ハミエルの言う通り雌は少ないし、雌は子を孕みたくないから、あまり雄の望みを叶えてくれない。自然現象から生まれず腹から生まれるフェンリルは、ほとんどただの狼だからだ。
そんな事は知らないライラは、ハティの気軽さにポカンとするばかりだ。
そして、とうとうあの男が立ち上がった。
「黙ってきいてりゃ……ふざけんなよぉぉぉ!! 僕が!! ここまで来るのに!! どれだけ努力!! したと!! 思ってるんだ!! 雌が少ない!? 僕だって雌の選択肢に入れる確率が少ない!! 選択される確率じゃないぞ!? その前段階の確率が少ないんだぞ!? ポッと出のちびっ子なんかに邪魔されてたまるかぁぁあ!!」
『誰がちびっ子だゴラァ!!』
「うるさい! もういやだ! 寒いし、獣くさいし、鞄は毛だらけ! ハイヒールは捨てられるし、いっつも味方がいないし、ラブシーンが少ないし!! 帰る! 帰る!! わぁぁぁぁ!!」
「ア、アシュレイ落ち着いて……狼たち引いてるよ……」
ああもう、マーナガルたちが刺激する事ばっかり言うから、癇癪が始まっちゃったじゃない! と、ライラは彼を宥める為に傍に駆け寄った。こうやって甘やかすからいけないのである。けれど、狼たちと争う事になるよりも、アシュレイがまた一つ駄目になる方が良いと、ライラは思った。
「ライラぁ……行かないでくれ……僕は、掠ってる程度には君の命の恩人なんだ……まさか命の恩人を見捨てないよね……? 心まで獣に、ならないでく……れ……」
見下げた屑っぷりである。因みに全然掠っていない。彼は大幅に出遅れて助けに来た。
けれど、まぁ、気持ちは汲んであげたいライラである。
「ほら、そういうのって男女二人の気持ちが大事でしょ!? マーナガルがどれだけ言ったって、ハティが良いって言ったって、あたしはその……ツガイになるって決めてないんだから!!」
縋って来るアシュレイを、ライラは慰める。
アシュレイは涙目で彼女を見上げた(地面にお馴染みの四つん這いになっていた)。
「ライラぁ……ありがとう、ありがとう……」
『気持ち悪ぃ……』
ハティが「こんなの初めて見た」という顔でアシュレイを見ていた。
マーナガルはライラの台詞に「むぅぅ……」と唸っていたが、
『取りあえず、ハティ。ライラを頼んだぞ。雌心は変わりやすいからな』
と、若干匙を投げ気味に、ハティにライラの守護警備を任せた。
ハティは軽く頷いて、空へ飛び上がった。
『じゃ、そろそろ行こうぜ!』
* * * *
それを着て、仕方が無さそうに微笑んだ貴女の顔を思い出した。
誇りを選んで良かった。
誇りは死んだりしないから。
けれども、生まれた気持ちが、こうして、どうしようもなく、貴女を忘れさせてくれない。




