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#79 つかの間の休息

 「うーん...」


 陸上部員たちは、一様に難しい顔をして多目的ホールから出てきた。ようやく、新年度からの体制や方針について説明があったものの、これまでとは環境が大きく変わることに皆戸惑いを隠せずにいた。


 「コバセンかぁ...」


 琥太郎が首を傾げる。コバセンとは、短距離チームのコーチを務める体育教員の小林賢志のことだ。コーチングの的確さなどを買われ男子部の監督に抜擢されたが、駅伝未経験ということもあり長距離チームの面々には不思議な人事と映ったようだった。春奈や琥太郎たちと同じD組の相原洸陽あいはらこうようも、同様にすっきりとしない顔で言った。


 「言うても女子部も、まだ監督誰になるんか分からんのやろ?OGや言うとったけど、あれ誰やろな?さえじ」


 「うーん...先輩たちがいろいろ予想してたけど、誰になるのかさっぱり分かんないよ」


 秋田学院出身のOGも最近は増え、顕著な実績を残す選手や大学や実業団でコーチを務めるものも増えてはいる。唯一後任を知っているというあかりが口をつぐんでいて、春奈にしてみれば皆目検討もつかないというのが正直なところだった。




 部屋へと戻る道すがら、怜名が聞いた。


 「ねえ春奈、今度の日曜って...なんか予定ある?」


 「ううん、例の完全休養日?休みって言われても、何しようか全然決めてないんだよね...」


 岩瀬の意向で、男子部・女子部ともに週1回の完全休養日が設けられることも合わせて発表されたが、これも突然の発表だったこともあり、部員たちは歓迎というよりは戸惑いを見せていた。すると、怜名が春奈の目の前に近づいて人差し指をぴんと立てた。


 「じゃあ、いっこ提案!ポートタワー行ってみない?」


 「ポートタワー?」


 「うん!あの、中央棟の図書室から見える高いやつ」


 「あぁ!」


 春奈はポンと手を叩いた。「セリオン」の愛称で知られるポートタワーは秋田港に立つ全長143メートルのランドマークで、秋田市内を一望することが出来る。自由な外出の許されない寮生活で、怜名は機会があれば行ってみたいと常々思っていたのだという。


 「いいね、行こうよ行こうよ!…それでさ、他に誰か誘う?」


 「それがね...」


 すでに怜名は何人かに声をかけてみたようだが、ことごとく断られたようだ。


 「みるほは、部屋でルナ=インフィニティのライブDVD観るから1日部屋にこもるって言ってて、まなちはマリミホと買い物。礼香は菜緒先輩とお出かけで、なっこたちは翼先輩の家に遊びに行くみたいだし、涼子たちもどっか出かけるって...」


 「ほ、ほとんどリサーチ済みだね...」


 「あと誰かいたかな...まだ声掛けてない子...」


 「うん、他にまだいたような...」


 そこまで言いかけて、ふたりは同時に叫んだ。


 「...そうだ!」




 「ほいで誰もおらんけん、ウチに声掛けとん?」


 「ち、ちがう違うチガウ!あっあっ秋穂はもう何か他に予定あるのかなって思っててさ...ほら、ポートタワー着いたよ!」


 ジト目で睨む秋穂を、怜名は慌てながら必死に否定した。1時間に1本の電車を逃してしまい、バスに揺られること20数分。ポートタワーに到着した春奈たちに、強烈な海風が吹きつける。


