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#69 ネバーギブアップ

「春奈、どう?」

 救護テントに春奈が運び込まれてすぐ、萌那香から着信があった。

「いま、冷やしていますが、太ももの裏側が痛いと…応急処置したら、市内の病院で検査と処置をするようにと言われています」

 佑莉が言うと、すぐに萌那香が答える。

「わかった。…市の医療センターにタクシーで行ける?みるほに病院に向かってもらうから、そこで合流して診察できるようにお願いね」

「わかりました!」

 佑莉の電話のやり取りを聞いていた春奈が、険しい表情のまま聞いた。

「ねえ、競技場戻って、みんなのこと応援したい…」

 すると、いつになく厳しい口調で佑莉が春奈を制した。

「アカンよ。すぐに手当てせんで、怪我えげつななったらどないすんの?病院行って、ちゃんと診てもらわなアカンて!」

 春奈は無言でうなずき、ガックリと肩を落とした。


 一方、萌那香の横ではあかりがスーツ姿の女性と話し込んでいる。

「え、ちょっと、なんでいきなり京都にいるの?」

「なんでって、そりゃカワイイ後輩たちの応援に決まってんでしょ」

「だって…卒業してから応援に来るのなんて初めてじゃない?どうして…姉さんが?」

 グレーのタイトなパンツスーツに、真っ白なTシャツがよく似合う。あかりの言葉に、サングラスを外すと長い髪をかき上げて軽くため息をついた。声をかけてきたのは、あかりの姉の梁川ひかるだった。

 「あんまり細かい内容は、言えないかな。とにかく、応援しに来たってことにしといて」

 突然の姉の登場に、あかりはポカンとした表情で口を開けていたが、我に返ると周囲にいた沙織たちに声をかけた。

「えっと、これ、わたしの姉。歳離れてるからみんな知らないと思うけど、一応うちの部のOGなんだ」

 周りにいた部員から驚嘆の声があがる。ひかるは、あかりの言葉にムッとしながら口を開いた。

「“これ”とか“一応”とか、姉に向かって失礼ね。…えーと、初めまして、24期のOGで、あかりの姉の梁川ひかるです。今日は、皆さんの応援と…ちょっと用があってきました。どうぞよろしく」

 その場にいた部員たちから拍手が起こる。すると、ひかるが訊ねた。

「…でさ、あかり。校長どこにいるの?」

「岩瀬先生?」


 『1区の冴島からトップでタスキを受け取った秋田学院の高島秋穂ですが、スタートしてすぐほぼ並走していた桜島女子のニャンブラ・ギタヒ、そして3位集団につけていた仙台共和大高校のエレナ・ジオンゴ、大阪・浪華女子のマケナ・ムワンギ、さらに埼玉・白鳥学園のジャクリーン・ワリオに抜かれ現在5位にいます。そしてその後ろからは京都鹿鳴館と拓洋大弘前が再び迫っています。まだ1キロ地点には到達しておりませんが、秋田学院の高島、非常に苦しい出足といえるのではないでしょうか――』

 実況が苦境を伝えたように、留学生たちに相次いでかわされ、秋穂には焦りの色が浮かんでいた。度々後方を振り返り、ペースがなかなか上がりきらない。

 春奈は、病院へと向かうタクシーの中で戦況を見つめていた。携帯電話のワンセグ機能では、やはり無理があるのか中継の映像が度々止まる。しかし、その映像からもわかるほど、秋穂の走りはベストな状況とは言い難い。

 「秋穂ちゃん…」

 春奈がつぶやくと、画面の向こうの秋穂の表情がパアッと明るくなるのがわかった。

「おぉ?」

「どないしたんやろ?」

 佑莉も思わず首をかしげる。


 (父さん!母さん!みんなも?)

 秋穂が沿道に見つけたのは、家族の姿だった。大阪の大学病院に単身赴任で勤務している父の潤一郎や、実家で開業医を営む祖父の巧三の姿がある。もちろん、母の春子や姉の冬花も一緒に、秋穂に声援を送っているのが見える。

「おーい!秋穂!頑張って走らんかい!」

「秋穂ちゃん!ええぞ!頑張れ!」

「秋穂ちゃん!ファイト!」

秋穂は、事前に応援に来ることを知らされていなかった。それだけに、忙しい父を筆頭に家族が沿道にやってきたことが嬉しかった。沿道を向いて大きく右手を振ると、前方を向いて大きく足を振り出した。

(ウチ…、頑張るけん、見といてよ!)

