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#90 独りよがり

「マサヨさん、行ってきまーす!」


「はいよ! 今日も頑張るんだよ!」


 食堂を片付けるマサヨさんに声をかけて、春奈は校舎への通路を歩き始めた。校舎の昇降口の扉が開くのは7時40分だが、春奈はいつも5分前には昇降口の前に到着している。ところが、春奈が昇降口へたどり着くとすでに扉は開いていた。ふと、春奈は考え込むような仕草を見せた。


(あれ? …さっき、いつも通り出たよね? おかしい…)


 国際・スポーツ推進コースの2年A組は、昇降口から一番離れた北棟の3階にある。上履きに履き替え、廊下に示された黄色のライン――2年の教室への案内を見つめながら、春奈はゆっくりと階段を上る。夏が近づいて、校舎の廊下はムシムシとした空気が充満している。襟元のリボンを緩めると、小さくため息をついた。


(秋穂ちゃん…)


 春奈はここ数日、秋穂のことがずっと胸の(つか)えになっていた。レース後に秋穂が倒れたあの日以来、秋穂との会話は減っていた。声をかけても、小さくスッと手をあげるだけで会話がない。結局、昨日も直接会話は交わしていない。


「――大丈夫、心配しないで」


 体調の悪さを気にして、気を遣って電話ではなくメールを送った。しばらくして返ってきたメールには、短く1行だけ記されていた。ようやく教室に倒れ込んだ春奈は、窓側の一番後ろ――席替えしたばかりの自分の席につくと、バッグを枕代わりにして机に突っ伏した。他の生徒は、まだやって来ていない。


「はぁーーっ」


 まだ誰もいない教室に、春奈の重いため息が響いた。




「えっ、真理きょうも休み? 野中先輩から何か聞いてる?」


 みるほの言葉に、春奈は表情を曇らせた。真理は、昨日も体調が優れないという理由で授業を休んでいた。同部屋の3年生・野中美玲(のなかみれい)に様子を聞いたというみるほは、首を二度横に振ると肩をガックリと落とした。


「美玲先輩が言うには、一昨日の夜にずっとお母さんと電話してて、ケンカ…? っていうか、何か言い争いしてたみたいなんだけど…」


「お母さん」という言葉に、春奈は思わずハッとして目を見開いた。一昨日といえば、真理は担任の瑞穂、そして母を交えた面談のあった日だ。春奈の脳裏に、以前に真理と話した時の記憶が蘇る。大学進学を勧める父と、卒業後は父の議員事務所で働くことを厳命しているという母との間で真理が悩んでいたことを。ふと、胸元のポケットから携帯電話を取り出す。メールの着信を示す緑色のランプが灯っているのを確認すると、春奈はすぐに画面を開いた。


  受信日:6月 4日(水)7:56

  送信者:矢田 真理

  題名:おはよ。


  さえじ、ごめん。今日も行けそうにないです。

  お母さんと意見があわなくて。。。

  わたし、どうしたらいいか分からない。。。


 やはり、と春奈は表情を険しくした。両のこめかみの辺りにズキリと鈍い痛みが走り、思わず顔を歪める。


「どうしたの? …春奈ちゃん」


「ううん…なんでもない」


 みるほの問いかけに、春奈は首を振った。


(春奈ちゃん…?)




「ちょっと、ほの、ゆめ、ホンットに静かにして!!」


「だって、夕ご飯の時ゆめがほののハンバーグ取って…!」


「うるさいなぁ、ほのだってゆめのカレー勝手に半分食べたでしょ!?」


 部屋でつかみ合いになっている穂乃香と友萌香を、浴場から戻ってきたばかりの春奈は思わず怒鳴りつけた。滅多に声を荒らげることのない春奈の怒声に、怜名や涼子たちはおもわず絶句するが、当の本人たちはそれどころではないといった様子でなおもつかみ合いを続けている。


「止めな! 小学生じゃないんだから。そんな下らない理由でケンカされてもこっちが困るし」


 ようやく、後からやってきた一美が一喝して穂乃香たちは静かになったが、ふたりに関する騒ぎはこれだけでない。夜な夜なふたりで大騒ぎしては他の部員から苦情が出ていた。集団生活が初めてに等しい双子の扱いに、春奈たちは手を焼いていた。泣きべそのふたりに、春奈は大きな声を張り上げた。


