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#8 ただ、前へ

【前回のあらすじ】

2区を走る史織は、春奈に駅伝というスポーツの意味を説く。これまで記録更新を続けている春奈は、キョトンとした顔で史織を見つめたが、史織は春奈へ活躍を誓う。言葉通り史織は11人抜きの快走を見せ春奈へタスキリレーを行うが、その直後に寒さの影響から史織はその場へ崩れ落ちてしまった。

『…28位でタスキリレーを行った神奈川ですが、バイク映像ご覧いただけますでしょうか…黄色と臙脂のユニフォームが神奈川ですが、この3区はスーパー中学生冴島春奈が走っています。タスキを受けてからまだ1分程度しか経っていませんが、既に前を走っていた富山、福岡、北海道を捉えて一瞬にして追い抜きました。スピードはさらに増している印象すら受けます。その前にはさらに5チームほどの集団がありますが、先ほど追い抜いた3チームのことを気にする様子もなく、さらに前に前に行こうという気迫すら感じる冴島春奈です―』


 実況のアナウンサーが伝えた通り、ペース配分などを気にする様子もなく、ひたすら視界の最前方に入ってくるランナーの背中を目掛けてその姿を追う。最初の1キロが何分か、これからのコースがどういったものか、それら一切を考える余裕は一切なかった。とにかく前のランナーを追い、そして抜き去る。周囲の光景は一切目に入らない。


 前方から急に、強い風が吹き付けて身体が押し戻される。その瞬間、一瞬の冷静を得た。


 (5人抜いて今22位…あと13人)


 本番のレースを迎えて、春奈は興奮を抑えられないのが自分でもわかった。初めての大規模な大会で、自分自身に注目が向けられていることも否が応にも感じていた。これまでの二区間、先輩ランナーが繋いできたタスキを一つでも前へ。両手、両脚はもはや本人の意思と無関係に動いているような感覚だ。


「2分55秒…!?」

 最初の1キロのラップタイムを目の当たりにして、史織は自分の表情がサッとこわばるのを感じた。男子大学生でも一定の実力がなければ出し得ない驚異的なタイムだ。


「冴島春奈ちゃん、すごいね」

 同じ区間にエントリーされていた、普段のチームメイトが感心したような口ぶりで史織に話かける。ところが、史織は深刻な表情を崩さない。


「確かにすごいタイムだけど…無謀じゃないかな」

「えっ?」


「動画で彼女が記録出した時のレースを見たのね。すごくのびやかなフォームで、それでいて無理がない走り方してるの。ただ、見て」

 史織はテレビを指さして、続ける。

「あんなに歯を食いしばって、顔も左右に振れてる。この前観た時のフォームとは全然別の走り方。確かにタイムは早いけど、こんなに力任せに走っていたら残りの2キロ、体力絶対に持たない」


「確かに…」

「それに、この雪と風。このスピードで走っていたら、3キロとはいえ…」

 そこまで話すと、両手をガチッと組んで祈るような仕草を見せた。


(春奈ちゃん…ひとりで無理するなって言ったのに…)


 3区も中間地点を過ぎて、春奈は既に16位まで順位を上げていた。少し間隔が空くが、遠くの方に数人の集団がいるのが視界に入る。春奈はさらにペースを上げた。


 (前へ、前へ、前へ前へ前へ…)


 春奈は既に冷静さを失っていた。普段のレースではあがることのない息があがり、振り出す手足の重みを感じるようになっていた。だが、ペースを緩める様子は見られない。前方の集団の背中が徐々に大きくなる。


 だが、その沿道からの声援が、少し遠のいたような気がした。

 集団は4人のランナーが固まって走っており、春奈はその真横につけた。そのまま、ランナーたちの前に出ようとした時、急に目の前がパァッと明るくなった。正確には、明るくなったように春奈が感じた、のが正しい。明るい視界の中に、フラッシュのような激しい光が二回、三回と飛び込んできた。それと同時に、全身に込めていた力が急激に抜けるような感覚に襲われた。両腕がぶらん、と垂れ下がり、身体が前方に大きく崩れた。転倒こそ免れたが、止まらないように失いかけた身体のバランスを倒れないように保つことが精一杯だ。


 (え…何…これ…)


 自分に何が起きたかを冷静に判断するのはもはや無理な状態だ。抜きかけた四人の集団は前へと去り、先ほど猛然と追い抜いたはずのランナーたちが春奈を追い抜いていく。真っ直ぐ歩行することもできず、コースをふらふらと蛇行しながら辛うじて歩を進める。

 (寒い…寒い…身体が)


「…低体温症だ…」


 両手で頭を抱えると、史織は力なくこぼした。

 ウォーミングアップの際に、一度は手にしたはずのアームカバーを春奈はしていなかった。アップである程度身体が温まったはずだという一瞬の油断があった。無防備で冬の吹雪にさらされた結果、3キロとは言えベストを超えるペースで猛然と走った結果、春奈の身体から急激に熱は奪われ、前後不覚の状態に陥った。


『注目の神奈川県・冴島春奈ですが、残り600メートルを過ぎたあたりで止まりました!止まってしまいました!低体温症でしょうか、身体は左右に大きく振れ、歩くのも精一杯といった様子です。一時は15位前後まで順位を上げましたが、次々と後続のランナーに抜かれ、現在は25位前後でしょうか。注目の冴島、非常に苦しい走りとなりました…』


 テレビから流れる実況の声に、史織はいっそうその表情を険しくした。


 春奈は上体を起こそうとしては、力なくだらん、と力が抜けるような動きを続けていた。傍目にも正常な意識があるようには思えなかった。既に、神奈川チームの監督はリタイアの指示を審判団に送っていた。コースを伴走していたワゴン車から、ダウンジャケットを着込んだ中年の審判が飛び出し、ふらふらと彷徨う春奈へと近づいてその身体を引き寄せようと手を伸ばす。


 審判が伸ばした手は、勢いよく振り払われた。一瞬、焦点の合っていない目で審判をキッと睨みつけたように見えた。上体は相変わらず傾いたままだが、顔を前に向けると、よろよろとした足取りながら再び走りだした。審判は慌てて春奈を追いかけるが、とはいえ身軽な春奈は審判を避けて進んでいく。


『ああっと…神奈川の冴島ですが、制止して途中棄権を促した審判を避けました!そのまま、足取りは非常に重いですが走りだしました!冴島はレースを諦めていません!』


(行かなきゃ…タスキ繋がなきゃ…)


 最早はっきりしない視界の中で、春奈はまだ見ぬ中継所を目指していた。


<To be continued.>

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