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#86 番狂わせ

 スターターの声に選手たちが反応し、足を一斉にずっ、と引く音が響く。春奈の周囲は、秋田学院の臙脂のユニフォームが一団となっている。すぐ横の秋穂を見ると、前を向いたままひとつこくりと頷いた。会場を一瞬の静寂が包む。



 パァン!



 ピストルの音に反応して、身体がひとりでにスタートラインを超えて行く。春奈は、すぐにコースの内側へと寄った。つい先日、記録を更新した時の感覚を身体が覚えていた。最初のコーナーを抜けると、徐々にスピードを上げた。ここで、春奈に食らいついてくるのは一美や秋穂といった面々だ。ふと、すぐ横に気配を感じて顔を向けると春奈は驚いて目を見開いた。


(…涼子! 真理! 明日香も!?)


 緊張を隠そうとしなかった涼子たち3人が、春奈のスピードに食らいついている。従来の3人のベストタイムを考えれば、周回遅れにもなりえるほどだ。ところが、涼子たちはオーバーペースも辞さぬ速さで春奈と横並びで走っている。春奈が3人を見やると、それぞれがニヤリと笑みを浮かべて頷いた。




「さえじに、付いてってみよう」


 レース前にそう言い出した涼子の肩を、明日香は驚いてグッと掴んだ。


「本気で? 1分以上ベストが違う人と走ったら、最初っからバテちゃうじゃん」


 慌てて首を振る明日香をじっと見つめると、静かに涼子は言う。


「違うよ、明日香。スタートから遅れてたら、絶対に距離は取り戻せない。一緒にさえじたちと練習するようになって分かったんだ…ほーたんも怜名っちも、さえじについていくことを諦めてないって。あたしは、さえじと同じ景色を一度見てみたい。それが見えたら、自分が目指すところも変わる気がする…真理たすはどう思う?」


 涼子に問われると、真理も大きくうなずいて賛同した。


「わたしもそう思う」


「えっ!? 真理たすも!? 本気で言ってる?」


「本気で言ってる…ひかるさんにも言われたんだ。山の頂上は、登ろうとしなければ一生その景色は見れないって…いま、最後までさえじについていけるとは思ってない。わたしたち…、去年は選抜にも入れなくて、さえじと一緒に走れるチャンスなんてなかった…でも、今ならそれができる…だから、涼子が言うように…一瞬でもさえじと同じ位置で走ってみたい」


 真理の言葉に、涼子はニヤリと笑みを浮かべた。


「決まりだね。なら、スタートからできるところまでさえじのところについて、後は粘ろう…別に、タレても死ぬわけじゃないし」


 乗り気の涼子と真理を尻目に、明日香は呆れたようにため息をついた。


「もう! さえじのスピードについてって、棄権しても知らないんだから」




 レースは、早くも2周を過ぎた。春奈は、横をちら、ちらと二度見た。明日香は少し後ろに下がったものの、涼子と真理は変わらず並走を続けている。最初こそ驚いた表情を浮かべていた春奈も、涼子たちが退かないことを確かめると表情を険しくして一度頷いた。


(…手加減はしないよ!)


 すでに、春奈を先頭として選手たちは徐々に縦長の列になっていた。その中で、春奈に食らいつく涼子、真理少し開いて明日香の姿に、スタンドで戦況を見守るひかるも満足気に笑みを浮かべた。


「あの子たち、イイね」


 ひかるの言葉に、みるほも笑顔を浮かべて言った。


「多分、3人ともベスト更新するタイムで行けると思います! スタート前、みんなかなり気合入ってたんで」


「明日香はちょっと厳しいかもしれないけど、涼子と真理はいい感じじゃない! みるほ、あの2人は去年選抜入ってたんだっけ?」


「いえ、わたしたちの学年は春奈ちゃん、秋穂ちゃん、ゆりりんに怜名ちゃん、あとはまなちです」


 それを聞いたひかるは、ギョッとしたような顔でポツリとこぼした。


「マジか…あの子たち、この何ヶ月かで急に伸びたってことだね」


 そう語るひかるに、みるほが別の方向を見るように促す。


「涼子たちは、確かに調子いいんですが…ひかるさん、あそこ見えますか?」


「あっ…!」




 レースは後半に差し掛かる。春奈は、隣の涼子たちの表情を見た。真理はまだ多少余裕を残しているが、涼子の口がわずかに開いているのを春奈は見逃さなかった。コーナーを抜け直線に入るタイミングで、春奈は再びスピードを上げた。


「ぐっ…!」


 涼子が苦しげに声を漏らす。春奈と同じタイミングで飛び出した真理が追随するが、涼子は再びコーナーにさしかかるタイミングでじりじりと遅れ始めた。


(真理たす…行けるとこまで…お願い)


 涼子は、悔しげにユニフォームの胸元をギュッと握った。真理の細いシルエットのさらに先に、遠ざかっていく春奈が見えた。


 春奈は、振り向くと追いすがる真理をちらと見た。真理は鋭い視線を春奈にぶつけると、一度大きく首を縦に振った。呼応するように春奈も頷いたが、その視界に違和感を覚えて二度、キョロキョロと左右を向いた。


(秋穂ちゃんが…いない!?)


 一瞬、たじろいだように表情が曇る。すぐ後ろにつける真理は、その変化を見逃さなかった。足を強く蹴り出すと、春奈の背後に迫り一気に抜き去った。スタンドからは、予想外の展開に大きな歓声が上がる。


「矢田先輩が…冴島先輩を抜いた!」


 スタンドで見守る1年生たちも、悲鳴のような声を上げた。昨年一度も選抜チームのA班に入れなかった真理が、高校ナンバーワンの春奈を抜き去った瞬間だった。どよめきが聞こえると、春奈はすぐに我に返った。


(しまった!)