『沿道には地元の愛媛県西条市から、ご両親と祖父の巧三さん、そして姉の冬花さんが応援に訪れています。ご家族の姿を見つけて元気づけられたでしょうか、高島のペースがグッと上がりました!後方に迫っていた京都鹿鳴館の後藤、拓洋大弘前の植原を引き離し、再び前をいく留学生4人に追いついていこうという素晴らしいペースです!』


 競技場に現れたひかるは、スタンドの後方で実況を見つめる岩瀬の元へと歩いていった。あかりが落ち着きを取り戻したその時、携帯へ着信があるのがわかった。

「もしもし?」

 電話の主は、第4中継点に控える一美だった。

「あかり先輩…、お願いがあるんですが」

「?」


 先ほどまでの不安はどこへやら、来るはずがないと思っていた父たちの姿を見つけて、秋穂のテンションは高まっていた。それもそのはずだ。潤一郎は絵に描いたような多忙ぶりで、偶の休日も学会への参加などでつぶれてしまうことが多く、滅多に西条の自宅に帰ってくることはない。家族がこうしてひとところに集まること自体が数年ぶりのことだった。

 「秋穂ちゃん、嬉しそうだね!がんばれ!」

 タクシーに揺られながら、春奈は秋穂に小さな声で声援を送った。


 3区を走る淳子は、ウォーミングアップを終えると第2中継点の付添となる未穂を呼んだ。

「何?」

 未穂が聞くと、淳子は競技場の方向を眺めて感慨深げにつぶやいた。

「とうとう…最後だね」

「そうだね…まさか、淳子しか走れないなんて想像もしなかったけど」

 3年生はあかりを筆頭に、これまで『秋田学院最強の世代』と呼ばれたメンバーたちで、当初は彼女たちを中心としたメンバー構成となるはずだった。ところが、あかりのアキレス腱断裂や真衣のインフルエンザなどにより、5区間のうち予定通りエントリーできたのは淳子ただ1人という状況だった。淳子は、少し悲しげな笑みを浮かべて言った。

「怪我や病気は、誰にでもあるからしょうがないよ。それにさ」

「それに?」

「あかりが言ってたんだけどね。『諦めずに続けていたら、いつかどこかで輝ける日がくる』って。高校3年のこのタイミングは確かに残念だし、自分でももっとやれたかなって思うけど。でも、ここで終わりにするわけじゃないし、もっと上を目指して頑張ろうって思う」

「そうだね…ていうか、淳子進路決めたの?」

 未穂は、秋田学院大学への推薦入試をすでに受験し合格していた。淳子は、先ほどよりも明るい表情で答えた。

「津軽に行くことにした」

「津軽?」

 青森に数年前に開学したばかりの、津軽明邦大学という私立大学がある。横浜・多摩地域にある明邦大学の兄弟校だ。明邦大学は駅伝、サッカーなどで名の知れた学校だが、津軽は新興校ということもあり、どの部活もこれといって目立った実績はない。未穂は、不思議そうな顔をして淳子に訊ねた。

「淳子だったら、もっと強い学校から誘われてたんじゃなかったっけ?」

 未穂の言葉に首を振ると、淳子はガウンを脱いでその場で二度三度と跳ねた。

「お誘いはあったけどね。あかりを見てて思ったんだ。自分の力でチームを大きくして、育てて、それで全国目指すのも面白いかもって」

「…淳子、すごいね!わたしじゃムリだわ…」

 未穂が感心したようにぽろっとこぼした言葉に、淳子は笑みを浮かべた。だが、ストレッチのために体を屈めると、小さい声でつぶやいた。

(未穂、違うよ。やるか、やらないかだけの話だよ。わたしはやるって決めた…あかりが教えてくれたから)


2区も3キロを過ぎ、残るは1キロあまりとなった。秋穂は、先頭争いからこぼれた白鳥学園のジャクリーン・ワリオを捉え、4位タイに順位を戻していた。この先紫明通りを曲がり、烏丸通を進めば第2中継点はもう目の前だ。1年間かけて目指してきたこの決戦の舞台も、走るのはたったの10数分だ。ただ、この10数分のために費やした時間の重みを秋穂は噛みしめていた。ここでの結果が全てなのだ。たとえ、優勝校を超える努力をしたとしても、結果は順位として現れる。

 (くっそ…!)

 先頭を行くニャンブラたちとの差は広がる一方で、秋穂は厳しい表情を浮かべた。日本人ランナーとしては高校1年生として突出したタイムを持っていても、留学生のそれとは比べるべくもない。実力を無視した暴走は力尽き、結果としてブレーキを招く。だからといって、諦めるわけにはいかないのだ。複雑な感情が、秋穂の胸中に渦巻く。

 (こんな時、どうする…春奈なら…春奈なら…?)

 その答えは、つい10数分前の自らの視界にあった。

あの時、今まで見せたこともない表情でリレーゾーンへ飛び込んできた春奈の姿が、脳裏にはっきりと蘇る。そして、出場が危ぶまれたあの時に春奈と交わした言葉も。

 (全力で頑張って、みんなで笑い合いたい)

 (チームのために、絶対に勝とう)

 残り1キロの看板が目に入ると、すぐその先の沿道には涼子と愛がスタンバイしている。涼子は、秋穂の姿を見つけると大きな声で叫んだ。

「秋穂!36!トップと36秒!行ける!行けるよ!」

「ほーたん、ファイト!」

 愛も、声を張り上げると両手を顔の前でぎゅっと組んで祈るような表情を見せた。

(オッケー!ネバーギブアップじゃ!)

 秋穂は2人に向けて左手の拳を高く突き上げると、一気にスピードを上げた。


<To be continued.>

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