「もう、ふたりともあと10分で消灯なんだから、歯磨いたりして…うっ…!」



 そこまで言うと、春奈はこめかみの辺りを押さえてうずくまってしまった。一美が、穂乃香に声をかける。


「サエコ!? …ほの、恵理子のこと呼んできて!」




「それを期待して来てもらった訳だし、改革は大事なことだというのは勿論、十二分に理解している。ただ、その目まぐるしさに心と身体が付いてこない部員もいる…きみの社会人経験は武器だが、彼女たちはまだ社会に出てすらいない。ストイックに物事を進めていくのは正しくもあるが、くれぐれも部員たちに目を配ることを忘れないように…頼んだよ」


「はい…」


 秋田学院高校の校長でもあり、男女それぞれの陸上部の部長を務める岩瀬勲雄(いわせいさお)の静かながらも厳しい言葉に、ひかるはいつもの威勢はどこへやら、意気消沈といった様子で静かに話を聞いていた。


「具合の悪い3人…冴島くん、高島くん、矢田くんの様子はどうかな」


「矢田は、母親だけではなく父親も交えての話が必要になるかと…担任の柳原先生も含めて再度面談を行うのですが、かなり母親が強硬な姿勢ですので、学校としての方針を持っておこうと思います。高島は鉄欠乏性貧血との診断が下りましたので、鉄剤の摂取と食事面でも樋村寮長と相談してメニューを組み立てます。後は…」


「冴島くんかな?」


 岩瀬に問われると、ひかるは困惑した表情を浮かべた。


「はい…校長もよくよくご存知だと思うのですが、冴島が言うことをきかなくて…」




「もう、大丈夫だから心配しなくて平気だって、恵理子ちゃん!」


 明くる日の朝も制服に着替えて普段通り教室へ向かおうとする春奈を、恵理子が寮の部屋の入口に立ち、手を大きく広げて制している。春奈が困惑したように言うと、恵理子は口をへの字にして叫んだ。


「ダメです! 春奈先輩、すぐに無理しようとするの知ってるんですからね! 休んでください!」


「じゃ、じゃあ、練習は誰が…」


 恵理子の後ろから、一美と愛が現れる。


「恵理子の言う通りだよ。ここで無理して、ずっと体調崩したままの方が影響が大きい。第一、この前の都大路でも同じようなこと言って皆に言われたの覚えてないの」


「でも、秋穂ちゃんも休んでるし、ここでわたしも休んだら…」


「さえじ、あたしだっているよ。あんまり言いたくないけど、もっと他の人に頼らないと潰れちゃうよ」


「で、でも皆だって忙しいし…」


 そう言って、春奈はなおも諦めない。すると、部屋の外から見つめていた怜名が、呆れたといわんばかりの表情でつぶやいた。


「春奈、そんなにわたしたちに任せるの不安? 調子が悪いまま無理してやるのは、責任感じゃないよ。独りよがりっていうんだよ」


 それまで顔を紅潮させ興奮した様子でまくし立てていた春奈だったが、怜名の一言にピタリと固まると、ガックリとうなだれてその場に座り込んでしまった。恵理子は心配そうに春奈を眺めていたが、一美たちが校舎へ向かうのを見ると名残惜しそうに部屋の扉を閉めた。


「愛、マキレナ、結構強めに言ったけど、春奈大丈夫かな…?」


 春奈を心配する一美に、怜名と愛は顔を見合わせて困ったような表情をした。


「あのぐらい言わないと、春奈はすぐに無理をしちゃうから…責任感は強い子ですけど、ああやって無理をして、いつか潰れてしまうんじゃないかってわたしたちも心配で…」


 怜名の言葉に、後ろからついてゆく恵理子は振り向いて寮の部屋の辺りを眺めた。


(…春奈先輩…、本当に、ゆっくり休んでください…)




 春奈はしばらく横になっていたが、外の様子が気になるのかロフトベッドを下り、部屋のソファーに腰掛けて外を眺めていた。午前中ということもあり、陸上部のトラックには人こそいないが、どうしても部屋の中でじっとしていることに罪悪感があるのか、ベッドの上にじっとしていることが躊躇われて仕方がなかった。すると、ドアをノックする音が聞こえて春奈は振り向いた。


「秋穂ちゃん…、大丈夫なの?」


「あぁ…、別に、伝染るものでもないから大丈夫…」


 同じく、授業を休んでいた秋穂が部屋へとやって来た。秋穂は静かにソファーに腰を下ろすと静かに切り出した。


「怜名から聞いたよ…無理したらダメだっていつも言ってるのに」


「うん…それは、分かってるけど…秋穂ちゃ…」


 春奈が本題を切り出そうとすると、それを遮るように秋穂が話し始めた。


「ごめん。春奈のこと、しばらく…避けてた」


「…えっ?」




<To be continued.>

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