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#75 明暗

 一美はゴールテープを切ってもなおそのタスキを掲げた右手を挙げたまま、あかりたちの待つ場所へと駆け寄ってきた。


「一美!」


 部員たちの輪の中に飛び込んできた一美をあかりが受け止める。優勝こそ叶わなかったが、過去最高順位となる8位入賞を果たした。部員たちも、歓声を上げて一美とあかりのふたりを囲んだ。


「あかり先輩…わたし…わたし…!」


 最後は言葉にならなかった。一美を抱きとめるあかりも、涙があふれて止まらない。一美の髪をくしゃくしゃとするように撫でると、感情を爆発させた。


「ありがとう、一美、みんな…! 頑張ったね…! 一美…!」


 輪の少し外で待つ岩瀬は、感慨深げに大きくうなずいた。すると、岩瀬は傍らにいた春奈の方を向くと、視線を部員たちの方へ向けた。


「あ…!」


 松葉杖姿の春奈は、輪に加わるのをためらっていた。すると、あかりがそれに気付き、一美に声を掛けた。


「ほら、春奈のところへ…行こう!」


 一美も頷き、部員たちが今度は春奈のことを囲んだ。


「サエコ…やったよ!」


「濱崎先輩! …すごいです!」


 笑みを浮かべる一美に、春奈は思わず松葉杖を投げ捨てて駆け寄った。が、痛みで思わずよろめくと、一美が春奈のことを抱きとめた。


「サエコ! 大丈夫!?」


「肉離れ起こしちゃって…でも、平気です! イテテ…」


「平気じゃないでしょ、ほら、無理しないで。学校戻ったらまずはリハビリってことで」


 一美に窘められると、春奈は思わず苦笑いを浮かべた。その様子を映すモニターを眺めて、アナウンサーが磯貝に問いかける。


『秋田学院、当初の目標に掲げていた優勝には届きませんでしたが、初の8位入賞ということで…磯貝さん、いかがでしたでしょうか?』


 磯貝は、画面に映るあかりの姿を見ると感慨深げに切り出した。


『このチームは去年までは良くも悪くも梁川選手中心のチームで、ことしはその梁川選手が故障ということでどうなることかと危惧していましたが…、もちろん、1年生の冴島選手、高島選手の存在もありますが、アンカーの濱崎選手が実に存在感のある走りを見せてくれたんじゃないでしょうか』


『そして磯貝さん、梁川選手はこの4月から磯貝さんが代表を務められているイソガイアスリートクラブへの入部が決まっていますが、どういったことを期待されているでしょうか?』


 磯貝は、サングラスの奥の目をぐっと細めて言った。


『今回は怪我ということで本人にとっても不本意な大会だったとは思いますが、持っている実力は今後の日本女子陸上界でも屈指の選手ですので、――数年後のオリンピックに向けて、彼女の実力を伸ばしていければなと思いますね』


 会場に流れる磯貝の声に気付いてあかりは振り向くと、実況席に座っている磯貝の方を向いて大きくうなずいた。


『そして今…、最後のランナーとなります47位、初出場の徳島・吉野川商業のアンカー、伊藤陽莉がゴールを迎えました――5区の区間順位も確定しまして、8位でゴールしました秋田学院の濱崎が区間賞ということですね? 2年生の濱崎、嬉しい区間賞獲得となります!』


「えっ!?」


 会場に流れるアナウンサーの声に、一美は思わず声を挙げるとみるみるうちにその目に涙が浮かんだ。再び、一美の周囲に部員たちが集まる。


「一美ちゃん、すごいよ!区間賞おめでとう!」


 競技場へと戻ってきた有希も、一美の手を取って喜びを爆発させた。一美は嗚咽交じりに、有希に応えた。


「…有希…ありがとう!」




 春奈は、戻ってきた怜名と並んでスタンドの客席に座り、大型ビジョンに映し出される男子のレースをじっと見つめていた。1区を走るエースの悠、2区の西村諒太が2位で繋いだタスキは、3区を走るソロモンまで渡っていた。ソロモンは先頭集団で粘り、残り200メートルを切ろうかというその時だった。


「あっ…!」


 怜名が、思わず悲鳴を上げる。春奈も画面に映し出されたその状況を見て、両の拳を強く握りしめた。


 実況が慌てた様子で叫ぶ。


『ここまで先頭集団につけていました秋田学院のキプチェンバが大きく歩道側によろけて転倒しそうに…あっと転倒してしまった! 転倒してしまいました! 体勢を整えようとしますが、大きく左右に揺れています…おそらく低血糖でしょうか? この間にキプチェンバ、10人ほどの選手に抜かれています! キプチェンバ、あと200メートル走りきることができるでしょうか?』


「モンちゃん…!」


 春奈は、力なくつぶやいた。怜名は大型ビジョンを見つめたまま、組んだ両手も小刻みに震えている。いつの間にか春奈たちのすぐ後ろに座っていた秋穂も険しい表情のまま、よろめきながらも前に進もうとするソロモンをただ見守るしかなかった。




 琴美は車窓に流れる風景をしばらく眺めていたが、ふと思い出したように手元の一眼レフを手に取ると、自らカメラに収めた春奈の姿を見つめた。顔を上げると、新幹線の車両に流れる電光掲示板のニュースが目に留まった。