 「ううううう、さっむ!!」


 「は、早う中入っとかんかい!さっ、寒っ!」


 「あ、ちょ、ちょっと、走んないで!まだ足が...寒ーい!!」


 3人は慌てて館内へと進むと、展望台に通じるエレベーターへと向かった。ところが、いざ乗り込むと秋穂の様子がおかしい。


 「あ、秋穂ちゃん、どしたの??」


 「早よう、ドア閉めんかい、ドア...」


 秋穂は春奈の背中にピッタリとくっついて、顔を上げない。


 「どうしたの秋穂、もしかして高いとこ...」


 「だっ、黙らんかい、着くまで何も」


 「あっ、怜名、すっごいいい景色だね!」


 「ホントだ、もうあんなに小っちゃく...」


 「...!!」




 展望台からは日本海と、秋田の市街地が一面に広がる。秋田に来てから初めて見る景色に、3人は言葉を忘れてしばし見入った。秋穂が、ポツリと言葉を漏らす。


 「えぇ景色じゃの...」


 「あれ、秋穂ちゃん...展望台は平気なの?」


 春奈が聞くと、秋穂は気まずそうに答えた。


 「別に、高いとこだけなら平気だけん...エレベーターの上り下りがようでけん」


 すると、怜名が何かを見つけたようだ。


 「あ、学院見えたよ!ほら!」


 「本当だ!」


 怜名の指さす方向に、広大な秋田学院の校地が見える。眼下に広がる秋田平野を3人はじっと眺めていたが、ふと春奈がふたりに提案した。


 「ねえ、写真撮ろ?」


 「あっ、いいね!」


 怜名がノリノリで応じる一方、秋穂は無言だ。しかし春奈がカメラを自分たちに向けると、秋穂もスッと画角に収まった。


 「いくよ、チーーズ!」


 まだ母の琴美のように掛け声は上手ではないが、3人とも明るい表情だ。写真を見ながら、怜名がしみじみとつぶやいた。


 「ふふ、3人とも、服の好みバラバラだよね」


 春奈はお気に入りのキャップを被り黒のダウンにジーンズ、怜名はハイウエストのスカートに淡いブルーのコート、秋穂は丈の長いジャンパースカートにミリタリージャケットと、好みの服装は三者三様だ。でも、と前置きして怜名は続けた。


 「たとえば春奈といると、秋穂は?って聞かれるし、秋穂といると春奈いないの?って聞かれるんだよね、不思議だよね」


 「フフ、それ、ウチも言われよる」


 「ホントに!わたしもそうだよ」


 「だって、一緒に出かけるなんて、今日が初めてなのにね」


 怜名がしみじみと言う。ライバルでもあり、強い信頼でつながる春奈と秋穂。中学時代からの知り合いで、クラスメイトでもありルームメイトでもある春奈と怜名。春奈という大きな目標を前に共に切磋琢磨する秋穂と怜名。それぞれに固い絆があり、部内でも仲の良い友人同士して知られていながら、3人が同時に行動することはこれまでなかったのだ。春奈たちは、写真をしばしじっと見つめると、お互いに頷きあった。すると、


 グーッ...


 春奈は、無言で腹を押さえた。すると、じっと見つめる秋穂と怜名にパンと手を合わせると頭を下げた。


 「ごめん!お腹すいちゃった...どっか、ご飯食べに行かない?」


 「あぁ、そういえばもうそんな時間じゃの」


 「そだね!そしたら、ごはん屋さん探そうよ」




 「はぁ...」


 ようやく腹を満たした春奈が、やや疲れ気味に机に突っ伏した。秋田駅まで戻ってランチを探し始めた春奈たちだったが、食の好みも3人ともバラバラとあり、結局ショッピングセンターのフードコートに辿り着くまで1時間かかったというわけだ。


 「とりあえず、外行こっか...次どこ行く?」


 「うーん...」


 外は雪がちらつき始め、寒さが増してきた。春奈も秋穂も、そして怜名も全く違うことを考えていそうだということは分かった。でも、考えはなかなかまとまりそうにない。春奈が携帯電話を取り出そうとしたその時、後ろから誰かに呼ばれたことに気づいた。


 「さえじ!」


 「あっ!おつかれ!」


 視線の先には、やはり3人で集まって遊びにやってきていた涼子と明日香、そして寺村香織てらむらかおりの姿があった。涼子は、春奈たちを見渡すと声を掛けた。


 「ねぇ、これからわたしたち、カラオケ行くんだけどみんなもどう?」


 「カラオケ?」


 カラオケ好きという怜名はノリノリだが、春奈と秋穂は少し迷うような表情を見せた。すると、明日香が2人の手を取って言った。


 「えーっ、あたしさえじとほーたんの歌うたうとこ見たいな!せっかく会ったんだからさ、行こうよ行こうよ!」


 「そうだよ!皆で行ったら絶対楽しいからさ、2人の歌うところ聞かせてよ!」


 香織もノリノリだ。春奈は、チラッと横目で秋穂を見て小声で聞いた。


 「秋穂ちゃん、どうしよ?」


 「ま、今までこんな機会なかったけん、一緒に行こわい?」


 「うん!」


 「オッケー!じゃ、皆で行こ!」


 ウキウキの怜名に後ろから押されるように、春奈たちもカラオケボックスへと進んで行った。しかし、いざカラオケが始まると、なんだかんだとマイクを離さずにずっと熱唱していたのは春奈と秋穂だったのは言うまでもない。




<To be continued.>

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