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#73 訣別と覚悟

 琴美に支えられながら処置室から出てきた春奈は、開口一番佑莉に聞いた。


 「近藤先輩、どう?」


 佑莉は携帯電話の画面から顔を上げると、ニヤリとして言った。


 「最初ペース上がらんで14位まで落ちてしもうたけど、下りになってようなったよ。マキレナちゃんのおかげやな!」


 「怜名が?」


 「さっき、沿道からマキレナちゃんの声聞こえたよ!有希先輩に、ピッチで行きましょうって声掛けてからペースがようなってん」


 佑莉は春奈にイヤホンを渡した。春奈の耳に実況の様子が飛び込んでくる。佑莉の話を裏づけるように、アナウンサーが有希の様子を伝え始めた。


『14位に下がってしまった秋田学院の近藤ですが、下りに入り序盤のペースが蘇りました!先ほど、下りに差し掛かってすぐの所で今日のレース補欠登録されていた1年生の牧野怜名からピッチ走法でいきましょう、との声が掛かりました。そこから先ほどまでとはうって変わり、非常に快調なペースでこの下り坂を飛ばしております!前を行く2校――滋賀の大津東、兵庫の姫路女学館の姿が再び大きくなって参りました!』


 春奈は、佑莉に無言のままニヤリと笑ってサムズアップしてみせた。すると、


 「あっ、着信...誰だろう」




 「大丈夫だった、冴島さん?」


 「天さん!」


 負傷してそのまま病院へ直行した春奈を案じた、天からの電話だった。天は不安げな様子で電話を掛けてきたが、春奈の元気そうな声に少し安堵したようだった。


 「さすがだね...やっぱり強いよ!」


 「ありがとうございます...でも、桜島女子の子がめちゃくちゃ粘り強くて...桜庭さん」


 「あぁ...」


 天も、思わず唸った。春奈のトップスピードに最後まで食らいつき、わずか1秒差でタスキを渡した桜庭さくら。春奈は、レース後の疲れを微塵も感じさせない屈託の無いさくらの笑顔に、ある種の畏怖すら覚えたことを鮮明に思い出していた。


 「全国って、とんでもなく強い人たちの集まりなんだなって...まだまだ練習が足りないと思いました」


 「冴島さん...あっ」


 春奈の話に聞き入っていた天だが、電話の要件を思い出すとすぐに切り出した。


 「悠来のこと...本当にごめん。姉として、どうお詫びしていいか...」


 「天さん...」


 しばしの沈黙が流れる。春奈は、ゆっくりと口を開いた。


 「...天さんが...そんなに...謝らないでください。天さんが悪いわけじゃないですし」


 「でも、わたしは...」


 天の言葉をあえて遮るように、春奈は言った。


 「天さん、わたしはまた天さんとレースで競いたいんです。家族がとか関係なく、レースで精一杯の力を振り絞って、どちらが勝つか...あ、でもさっきケガしちゃって...へへへ...」


 力なく笑う春奈に、天はようやく少しだけ笑顔を見せて答えた。


 「...そうだよね、せっかくわたしたちにはスポーツがあるもんね。ありがとう、冴島さん。わかった。インターハイ、間に合うならその時また勝負しようね」


 「...はい!」


 春奈の表情にも、ようやく明るさが少し戻った。




 「おっ、近藤さん、巻き返してきたようだね?」


 岩瀬の言葉に、話し込んでいたひかるも競技場のビジョンを見やる。有希が姫路女学館のランナーをかわし、数メートル前の大津東にも並ぼうとする場面だった。


(...近藤有希。次年度の副キャプテン候補。3,000メートルの公認ベストタイムは9分57秒49...だが、トラックでのスピードに強み。反面、今日のようにロードは経験不足が否めないが、ポテンシャルだけでいえば不出場の芳野菜緒を凌ぐ力はある...料理が得意...)


 「梁川くん?」


 「はっ、はい?校長?」


 問いかけにも上の空で考え事をしていたひかるは、慌てて岩瀬の方を振り向いた。


 「そろそろ、アンカーの濱崎くんだ。頑張ってくれるとよいが...おぉっ?」


 岩瀬は、眼鏡を直すと目を見張った。競技場に、アナウンサーの実況が響きわたる。


『秋田学院の近藤が前を行く大津東の米山を捉えます!今背後に追いついて...一気に抜いた!これで秋田学院は12位まで順位を戻しました!秋田学院は現時点で過去最高順位ですが、入賞となる8位以内を目指すには、300メートル先で近藤を待ち構える次期キャプテンでアンカーの濱崎一美がその鍵を握ります!さぁ近藤、ラストスパートの体勢に入ります!』