 即座に春奈の脳裏に、昨年秋の新人戦の時の様子が映像のようにフラッシュバックする。あの時、春奈はやはり大きく遅れをとった佑莉に気を取られ、最終的に秋穂そして、酒田国際高校の留学生シラ・キビイ・カマシに先行を許したのだった。春奈はすぐに逃げる真理の背中へピタリとつくと、そのまま真理を追った。春奈がすぐに追い抜いていくことを覚悟した真理は、思わず背後の春奈の表情を覗き込んでハッと息を飲んだ。それは、日頃の生活では見ることのない、鬼気迫る春奈の表情だった。


「うっ…!」


 今度は、春奈が真理を抜き返す番だ。一瞬体勢を崩した真理の横を一瞥もせずに駆け抜けると、すぐに2メートル、3メートルの差をつける。春奈は、直線に入るとトラックの反対側を見回した。すると、ようやくコーナーへ向かおうとする秋穂の姿が見える。普段の勢いはなく、フォームも安定していない。


(秋穂ちゃん…なんとかがんばって!)


 すぐにでも秋穂の近くに駆け寄りたいような衝動にかられたが、春奈は首を横に二度大きく振って、再び前を向いた。




「どうしたんだろう、秋穂…」


 心配そうに見つめる怜名に、彩夏がつぶやくように言う。


「熱中症ならあそこまで汗をかかないはず…痙攣している感じじゃないから、低血糖や塩分不足っていうわけでもなさそうだけど…」


 足取りもおぼつかない秋穂は、蛇行こそしていないがフラフラと頭が上下に揺れている。振り出す腕には力が入っていない。顔色は青白く、汗がダラダラと吹き出している。残りはまだ2周以上ある状況だ。怜名は、泣き出しそうな表情で祈るように両手を組んだ。


「秋穂…お願いだから、ムリしないで」


 秋穂は、重い足取りだが走るのを止めてはいない。しかし、その後方を見て怜名は目を見開いた。


「春奈…!」


 秋穂の後方からは、無情にも春奈が迫ってきていた。春奈は、秋穂の背中をとらえたあたりからよりスピードを上げたようにも見えた。なんとか前に進もうとする秋穂を横目でちらと見ると、すぐに秋穂を抜き去っていった。怜名には、春奈の表情が一瞬歪んだようにも見えた。だがそれも一瞬の出来事で、周回遅れとなった秋穂との距離はどんどん開いていった。


 春奈は、ぎりぎりと奥歯を食いしばるようにして走っていた。


(秋穂ちゃん…なんとか耐えて…なんとか最後まで走り抜いて…)




 春奈は、そのまま先頭をキープしてゴールし、3,000m走種目の優勝を飾った。しかし、笑顔を見せることなく一礼するとスタンドの方へ向かい、じっと走り終えたトラックを見つめていた。秋穂はそれからほどなくゴールラインを超えたが、まだ1周が残されている。コーナーへと吸い込まれていく秋穂から視線を外すと、臙脂のユニフォームが続々と最後の直線へと進んでくる。


「真理!」


 春奈が短く叫んだ。華奢な身体が折れてしまいそうなほどの勢いで、真理がゴールラインを超える。春奈は真理のもとへと急いだ。


「真理、すごいよ! ベスト大幅更新だね!」


「ありがとう…でも、ほーたん大丈夫かな…? まだかかりそうだけど…」


 真理も同じく、トラックの反対側を苦しそうに走る秋穂を心配そうに見つめる。秋穂のゴールを待つ間、涼子、明日香と自己記録を大幅に更新した選手たちが次々と戻ってくる。皆、秋穂のブレーキは分かっているのか、安堵と心配の混ざった複雑な表情をして春奈の方へとやって来る。走り終えた選手たちは、じっと秋穂のことを待ち構えていた。スタンドで見守るひかるも、不安な面持ちを隠しきれずにいた。


「秋穂ちゃん!」


 やっとのことでゴールを迎えた秋穂は、そのままコースを外れるとよろよろと地面に倒れ込んだ。春奈たちが慌てて駆けつけると、青白い顔をした秋穂の顔からは、だらだらと冷や汗が流れ落ちる。


「ハァ…、…! …、ハァ…!」


 声にならないうめき声に、春奈は耳を凝らした。


「えっ、なに?」


「ハァ、ハァ、水を…」


 秋穂の口にドリンクを含ませると、春奈と真理は秋穂を抱えるようにして立ち上がった。が、春奈たちがスタンドへ向かおうとすると、通路に立っていた中年の男がにこやかに春奈たちの方へと向かってくる。


「いやどうも…冴島、春奈さんですか?」


 場違いな満面の笑みを警戒しつつ、春奈は男の呼びかけを無視して進もうとした。するとその男は、急ぎ足の春奈を追うように早足でついてくる。


「…何でしょうか? 今、急いでいるん…」


 春奈の言葉を男は遮ると、不敵な笑みを浮かべて言った。


「残念ながら僕も急ぎなんだ、申し訳ないがお友達の救護はそちらの子に任せてもらえないかな。…日本陸連の強化委員長を務める、古瀬稔と言います。冴島さん、あなたをオリンピック強化指定選手に迎え入れるためのお話をしにやって来ました」


「…!?」




<To be continued.>

86話は、春奈が強さを見せた一方で大きな波乱もありました。

よもやの大ブレーキで倒れ込んでしまった秋穂、心配ですね。

そして、最後にまさかの大物登場で次回へと続いていきます。

引き続き『いつか輝く星になれ』をお楽しみください!(あんじょうなほみ)

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