『全国女子高校駅伝、鹿児島の桜島女子高が3年ぶり3度目の優勝。注目の冴島春奈を擁する秋田学院は8位で初の入賞果たす』


 思わず娘の名前を見つけて琴美は目を見開いて驚くと、小さくため息をついた。


(浩太郎くん…どうする? わたしたちの娘が、ニュースに取り上げられるような存在になっちゃったよ…どう思う? わたしは…もちろん嬉しいけど…、春奈がちょっと遠くに行ってしまった気がして…少しだけ寂しいかな…でも、あれだけ引っ込み思案だった春奈が、部活でキャプテンに指名されるようになったんだって…春奈は、わたしが思っているより、もっともっと大きな存在なのかもしれないね…浩太郎くん…)




 西京極総合運動公園競技場に、大きな歓声があがる。


『男子トップでこの西京極に戻ってきたのは、宮城代表の仙台共和大学高校です。女子は惜しくも2位となりましたが、男子は3連覇を目指した秋田学院を制して、今堂々のウイニングラン!後続とは大きく差があります――今、2位の埼玉共栄が戻ってきましたがここまで来ればもう間違いないでしょう! 今、仙台共和大高が5年ぶり7度目の優勝!』


 ソロモンの失速以降それぞれの選手が追い上げを見せたものの、2年間守り通したポールポジションを奪い返すことはできなかった。男子部員だけでなく、女子部員たちも眼前の光景を無言で見つめていた。歓喜に沸く仙台共和大高の横で、うつむく部員たちの姿はあまりにも残酷な濃淡だ。


「あっ…あれ!」


 競技場の入口を見つめていたみるほが、声をあげた。


「雄大先輩!」


 アナウンサーの声が、競技場内に響く。


『6位の秋田学院、アンカーの平松雄大ひらまつゆうだい・3年生が、前を行く神奈川の長後工業を捉えます!惜しくも3連覇はならなかった秋田学院ですが、平松が長後工業のアンカー下嶋に並んで…今最終コーナーを回った! 最後の直線での勝負となります!』


「雄大! 行け、雄大! 雄大!」


「平松くん!」


 部員たちが口々に雄大の名を呼ぶ。その声に呼応するように、雄大が一気にスピードを上げた。


『先着したのは秋田学院です!アンカーの平松が1つ順位を上げ、今5位でゴールイン! 平松、手を合わせて謝るような仕草を見せました。部員たちが平松に駆け寄って行きます――』




 閉会式を終えて体育館の外で待つ教職員、父母たちの前に現れた男子部員たちは全員が悔しさで顔を上げられずに、こみ上げる悔しさをなんとか噛み殺していた。女子部員たちも、神妙な表情で佇んでいる。生徒を代表して報告に立つ太希の後ろで、春奈たちは整列していた。


「グッ、ウウ、ウウウウウ…!」


 ブレーキを起こし、優勝を逸する一因となってしまったソロモンはひどくショックを受け、琥太郎が支えていなければ立っていられないほどの憔悴ぶりだった。顔を両手で覆い、問いかけにも応じられないほどだ。


「モンちゃん…しっかり!」


 春奈と怜名が声を掛けたが、ソロモンの嗚咽は止まらない。


「ウウ、クヤシイ、ワタシ、メチャクチャクヤシイ…!」


 琥太郎はそう言って崩れ落ちそうになるソロモンの肩を強く抱えると、怜名の方を向いて2度大きく頷いた。


「モンちゃん…」


「春奈…、宮司に任せよう」


「うん…」




 岩瀬が部員たちの前に立ち、口を開いた。


「今回の駅伝については、部員の皆に大変な負担とプレッシャーをかけてしまった中、男女とも本当によくやってくれました。…順位だけが結果じゃない。この都大路を走り切るために、男子は阿波野くん、女子は梁川さんを中心に本当によく頑張ったと思います…ありがとう」


「ありがとう」の言葉に、部員たちは再び涙を流した。


「これで、わたしの監督代行としての務めはお終いです。これから新年度に向けて、男女とも皆が集中できる環境を急ぎ整えていきます――だから、部員の皆さんは、どうか安心して部活動に励んでほしい。いいかな?」


「はい!」


 部員たちは流した涙を拭い、新たな決意を胸に秘めて答えた。



「あ、あの、ちょっと、ちょっといいですか!?」


「あれ!? …桜庭さくらさん?」


 終礼を終えた春奈に、後方で待ち構えていたさくらが駆け寄ってきた。


「ど、どうしたんですか?」


「怪我、大丈夫ですか!? あっあの…、わたしと、連絡先交換してくれませんか!? …あっでも、出発まで時間ないんで…これ、わたしの連絡先なんで、ここにメールもらってもいいですかっ!? …そ、それじゃまた!!」


「えええええっ!?」


 ポカーンとする春奈をよそに、さくらは連絡先を書いたメモを渡して脱兎のごとく去っていった。


「変わってる…あの子…!」




 日が暮れる少し前に、琴美は新神戸の駅から少し離れた高台へとやってきていた。神戸の市街地を見下ろす頃のできるこの場所には、浩太郎ほか冴島家の先祖代々が眠る墓がある。琴美は、しばらく訪れる者のいなかったであろう墓を掃除すると線香を供え、浩太郎に語り掛けるように口を開いた。


「浩太郎くん…見てよ。春奈、こんなに頑張ったよ…!」


 琴美がそう言ってカメラの画面を見せるようにかざすと、ふと背後から風が吹く。琴美が振り向くと、薄曇りの空から夕陽がのぞくのが見えた。


「浩太郎くん…」


 顔を出した夕陽は、神戸の港を見下ろす琴美の姿を穏やかに照らしていた。


<To be continued.>

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