 最後の第4中継点で有希を待ち受ける一美は、トップの仙台共和大高が通過するとすぐにガウンを脱ぎ捨て、他校のリレーの様子をじっと見つめていた。


 「一美先輩、...頑張ってくださいね」


 中継点で待機する礼香に声を掛けられると、一美は薄らと笑みを浮かべて言った。


 「はじめてだよ。...こんなレース前からガチガチに緊張するのは...足の震えが止まらないっていうか。ねえ、オギシマン」


 「どないしました?」


 突然呼ばれた礼香が聞くと、周囲を見回し、一美は静かに呟いた。


 「4人抜いて、8位入賞。わたしも、区間賞ってことで。...よろしく!」


 礼香にそう宣言すると、一美はリレーゾーンへと向かっていった。




 「一美ちゃん!」


 有希が普段の柔和な表情を捨て、一美に向かって一直線に向かってくる。直前のチームのわずか10秒差で、2人を抜き返して第4中継点へとやってきた。有希を呼ぶ一美の声にも力が入る。


 「有希、ラストー!!」


 そういって、体全体で大きく手招きをした。大津東のランナーは、すでに10秒近く後方へと下がっていった。有希は、両手でぴん、とタスキを広げると、痛恨の表情でひとつこくりと頭を下げた。


 「一美ちゃん、ごめんね、こんなに抜かれて...」


 一美は笑みを浮かべると、二度と大きく首を振った。


 「問題ないって!有希の分も抜いてくるから、入賞ってことで!」


 一美はそういってタスキを受け取ると、有希の肩をポンと叩いて走り出した。


 「ファイトー!!」


 走り終えてもなお、有希は表情を崩さぬまま一美へ渾身の声援を送った。




 秋穂と淳子は、競技場へ戻ってきていた。


 「秋穂、おつかれ!」


 「淳子先輩、ナイスランでした!」


 口々に声を掛けられるが、当の本人たちは浮かない表情のままだ。


 「どうしたの?」


 あかりが問うと、ふたりは続けて悔しさを顕にした。


 「最後のレースで...結果を残せないで終わるなんて」


 「時間が経つにつれ...、もっとやれたんじゃないかって...悔しくて」


 あかりは、下を向くふたりの間に立つと、両手でそれぞれの肩を叩いて言った。


 「終わったことは仕方ないよ。それに、ふたりともまだ走るでしょ?やめない限り、次のレースは来る。たとえ、現役を終えたとしても次のフィールドで輝けばいい。それに――」


 そう言って、あかりはふたりに大型ビジョンを見るように促した。




『12位でタスキを受け取った秋田学院の濱崎一美ですが、前を行く岡山の楊明館と広島の東広島のふたりに追いつこうとしています!さらにその前には八王子実業、そこから50メートルほど先には福岡の九商大長浜がいるという状況ですが、濱崎が攻めの走りを実践しています!』


 スタンドの秋田学院関係者席が沸き立つ。これまでにない積極的な走りに、秋穂と淳子も言葉を忘れて、ただ拳を握りしめる。一方で、競技場に戻ってきた佑香や美玲は不安げな表情を浮かべた。


 「一美、また突っ込みすぎて途中でタレなきゃいいけど...」


 「濱崎さん、大丈夫かな...」


 すると、その横で話を聞いていた萌那香が自信ありげに佑香たちに告げた。


 「そうかな?一美は、同じ失敗を二度も三度もやるほどバカじゃないよ。頼りないって言われて、それを見返してやろうって一番タイムを伸ばしたのも一美だし。ほら」


 そういって、萌那香は手元の記録を開いてみせた。


『追いかける濱崎、この1年で3,000メートルの自己ベストを20秒以上縮めてきた秋田学院で最も伸び盛りの選手だと、今回惜しくも欠場となったキャプテンの梁川が太鼓判を押しています。そして、その記録に違わぬ非常にアグレッシブな走りです!いま楊明館の2年生・駒形と、東広島の1年生アンカー山崎を一瞥もせずに抜いていきました!10位に上がった秋田学院、アンカー濱崎がその先の九商大長浜も捉えようと必死に前を追っています!』



 「お母さん...ありがとう!お父さんによろしくね」


 「了解!あんたも、怪我焦らずに治すんだよ」


 琴美に別れを告げて、春奈は競技場へ向かうタクシーへ乗り込んだ。


 「みるほちゃん、濱崎先輩どう?」


 春奈が問うと、みるほはガッツポーズで携帯電話の画面を見せた。


 「かなりイイよ!いまふたり抜いて、10位の九商大長浜に追いつこうとしてるよ!」


 「おぉ...!濱崎先輩!」



 〈To be continued.〉

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